世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

世界遺産の熊野古道のある山塊には日本一のつり橋もあります

2007-08-26 16:59:50 | 日本の町並み
 三十四観音札所もあるのが秩父ですが、巡礼の中でもっとも広い範囲に広がっているものが西国巡礼三十三所です。一番は和歌山県の青岸渡寺から最後は岐阜県の華厳寺まで2府4県にまたがっています。今回は2004年に世界遺産に登録された紀伊山地の霊場と参詣道にも入っている熊野三山周辺を紹介します。

 熊野三山は山といっても山が三つあるわけではなく、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社を指します。和歌山県南部の海岸から熊野川の中流に位置しており、ちょっと不便な場所といえるかもしれません。先に紹介した西国一番の札所青岸渡寺と那智大社とは隣接していて、那智の滝も望むことができ、

JRの駅からも近く比較的足の便はいいといえます。神社とお寺が隣接しているのは神仏混交の名残のようで、熊野には例が多い形態のようです。一方、三山の頂点の熊野本宮は、新宮からバスで1時間以上の紀伊半島の内陸にあります。熊野川沿いにの小高い場所にありますが、かつては熊野川の中州にあったものを明治期に洪水を逃れるため現在の場所に移築されました。

 熊野川といえば、上流の奈良県側は十津川の名称で呼ばれており、この流域の十津川村は日本一大きな村ということで有名です。この十津川に谷瀬の吊り橋という日本一のつり橋があります。長さは約300m、高さは50mを越えています。高所恐怖症の人間には10%も行かないうちに引き返さざるを得ない状況でした。

 熊野川の支流の北山川には瀞八丁という渓谷があり、かつては新宮からプロペラ船が運航していました。プロペラ船というのは、きっすいの浅い船の上に飛行機のようなプロペラを付け、スクリューの代わりに推進力を得るものです。現在ではジェット船が中流を基点に運航されていて騒音のない船旅ができるようです。しかし、このプロペラ船も瀞峡の静けさを実感するには効果があります。すさまじい爆音を轟かせて遡上してきた船は、瀞峡に着くとエンジンを止めてしまいます。瞬時に川の流れや、鳥の声などしか聞こえない静寂の世界に切り替わる落差は捨てがたいところがありました。

 静寂といえば、騒音をアクティブに打ち消して静けさを取り戻す装置がかなり普及してきたように思います。騒音と逆位相の音を作って打ち消しあおうというものです。当初は、劇場などのエアコンシステムとの組みあわせで実用化されたようですが、最近では高速道路から出る騒音の軽減にも使われているようです。電車内などで、シャカシャカとノイズを立てているイアホンの音も消してもらえないでしょうか。

曼荼羅の世界を立体的に現した巨大な石の塊、ボロブドゥール(インドネシア)

2007-08-19 17:01:14 | 世界遺産
 ケルンの大聖堂は垂直方向で巨大でしたが、水平方向で大きな宗教遺産の一つがボロブドゥール遺跡ではないでしょうか。仁徳天皇陵の486mx305m、クフ王のピラミッドの230m四方にはかないませんが、115m四方、高さ34mの巨大な石の塊は存在感があります。この巨大な遺跡が火山の噴火で、火山灰の下に長い間埋まっていたとは信じられないところです。再発見されたのは19世紀で、シンガポールの高級ホテル名にもなっているラッフルズがジャワの副総督のとき発見したのだそうです。

 ボロブドゥールは、ジャワ島の中央南のジョクジャカルタの郊外にあり、ヒンドゥー遺跡のプランバナンとも近い距離にあります。ジョグジャカルタ市内からの乗り合いバスで1時間程度だったと思いますが、このバスは先を急ぐ余り、対向車線に出て先行車両を追い抜いていきます。対向車が迫っていてもお構いなしで、間一髪で元の車線に戻るという危うい運転でした。

 ボロブドゥールは朝早くに出かけたほうが良いといわれています。人も少なく、朝ならさほど暑くなく、また光線が斜めのほうが綺麗に見えるなどの理由のようです。筆者はジョクジャカルタに泊まって次の日に出かけましたが、ホテルから市内のバスの乗り場までで時間を費やして、あまり早くもない時間に到着しました。観光客はまだ少なかったのですが、赤道に近い場所のうえに遺跡の石が焼けて暑いこと。

 その暑さの中を遺跡に上ってゆくのは、けっこう辛いものがありますが、壁に彫られたレリーフや要所に配された仏像を眺めていると、元気が出てきます。

この遺跡は通常は絵に描かれることが多い仏教の曼荼羅を立体的に具現化したものといわれています。ただ、実物を前にして、どの仏像がどの如来や菩薩に相当するのかは判別できませんでした。

 最上層のテラスには大きな鐘のような形の仏塔がいくつもあって、その表面には格子状に穴が開いています。中には仏像が安置されているのですが、穴から手を伸ばして仏像に触れようとしますが、もう少しで届きません。中には仏塔が壊れて仏像がむき出しになっているのもありましたが。

 ジョクジャカルタでは、2006年6月に大きな地震がありました。この地震で、プランバナン遺跡は被害を受けたようですが、ボロブドゥール遺跡のほうはさしたる被害が無かったそうです。細身で塔のような形のプランバナンに比べて、平たいボロブドゥールは地震に対して耐力があったのかもしれません。
 地震のP波を捕らえて、次に来る大きな波のS波の到来を知らせる緊急地震速報システムが実用化されました。伝わる速度は早いけれど、破壊力の小さな縦波のP波を検出して、伝わる速度の遅い破壊力のある横波のS波の到来の前に知らせて危険回避の手助けをしようというものです。ただ、震源が近いと予報から襲来までの時間が短く準備が難しいこと、どこにいても警報をどこにいても聞き取れる状況ではないことなど、まだ本物とはいいがたいところもあるようです。地震の予兆を検出して、もっと早くに警告を出すような信頼性の高いシステムってできないのでしょうかね。

夜祭、札所、古い町並みに丘一面の芝桜と盛りだくさんの秩父

2007-08-12 17:02:55 | 日本の町並み
 細雪のふるさとであった神戸の住吉を流れる住吉川の上流の鶴甲山は宅地造成で山を削られてしまいました。一方、セメントの材料の石灰岩を採るため山容が変わってしまったのが武甲山です。どちらも甲の付く山というの似ているかもしれません。武甲山を見上げる秩父は首都圏にあって古い町並みや祭り、それに札所めぐりなど個性的な町のひとつです。

 秩父市は埼玉県の西端、長野県や山梨県とも接しています。秩父へは、西武の秩父線が開通する36年前までは、熊谷から秩父鉄道を利用してのアクセスで、東京から2時間以上かかっていました。首都圏からはずいぶんと遠い存在のようでしたが、現在は池袋からレッドアロー号に乗車すれば1時間15分ほどで着いてしまいます。

 秩父を代表する祭りといえば、秩父神社の夜祭でしょう。京都の祇園祭、高山祭りと並んで三大曳山祭りととして有名で、闇が無用な雑物を消し去るので、曳山がそれだけ引き立つのではないかと思います。

ただ、昼のお祭りと違って、数少ないであろう宿泊場所を確保することを考えると、ちょっと気後れがします。その秩父神社は、西武秩父駅から歩いてもすぐで、祭りの時にはす大変な人の数になるのでしょうが、普段は神社の歴史や、社殿に彫られた彫刻のことまで説明をしてくださるボランテイアの方々が目立つくらいです。

 大変な人の数といえば、春の羊山の芝桜見物も大勢の人が訪れるようです。シーズン中は西武秩父の一つ手前の横瀬を降りて20~30分くらいの道は行列状態になります。丘を登りきったところに開けるのは、武甲山をバックにしたピンクや白の花の絨毯です。

日本の花は1~2輪静かに咲いている姿から、大きな自然を想像させるケースが多いように思いますが、この芝桜の強烈なボリュームは自然の大きさそのものです。

 丘を降りて、秩父駅周辺の街中には、対照的に渋い色の世界が広がっています。造り酒屋や町家を解放した資料館など木の暖かさが伝わってくる町並みが残っています。

秩父の札所のいくつかも町中に点在しているようで、自然と人間くささの双方が楽しめる町の一つかもしれません。

 武甲山は石灰岩の採掘で山容が変わってしまいましたが、島中がリン鉱石に覆われていて,まさに身を削って生計を立ててきた国もありました。この島に限らず、資源の枯渇が問題になっていますが、ITによる生産性の向上や、効率の向上、さらには通信などにより人間や物の移動を最小限にしてエネルギの無駄を少なくすれば、資源の消滅時期も先に延ばすための解決策の一つとなるのではないでしょうか。

巨大な岩山のようなケルンの大聖堂は完成まで600年(ドイツ)

2007-08-05 17:04:22 | 世界遺産
 ドゥブロヴニク旧市街は、内戦のために危機遺産リストに登録されましたが現在はリストから外れました。危機遺産リストに登録された世界遺産は思いのほか多いのですが、今回はこれらの中からケルンの大聖堂を紹介します。

 2004年にニュースでケルンの大聖堂が危機遺産にリストに登録されたことを聞いた時には意外に思いました。紛争地域でもないし、自然災害もなさそうです。その理由は、周辺の新建築物による景観破壊でした。その後、市当局の努力により、2006年には危機リストから外されました。危機遺産リストに載せられた遺産を見てみると、ほとんどの原因は人間にあるように思います。自然災害によるものはわずかなようです。文化遺産を作るのが人間なら、それを破壊したり、台無しにするのも人間なのですね。ただし、ほとんどの危機遺産が人間の努力で危機を脱しているのが救いでしょうか。

 ケルンの駅はドイツの大都市で多い突き当たり式のものではなく、通り抜け式の駅ですが、駅を出てそのまま進むとケルン大聖堂に突き当たります。

まるで、駅が聖堂の付属物のように感じます。ただ、ここから見上げる聖堂は巨大すぎて、建物というより岩山という感じがします。ゴシック建築としては世界最大の建築物で、157mの主塔は、ワシントンにあるオベリスクができるまでは世界一の高さの建築物でもありました。

これらを眺めるのはそばから見上げるより、ライン川に沿って列車で下ってくる車窓から、徐々に近づいてくる大聖堂を眺めるほうがいいかもしれません。日本で塔のあるお寺を訪ねる時に、遠くから眺める塔が、徐々に大きくなって、期待が高まるのと似ているかもしれません。

 先日、世界遺産に登録になったシドニーのオペラハウスが建築完成まで14年もかかって、問題になったようです。また、2005年に指定拡大により世界遺産となったバルセロナのサグラダファミリアは作り始めて120年以上をけいかして、まだ完成していません。ずいぶんと工期が長いように思えますが、ケルンの大師堂に比べれば、取るに足らない期間なのです。なんと工事が始まってかんせいするまで、600年以上もかかってしまったそうです。もちろん、ずっと工事をしていたわけではなく、財政難などで中断していて時間だけが経過した、というのが種明かしのようですが。

 ケルンといえばオーデコロン発祥の地でもあります。ご存知の方も多いと思いますが、オーデコロンはフランス語で「ケルンの水」との意味です。当初はケルンで製造された柑橘系の香りのする香料でしたが、現在では香りの種類の幅も広がっているようです。このオーデコロン発祥の地もケルンの大聖堂の近くにあります。

 大聖堂の完成まで時間がかかった理由の一つに、設計図の紛失ということがあったようです。再発見が、工事の再開のきっかけにもなったようです。現在のように、簡単にコピーができない頃のドキュメントの保存は大変だったと思います。CD-RやDVDに簡単に大量の情報をほぞんし、かつコピーによって副本を作れる現在では紛失の危険は減っていることと思います。最近DVDなどに記録した情報が何年ほどもつかという話題を読んだ事があります。DVDの記録面の劣化さえなければ、デジタルは劣化しないので、問題はDVDの品質だ、といわんばかりです。しかし、この議論には落とし穴があります。一つの記録方式が100年ももつとも思えません。方式が変われば、DVDは大き目のコースターに他ならなくなります。