世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

オベリスクと交換したカイロ旧市街のモスクの時計は相変わらずピクリとも動いていませんでした(エジプト)

2015-11-29 08:00:00 | 世界遺産
 前回はエジプトのピラミッドを紹介しました。その巨大さを実感するのは、間近ではなく少し距離を隔てたカイロ市内からの遠望でした。エジプトは古代文明の発祥の地なので、多くの世界遺産があるように思いますが、文化遺産が6箇所と自然遺産が1箇所で意外と少ないのです。古代エジプト関連の文化遺産は半分の3箇所に過ぎません。

 今回は、ピラミッドを遠望できるカイロ歴史地区を紹介します。前回、前々回と同様に、表示の画像は、8mmビデオからキャプチャーしたものなので不鮮明さをお許しください。また、訪問したのは20年ほども前で、足の便の悪いエジプトゆえのパッケージツアーでしたので、カイロ市内の観光はバスでチョイチョイと回ったのと、自分の足で行ったのはハーン・アリ・ハリーリーのみのため、あまり記憶が定かでなく間違った記述があってもお許しください。

 カイロ歴史地区は、古代エジプトの歴史遺産ではなく、イスラム文化の都市としての登録になっています。言うまでもなくエジプトの首都であり、ナイル川河口近くに中世頃から栄えてきたアラブ世界の中心都市です。はっきりしない記憶では、なんとも混沌とした都市といった印象です。カイロ博物館からハーン・アリ・ハリーリーまでを歩いて往復したのですが、どこも似たような町並みで、危うく迷いそうになりました。慣れてくると、この混沌さが魅力になってくるのかもしれません。

 
 
旧市街は、ナイル川の右岸近くののカイロ博物館から南東に広がる地域で、ピラミッドを遠望したのは、モカッタムの丘周辺だったと思います。当時TVで流れていた宮沢りえ出演のCMがここで撮られたとガイドが言ってたのを記憶しています。丘の周辺には、シタデルやムハンマド・アリ・モスクのがあり、シタデルは十字軍を阻止するために作られたそうです。このシタデルの中に19世紀に軍人のムハンマド・アリが建てたムハンマド・アリ・モスクがあります。トルコのイスタンブールで見かけるような丸屋根の建物は、外観もドームを見上げる内部もなかなかきれいです。このモスクの中に時計塔があって、フランスから送られたという、まったく動かない時計がはめ込まれています。この時計は、現在コンjコルド広場に立つオベリスクと交換されたものと言われています。オベリスクはルクソール神殿に立っていた2本のうちの1本で、動かない時計との価値の差は明らかです。フランスは正当な等価交換だと主張していますが、詐欺に近いといわざるを得ない行為です。

お土産屋街のハーン・アリ・ハリーリーは博物館から東に2kmほど行ったところでした。そこまでの経路だけでなく、市場街の内部も雑然としていて現在の場所を確認しながら歩かないと迷ってしまいます。現在は状況が変わっているのでしょうが、訪問した頃には、日本製のボールペンやポケットテッシュが貴重品で、かなりいい価格でお土産と交換してくれたようです。不思議なのは、お土産としてボールペンをたくさん売ってるんですが、日本製は品質が良くて特別なのでしょうか。

 ロシア機がシナイ半島で墜落をして爆発物が原因との見方がされています。20年前も、カイロ空港に到着すると、自動小銃を持った兵隊が空港で警備している見てびっくりしました。一つ間違うと、彼らが我々に銃口を向けないともかぎりません。治安の不安定な地域に旅行をするのは、やはりそれなりの危険を覚悟なのでしょう。中東方面への出発ゲートを、もっとも離れた場所にし、検査を厳格にしていた空港も見かけました。金属探知機だけでなく、いろんなセンサを使って、危険物を感知するようになっています。ただ、これらの機械を操作するのは人間なので、危険が回避できる保障は必ずしもあるとはかぎりません。コンピュータ犯罪のかなりの部分は内部の人間によることが多いとも言われています。

本陣跡の堂々たる建物の残る江迎の入り江の向こう側には天然温泉も湧いています

2015-11-22 08:00:00 | 日本の町並み
 平清盛が開いた大和田泊の跡は、神戸港の中でも最初に岸壁のできた兵庫港ですが、現在の兵庫港周辺の主役は造船会社の工場群になっていました。川崎重工や三菱重工のドックには潜水艦をよく見かけます。この潜水艦は海上自衛隊の所属ですが、その海自基地の一つが佐世保港になります。今回は、その佐世保港ではなく、佐世保市の北のはずれの江迎です。

 江迎は、佐世保駅から第三セクターの松浦鉄道で約1時間、佐世保市街地からは20kmほど北へ行ったところにあります。最寄駅名は2つの町が隣接するため江迎鹿町になっていますが、この駅は鹿町に属しています。鹿町は駅の南西側、江迎は東側一帯に分布しています。この2つの町は、もともと独立の町でしたが2010年に佐世保市に編入されました。

 
 
 江迎町の前面には海が深く入り込み、後方は山が迫るため、交通の要所となっていたようで、平戸往還の宿場町として発展してきた歴史を持っています。この宿場町の面影を残すものが本陣跡で、駅から10分くらいの平戸往還の跡の国道204号沿いにあります。車がビュンビュン行きかう道路に面していて、落ち着きませんが、なかなか堂々たる門と屋敷が県史跡となっています。

 
 
 本陣跡というと、石碑が一つ建っている所が多いのですが、こちらは造り酒屋の山下家の屋敷であったために、醸造倉ともども圧倒的な存在感のある建物群が残っています。レンガ造りの煙突もなかなか絵になっています。山下家は、酒造りだけでなく醤油作りも兼ねているようで、暖簾がそれを主張しています。裏山に続くわき道に沿って雰囲気の良い石塀が続き、この塀越しに奥行きのある瓦屋根が望めます。

 
 
 ただ、古い町並みは、この本陣跡周辺だけで、駅周辺は緑の山と雑草の生い茂る空き地、そして町の中心にあるバスセンタ周辺は、どこにでもある地方都市といった顔をしています。江迎とは駅の反対側になりますが、鹿町には天然温泉が湧き、市営の温泉施設である「やすらぎ館」が建っていて、日帰りの湯として町並み散歩の帰りに寄るのもいいかもしれません。

 最近、テレビでビッグデータのCMをよく見るようになりました。お酒造りに適した米作りにも、このビッグデータ技術が使われていりとのこと。ビッグデータ技術とは、桁違いに大量のデータを扱う技術で、データの解析にはデータマイニング技術が使われることが多いようです。これは、前もって予想できないようなデータ間の関連性を探し当てるもので、予想できないかったような結果が得られることが利点です。大量のデータの中から、埋もれている関連性を見つけ出すために高速のコンピュータが必要でしたが、技術の発展で手に入りやすくなった技術です。ただ、このビッグデータは、CMでは夢の到来的に扱っていますが、自分の知らないところで、個人の行動を解析されるなど問題も多いようです。ただ、お酒の味は、ビッグデータの手が届かない要素が左右しているようにも思います。
 

雲崗石窟の基地の町ですが、城壁内に巨大な寺院もあり見所が沢山の大同です(中国)

2015-11-15 08:00:00 | 世界の町並み
 ポルトガルの首都からも近い場所に、城壁に囲まれて白とブルーの家並みが美しい村がオビドスでした。日本の城は、権力者が住む場所という性格が強く、堀や城壁で囲まれている城内の広さはさほど広くはありません。しかし、ヨーロッパや中国の城壁は、町全体を取り囲んだものが多く、その面積も広大です。陸続きで、外敵から町全体を守らないと、権力者を支える経済が成り立たなかったのかもしれません。中国では、町を囲む城壁が世界遺産に登録されている平遥ではほぼ完全な形で城壁が残されていますが、今回はその平遥から北に400kmほどの大同(だーとん)を紹介します。なお、大同は2012年に紹介済みでしたが、新たな情報も加えて再度の紹介です。

 大同は、北京の西300kmほどの黄土高原の東北にある人口が約300万人の都市で、町を出ると黄色の原野が続きます。北京からの列車は北に大きく迂回をするので、高速道路を走る都市間バスが早くて便利です。待ちの西には世界遺産の雲崗石窟があり観光客の基地となっています。雲崗石窟は世界遺産編で紹介済みなので、城壁もある市内を紹介します。



 町のぐるっと囲むように鉄道が囲んでいて、中心となる大同駅は北東方向にあります。城壁は、駅の南1kmほどのところに、1.5km四方の部分を取り囲むようにあります。しかし、残されていた城壁は土塁が部分的にあった程度で、再建といった感じです。筆者が訪問した2011年には、まだまだ工事中で、バスも走っていた道路が、工事中の城壁によって分断されて困りました。日本の道路工事では、歩行者だけは遠回りをしなくても済むように側道などを作ってくれますが、向こうはお構いなし。延々と遠回りをさせられ、その迂回路もどこにあるのやらよく解りません、中国語で掲示があったのかもしれませんが。現在は、城壁の中央あたりに大極殿のような建物を再建しているようです。
(城壁の写真はBaido百科から)

 
 
 
 
 この城壁ができたことによって、訪問をした時と地理感覚が変わってしまって、間違った記述があるかもしれませんが、観光施設は、ほぼ城壁内に集中しているようです。大きなお寺が2つ、華厳寺と善化寺で、華厳寺は道路を隔てて上下2つのお寺になっています。華厳寺は西北方向にあり、華厳宗の最重要寺院だそうです。ということは、日本の東大寺のご先祖様?でしょうか。上華厳寺は中国でも伽藍を誇り、大雄宝殿など巨大な建物が林立しています。かなりの数の仏像もあるようですが、写真に収めていたのは、日本の仏像とは随分イメージの違う千手観音らしき像でした。華厳寺の寺域外ですが周辺には、長屋風の連続した建物が、詳細は不明ですが、気になりました。

 
 一方、善化寺は、南のほうに位置していて、こちらも大きな寺域を誇っています。こちらの大雄宝殿も巨大で、色の違いはありますが唐招提寺とどこか似てるようにも思います。境内も、どこか日本風を感じさせたように記憶してます。



 
 
 一方、北東方向には、鼓楼や九龍壁があります。鼓楼は道路のロータリーの中央に建っていて、太鼓を収容する建物という目的からすると随分と立派です。一方の九龍壁は、明時代の屋敷の影壁として作られ、屋敷は焼失して壁だけが残ったものです。龍を珍重する中国ですが、9匹もの龍が描かれた壁は3つしか残っていないようです。9匹もの龍はいないのですが、雲崗石窟への途中にある観音寺には三龍壁があり、こちらは瑠璃瓦の美しさでも有名です。

 北京と大同の間は高速都市間バスが便利と述べましたが、列車の場合の乗車券の手配が面倒なこともその理由です。現在は、乗車券販売のオンライン化が進んだようですが、4年ほど前は高速列車のみがオンラインで、他の列車の座席指定有り乗車券は、その列車の始発駅の窓口のみの発券でした。もちろん、途中駅でも乗車券は売られていますが、ほとんどの場合は無座、つまり立ち席です。始発駅の乗車券とて、季節によってはすぐに売り切れで、旅行中に明日の列車の乗車券を買いに行っても無座しかありません。長距離乗車で座席を確保するには、中国の旅行社に頼んで買ってもらうしかありませんでした。中国は、日本からの技術を流用した(彼らはオリジナルと言っているけれど)高速列車を、外国に売り込んでいるようですが、高速化のハード面は簡単にまねはできても、ソフトを含めたトータルシステムとしては、乗車券一つを取っても、不完全そのもののようです。

松方幸次郎ゆかりの和田岬周辺には歴史を感じる建物に混じって神社仏閣もたくさん

2015-11-08 08:00:00 | 日本の町並み
 上野公園一帯は、寛永寺の遺構や古い町並み、それに博物館、美術館とてんこ盛りのエリアでした。上野駅に近い西洋美術館は、途切れることなく特別展が開催されて、いつも入場待ちの行列を見かけます。特別展ばかりが注目されますが、この美術館の基本は松方コレクションで、いつ見ても飽きない作品がたくさんそろっています。このコレクションは松方幸次郎が第一次世界大戦後にヨーロッパで収集したものですが、この松方幸次郎の資金の源が初代社長に就任した川崎造船所です。今回は、川崎造船所が産声を上げた神戸の和田岬一帯を紹介します。

 
 
 
 和田岬は、神戸の中心街の西側に南に向かって突き出している岬で、港の歴史としては現在の神戸港より古いのです。神戸の福原に都を築いた平清盛が、現在の兵庫港近くに大和田泊を作り、日明貿易の基地としたのが始まりです。兵庫港から少し内部に入った切戸町には、清盛塚があり十三重の石塔とならんで清盛の銅像が遠くをにらんでいます。ところが、そこから新川運河沿いに北に行った橋の上には清盛くんという別の像が立っています。平成17年に作られたもので、清盛塚の像とは製作意図が違うようですが、清盛の違った面を見直すきっかけ作りいいかもしれません。この新川運河沿いには、ウッドデッキでできたキャナルウォークがあり、そのそばには兵庫城の石碑もあります。お城の面影はおろか、初代の兵庫県庁の面影も完全に町並みに飲み込まれてしまっています。

 
 
 清盛くんのある橋を渡り、歩いていくと、地下鉄が走る広い通りにぶつかり北に曲がり再び運河を渡ったところに、レトロなビルが2棟残っています。一つは、通りに面した石川本社のレンガのビルで三菱倉庫の兵庫出張所として建てられたもの。もうひとつは、海岸に面した場所で、加藤海運のモルタルの角の取れた丸こいビルで、どちらも現役で使われています。新川運河から分岐する兵庫運河を南西に行くと、また違ったレトロがあります。一つは、富士通テンの建物で、前身の神戸工業時代の本社ビルで、こちらも入り口上部の曲線が温かみのある味を出しています。もう一方は、すぐ近くの川崎重工の建物の外壁です。塀と言われていますが、窓などがあるので、建物の外壁のようで、古ぼけたレンガが自然のモザイク模様となり、こちらも温かみを感じさせます。

 この川崎重工を生んだのが、松方幸次郎の川崎造船所で、現在も川崎重工の造船部門として兵庫港の北よりにドックが並び、時折は潜水艦が停泊しています。この川崎重工とは兵庫港を挟んで南にあるのが三菱重工の造船部門で、神戸の二大造船業です。

 
 三菱重工の正面に、JRの看板があって、これが兵庫駅から伸びてくる和田岬線の終点の和田岬駅です。この和田岬線は、駅周辺の工場群の通勤客を運ぶために引かれた線で、1駅しかない盲腸線ですが堂々の黒字路線です。ただし、通勤客に絞ったダイヤが組まれていて、休日は朝夕2本、平日も昼間は一切電車が来ません。この駅の地下に神戸市営地下鉄の和田岬駅があります。こちらは、かつて走っていた市電の役割なので、土日も日中も電車は走っていますが、通勤時間やスタジアム神戸でサッカーの試合がある時以外は、いつ乗ってもガラガラで、コスト意識の低い公営企業の需要予測のいい加減さを証明しています。JRの和田岬線があるからといってますが、市外からの人は、初乗りを2回、それも料金の高い料金を払って乗る人は少ないでしょう。

 
 
 
 和田岬駅の近くに初詣でたくさんの人出があるのが和田神社で、入り口のえとの図柄の幕が目を引きます。この神社の初詣の記念品は、境内にある弁財天をモティーフに、いろんなものを持たせた人形です。和田神社の手前には、神宮皇后ゆかりの三石遺跡のある三石神社があり、こちらは船舶関係の方のお参りが多いようです。この神社以外にも、近くには神社仏閣が多く、十日恵比寿の時には大混雑をする恵比寿神社や日本三大大仏の一つの兵庫大仏などがあります。兵庫大仏は、明治時代に作られたのですが、戦時の金属供出で壊され、平成3年にようやく再建されたものです。

 学生時代まで住んでいた神戸では、地元の神戸工業(テン)が製造する真空管が安く手に入ったの購入したものです。これが、価格の高いT社やN社などのものより雑音が少なくって、性能の良いアンプを作るのに好適でした。真空管は過去の技術になってしまいましたが、安くて性能の良い製品の伝統は、大企業の子会社になっても生きているのでしょうか。海外では、まったく分野の異なる企業が、金とMBAの力で技術力のある会社をM&Aで買収するのが常套化しています。金にしか価値を感じない一部の人にとってはいいのでしょうが、安くて品質の良い製品を期待する小市民にとっては迷惑ですね。

ピラミッドの大きさを感じたのは、そばからではなく、遠くはなれたカイロ市内からの光景でした(エジプト)

2015-11-01 08:00:00 | 世界遺産
 エジプトの古代都市のルクソールの神殿の巨大さは、映画の「ナイル川殺人事件」でも重要な画面構成の一つでした。この神殿では、巨大な柱のそばまで人間が近づけるので、その対比で、大きさが際立ちますが、物理的な巨大さではピラミッドにはかないません。今回は、ギザにあるピラミッド氏異変について紹介します。実は、10年前に、ピラミッドは紹介済みですが、その時に紹介できなかったことも含めて述べてみたいと思います。また、ルクソールの回と同様に、写真は8mmビデオを元にしたもので鮮明さに欠けるところがあります。

 ギザにある3大ピラミッドのうち最も大きなクフ王のピラミッドは、底辺の長さが約230m、高さが約140mというとてつもない大きさの石の塊です。こんなに巨大なものが、今から4500年以上も前に作られたということは、とても信じられません。ただ、何の目的で作られたかは、新しい遺跡や遺物が発見される度に新説が現れますが、未だに結論に至っていないようです。ルクソールの神殿群は巨大な柱のそばまで行けるので、巨大さが実感できると書きましたが、ピラミッドだって、すぐそばまで近づけ、中にまで入ることもできるのですが、なぜか大きさが実感できません、不思議です。ところが、意外なことに巨大さを実感できるのは、ギザから離れたカイロ市内からでした。高台から見ると、町並みの向こうにミョキ、ニョキとピラミッドが建っているのが望めます。さすがにデカイ!と感じました。明石架橋の橋脚タワーが神戸市垂水区の内陸部から丘陵地の町並みの向こうに顔を出す風景と似ています。

 筆者がエジプトを訪問してから20年近くになりますが、その頃はピラミッドの入場制限はありませんでした。現在は、午前/午後のそれぞれで150人、計300人/日という上限があるようで、込んでいる日は朝一で入場券を確保しないと内部には入れないのだそうです。人の吐き出す湿気で傷むのを防ぐ目的だそうですが、最近の観光地は、一日に何人といった制限を付けるところが多くなったように思います。文化財保全の意識が高まったのか、観光客が増えすぎたのか、はたまた、勿体をつけて入場料収入を増やそうとのたくらみなのか・・・。

 ピラミッドの中には、正規の入り口ではなく、盗掘のために爆薬で破壊されたところから入って、内部の斜坑を玄室と称する場所まで行くことができます。けれど、行っても何もありません。ピラミッドの中に入れた!ということと、狭い斜坑を閉所恐怖症に耐えて上れた!という感動??があるだけ、と言ってしまうと、味も素っ気も無いかもしれませんが、そんなものです。中は、閉所恐怖症の苦しみだけでなく、中腰で深呼吸の難しい状態のうえに、高温多湿で大汗をかいて急坂を上るといった苦痛もあります。それでも、なぜか人気があるのは不思議です。古代ギリシャ時代の世界の七不思議で唯一残ったのがピラミッドなのですが、現在の七不思議があるとすれば、その一つはこの人気かもしれません。

 
 実は、エジプトを訪問するきっかけとなったのは、幕末の遣欧使節団がその途中に寄ったエジプトのスフンクスの前で撮った写真だったのです。その写真がTVで放映された時に、「そう言えば、スフィンクスは見てないな!」とて、パッケージツアーを申し込んでしまいました。さすがに足の便の悪いエジプトなので個人旅行は断念しました。このスフィンクス、ルクソールでも小さなものを見ましたが、ギザのピラミッドのそばにあるものは、さすがに巨大で存在感も巨大です。ただ、このスフィンクスの首が100年もすると落ちてしまうかも!との予測があります。岩の間にしみ込んだ塩水が再結晶化するときに、岩の割れ目を拡大しているためだといわれています。かつては、「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、これはなんだ?」というなど賭けをし、答えられない人間を食べてしまっていたスフィンクスも、塩分と採り過ぎには勝てなかった、高血圧の一種でしょうかね。

 ピラミッドは、人類が残した大きな極限かもしれませんが、現代のIT技術では逆に小さくする極限に向かって突き進んでいます。今から45年ほど前に、パソコンンのルーツとなる世界最初の中央処理装置は1/100mmの単位でシリコンを加工していました。ところが、最新のパソコンに入っている中央処理装置では2/100,000mm程度になっているので、面積は、長さの2乗で、同じ機能ならば25万分の1の面積で実現でき、現在のあらゆるIT分野の機器の小型化に貢献しています。小さくなることは、処理速度も速くなり、45年前の最新のホストコンピュータは、現在のパソコンの1万分の1以下の能力しかありませんでした。ところが、その小ささが原子レベル迫ってきて、そろそろ限界とも言われいます。大きいほうも、小さいほうも極めた人類は、この先はどこに行くのでしょうか。