世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

現役寺院のポピットには多くの参拝者を見かけ、スターラムの微笑をたたえた巨大な涅槃仏も、観光客であふれる遺跡群とは違った顔を見せています(タイ)

2024-05-26 08:00:00 | 世界遺産
 前回はアユタヤの歴史公園の東寄り、国鉄駅に近い部分を紹介しましたが、今回は西寄りにある遺跡を紹介します。

 
 
 
 
 歴史公園のほぼ中央に位置するのがワット・プラ・ラームで初代王の菩提を弔うために2代王により14世紀にj建造されたクメール様式の寺院です。アユタヤの中で最も大きな遺跡の一つで、巨大な塔堂と4つの仏塔が残っていますが、こちらも18世紀にビルマ軍に破壊されて廃墟状態です。

 
 ワット・プラ・ラームの西にあるのがウイハーン・プラ・モンコン・ポピットでラオスでよく見る三角形の屋根を持つ寺院です。17世紀の創建ですが、やはりビルマ軍に破壊され、20世紀に再建された現役の寺院で参拝者も多く見かけます。洞内には17mのブロンズ像を安置していますが、入堂し損ねました。

 
 
 ポピットの北隣にあるのが、ワット・プラ・シー・サンペットで、15世紀に創建され、北隣にあるアユタヤ王宮の守護寺院跡です。高さ16mで200kg近い黄金に覆われていたという塔が存在しましたが、ビルマ軍に跡形もなく破壊されてしまったそうです。現在残る3基の仏塔はスリランカ様式のチェディと呼ばれるもので、前部に着く階段で中段まで上ることができます。

 

 
 サンペットの西には南北に運河があって、対岸に渡るのに橋のあるところまで遠回りをさせられますが、渡った橋はレンガ造りのアーチ橋で、なかなか趣があります。運河の西は歴史公園から外れますが、全長28mの巨大な涅槃仏が横たわるワット・ロカヤ・スターラムがあります。周りには何もない草原の中に巨大物が忽然と現れびっくりします。バンコクにも金色に輝く巨大涅槃仏が横長の堂内に収まっていますが、アユタヤの涅槃仏は素朴そのもので静かに微笑んでいます。


 タイでは2体の涅槃像を見ることができましたが、わが国では仏像としての涅槃仏は岡寺や穴太寺などさほど多くなく、多くは絵として描かれたものです。涅槃の時に釈迦は北二真桑を置いて西を向いたそうです。この電灯でしょうか、人が亡くなった時には北枕で安置するようで、日常に北枕で眠るのは縁起が悪いと言われています。しかし、筆者は可能であれば通常は北枕で寝ています。諸説はありますが、地磁気の関係でよく眠れるとの説もあり、先日に会った方は、磁石が無くても自然に北が判るとおっしゃってました。地磁気に限らず人間がもともと持つ色々なセンサー機能は、スマホに頼ることで、どんどん失われていっているようにも思います。

本門寺の五重塔は弁柄塗りの真っ赤で境内の桜にも負けていません、桜には早い頃には池上梅園の梅があります

2024-05-19 08:00:00 | 日本の町並み
 京都の景色を代表するような八坂の塔をに向かって上っていくと着くのがこれまた京都の町家の景色が現れる産寧坂と二寧坂でした。京都市内には東寺と醍醐寺に国宝の五重塔がありますが、重文の八坂の塔はこれらの塔よりも散在感があるように思えます。五重塔は国宝が11基、重文が13基ありますが、東京都には重文の2基が残っています。今回はそのうちの1基が建つ池上本門寺界隈を紹介します。

 
 
 池上本門寺の最寄り駅は東急池上線の池上で歩く距離も短いのですが、梅が咲くころは、歩く距離はやや長くなりますが北側の都営三田線の西馬込で降りて池上梅園に寄り道していく経路もあります。池上梅園は西馬込の駅から第二京浜を横浜方向に1km足らず行った左手にある公園で、日本画家の伊藤深水の自宅剣アトリエの跡になるそうです。広さはトウキョウドームの1/5程度ですが、高低差のある公園は思いのほか広く感じます。庭の高台に昇と、足元には絵目の花が広がり、遠くには都心のビル群が遠望できます。梅の花だけでなく、足元を見るとフクジュソウも咲いていました。梅の頃には来訪者で混雑しますが、お茶室もあって、春先の本門寺詣でには欠かせない場所かもしれません。

 
 さて本門寺ですが、創建は13世紀の日蓮宗のお寺です。この一帯は池上氏の領地で、日蓮が没した後に7万坪余りを寺に寄進し、本門寺の基礎ができたそうです。五重塔などが建つ境内は小高い丘の上にあって、池上梅園の梅に対して、こちらの境内は桜が見事で、どちらの花の時期とするかは悩ましい選択です。多くの建物が建っていますが、ほとんどが戦災で焼失して戦後に再建されたものです。焼け残った五重塔と宝塔のみが重文になっています。

 
 
 
 
 五重塔あ江戸初期の建立で高さは32mほどで、前面にベンガラが塗られて、なかなか派手な印象を受けます。比較的に軒の張り出しが深くて、バランスが良い美しい外観の五重塔の一つです。初層の蟇股には十二支の彫刻がはめ込まれた居ます。一方の重文の宝塔は19世紀の創建で、こちらも真っ赤ですが、弁柄の赤ではなくこちらは朱の漆塗りだそうです。

 
 東急の池上駅からはこちらが本来の参道で、古いたたずまいの店や道標が合ったりして、門前町の様相を残しています。

 春に咲花木の梅・桃・さくらの区別の仕方は何度聞いてもすぐに忘れてしまいます。基本的には開花期や、花の付き方、花弁の形で見分けられるのですが、すぐにごっちゃになってしまいます。スマホで花などを撮って調べてくれるアプリがいくつかあるので、それを利用すればすぐわかり、学名まで判ってしまうアプリもあります。ただ、アプリよっては、候補がいくつも表示されて混乱することもあります。梅と桃と桜の確立が1/3ずつなんて結果が出てしまったら困りますが、これもご愛敬で、名前がわからなくても見て美しければよく、ましてやAIが美しさの採点をするかもしれませんが、人間の感性には踏み込まないでほしいものです。

不要な景色が闇に消えてライトアップされた部分だけが際立つ夜景は、どこの都市でも美しい風景のひとつです

2024-05-12 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は各国の朝焼けと夕焼けとを紹介しました。どちらの風景も空の様子だけでなく周りの景色に縁どられて、その地域でしか見られない朝焼けや夕焼けとなっているようです。夕焼から朝焼けの間には夜景が存在しますが、これは地上の建物などが照明二照らされて、自然が作る美しさとは違った輝きを放ちます。今回はアジアを中心に、次回はヨーロッパそして次々回はそれ以外の地域の夜景を紹介します。

 
 世界三大夜景は香港、函館、ナポリ、そして新世界三大夜景は香港、長崎、モナコとどちらにも入っているのが香港の夜景です。これらの夜景に共通するのは、ヤカノ上から海を入れた夜景が見られる点でしょうか。写真は45年ほど前で中国返還以前のもので、かなり退色して閉まっています。


 
 同じ中国で、海ならぬ川に夜景が映り込んで美しいのが天津です。

 
 中国でも内陸の世界遺産の城郭都市の平遥は、楼閣のライトアップとランタンがきれいです。
 
 同じく世界遺産の西湖は湖水に写る夜景ですが、ちょっと地味ですね。

 
 同じように湖水にライトアップされた建物が写る広州の夜景の方が美しいですね。

 
 かつての都の西安(長安)の夜景は、交差点の中央で輝いている鐘楼と鼓楼です。

 
 お隣韓国の大邱では、お祭りは夜に入って広場での仮面劇がライトに浮かび上がります。


 ベトナムでは、世界遺産のフエの王宮の門がライトアップされます。

 
 首都のハノイではホアンキアム湖に浮かぶ三重の楼閣があるかと思うと百貨店の派手なディスプレイに驚かされます。

 
 クリスマス前夜のホーチミン市では道路いっぱいにイルミネーションが飾られてびっくりしますが、人民医委員会庁舎のライトアップはアジアにいることを忘れます。

 
 メコン川の河口に近いカントーの夜景は、お寺と川に映り込んだイルミネーションです。

 
 ベトナムのお隣のラオスの世界遺産の古都であるルアンパバーンは夜市で有名ですが、夜市に行くついでに見られるのがお寺やコロニアル・ホテルのライトアップです。

 
 シンガポールの夜景は、泊まったホテルのもので、アジアには少ない派手さがあるように思います。

 
 シンガポールのお隣のマレーシアの世界遺産の古都であるマラッカでは、年末であった正でしょうか交差点の上に竜が待っていました。世界遺産の教会はファサードをライトアップされて静まっていました。

 
 首都のクアラルンプールでは、海の産物のエビと陸の産物のドリアンが露店の店先でライトに照らされて自己主張をしていました。

 
 マレーシアのボルネオ島にある世界遺産のムル二あるリゾートホテルの夜景でしめくくりです。

 筆者の故郷の神戸では六甲山から見える夜景を百万ドルの夜景と言いました。NHKがTV放送を始めた1953年に生まれた言葉で、その後は観光地のあちこちで使われるようになりました。六甲山から見える神戸の電灯の1か月の利用料が100万ドル(当時のレートで3.6億円)程度であったという説が有力ですが、その度は電灯の数が増え電気料金も上がったことから一千万ドルの夜景と言い直されています。言葉が生まれたころの電灯は白熱電灯でしたが、やがて蛍光灯を経て現在ではLEDライトに置き換わっています。また、円とドルとのレートも変わっていますから、現在の神戸の夜景は果たして何ドルくらいなのでしょうか。

重伝建地区の産寧坂や二寧坂の町並みはオーバーツリズムに侵されていますが、人ごみの上の町家の軒下に突き出した門灯を見て歩くのも楽しいものです

2024-05-05 08:00:00 | 日本の町並み
 坂の多い色街が混とんとしているのが東京の神楽坂でした。色街といえば舞子さんを思い起こしますが、その舞子さんを多く見かける祇園からさほど遠くない京都の景色を代表するような坂の町が、東山の四条から五条にかけての産寧坂などではないでしょうか。今回は清水寺の北に続く坂の町を紹介します。

 
 東山通りを走るバスを清水道で下車して東に上っていくと目の前に法観寺の五重塔が現れます、別名八坂の塔でこの風景は京都を代表しているようでドラマの舞台が京都の時には「京都です」というテロップのように使われるものものです。NHK教育の日曜日の朝に放送の「京も一日陽だまり屋」のお店はこの辺りを想定してるのではと思ってしまいます。京都ではこのところオーバーツーリズムが問題となっているようで、東山大利を走るバスは超満員、起点の京都駅では2~3台待ちは当たり前で、清水道などで降りようものなら、次に乗ろうとしても満員通過されてしまいます。これでは市民にとっては大迷惑の状況のようで、バスだけでなく、八坂の塔に上る道も大変な人込みです。

 
 八坂の塔の右側を通り抜けて上っていくと産寧坂、三年坂とも言われていますが語源的には、産寧坂を上り切った先にある清水寺の観音様に「お産が寧か(やすらか)でありますようにとの願掛けをしたという説が有力です。産寧坂の途中から振り返ると八坂の塔が町並みの上にそびえていて、こちらからの景色も絵になります。この地区は重伝建にも指定されている、古い民家などが連なる町並みが続きます。電子部品のトップメーカである村田製作所の創業者の息子が設立した清水三円坂美術館が町並みにうずもれるかのように建っています。この美術館は目立たない存在ですが、創立者が日本の伝統工芸品が海外に流出することを嘆いて、海外から買い戻してまでコレクションした品々が展示されています。

 
 
 産寧坂の途中から左に折れて下っていくと二寧坂で、こちらも二年坂の表記が存在します。産寧坂からの入り口が石段になっていて、町並みを見下ろすことができ、これも絵になる風景です。産寧坂と同様に電線の地下埋が完了して、空をすっきり見ることができます。この町並みの中に古民家を利用したスタバの店があって、スタバにもいろんなレアものがることに感心します。太宰府天満宮の参道には隈研吾設計の店があり、ソウルには1剣軒だけですがハングル表記の店がありました。中国では「星巴克」と漢字表記をされているのだそうですが、あまり記憶にありません。二寧坂をさらに丸山公園方向に行くと一念坂となるそうですが、この坂があった認識が無いのでここでは紹介できません。

 
 
 
 これらの町家の店先の多くには味のある門灯が突き出ていて、この門灯を順に見ていくだけでも面白いです。ドイツに行くと、店屋の特徴をレリーフ状にした看板が店先に下がっていて楽しいのですが、こちらではそれが門灯なのですね。お店の名前のほかに、店の特徴を表しているらしき切りえのような模様があしらわれています。

 清水三年坂美術館の創設に関連した村田製作所は京都に生まれた電子部品製造分野では世界シェアトップクラスのメーカで、セラミック・コンデンサやショックセンサなどでは世界一のシェアを持っています。スマホの中を開けると村田製の部品がゴロゴロ出てくるのではないでしょうか。アップルがいくら威張っても、村田製作所の部品が無ければスマホは作れないでしょう。京都で製作所という名前で思い出すのがノーベル受賞者を生んだ島津製作所ですが、製作所という名前は付きませんが、京セラ、日本電産、オムロン、任天堂、ロームなど日本の産業を支えるそうそうたる会社が京都で生まれています。ノーベル受賞者の出身大学も京大8名、東大8名と同数で、教授陣となると京大5名、東大2名と西高東低です。京都は千年の伝統を持つ都で、優秀な人材が集まるところなのでしょうか。