現役の御用邸の一つがある三浦半島の付け根の町が葉山でした。現在は三か所の御用邸ですが、明治以降に作られた御用邸は、この三か所を除いて11か所で、神奈川県、静岡県そして栃木県の各々3か所ずつ、残りの2か所は群馬県と兵庫県で、兵庫県神戸市を除けば東京からの100km圏です。現在は御用邸としては使っていなくても、建物など、かつての御用邸の状況を見ることができる施設も残されているようです。今回は、それらの中で最もかつての状況が保存されている旧田母沢御用邸の周辺を紹介します。
田母沢御用邸跡は、現在は往時の1/3程度の面積の中に建物や庭園が整備され御用邸記念公園として公開されています。旧御用邸の中で、唯一、旧来の施設の全体が存続し建物は重文に指定されています。大正天皇(皇太子)の静養先として明治23年(18999年)に造営され、昭和22年に廃止、国の管理下になっています。建物類は、この地の旧地主が別荘に使っていた建物や紀州徳川家江戸屋敷から赤坂離宮に移築され東宮御所として使われた建物などを移設して使って開設されました。その後、明治、大正期に部分的に増築されたようです。戦時中は、今上天皇の疎開先となり、2001年には美智子皇后を伴って訪問されてるようです。
記念公園は、神橋の上流1kmほど、バスでは西参道の一つ先という位置関係で、集落が途切れたあたりを左折すると入口があります。周りは緑一面の樹林で、南側は大谷川まで伸びています。おそらく、この緑の塊が、かつての御用邸の敷地だったのではないかと思います。建物の内部は、一部を除いて、見学でき写真撮影も自由です。さすがに、天皇が使った建物ゆえ、豪華で品格もあります。電灯や違い棚の意匠も色々でした。また、面白かったのは、雨戸の収納方法にも、何種類もの仕組みがあって、意識的なものなのか、建てられた時代の差なのか、はたまた建物が寄せ集めだったからでしょうか。とにかく、半日くらいの時間を十分楽しめるくらい、発見の多い建物でした。
御用邸跡を少し東照宮の方へ戻った所にひっそりと建っているのが金谷ホテル歴史館です。日光金谷ホテルの創業の地で、明治6年にカッテージ・インという民宿を始めた侍屋敷とも呼ばれる建物です。明治期に日本を旅した英国のイザベラ・バードも、この建物に宿泊したそうで、宿泊した部屋の表示があります。内部は忍者屋敷のような抜け道があったり、スキップ・フロアー状の部屋があったりで。結構楽しめます。隣接のレストランでは、気軽に金谷ホテルの味を楽しむこともできます。
さらに、東照宮の方に進むと日光真光教会があります。立教大医学長も務めたM.ガーディナーの設計で1914年に建てられたゴシック風の教会堂で、外壁は大谷川から採れる安山岩を屋根はスレート葺きです。内部のトラスには、下部の弦が上方にそるシザーズ・トラスが使われ内部を広く見せています。主堂や洗礼室の窓のステンドグラスも、なかなか」綺麗です。
真光教会から日光山内に入り観光客の行列を無視して東方向に行くと真光教会と同様に石造りの素敵な洋館が目に入ります。日本コロムビアの生みの親のアメリカ人が明治時代に建てた別荘で、現在は明治の館というレストランになっています。国の登録有形文化財になっています。そして日光の玄関口は現在は東武日光駅になっていますが、JRの日光駅も登録有形文化財です。現在はローカル列車のみの発着になり、都内からのJRの特急列車も、途中の栗橋から東武線に乗り入れ終着は東武日光になってしまいましたが、駅の気品だけはJRの駅が優れているようです。
イギリスの旅行家のイザベラ・バードは、金谷ホテルに12日館も滞在したそうです。他の、宿泊場所と比べて格段に居心地が良かったそうです。Lonely PlanetやMichelin Guideなんぞは無く、東京以外の情報がNetから手に入るはずもない状況ではなかった明治時代初期に、東北や北海道まで足を延ばしたのは驚嘆に値します。もちろんGPSなぞ無いので、磁針と土地の人から聞いた情報が頼りだったのでしょう。ただ、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉が事前調査や手配の一切を仕切り、彼女はついて行っただけなのかもしれません。近年も、日本人の旅行家で世界を駆け回った有名人が居ますが、同じようなシチュエーションかもしれません。二人とも、旅行家というより、作家と呼ぶべきなのでしょう。
田母沢御用邸跡は、現在は往時の1/3程度の面積の中に建物や庭園が整備され御用邸記念公園として公開されています。旧御用邸の中で、唯一、旧来の施設の全体が存続し建物は重文に指定されています。大正天皇(皇太子)の静養先として明治23年(18999年)に造営され、昭和22年に廃止、国の管理下になっています。建物類は、この地の旧地主が別荘に使っていた建物や紀州徳川家江戸屋敷から赤坂離宮に移築され東宮御所として使われた建物などを移設して使って開設されました。その後、明治、大正期に部分的に増築されたようです。戦時中は、今上天皇の疎開先となり、2001年には美智子皇后を伴って訪問されてるようです。
記念公園は、神橋の上流1kmほど、バスでは西参道の一つ先という位置関係で、集落が途切れたあたりを左折すると入口があります。周りは緑一面の樹林で、南側は大谷川まで伸びています。おそらく、この緑の塊が、かつての御用邸の敷地だったのではないかと思います。建物の内部は、一部を除いて、見学でき写真撮影も自由です。さすがに、天皇が使った建物ゆえ、豪華で品格もあります。電灯や違い棚の意匠も色々でした。また、面白かったのは、雨戸の収納方法にも、何種類もの仕組みがあって、意識的なものなのか、建てられた時代の差なのか、はたまた建物が寄せ集めだったからでしょうか。とにかく、半日くらいの時間を十分楽しめるくらい、発見の多い建物でした。
御用邸跡を少し東照宮の方へ戻った所にひっそりと建っているのが金谷ホテル歴史館です。日光金谷ホテルの創業の地で、明治6年にカッテージ・インという民宿を始めた侍屋敷とも呼ばれる建物です。明治期に日本を旅した英国のイザベラ・バードも、この建物に宿泊したそうで、宿泊した部屋の表示があります。内部は忍者屋敷のような抜け道があったり、スキップ・フロアー状の部屋があったりで。結構楽しめます。隣接のレストランでは、気軽に金谷ホテルの味を楽しむこともできます。
さらに、東照宮の方に進むと日光真光教会があります。立教大医学長も務めたM.ガーディナーの設計で1914年に建てられたゴシック風の教会堂で、外壁は大谷川から採れる安山岩を屋根はスレート葺きです。内部のトラスには、下部の弦が上方にそるシザーズ・トラスが使われ内部を広く見せています。主堂や洗礼室の窓のステンドグラスも、なかなか」綺麗です。
真光教会から日光山内に入り観光客の行列を無視して東方向に行くと真光教会と同様に石造りの素敵な洋館が目に入ります。日本コロムビアの生みの親のアメリカ人が明治時代に建てた別荘で、現在は明治の館というレストランになっています。国の登録有形文化財になっています。そして日光の玄関口は現在は東武日光駅になっていますが、JRの日光駅も登録有形文化財です。現在はローカル列車のみの発着になり、都内からのJRの特急列車も、途中の栗橋から東武線に乗り入れ終着は東武日光になってしまいましたが、駅の気品だけはJRの駅が優れているようです。
イギリスの旅行家のイザベラ・バードは、金谷ホテルに12日館も滞在したそうです。他の、宿泊場所と比べて格段に居心地が良かったそうです。Lonely PlanetやMichelin Guideなんぞは無く、東京以外の情報がNetから手に入るはずもない状況ではなかった明治時代初期に、東北や北海道まで足を延ばしたのは驚嘆に値します。もちろんGPSなぞ無いので、磁針と土地の人から聞いた情報が頼りだったのでしょう。ただ、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉が事前調査や手配の一切を仕切り、彼女はついて行っただけなのかもしれません。近年も、日本人の旅行家で世界を駆け回った有名人が居ますが、同じようなシチュエーションかもしれません。二人とも、旅行家というより、作家と呼ぶべきなのでしょう。