東方三博士の聖遺物を収めるために600年もの長い時間をかけて高い塔を持つ聖堂を立てたのがケルンの大聖堂でした。一方、仏教の塔は、釈迦の遺骨を納めるためのストゥーパが起源で、アショーカ王が建てたものは半球形の物でした。中国に伝わると音訳で卒塔婆の字が充てられ、木造で背の高いものになりました。わが国には卒塔婆が省略されて塔婆になりさらに1字のみの塔という字が充てられ、木造の多層の塔が数多く建てられました。ところが、お隣の韓国では、木造の五重塔は中央部の法住寺の一基のみで、他の仏塔は石塔です。この石塔に悲しい伝説のあるのが世界遺産の仏国寺です。
悲しい伝説というのは、多卯木のようなものです。新羅にある、この石塔を作る百済の石工の帰りを待ちわびた妻が、仏国寺を訪ねて僧侶たちに、彼女の夫に会いたいと願います。しかし、その願いは許されず、石塔が完成すると影池に影が映るのでそれまで待つように言われます。彼女は毎日影池を眺めて完成を待ちますが、ある月夜に影池に石塔の影が映り喜んで影に抱き着こうとして影池に落ちて水死してしまいました。翌朝になって、石塔が完成して、夫は妻の待つ影池に来てみて妻の遺骸を発見し、夫も身を投げてしまうというものです。境内には国宝指定の釈迦塔と多宝塔の2基の石塔が何事もなかったかのように建っています。
仏国寺は、韓国の南東部にある慶州市に8世紀に創建され、仏像などにも多くの国宝を持つ仏教寺院です。慶州市は、かつて新羅の首都が置かれた歴史の長い都市で、中心部は慶州歴史地区として別途世界遺産に登録されていて、市内に2件の世界遺産を持つ都市の一つです。仏国寺は市街地の南東10kmほどの山麓に建ち、緑豊かな場所に建っています。後方の山には、仏国寺と包括登録の世界遺産である石窟庵があります。
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市内からの路線バスを降りて正門を抜けると石場氏の向こうに天王門があり、巨大な仁王像が立っています。彩色が残って、日本の仁王像とはずいぶんと雰囲気が違います。そのまま進むと正面に紫霞門で、その前には国宝指定の青雲橋と白雲橋の2つの石橋がかかっています。紫霞門は観光写真などでよく見かけるきれいな建物です。内部に入ると、回廊に囲まれた中央に国宝の大雄殿があって、その前に2基の石塔が並んでいます。大雄殿は日光の東照宮にも似た現職の装飾があって、それなりにきらびやかで、回廊にぶら下がる魚板もカラフルでした。
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裏手には毘盧殿と観音殿が並んでいます。毘盧殿の近くには舎利塔があり、レリーフ状に彫り込まれた佛がなかなかチャーミングです。
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石窟庵は仏国寺から路線バスで15分くらい山道を上ったところ慶州市内が遠望できるところにあります。石窟庵は8世紀に造られ、その後の仏教が弾圧されたため長らく忘れ去られていたものが20世紀初頭に偶然に発見されたものです。統治時代の日本やその後の韓国によって保存工事が行われ、美しい石仏が見られるようになりました。しかし、韓国が行った保存工事が不手際で、石仏はガラスの遮蔽の向こうに居て、拝観しにくい上に、保存性もよくないと批判されているようです。石仏は撮影できませんのでウィキペディアから写真をお借りしました。
ヨーロッパや韓国は石の塔や石像がおおい石の文化で、わが国は木の建物や木の仏像が多い木の文化です。わが国で最初に世界遺産登録となった法隆寺の調査に来たICOMOSの委員たちの応対をした国内委員の方々はずいぶんと苦労したそうです。彼らは自国の石の文化が世界最高という偏狭な傾向があって、木の文化が理解できなかったようです。石は無生物なので、何年も不変で存在するけれど、木は生物由来で朽ちてしまうので、劣等な材料といった論理のようです。なんでも、自国の文化で抑え込んでしまう西欧流の文化でしょうか、そういえばコンピュータの世界も英語圏に都合のいいように作られていますね。
悲しい伝説というのは、多卯木のようなものです。新羅にある、この石塔を作る百済の石工の帰りを待ちわびた妻が、仏国寺を訪ねて僧侶たちに、彼女の夫に会いたいと願います。しかし、その願いは許されず、石塔が完成すると影池に影が映るのでそれまで待つように言われます。彼女は毎日影池を眺めて完成を待ちますが、ある月夜に影池に石塔の影が映り喜んで影に抱き着こうとして影池に落ちて水死してしまいました。翌朝になって、石塔が完成して、夫は妻の待つ影池に来てみて妻の遺骸を発見し、夫も身を投げてしまうというものです。境内には国宝指定の釈迦塔と多宝塔の2基の石塔が何事もなかったかのように建っています。
仏国寺は、韓国の南東部にある慶州市に8世紀に創建され、仏像などにも多くの国宝を持つ仏教寺院です。慶州市は、かつて新羅の首都が置かれた歴史の長い都市で、中心部は慶州歴史地区として別途世界遺産に登録されていて、市内に2件の世界遺産を持つ都市の一つです。仏国寺は市街地の南東10kmほどの山麓に建ち、緑豊かな場所に建っています。後方の山には、仏国寺と包括登録の世界遺産である石窟庵があります。
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市内からの路線バスを降りて正門を抜けると石場氏の向こうに天王門があり、巨大な仁王像が立っています。彩色が残って、日本の仁王像とはずいぶんと雰囲気が違います。そのまま進むと正面に紫霞門で、その前には国宝指定の青雲橋と白雲橋の2つの石橋がかかっています。紫霞門は観光写真などでよく見かけるきれいな建物です。内部に入ると、回廊に囲まれた中央に国宝の大雄殿があって、その前に2基の石塔が並んでいます。大雄殿は日光の東照宮にも似た現職の装飾があって、それなりにきらびやかで、回廊にぶら下がる魚板もカラフルでした。
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裏手には毘盧殿と観音殿が並んでいます。毘盧殿の近くには舎利塔があり、レリーフ状に彫り込まれた佛がなかなかチャーミングです。
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石窟庵は仏国寺から路線バスで15分くらい山道を上ったところ慶州市内が遠望できるところにあります。石窟庵は8世紀に造られ、その後の仏教が弾圧されたため長らく忘れ去られていたものが20世紀初頭に偶然に発見されたものです。統治時代の日本やその後の韓国によって保存工事が行われ、美しい石仏が見られるようになりました。しかし、韓国が行った保存工事が不手際で、石仏はガラスの遮蔽の向こうに居て、拝観しにくい上に、保存性もよくないと批判されているようです。石仏は撮影できませんのでウィキペディアから写真をお借りしました。
ヨーロッパや韓国は石の塔や石像がおおい石の文化で、わが国は木の建物や木の仏像が多い木の文化です。わが国で最初に世界遺産登録となった法隆寺の調査に来たICOMOSの委員たちの応対をした国内委員の方々はずいぶんと苦労したそうです。彼らは自国の石の文化が世界最高という偏狭な傾向があって、木の文化が理解できなかったようです。石は無生物なので、何年も不変で存在するけれど、木は生物由来で朽ちてしまうので、劣等な材料といった論理のようです。なんでも、自国の文化で抑え込んでしまう西欧流の文化でしょうか、そういえばコンピュータの世界も英語圏に都合のいいように作られていますね。