世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

地震で崩れてしまったプランバナンですが、再建された塔は南国の青空にくっきりです(インドネシア)

2015-01-25 08:00:00 | 世界遺産
 パリと同じ名前の天を突くゴシック様式のノートルダム大聖堂があるのがランスでした。ゴシック様式は、建物を外から支える「とび梁」と呼ばれる構造で、窓を大きく採りながらも巨大で見上げるような聖堂を作ることに成功しました。天を突くような建造物はゴシック建築だけではなく、同じように石造りで建てられた宗教施設がアジアにもあります。その一つが、今回紹介するインドネシアのプランバナン遺跡です。プランバナンについては、2005年10月12日のコラムでボロブドゥールと合わせて紹介していますが、これは2006年のジャワ中部地震や2010年のムラビ山噴火前の状況で、今回はその後の様子をプランバナンを中心に、より詳しく紹介をします。

(およそ30年前のロロ・ジャングラン@プランバナン遺跡)
 プランバナンは、インドネシアの首都のジャカルタから東に飛行機で1時間、列車では7時間あまりのジョグジャカルタにあります。ジョグジャカルタは、インドネシアの独立戦争の時、1945年から4年間臨時首都が置かれ、スルタンの王宮も残されている古都です。プランバナンは、ジョグジャカルタの中心街から、トランス・ジョグジャと呼ばれる路線バスで東に、渋滞が無ければ30分ほど走った終点です。町並みが途切れて、緑が多くなってきた頃にバスは終点の名前もプランバナン・バス停に着きます。バス停の北側にはプランバナン遺跡が見えているのですが、柵に阻まれて入られません。遺跡への入り口は、ず~っと東へ行って、北に曲がり入ったところは公園で、遺跡の入り口は、そこから西に逆行をしたところにあります。さらに、入場料は二重価格で外人料金はかなり高めに設定され、入り口も分けられています。ただ、外人料金で入城すると、遺跡内を走るミニトレインは追加料金無しで乗れますが、ASEANの大国になろうとしている国としては、いただけないシステムです。

 
 
 
 
 プランバナンと紹介していますが、広範囲に散らばっている複数の遺跡の総称で、バス停の近くの遺跡は、遺跡群の中で最大で最も美しい遺跡の一つのロロ・ジョングラン遺跡で約100m四方の中に7つの塔が建っています。ロロ・ジョングランの中心にそびえる最も高いシバ寺院は地震後の現在は入堂禁止ですが、30年近く前に訪れた時には入れたように思います。ただ、その時はシバ寺院周辺の塔はまだ再建されず瓦礫の山だったように思います。この時は、おとづれる観光客も少なかったように思いますが、現在は駐車場には日本人を乗せてきたバスを含めて、たくさんの大型観光バスが止まっています。この、シバ寺院は以前に見た塔は地震で崩れ、その後に修復再建されたものだと思います。現在でも、ロロ・ジョングランの周辺には未修復の瓦礫がたくさん積まれたままになっています。シバ寺院以外の塔には入堂できるものも多く、塔の壁面や内部に数多くのヒドゥーの神様が出迎えてくれます。

  
 
ロロ・ジャングランから園内を走るミニトレインで簡単に訪れることができるのがセウ寺院で、入り口の近くにある像がちょっとコミカルです。ただ、このミニトレインは、現場で5分ほどしか停車してくれないので、あまり丹念には見ることができません。ゆっくり見たい場合は、炎天下を20分ほど歩いて帰る覚悟がいります。後続のトレインを待っても、ここで降りる乗客はほぼ期待できず満席で乗るのは無理なのです。ろろ・ジャングランとセウとの間にも複数の小さな寺院がありますが、なかなか修復が進んでいないようです。

 遺跡の中で座って休憩をしていると、写真を撮ってくれ!というしぐさで、それに応えようとすると、相手を撮るのではなく、一緒に写ってくれ!というので驚きました。他にもパッケージ旅行の日本人はたくさん居たので、日本人が珍しいわけでもなく、なぜ一緒なのか未だ持って謎です。その時、決まって使われる撮影機材はスマホです。一時期、メールは携帯でしか使えない、という人が増えましたが、web検索はスマホでしかできない、といった人が増えているのではないでしょうか。その副作用で、インターネットは使えても、キーボードは打てない、といった人種が着実に増えているそうです。

虫籠窓の家並みの続く野里の町の近くには、お夏清十郎の比翼塚やレンガの美しい美術館もあります

2015-01-18 08:00:00 | 日本の町並み
 姫路城の西の因幡街道との分岐点あたりに古い商家が残る街並みが姫路市の青山地区でしたが、姫路城の東側に商家の町並みやお寺が連なるのが姫路市の野里地区です。町並みのはずれには、レンガ造りの美術館もあって、お城のついでに散策したくなる場所の一つになっています。

 
 
 
 
 姫路市野里地区は、姫路城の北東側に南北に走る播但線との間に南北に広がる町並みで、最寄の駅は播但線の野里駅と京口駅になります。野里は播但道沿いに開けた商人と職人の町で、土蔵造りに虫籠窓の付いた町家が1km以上も連なります。漆喰も黒漆喰のもの、オレンジ色の漆喰、そして通常の白漆喰のものありで、なかなか眺めていて飽きません。ただ、これらの町並みの上に、コンクリート作りのマンションがにょっきりと顔を出すのは、多くの町並みに共通する無粋さでしょうか。コンクリートといっても(モルタル作りかもしれません)、レトロな3階建ての建物も残されていて、こちらは土蔵造りの町屋の風景に溶け込んでいるようです。

 
 町家の中には、お寺も散在していて、中でも「お夏清十郎」の比翼塚がある慶雲寺は有名です。お夏清十郎は悲劇のカップルですが、二人を祀った塚は思いのほか地味で、見落としそうなくらい、ひっそりとしたものでした。この慶雲寺のある通りは、メインの南北の通りからわき道を東に少し入った場所にありますが、このわき道をさらに東に行くと固寧倉があります。幕末に建てられたもので飢饉に備えて穀物などを備蓄した倉庫です。
 姫路城下で300箇所近くの倉庫が建てられたようで、小ぶりに見えますが、固寧倉だけで1,400人を1ヶ月間養える量を蓄えられたそうです。

城下町には、食い違いや鍵の手と呼ばれる見通しを遮ったり、敵が一気に攻め込まないようにした道路が多いのですが、姫路城では「あてまげ」と呼ばれ、直行する道路が交差点ではなくT字路になって交わっています。敵の侵入を防ぐためといえば、のこぎり横丁の道も三角形の空き地に伏兵を隠したといういわれがありますが、諸説があって、必ずしも防衛用ではないかもしれないそうです。似たような町並みに、和歌山県の黒江があり、こちらは土地の区割りに対して道路が直角にならず、結果的に三角形の空き地ができてしまったようです。

 
 野里の町並みを南に突き抜けて少しお城よりに行くと姫路市立美術館があります。レンガ造りの美しい建物ですが、明治時代に陸軍の兵器庫などとして建てられたものです。同じような建物は、金沢(博物館)、舞鶴(イベントスペース)それに善通寺(自衛隊)などにも残っていますが、美術館として使われているのは姫路だけでしょう。常設展のスペースのほかに企画展示室とコレクションギャラリーもあり、なかなか充実した美術館の一つのようです。

 「お夏清十郎」の悲劇は、封建制度の下で、身分の格差のある二人が恋仲になったことに起因しています。現代でも、社会の仕組みとして身分を区別するものは無くなりましたが、オーナー社長の師弟は能力が無くても将来の地位は約束され、格差が固定されてしまいます。マスコミやネットの普及は、これらの格差を見えるようにしてしまって、かえって不幸を助長しているのかもしれません。見えることによって改善されればいいのですが、例えばヨーロッパのように現役の貴族が存在して、その存在は善であると主張して止まない一族に対しても、何も変えられないのには無力ささえ感じます。

特徴の少ない顔をしたマンハイムですが、宮殿と駅舎は再建とは思えない華やかな建物です(ドイツ)

2015-01-11 08:00:00 | 世界の町並み
 上海から高速鉄道で2時間足らずの揚子江のそばにある鎮江には、お寺の建築に混じってレンガや石造りの町並みが残っていました。この鎮江と姉妹都市を結んでいる都市の一つがドイツのマンハイムです。今回は、ドイツの商都フランクフルトの南、ライン川の右岸に位置する学園都市のマンハイムを紹介します。

 マンハイムは、フランクフルトから南に50kmほど、やはり学園都市のハイデルベルグの北西15kmほどのところにあります。同じようにフランクフルトの近くで、ライン川とマイン川の合流点にマインツがあり、ライン川とネッカー川の合流点に有るマンハイムとは名前も地理的環境も都市の規模も似ていて混同します。ただ、町歩きをすると、都市の顔は随分と違って、マンハイムはどことなく平凡で、どこにでもある都市といった印象を受けます。

 ただ、町の中心にあるマンハイム宮殿は、ヴェルサイユに次ぐ広さだそうで、中央駅も日本のどこの地方都市の駅より堂々として歴史を感じます。ただ、この駅舎は、戦後に再建されたそうなのですが、旧来のデザインを踏襲したそうです。新しいデザインでも、フランスのストラスブールのようなデザインなら美しいのですが、古い駅舎を何の迷いもなく破壊して、無機質で画一的な建物にしてしまう東洋の国の無神経さにはがっかりです。この国では、駅舎だけでなく、役所などの公共の建物も、再開発の名の下にまだ使えそうなものを破壊して、面白くない建物にしてしまう伝統があるようです。

 
 
 町の中心部に位置するバロック建築のマンハイム宮殿も、世界大戦で破壊をされて簡易版で再建された建物のようですが、その後にドイツを代表するソフト会社の寄付によって、外観は元の姿に近い形に修復されたそうです。内部は大学の施設としても利用され、一部が宮殿博物館として公開されていますが、階段や天井画など、修復とは思えない見事さですし、シャンデリアも綺麗です。宮殿の前には、カール・フリードリッヒの銅像が建っています。

 
 宮殿の近くにはイエズス教会があり、葱坊主のような鐘楼とドームが目立ちます。内部も白を基調として清楚な感じがします。

 
 このあたりは、川沿いに緑が広がっている場所ですが、路面電車で駅のほうに戻ると、その突き当りにも緑の多い公園があります。

 
 フリードリッヒ公園という名前ですが、噴水のある広場のそばには、大きな給水塔が建っています。1889年に建てられて、高さが60mもあるのだそうですが、東京の用賀や中野に建っている給水塔とどこか似ているように思いますが、東京のものがこの塔などのデザインを引用したのかもしれません。

 マンハイムで18世紀に創設された音楽集団のマンハイム楽派は、それまでは通奏低音であった伴奏を、現代のオーケストレーションに通じるメロディラインを装飾するスタイルに変革した集団と言われています。美しいハーモニーを作る音は、簡単な分数で表される周波数の組み合わせから構成されるものです。しかし、現代のピアノなどでは、音階の周波数を12乗根という無理数を使う平均律では、厳密には綺麗なハーモニーは得られません。ただ、平均律の概念が発明されないと、ピアノの鍵盤の数が数倍と実用に耐えられない数になっていた可能性があります。彫刻や絵画の分野での黄金分割など、芸術と数学とは不可分な関係なのかもしれません。