世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

世界遺産の東照宮などのある日光ですが、東照宮や輪王寺以外にも訪れたくなる場所が多いのです

2018-06-24 08:00:00 | 日本の町並み
 現役の御用邸の一つがある三浦半島の付け根の町が葉山でした。現在は三か所の御用邸ですが、明治以降に作られた御用邸は、この三か所を除いて11か所で、神奈川県、静岡県そして栃木県の各々3か所ずつ、残りの2か所は群馬県と兵庫県で、兵庫県神戸市を除けば東京からの100km圏です。現在は御用邸としては使っていなくても、建物など、かつての御用邸の状況を見ることができる施設も残されているようです。今回は、それらの中で最もかつての状況が保存されている旧田母沢御用邸の周辺を紹介します。


 田母沢御用邸跡は、現在は往時の1/3程度の面積の中に建物や庭園が整備され御用邸記念公園として公開されています。旧御用邸の中で、唯一、旧来の施設の全体が存続し建物は重文に指定されています。大正天皇(皇太子)の静養先として明治23年(18999年)に造営され、昭和22年に廃止、国の管理下になっています。建物類は、この地の旧地主が別荘に使っていた建物や紀州徳川家江戸屋敷から赤坂離宮に移築され東宮御所として使われた建物などを移設して使って開設されました。その後、明治、大正期に部分的に増築されたようです。戦時中は、今上天皇の疎開先となり、2001年には美智子皇后を伴って訪問されてるようです。

 
 
 


 
 記念公園は、神橋の上流1kmほど、バスでは西参道の一つ先という位置関係で、集落が途切れたあたりを左折すると入口があります。周りは緑一面の樹林で、南側は大谷川まで伸びています。おそらく、この緑の塊が、かつての御用邸の敷地だったのではないかと思います。建物の内部は、一部を除いて、見学でき写真撮影も自由です。さすがに、天皇が使った建物ゆえ、豪華で品格もあります。電灯や違い棚の意匠も色々でした。また、面白かったのは、雨戸の収納方法にも、何種類もの仕組みがあって、意識的なものなのか、建てられた時代の差なのか、はたまた建物が寄せ集めだったからでしょうか。とにかく、半日くらいの時間を十分楽しめるくらい、発見の多い建物でした。

 
 
 御用邸跡を少し東照宮の方へ戻った所にひっそりと建っているのが金谷ホテル歴史館です。日光金谷ホテルの創業の地で、明治6年にカッテージ・インという民宿を始めた侍屋敷とも呼ばれる建物です。明治期に日本を旅した英国のイザベラ・バードも、この建物に宿泊したそうで、宿泊した部屋の表示があります。内部は忍者屋敷のような抜け道があったり、スキップ・フロアー状の部屋があったりで。結構楽しめます。隣接のレストランでは、気軽に金谷ホテルの味を楽しむこともできます。

 
 
 さらに、東照宮の方に進むと日光真光教会があります。立教大医学長も務めたM.ガーディナーの設計で1914年に建てられたゴシック風の教会堂で、外壁は大谷川から採れる安山岩を屋根はスレート葺きです。内部のトラスには、下部の弦が上方にそるシザーズ・トラスが使われ内部を広く見せています。主堂や洗礼室の窓のステンドグラスも、なかなか」綺麗です。

 
 真光教会から日光山内に入り観光客の行列を無視して東方向に行くと真光教会と同様に石造りの素敵な洋館が目に入ります。日本コロムビアの生みの親のアメリカ人が明治時代に建てた別荘で、現在は明治の館というレストランになっています。国の登録有形文化財になっています。そして日光の玄関口は現在は東武日光駅になっていますが、JRの日光駅も登録有形文化財です。現在はローカル列車のみの発着になり、都内からのJRの特急列車も、途中の栗橋から東武線に乗り入れ終着は東武日光になってしまいましたが、駅の気品だけはJRの駅が優れているようです。

 イギリスの旅行家のイザベラ・バードは、金谷ホテルに12日館も滞在したそうです。他の、宿泊場所と比べて格段に居心地が良かったそうです。Lonely PlanetやMichelin Guideなんぞは無く、東京以外の情報がNetから手に入るはずもない状況ではなかった明治時代初期に、東北や北海道まで足を延ばしたのは驚嘆に値します。もちろんGPSなぞ無いので、磁針と土地の人から聞いた情報が頼りだったのでしょう。ただ、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉が事前調査や手配の一切を仕切り、彼女はついて行っただけなのかもしれません。近年も、日本人の旅行家で世界を駆け回った有名人が居ますが、同じようなシチュエーションかもしれません。二人とも、旅行家というより、作家と呼ぶべきなのでしょう。

緑のガーデンシティのキャッチフレーズのシンガポールですが、観光の中継基地のような気がします(シンガポール)

2018-06-17 08:00:00 | 世界の町並み
 ヴァチカン市国を除いて世界最小の国が観光と賭博で成り立っているような国がモナコでした。背後に山があって、国土の平均的な人口密度はさほどでもと思いましたが、世界第1位なのだそうです。それでは2位はというと、シンガポールで、続く3位がヴァチカンなのだそうです。都市の人口密度ということになると、モルディブのマレやマカオ、香港の方が上回りますが、マレー半島の先端の島に多くの人が暮らすのがシンガポールです。今回は、ちょっと古い情報に元ずくシンガポールの紹介で、現在は状況が変わっているかもしれません。

 
 シンガポールは、ユーラシア大陸最南端のマレー半島のさらに南、ほぼ赤道直下にある63の島からなる国です。面積は東京23区とほぼ同じ程度で、標高の一番高いところが163mという平らな国土です。19世紀の初めに、イギリスの東インド会社のラッフルズによって、植民地化され、日本の占領を経て、第二次大戦後にマレー連邦の一員となりましたが、2年後には袂を分かっていいます。中継貿易、金融業それに観光と多方面で存在感を増し、アジア地区では我が国をしのぐ金融や流通の拠点となっています。シンガポールを訪れると、緑豊かで、美しい町並みが続き、素晴らしい国のよう見えますが、何かよそよそしさを感じます。その原因は、北朝鮮をしのぐほどの独裁強権政治によるものかもしれません。初代のリー首相は「民主主義は間違っている」と標ぼうし、民主主義の敵とも呼ばれました。たしかに、低所得、低学歴の大衆が独裁者を生むことは中南米、東南アジアそして某超大国で証明され、東洋の某国でもそのきらいがあります。リーは、優秀で小さな国を世界に通用する国に押し上げた功績があり、古代ギリシャの賢人政治に通じるところがあるかもしれません。しかしながら、権力の世襲制と反対勢力を力でねじ伏せるのは独裁暴君に他なりません。

 
 
 
 
 筆者が初めてシンガポールを訪れたのは35年以上も前で、当時のお決まりの観光コースには、タイガーバーム・ガーデンが含まれていました。タイガーバウムの創始者が作った公園で、香港に次いで作られたものですが、現在はパウパーヴィラと名称を変えているようです。軟膏の製造で財を成した胡兄弟の遺産的な庭園で、儒教や仏教の教えを人形などげ作り込んだものです。中国式の庭園と言えば、島の南西部に広大な中国庭園があり、隣には日本庭園もありますが、ちょっと変な感じです。また、近くには、ジュロン・バードパークがあり、こちらは様々な鳥を見ることができて、鳥好きにはたまらない施設かもしれません。動物と言えば、シンガポール動物園は、オラウータンと一緒に朝食を、というイベントで有名になりました。また、夜間の動物の生態を、トラムに乗って観察できるナイト・サファリは、他ではあまり見かけないアトラクションで、人気があるようです。

 
 
 
 
 
 シンガポールの観光地は、マーライオン周辺、島の中央南部に集中していて、セントーサ島、マーライオン公園、クラーク・キー、ラッフルズ・ホテル、セント・アンドリュース大聖堂、ナショナル・ギャラリー、オーチャード・ロード、スリ・マリアマン寺院などなど。マーライオン像は、かつては世界三大ガッカリの一つでしたが、像の位置が変わり、口から常時水を吐くようになってから、その汚名を返上したようです。水陸両用者のダックツアに乗って海から眺めるのも面白いかもしれません。散歩に疲れたら、ラッフルズ・ホテルのアフターヌーン・ティーは思ったよりリーズナブルな価格設定だったように思います。おそらく、現在のシンガポールの観光地は時々刻々変化をして、新しいスポットが出現しているようです。ただ、石油のお金の上に浮いている国々よりはましですが、どれも、金に物を言わせて人工的なものを乱立させているような気がします。チャンギ国際空港は、評判の良い空港で、ここをハブにして各地に空路が伸びています。所詮は、シンガポールは、中継貿易ならぬ、観光の中継基地のような気がします。

 チャンギ空港は、東南アジア最大のハブ空港と言われています。空路のネットワークをハブ・アンド・スポークといって拠点空港間と拠点から放射状に延びる空路で結ぶ方式と、ポイント・トゥー・ポイントといってすべての拠点を網の目状に結ぶやり方があります。エアバスの巨人機A380はハブ間を結ぶ機体として開発されましたが、最近は乗り換えの手間が要らないポイント・トゥー・ポイントに傾いていているようです。航空路だけでなく、電話のネットワークでもハブかメッシュ(ポイント・トゥー・ポイント)かが議論されてきました。昭和時代を通じて使われたステップ・バイ・ステップという交換機は、電話機の回転ダイヤルから出される信号で機器的に動作していました。交換機にはダイヤル数字を記憶する機能は無く、次の機械を選ぶ数字は1回使えるだけで、電話局間をハブで結ぶと、ダイヤルの桁数によっては、目的の電話局にたどり着けないこともありました。飛行機のネットワークは、利用者の都合に左右されるようですが、電話のネットワークの場合は、機械の能力の都合で変わるんですね。

葉山御用邸のお隣のしおさい公園は小ぶりですが御用邸の雰囲気を味わうことができるかもしれません

2018-06-10 08:00:00 | 日本の町並み
 日露戦争の講和会議の全権大使を努めた小村寿太郎を生んだ宮崎の飫肥には、しっとりした街並みに寿太郎の生家も残されていました。小村寿太郎は、色々と逸話の多い人物で、侯爵にまで上り詰めましたが、共感できないところも多い人物のように思います。政界を引退した年に、結核の転地療養をしていた葉山で他界しています。今回は、転地療養先になるほど、過ごしやすい葉山町、御用邸の周辺を紹介します。

 神奈川県の葉山は、首都圏では珍しく市ではなく三浦郡に属した町です。三浦半島の西の付け根あたりにあり、鉄道は通ってなく、JRや京急の逗子からバスで南に下ります。御用邸は内陸を通る国道134号と、海岸線を走ってきた県道207号が合流する葉山警察あたりになります。御用邸の北には神奈川県立近代美術館があり、ここから南に御用邸付属邸跡のしおさい公園を経て御用邸まで長さ500m、幅200~300mほどの松林がつながっています。また、背後には148mの大峰山が迫っています。

 
 
 
 
 葉山御用邸は、現在も現役で使われている3つの御用邸の一つで1894年(明治27年)に作られたので、それから130年近くが建っています。ただ、1971年に放火によって建物が消失し、現在の建物は、10年後の再建によるものです。主に2~3月に滞在されるということは、葉山が温暖で避寒に適しているからでしょうか。病弱であった大正天皇も、転地療養先のこちらで崩御しています。

 この御用邸は、現役ということもあって見学はできませんが、隣のしおさい公園は入ることができ、松林が続く日本庭園や博物館があって、御用邸の雰囲気を味わうことができます。鯉のいる池やお茶室など、それに小さな滝もあります。池泉式回遊庭園の一つと思います。さほど広くない庭園なので、午後の半日をのんびりと散策するのにいいかもしれません。

 御用邸は、皇室の別荘の一つで、宮内庁によると比較的規模の小さなものを御用邸、大きなものを離宮と呼ぶようです。現役の離宮は、桂離宮と修学院離宮の2か所ですが、皇室がこの2つの離宮に休養などのため訪れたということは聞きません。御用邸は現役で使われているため内部の見学はできませんが、2つの離宮は、netを含め申し込みによって見学が可能です。なかなか競争率が高くて大変なのですが、苦労をするだけの価値は十分にあります。ただ、当日の天気だけは運任せで、筆者は10年ほど前に同じ日の午前に修学院、午後に桂と当選したのですが、桂では小雨交じりでした。天気に左右されないで楽しむ手としてVRなどの動画があり、視覚イメージとしての情報は簡単に手に入ります。ただ、VRとはいうものの、現場の香りや空気の動きなどは、現在の技術では再現できないので、感動は少ないかもしれません。ただ、実際の見学は、思ったより駆け足で、感動に浸っている暇は少なかったようです。

各地の宮殿のお手本になったヴェルサイユ宮殿は途方もない広さで一日の滞在では足らないくらいです(フランス)

2018-06-03 08:00:00 | 世界遺産
 パリの中心部にもかかわらず壮大であったり華麗であったりの教会や世界ウン大美術館などが所狭しと建ち並んでいるのがセーヌ河畔でした。ドイツの首都のベルリンでは、首都圏に3か所の世界遺産がありますが、フランスのパリでも首都圏に3か所の世界遺産があります。セーヌ河畔、フォンテーヌブロウそれにヴェルサイユ宮殿です。今回は、まだ紹介をしていなかったヴェルサイユ宮殿を紹介します。日本の首都圏には、フランスがついでに申請してくれた西洋美術館があるだけですし、アメリカの首都のワシントンDCには一つもありません。なにか、東京の場合は、古いものを簡単に再開発と言って壊してしまい、アメリカは国の歴史自体が無く、また文化より経済性が優先され、どちらも極度の拝金主義のためでしょうか。

 ヴェルサイユ宮殿はパリの中心地の南西20kmほどで、パリから近郊電車やRERで20~45分ほどの距離ですから、東京でいえば都内の郊外といった感じです。作ったのは絶対王政をひいたルイ14世で17~18世紀にバリック様式によって建てられました。敷地の広さは1千ヘクタールで、外苑も含めた皇居の約4~5倍、作られた当時は、さらに現在の10倍ほどもあったそうです。宮殿の床面積は約2万㎡で、皇居の新宮殿の8倍ほどになります。庭園に十字形に作られた大運河の長さだけでも2kmほどあるので、端まで行くと往復で4kmにもなり、散策の規模範囲を超え、最近は観光トラムや貸自転車もあるようです。筆者の訪問したのは30年ほども前で、このあたりの事情は分かりません。当時も入るのに随分と行列をしましたが、最近はさらにひどいようで、このところはどの観光地も混雑がひどいようで、入場などをあきらめざるを得ないこともありのようです。これは、我が国でも同じような現象が見られますが、隣国の観光客がドッと押し掛けるのも原因の一つかもしれません。







 鏡の間など、宮殿内も素晴らしいのですが、天気が良ければ、噴水や大運河のある裏庭の散策が気持ちが良くってお勧めです。庭園内にはグラン・トリアノンやプチ・トリアノンといった離宮もあってとにかく一日が十分につぶれてしまいます。

ヨーロッパでは、このヴェルサイユを手本や似た構成とした宮殿が数多くあり、オーストリアのシェーンブルン、スゥーデンのドロッドニングホルム、ドイツのサンスーシ、イタリアのカゼルタなどが世界遺産に登録されています。国宝指定ですが世界遺産には登録されてはいない我が国の赤坂迎賓館は、明治期の建物ですがヴェルサイユを模したと言われています。設計はジョサイヤ・コンドルの第1号の教え子であった片山東熊で、東京や京都それに奈良の博物館を設計しています。赤坂迎賓館の裏庭もヴェルサイユ風で噴水越しに見る建物はなかなか綺麗ですが、広さは1/100程度と比べるべくもありません。

 華麗なヴェルサイユ宮殿ですが、何も働かない絶対君主という権力者が、汗水流して働く国民から召し上げたお金によって作られたわけです。どうも、世の中汗水流して働く人々は分が悪いようで、大多数の画家は、存命中には、お金に困っていた人たちが多いように思います。後の世になって、絵画の生産者でもない、商人たちがサザビーのオークションなどで巨額の金を得ているのは、すごく不公平だと思います。それが、資本主義だというのなら、どこかおかしなシステムです。一方、ITの世界では、システムや端末を制御する膨大なプログラムの開発は、過労死しそうなくらい大変な生産作業です。しかし、その生産物で、大儲けをするのは、生産にはかかわっていない一部の商人なのではないでしょうか。