世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

72mもの石造りのミナレット、クトゥブ・ミナールがそびえるイスラム寺院(インド)

2008-02-24 21:35:17 | 世界遺産
 ボン・ジェスズ教会には水の力で上下するケーブルカーがありましたが、人類どうも高い所を目指すのは共通のようで、インドには13世紀に建てられた72mものミナレットがあります。上部が壊れる前は100m程度もあったそうですが、バベルの塔の想像図と同様に、上に行くほど細くなった塔はかなりの存在感があります。

 クトゥブ・ミナールのあるイスラム寺院は、デリーの南方の郊外15kmほどのところにあり、トルコ系の奴隷王朝が作った遺構です。クトゥブ・ミナールだけではなく、イスラム寺院やさびない鉄柱などの遺跡が残されています。このイスラム寺院は、北方から進入したイスラム王朝が、それまでにあったヒンドゥ寺院やジャイナ教寺院などを破壊した石材を転用して作ったようです。ところが、ヒンドゥ教は多神教で、いろいろな神様の像がいたるところに彫られています。しかし、イスラム教では偶像崇拝を禁止していますから、これらの像は邪魔になります。そこで、なるべく像が彫られていない部分や、向きを変えて見えなくするなどの工夫をしたといわれています。このような乱暴な歴史がありますが、寺院の列柱回廊はなかなか綺麗で見ごたえがあります。

 ところで、72mのクトゥブ・ミナールですが、本来ミナレットは、塔の上部に上って礼拝の時間を知らせるためのものですが、こちらの塔は戦勝記念の意味合いで作られたようです。

これだけの塔の高さだと、お祈りの時間ごとに、塔に登るのは大変だったでしょうが。しかし、トルコのブルーモスクなどで見るミナレットとはずいぶんと印象が違います。

上部ほど細いというだけでなく、まるで細い丸太を束ねたような表面のでこぼこは、花やトウモロコシ、あるいトクサを想像します。ブルーモスクのミナレットがスマートな印象に比べて、こちらは無骨というか、野暮ったさを感じます。しかし、近づいてみると、表面装飾の見事さに驚かされます。

 実はこの場所には、もっと高い塔を建てる計画があって、基壇のみが作られて放棄されています。塔を計画したスルタンが暗殺されて、計画が頓挫したそうです。クトゥブ・ミナールの基部の直径は15m程度ですが、アラーイ・ミナールと呼ばれる未完の塔の基部は25mもあるので、100mを超えるさらに巨大な塔になる可能性があったわけです。


 また寺院の中庭には、7mの鉄柱が立っており、これは4世紀のヒンドゥ遺跡といわれています。4世紀からだと1,700年も経っているのですが、この鉄柱はさびない鉄柱として有名です。通常の鉄はすぐに酸化して(錆びる)酸化鉄となって安定します。酸化しにくい鉄として、ステンレスがありますが、開発されたのは20世紀の初頭で、この鉄柱が作られる頃には到底間に合いません。ステンレスとは異なる配合の合金を鍛造したものという説が有力のようですが、確定的ではないようです。ただ、残念なことに、この技術は現代までには継承されなかったようです。

 錆びない鉄柱は、ダマスカス鋼ではないかとの説があります。ダマスカス鋼というのは、インドを起源に、シリアのダマスカスで刀剣類の素材として使われたものだそうです。そのダマスカス鋼をナノチューブの技術により鉄柱に下という学説があり、鉄柱の表面を電子顕微鏡で観察すると、ナノチューブの特徴である格子状の模様が見られるとのことです。ナノチューブといえば、コンピュータなどの性能を飛躍的に向上させる驚異の新素材としてカーボン・ナノチューブが脚光を浴びています。炭素原子の配列が筒状になり、強靭で熱や薬品に犯されず、電気や熱の良導体という性質を持っています。もちろん、錆びない鉄柱はカーボン・ナノチューブ製ではなく、その可能性についてどこまで認識があったか分かりませんが、現代に通じる技術の芽が存在していたのですね。

「蔵」の作者が参考にした酒蔵や豪農の屋敷などちょっと途中下車したくなる新発田

2008-02-17 21:38:38 | 世界遺産
 諏訪大社の古い御柱が再利用されているのを発見したのは新潟県の新発田にある諏訪神社でした。新潟から羽越本線へのバイパス線白新線の起点の駅というだけで、見過ごしていましたが、途中下車をしてみるとなかなか見所の多い町でした。

 2001年までは、大阪から青森までの長距離を走った特急に「白鳥」がありました。2002年に八戸から函館までを走る特急に名前を譲り復活しましたが、かつての「白鳥」は、1000kmを超える走行距離を誇っていました。この「白鳥」は、黎明期には新潟と大阪間では大阪と上野を北陸経由で結ぶ車両を併結するという面白い編成でした。長い歴史の中で、新潟に寄ったり、素通りしたりと、走行ルートが微妙に変化しましたが、新潟に寄った場合は白新線経由、寄らない場合は新津から羽越線に入っていました。どちらを通っても合流するのが新発田駅で、かつては、新発田といえばその程度の認識でした。

 新発田市は新潟市の東30km程度の場所に位置する新潟県で第4番目に人口の多い城下町です。御柱があった諏訪神社は駅の正面を出て200m程度の距離です。駅から行くと裏から境内にはいる感じです。

 神社の鳥居をくぐって表から出ると、左手に市島酒造があります。

酒蔵の中を見学させてもらえますが、入り口に「蔵」の一文字と宮尾登美子と彫られた石が飾られています。「蔵」の執筆に当たって、作者の宮尾登美子氏が訪れて参考にしたことを記念したもののようです。

「蔵」の作品の中では、それまで男性の職場とされていた酒造りに、女主人公が初の女性杜氏を目指すことが描かれていますが、市島酒造では、現実に全国初の女性生み現在でも数人の女性が活躍されています。

 市島酒造に寄った後は、国道をそのまま進むと新発田川に出ますが、川に沿って左折すると、新発田藩の下屋敷跡の清水公園と川に沿って足軽長屋があります。

清水公園は回遊式の庭園で、新潟以北では最も美しく規模も大きな庭園の一つのように思います。

 一方の足軽長屋は、八軒の長屋の遺構でおよそ50m程度のかなりの長さの建物です。

足軽といえども武家なのでしょうか、一軒分の広さは都会のマンション並みのようです。

 先ほどの市島酒造を起こした市島家の本家は、この地方の豪農で、その建物と庭園が残されています。新発田駅から羽越線を新津方向に2駅乗った月岡という駅から歩いても15分くらい。この駅の裏側は見渡す限りの田んぼで、こんなところに遺構があるのだろうかと不安になります。駅の表側にはほどほどの民家がありますが、夕暮近くになって訪れたときには、人の気配がありませんでした。さて、その市島邸ですが、さすがの豪農の邸宅です。敷地の面積は先ほどの清水公園の2倍ほどにもなり、こちらも回遊式の庭園があります。

建物や庭園だけでなく、収蔵品のお雛様など見るべきものが多くて、旅程の関係で、余り時間がなく駆け足での参観を悔やむところでした。おなじ羽越線の酒田には大名をしのぐ豪商の本間家がありましたが、かつての地主の財力も、大名にも匹敵するものだったのでしょうか。

 回遊式の庭園に入ると、いつもどのように廻ろうかと迷います。入り口付近には地図が表示されていて、その地図を頭に入れてから廻るのですが、初めての庭園では決まって、思った通りのコースが取れないようです。携帯に地図をダウウンロードする手もあるのでしょうが、地形図だけでは不完全でしょう。ただ、行き当たりばったりに迷いながら巡る方が新しい発見もあって面白いのかもしれません。名園といわれる庭の設計過程では、平面図的なもので作庭を下のでしょうが、3次元に広がる完成時の庭の風景は長年の感と経験で推定したのでしょうか。最近のCADでは、設計途中で鳥瞰図も簡単に見れるようで、前もって完成時の様子が推定できるようになったようです。ただ、生き物の植物を扱い、季節によって姿の変わる日本では、作庭士の技量のほうが勝っているのでしょう。

ポルトガル発祥の町、最も住みやすいと言われ、城や教会、ポサーダもあるギマランイス(ポルトガル)

2008-02-10 21:43:22 | 世界遺産
 カゼルタ宮殿の庭園には、水を落下させる人工の滝がありましたが、水の落下する力で上下するケーブルカーがポルトガル北部のブラガ近郊のボン・ジェスズ教会にあります。ポルトの北東部にはいくつかの美しい町があって、ブラガもそのうちの一つですが、その中で世界遺産の町ギマランイスをボン・ジェスズ教会とあわせて紹介します。

 ギマランイスやブラガはポルトの東方向にありギマランイスの南にもアマランティという美しい町があり、各々がポルトからバスで1時間程度の距離です。ポルトを一つの頂点に、アマランティとブラガを他の2頂点とした3角形の底辺の中点がギマランイスといった位置関係です。ポルトから1泊2日で廻るのにちょうどといった距離になります。

 水を動力とするケーブルカーの動作原理ですが、車両の床下に水タンクがあって、上に上がった車両の水タンクに注水し、降りてきた車両の水タンクから水を抜くという動作を繰り返すことで、水の重力を利用して車両が上下します。

ボンゼスズ教会以外に、スイスやドイツそれに高知県にもあるようですが、高知のものは交走式ではなく1台の車両が上下しているようです。

 水力ケーブルカーでも登れてしまうボンジェズス教会ですが、教会正面の階段を登ってゆくと階段の踊り場ごとに泉があり、キリストの受難を表す礼拝堂が配置されています。階段の下から見上げると、白地に灰色の亀甲模様のような階段の連続はなかなか美しい造形です。

 さて、ギマランイスですが、中世以来の建物群を残す歴史地区が世界遺産に登録されています。12世紀にポルトガルを建国したアフォンソ1世が生まれた土地であるため、ポルトガル発祥の地とも言われています。その一方でポルトガル一の工業都市でもあるようです。歴史地区には、レンガ色の屋根に煙突がたくさんあって下部のアーチとの対比も美しいブラガンサ公爵館宮殿や、

修道院を利用した回廊と中庭の美しいアルベルト・サンバイオ美術館

それにギマランイス城跡などが散らばっています。

 ヨーロッパの古い町並みでは、緩やかにカーブをした小路をよく見かけます。見通せないことで、その先はどうなっているのだろうと興味が湧きますが、真っ直ぐにしなかったのは町の防衛のためなのでしょうか。

 歴史地区から2kmほど離れた丘の上に、修道院を改装したポサーダ・サンタ・マリーニヤがあります。ポサーダというのは、スペインのバラドールと同様に、城や修道院などを利用した国営ホテル群で、全国に30以上があります。ギマランイスには旧市街の中にもポサーダがありますが、サンタ・マリーニヤは丘の上にあって眺めもよく、規模もポサーダの中で最大に属するもののようです。修道院を改装した旧館に泊まりたかったのですが、工事中ということで新館の宿泊でしたが、アメリカンスタイルの画一的なデザインでないところが好ましい感じでした。町外れの丘の上に位置するので、夕食もホテルのレストランを予約しましたが、「何時に?」との問いに「6時半」と応えたところ、ディナーは早くても8時からだよ、と笑われてしまいました。8時に行ったホテルのレストランは、それでも早かったようで貸しきり状態でしたが、天井が高く遺跡の中で食事をしているような雰囲気でした。

 水力で動くケーブルカーは、水が落下するエネルギーを無駄にしない、巧妙な仕組みです。水力発電をして、その電力でモータを回して駆動する、という方式でないところがいいですね。地球温暖化が叫ばれても、いっこうに化石燃料の消費は減らないばかりか、むしろ増えているようです。バイオ燃料を得るためのトウモロコシなどの栽培のために熱帯雨林の面積が減りかえって炭酸同化作用による酸素の発生量が減る現象なんぞは、地球温暖化の問題の本質が議論されていない証拠かも知れません。IT化によって生産性が高まり、効率が良くなって、エネルギー消費量が減るのは好ましいことですが、コンピュータを始め、ほとんどのIT機器は、次の仕事を待っている間も無駄に電気を消費していることも忘れてはならないでしょう。

温泉だけでなく、古い町並みや御柱祭りで有名な神社など盛りだくさんな下諏訪

2008-02-03 21:47:57 | 日本の町並み
 岸和田のだんじりの屋根には人が乗って走り回りましたが、神輿の屋根に人が乗って問題になりました。一方、御柱祭では、山から切り出した樅(もみ)の大木の御柱の木落しでは傾斜30度のの急斜面を、御柱に氏子を乗せたまますべり落とすことで有名です。今回は、6年に一度の御柱祭の行われる諏訪大社のある、下諏訪について紹介します。

 新宿から中央線の下りに乗車して先に停車するのが上諏訪で、その次の駅が下諏訪になります。上諏訪は諏訪市、下諏訪は下諏訪町と行政区域も違います。共に温泉の湧く町ですが、諏訪大社の本宮や美術館などがあって、霧が峰への玄関口の上諏訪のほうがメジャーなように思いますが、諏訪大社の春宮、秋宮や万治の石仏があって町並みの顔も良いのは下諏訪です。
 諏訪大社の2つのお宮のうち下諏訪の駅に近いのが秋宮で、古い町並みが残っているのもその周辺になります。

 氏子を乗せて斜面を滑り落ちた御柱が社殿の四方に立てられています。

この、御柱は6年ごとに新しい柱を立てるわけですから、お古はどうするのかなと、思っていたら、新潟県の新発田市にある諏訪神社で発見しました。同じような御柱が立っていて、説明書きに、これは諏訪大社からもらったものです、とのこと。諏訪神社は全国に30箇所近くありますから、順に使われるのでしょうか。

 一方の春宮のほうは、駅の北、秋宮の北西方向に1km程度の距離にあります。秋宮から春宮への山沿いの道は、諏訪湖をバックに下諏訪の町並みが望める眺めの良い散歩道です。途中の、慈雲寺もうっそうたる木立の中の山門に存在感を感じます。

 本堂の前庭には、石庭があり、訪れたときは春まだ浅かったので、雪景色の庭でした。もう少し後の4月になれば、桜が見事なお寺なのだそうです。

 春宮の横に流れる砥川を渡ってしばらく上流に行くと万治の石仏があります。万治とはこの石仏の制作年代が万治3年(1660年)と彫り付けられているためで、諏訪を紹介するポスターなどによく登場する石仏で、一度見ると忘れられないユニークな形相をされています。

岡本太郎に「こんな面白いものは見たことがない」と言わしめたそうです。三角形の自然石の上に、楕円の頭を作ってちょこんとのせた、といった感じの造りですが、お顔の造りは日本人離れをしています。兵庫県の北条に五百羅漢の石像があり、そこで見たようなお顔と似ているように思います。北条の五百羅漢は、帰化人をモデルに作られたと言われており、万治の石仏も同様なのかもしれません。

 ところで、諏訪といえば温泉は切り放せません。上諏訪の駅の構内にあった露天風呂は、現在は足湯になってしまいましたが、入場券で入浴できる温泉ということで有名になりました。片倉財閥が建てた片倉館や間欠泉センターがあるのも上諏訪ですが、一方の下諏訪温泉は、共同浴場が多いのが特徴のようです。駅の周辺に10箇所ほどあって、銭湯感覚で入浴できます。温泉旅館の日帰り入浴プランのような豪華さは望めませんが、地元の人々と一緒に、のんびりと入浴すると、町並み散歩の疲れも消えるように思います。

 下諏訪温泉の泉質は、硫酸塩泉、塩化物泉、単純泉なのだそうですが、硫化物を含む温泉地でいつも困るのが、金属が黒ずむことです。特に銀の宝飾品は真っ黒になってしまいます。IT製品には数多くの接点があり、この接点がさびてしまうと、動作不良になります。銀は電気を最もよく伝えますが、酸化や硫化しやすいので、金やレアメタルの合金が接点材料として使われています。IT分野での使用量が増えているのもかかわらず、産出する地域が限られているので、その確保が政治問題にまでなるようです。また、大量に買い替え需要がある、携帯電話に使われる金やレアメタルを再利用する技術も確立はしているようですが、使い終わった端末が死蔵され、肝心のリサイクルの輪がなかなか廻らないようです。