世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

店先をかすめて通る列車が走りすぎた線路の間から天灯が空に向けて上る十分です(台湾)

2014-01-26 08:00:00 | 世界の町並み
 オイルサンドの産出で栄えている町ですが街中に人影は少なく寒々とした風景が続くのがカナダのフォートマクマレーでした。鉱物資源は埋蔵されている物が掘り尽くされてしまうと、廃坑になって、それまでにぎわっていた町が急激に寂れ人通りが無くなってしまいます。フォートマクマレーは、当分の間は枯渇しないのだそうですが、廃坑によって町の顔が一変してした町は、わが国でも数多くあります。ただ、鉱山は無くなっても、観光で町おこしをして、かつての賑わいを呼び戻している町もあります。今回は、これらの町の中から台湾の十分を紹介します。

 十分(シーフェン)は、台湾の北部の山の中を走るローカル線の平渓線の沿線にあります。台北駅から高雄などに向かう列車とは逆の東に向かって30分ほど走った、九分に向かう日本人観光客でにぎわう瑞芳駅が乗換駅になります。瑞芳駅を出たディーゼルカーは、しばらく本線上を走り、三貂嶺駅から分岐をして西南西に渓流沿いに山に分け入ります。

 
 
 この路線は、炭鉱が華やからしき頃に石炭を運び出すために引かれたものですが、閉山後の現在は本数の少ないローカル線になってしまっています。ただ、お土産屋の軒先をかすめて走る列車や、願いを書き込んで飛ばす天灯、さらに沿線のひなびた景色に引かれた観光客でローカル線とは思えない混雑です。お土産屋の軒先を走る列車は、タイのローカル線の光景にちょっと似ているかもしれませんが、こちらの店舗は軌道敷までは張り出していません。あくまで合法的のようですが、列車の頻度がタイに比べて多少多いのと、土地柄が密集の街中ではないからかもしれません。代わりに、軌道内から天灯が飛ばされているようで、走る列車にとって店舗の張り出しとどちらが迷惑なのでしょうか。

 廃鉱になった炭鉱ですが、その一つが駅から15分くらいの山の中にあって、炭鉱鉄道博物館になっています。道路から見える姿は、どう見ても廃墟にしか見えない、まあ、廃坑なので廃墟なのは当たり前でしょうが、資料の展示の他に、トロッコれsshも走っているようです。筆者は、時間が無くて、廃墟のような建物を眺めただけですが、時間のある人や、鉄チャンにはお勧めの施設のようです。



 
 
 炭鉱鉄道博物館の先を、列車線に沿って三貂嶺駅の方向に戻ると2つの滝があります。大きな滝が十分滝で、線路のすぐそばに観瀑野入り口があります。幅が30m、高さ15mで台湾で最大の滝の一つです。ナイヤガラ瀑布の規模には及びませんが、台湾のナイヤガラ瀑布と呼ばれているそうです。天気が良ければ、滝のそばに架かる虹が綺麗で虹淵というようです。もう一つの滝は、小ぶりですが、遠くから見た形が眼鏡のようだということで眼鏡滝と命名されています(が、眼鏡??って感じでした)。十分滝から眼鏡滝へは、十分滝の上流に架かる釣り橋を渡って行くことになり、滝を見ることより、釣り橋を渡ることのほうが楽しいかもしれません。

 天灯は熱気球をごくごく小型にしたようなもので、大気との温度差によって浮力を得るものです。天灯や熱気球は観光やスポーツ用ですが、水素やヘリュウムガスを使った気球は、実用的なものもあります。その一つがラジオゾンデで、上空の気温、湿度、気圧などを測定して無線で送信してくるもので、気象観測に重要なデータを提供してくれるものです。およそ30kmの上空まで上昇するそうですが、このような高さでは気温は氷点下で宇宙線の影響も大きい環境です。ラジオゾンデに積まれた観測機器や通信機器には半導が使われているでしょうが、家電品に使われているものとは比べ物にならないタフな部品でしょう。さらに、人工衛星に積まれる部品の環境はさらに苛酷で、ラジオゾンデのように、ダメなら取替えや、やり直し、なんてことは許されないのでしょうね。

対照的な駅舎を通り抜けた先の出雲大社は、昔は現在の4倍もの高さとの説も

2014-01-19 08:00:00 | 日本の町並み
 旧国鉄と枕崎で接続して薩摩半島を一周できる路線を持っていた鉄道が鹿児島交通の枕崎線でした。その旧枕崎線の鉄道遺産と古い町並みとが残されている町が加世田でした。鉄道が廃止になると、レールや駅舎もいつの間にか消えてなくなる運命ですが、古い駅舎が重要文化財になって残されているのが旧国鉄大社線の旧大社駅です。今回は、出雲大社のおひざもとの大社の町を紹介します。


 
 
 旧国鉄の駅舎は入母屋作りの堂々たる和風建築で、高い天井には、洒落た電灯も残っています。かつては、東京や関西から急行列車が直接乗り入れていた伝統の駅舎は、切符の売り場の窓口や急行列車も止まれる長いプラットホームなども残されています。ホームに立つと、今にも向こうから列車が進入してきそうな錯覚にに陥ります。

 
 一方、現役の一畑電車の出雲大社前駅は曲線を使った建物に色瓦も美しい駅舎で好対照です。こちらは、重要文化財ではありませんが、国の有形文化財に登録されており、旧国鉄大社駅とともに近代産業遺産に登録されています。最近の一畑電車は、他の私鉄から車両を購入して走らせていますが、イベント用なのでしょうか、手動扉の古い車両が大社前駅構内に留まってました。

 
 出雲大社へは、旧大社駅から出雲大社前駅まで北へ10分ほど、さらに北に5分ほど歩いた突き当たりになります。ただ、突き当たりにあるのは大鳥居で、社殿はさらに北へ木立の中を5分ほど歩いた所にあります。昨年は、60年に一度の伊勢神宮とダブル式年遷宮でにぎわった大社ですが、伊勢神宮と違って予備の敷地があるわけではないので、建て替え中のご神体は、近くの社殿に仮住まい状態なのだそうです。正面の拝殿からお参りをしますが、この位置からでは社殿はほとんど見えません。社殿を取り囲む八重垣に沿って回り込むと雄大な建物が見えてきます。



 
 現在の社殿は、およそ25mほどでかなり巨大ですが、中古には50m、上古には100m近い高さがあったという記録もあります。大社の東隣にある古代出雲歴史館には、出土した社殿を支える柱や、復元模型が展示されています。本殿に上る巨大な階段は、巨大な滑り台に見えてしまうのは不謹慎でしょうか。ここのような高さの社殿が存在したのか学説は確定していないようですが、現在にまで残っていれば遠くからでも全体像が良く見られたかもしれません。大社から歴史館に裏手から回りこむ道は、土塀や石垣、それに小さな流れがあって、京都の上賀茂神社の社家の町並みと良く似ています。町の性格が同じだからかもしれません。


 
 出雲大社は、本殿はもとより、注連縄をよく見かけます、それもかなり巨大なものが目立ちます。注連縄は、ここからが神の鎮座する場所という目印であり、現実世界と神の世界との国境線の役割を果たしています。お正月に飾られる注連飾りも、本来は年神を向かいいれ、神域を宣言するものでしたが、現在では、外から悪いものが進入しないようにする魔よけ的な性格で使われるようです。ネットワークのファイアウォールの役割の注連飾りですが、LANケーブルに注連飾りをして、ウィルスやハッカーなどの侵入を防止できればいいのですが。

ドイツの首都のベルリン郊外のポツダムにも広大な宮殿群が世界遺産に登録されています(ドイツ)

2014-01-12 08:00:00 | 世界遺産
 中国の蘇州の庭園、フランスのヴェルサイユ宮殿より広い庭園を持つフォーテヌブロウ宮殿と、東洋と西洋の庭園の紹介が続きましたが、フランスのお隣のドイツにも負けず劣らず広大な庭園を持つ庭園が世界遺産に登録されています。ベルリン郊外のポツダムにある宮殿で、サンスーシー宮殿を中心に広がる宮殿群が指定されています。

 ポツダムは、ドイツの首都のベルリンからSバーンで20分ほどの郊外にあり、中心となるサンスーシ宮殿は、駅前からバスで10分ほどです。宮殿の周辺は、ベルリンの市街地から20分の割に広大な緑が広がっており、宮殿の敷地も1.5km四方を越えるもので、内部に散在している施設を歩き回ると結構くたびれます。一方、ポツダム宣言の基となる会議が開かれたツェツィーリエンホーフ宮殿は、サンスーシ宮殿の東北方向にあります。駅からのバスは途中で乗換えだったように思います。

 
 

 サンスーシ宮殿のバス停は、宮殿の裏側で、宮殿の建物から半円形に伸びている回廊で囲まれた中庭のような場所に着きます。入場券を買って入った宮殿は、金と白とを基調としたきらびやかな装飾が続き、他の国の宮殿に負けず劣らす豪華です。一通り内部を見終わって、入った側と逆の側に出ると、そこは広い庭園を見渡せる台地の上になります。振り返ってみる宮殿は、平屋作りのため威圧的な感じは受けません。宮殿の正面の前面には、台地を下る階段が続き、その両側には階段状の花壇が広がっています。階段を降りきると噴水のある池があり、この池越しに見上げる宮殿は絵葉書写真になります。

 
 この池の西側に、新宮殿まで庭園が続きますが、ポプラ並木や小川があり、いくつかの宮殿や東屋風の建物などがありで、見学にはかなりの時間がかかります。

 
 まず現れる中国茶館は、スウェーデンのドロッドニングホルム宮殿の中国館とも似た焼き物を思わせる色をした円形建物で、内部には陶器のコレクションがぎっしりです。見上げたドーム天井もなかなか綺麗です。

 
 ローマ風の浴場跡を通り過ぎるとシャルロッテンホーフ宮殿が現れます。ホワイトハウスを小ぶりにしたような建物で、内部は派手さはありませんがシンプルなデザインです。面白いのは、テントが張られた部屋があることでしょうか。



 
 そして、西の端に新宮殿があります。こちらはサンスーシのような平屋ではなく、地味な色合いで議事堂のような外観です。ただ、内部はサンスーシに負けないほど豪華な装飾で、とくに床の寄木模様が特徴的です。



 
 一方、ポツダム会議の行われたツェツィーリエンホーフ宮殿は、一方通行の道路を森の中に分け入ったような場所にあります。ハーフティンバーの建物は、宮殿というより、洒落た山荘といった外観をしていて、規模もさほど大きくありません。ポツダム会議の行われた部屋も公開されていますが、特別な印象派ありません。この宮殿は、サンスーシのような豪華絢爛で、人を寄せ付けない感じは受けないので、スペインやポルトガルにあるような国営ホテルに向いてそうです。

 ヨーロッパの宮殿では、大切に保管された陶器のコレクションを見かけることが多いものです。ヨーロッパでは東洋発祥の焼き物は貴重品で、そのコレクションは富の象徴であったのでしょう。ただ、いつまでも輸入に頼っていたわけではなく、各国で独自の窯が作られ、ドイツではドレスデン郊外のマイセンが有名です。ヨーロッパで焼かれた陶器は、発色も豊かで、日本や中国を追い越したようにも思います。一方、カメラの分野では、日本製は、ライカやローライなどドイツ製のカメラの模倣から始まりましたが、現在では日本のカメラが世界市場を制圧してしまいました。ドイツ製の、新しい機能は互換性を残しながら、部品を追加していくと言う設計思想が、日本のクリアスタートの作り方にかなわなかったのかもしれません。技術の分野で、互換性を残すかどうかというのは常に大きな議論になることですが、電話機のようにインタフェースを変えるのは不可能という分野も多いものです。

特攻機が飛び去り鉄道は廃線となった加世田ですが疎水沿いの古い町並みが残りました

2014-01-05 08:00:00 | 日本の町並み
 お醤油の醸造工場の旧施設よりもずっと古い町家が軒を並べて連なる町が龍野でしたが、行政上の市の名前は、近隣の町との合併により「たつの市」とひらがな表記です。全国にひらがな表記を含む市は北は青森県の「むつ市」から、南の沖縄県の「うるま市」まで30市近くありますが、今回はそれらの中から鹿児島県の南さつま市にある加世田地区を紹介します。

 加世田は、薩摩半島の南西端にあって、2005年に旧加世田市を核として隣接の町と合併をして南さつま市になりました。太平洋戦争末期には、吹き上げ浜にあった万世飛行場から、東隣の知覧と同様に、特攻隊の飛行機が出撃していった悲しい歴史を持っています。現在は、伊集院と枕崎を結ぶバス路線のターミナルがある町ですが、1984年までは同じ区間を鹿児島交通の枕崎線が走っていました。大正初期の開通で、私鉄としても比較的早くに敷設された鉄道でしたが、乗客数の減少に加えて、台風による被害が止めを刺して廃止に追い込まれたようです。ちなみに、同じ特攻機地があった知覧にも支線が延びていました。加世田は、枕崎線の拠点駅で、車両基地もあったようです。かつての加世田駅はバスターミナルとなり、南薩記念館が建てられて、枕崎線で活躍した機関車などが展示されています。

 
 加世田は、かつては薩摩藩直轄領で12世紀に作られた別府城跡を核とした武家町でした。バスターミナルから南に800mほどの城跡の西側に武家屋敷が連なっていたようで、現在もその遺構が残っています。しかし、小高い丘の上の城跡に上っても石碑が一つ建っているだけで、お城の名残は何もありません。石柱が4本残っていて、これが別府城の遺構かと思ったら、かつて城跡にあった加世田小学校の校門跡でした。小学校は川の対岸に引っ越してしまったようで、校門の石柱だけがポツンと残されてしまったようです。

 
 



 武家屋敷の遺構は、国道を横切っている疎水沿いに集中しており、石垣や植え込み、それに疎水に架かる石橋の向こうには立派な武家門が連なっています。疎水が流れていなければ、隣の知覧の武家屋敷群にも、ちょっと似た風景です。






 
 これらの武家屋敷の一つには、庭に石造りの仁王像が安置されています。かつてあったお寺の門の前にあったものが、お寺は廃仏毀釈で滅亡して、仁王像だけが残ったそうです。ただ口を開けた阿形のみで、閉じている吽形は行方不明だとか。また、別府城のめぐる戦で命を落とした兵士を弔うため島津氏により16世紀に建てられた六地蔵塔という石塔も道端にそれとなく残っています。

 武家屋敷の町並みの中に、しゃれた下見板張りの洋館も建っています。出窓があったり、アーチ状の窓があったりする建物で、一つは喫茶店として利用されているようです。もとは、お医者さんの診療所だったそうで、他の町でも、かつて診療所であった木造洋館を見かけることが多く、お医者さんは町のハイカラさんだったのでしょう。




 南さつま市の河口にあり特攻隊の出撃基地となった吹上浜は、鳥取砂丘、遠州灘砂丘と並ぶ三大砂丘の一つです。砂丘は、川が運んできた砂などが強風で吹き溜まった丘で、日本の砂丘はほとんどが海岸に面したものです。一方、アフリカなどの砂漠では、砂漠の中に砂丘が連綿と続き、日本の砂丘では珍重される風紋はどこにでも見られます。砂丘で困るのは、カメラなどが動作しなくなることです。砂は乾燥しているので、雨のように湿気で電子機器をだめにしてしまうことは無いのですが、細かな砂が風に飛ばされていて、ジャリジャリの砂がメカをだめにしてしまうようです。砂粒には、カメラの中で使われている半導体の原料となるSi(ケイ素)を多く含んでいるのですが。