世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

酒蔵といえばこちらが全国的にも有名です、灘五郷

2006-06-25 14:27:51 | 日本の町並み
 これまで伊丹、池田とかつて栄えた酒どころを紹介してきましたが、お酒といえば神戸の灘を取り上げないわけには行きません。池田は2年前にNHK朝ドラの舞台になりましたが、灘のほうも「甘辛しゃん」という朝ドラのロケに使われたという共通点もあるようです。灘五郷とは神戸の灘三郷の西郷、御影郷、魚崎郷と、西宮の今津郷、西宮郷を指します。今回は神戸の三郷を中心に紹介したいと思います。

 先に紹介した伊丹や池田は江戸時代初期に江戸へのお酒の大供給地として栄えたのですが、醸造所が海に近くお酒を船に直接積み込める灘五郷が徐々にその地位を取って代わったようです。かつての五郷は神戸市の下灘郷を含んでいましたが、現在の神戸市兵庫区と中央区にあたり、現在ではオフィス街に変貌してしまい、代わりに西宮郷が加わり少し東へシフトした感じです。

 灘の地に酒造りが栄えた理由はいろいろあるようですが、摂津播磨の良質の米、六甲山系の花崗岩でろ過された宮水、それに丹波杜氏の醸造技術が組み合わさったものです。お酒に使う宮水は、多くの醸造所が専用の井戸を持っていますが、地元の神戸市民の大部分は淀川水系の水を飲まさせられているようです。かつて、海外航路の客船でにぎわった神戸港ですが、神戸で積み込む水はコウベウォータを呼ばれ、赤道を越えても腐らなかったとの逸話を残しています。

 神戸の三郷は阪神電鉄の大石から魚崎の間の浜側に工場群があり、各々の特色を持ったお酒を造っています。ところが、かなりの酒蔵が11年前の阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けたようで、酒蔵の町を歩いても以前に見た風景がずいぶんと変わっていました。お酒は酵母が作り出しますが、古い酒蔵にはそこに住み着いた酵母がいて、その酒蔵のお酒に個性を与えているとのことです。地震の被害に遭った酒蔵での味はどうだったのでしょうか。

 味といえば、これらの酒蔵の多くは見学や試飲コーナなどがあって、酒蔵ごとの味比べができます。さらにはお酒の試飲コーナだけではなくって、レストランを持つ酒蔵が少なくありません。もちろん、そこの銘柄のお酒も良い状態で楽しめるのでしょうが、下戸の筆者にもおいしい料理がメニューにあって散歩の途中の空腹をみたしてくれました。 

 おいしいといえば、おいしさを感じるためには味覚だけでなく嗅覚も重要な働きをしていて、鼻の調子の悪いときには味もあまり感じなくなるものです。ところで、通信で伝えることのできる情報は五感のうち、聴覚、視覚、触覚の一部で、味覚、嗅覚を伝えることはは難しいようです。音や光は、物理現象としての把握が確立していて電気信号との相互変換の技術が進み、電気を介して情報を遠方に簡単に届けることができたのでしょう。一方、味覚や嗅覚は感覚として曖昧な部分が多く、物理現象としての研究が進んでいないことや、感覚を引き起こすものが物質に起因して、特に電気信号から元に戻すのを難しくしているのでしょう。ただ、感覚は人間に備わったセンサが検出して、神経に検出情報を流しているわけですから、この神経に流している信号を検出して(もしくは、センサの出力から神経で伝えられている信号に変換して)、受信側で直接神経に伝えることができれば、味覚、嗅覚だけでなく、他の感覚もより高品質にその感覚を伝えることができるようになるかもしれません。

都心近くでアジサイと花ショウブを楽しめ、訪れる人も多くない堀の内

2006-06-18 14:28:56 | 日本の町並み
 初夏の花の代表というとアジサイと花ショウブで、ともに著名な花どころもたくさんあります。首都圏近郊でもアジサイでは鎌倉の名月院や曼荼羅堂跡など、花ショウブでは潮来や佐原といったところでしょうか。ところが、都心近くでその両方が楽しめる意外な場所が堀の内です。今回は環七と青梅街道の交差点の南西に位置する堀の内妙法寺あたりを紹介します。

 梅雨のうっとうしさを、その周りだけ消し去ってしまうようなさわやかさを持つ花がアジサイではないでしょうか。アジサイはもともと日本原産の花で、最近ハイドランジアという名称で売られているものは、ヨーロッパなどで改良されたものの逆輸入です。江戸時代に日本に来たシーボルトが、アジサイに彼の恋人の「たき」にちなんで「おたくさ(おたきさん)」と命名したのは有名な話です。花のよう見える部分は萼(がく)で、花は中心の目立たない部分です。リトマス試験紙のように、土の酸度によって色が変化し、アルカリでは赤み、酸性では青みがつ陽強くなります。マンションの1階の専用庭などで植えると、コンクリートから溶け出したアルカリで青い品種のアジサイも赤みを帯びてしまうようです。

 このアジサイと花ショウブは堀の内妙法寺の境内、本堂の右奥、墓地への途中に咲いています。さほど広くはありませんが、菖蒲田の手前に生垣のようにアジサイが植えられていて、それぞれが前景になったり遠景になったりして重なって鑑賞できます。

あまり宣伝されないのか、都心の割には人が少ないのがうれしいところです。

 妙法寺は江戸時代から厄除けのご利益があり堀の内詣でとして庶民にはなじみのお寺だったようです。現在では杉並といえば都心に近い地域ですが、内藤新宿(現在の新宿)からさらに青梅街道を下った堀の内は江戸市中から離れた、かなりの田舎であったであろうと思います。中野区内に鍋屋横丁という変わった名前の通りがありますが、かつては妙法寺への参詣道で鍋屋という大きな茶店があった名残とか。さらに奇妙なことに、中野駅の近くのコンビニの前に「ほりのうち道」と掘り込まれた石の道標があります。

どうも他の場所から移設されたようですが、道しるべがあちこちに残るということは、江戸庶民にとって堀の内は一大観光地だったのでしょう。現在の堀の内は、妙法寺以外にも多くの寺があり、寺町を形成していて、すぐ近くを通っている環七や青梅街道の喧騒がうそのようです。

 アジサイは日本で生まれて外国で育って戻ってきましたが、マイクロプロセッサも日本人の発想によって生まれ、パソコンの心臓部として成長して戻ってきたことは意外と知られていないかもしれません。こちらのケースでは、製造は外国にゆだねられたのですが、今日のパソコンの原点とも言うべき技術の開発に日本人がかかわっていたということは誇るべきことではないでしょうか。

ラーメン、建売住宅、ウォンバットや酒蔵、朝ドラの舞台にもなった池田

2006-06-11 14:30:18 | 日本の町並み
 伊丹から北に、県をまたがった大阪府の池田も江戸時代にはお酒の大生産地だったそうです。2年ほど前にはNHKの朝ドラの舞台になったことで全国的に知名度が向上しましたが、それまでは池田というと高校野球で有名になった徳島県の池田町を思い浮かべる人が多かったようです。

 池田市は大阪府の北端に近い一見何の変哲もない近郊都市ですが、街中を歩いてみるとあちこちにユニークなものを発見します。前述の造り酒屋は阪急の駅の北側の旧市街などに2軒が残っていて、酒蔵のある風景が見られます。低温醸造で香りの良い飲みやすいお酒として、お酒好きの方の間では有名な銘柄もあるようです。

 酒蔵のある町並みを通り抜けて、小高い丘に登ると五月山公園でその中にもユニークな動物園があります。小さな動物園で入場も無料なのですが、数多くのウォンバットが飼育されています。オーストラリア以外でこれだけ多くのウォンバットを見れるとは思いませんでした。ウォンバットのほかに同じオーストラリアのワラビーや、小動物と遊べるエリアなど、小さくても存在感のある動物園の一つと感じました。

 一方、駅の南には、新しい住宅の連なる中に、インスタントラーメンの記念館や、日本初の分譲住宅もあり、建売住宅の草分けというのも池田市なのだそうです。建売住宅やインスタントラーメンの発祥の地が池田市ということはほとんど知られていないのではないでしょうか。

 知られていないといえば、歌劇の宝塚と映画の東宝は親戚関係ということもあまり知られていないかもしれません。東宝という名称は、東京宝塚の省略形が会社名になったものなのです。宝塚の生みの親は小林一三翁ですが、五月山近くにある生前の住居が逸翁美術館として公開されています。翁がコレクションをしたお茶にまつわる美術品の展示だけでなく、建物やお庭などを含めてゆっくりしたい場所のひとつです。美術館の近くには池田文庫もあり、こちらにはポスターや雑誌「歌劇」など宝塚関連の資料が数多く集められ閲覧できます。宝塚ファンには感動の場所のひとつとして、大阪から宝塚へ行く電車を途中下車して立ち寄るのもよいかもしれません。

 美術館などで所蔵する美術品は破損したり、経年変化をしたり、場合によっては盗難に遭うこともあるわけで、これらのリスクを防ぐためにもディジタル情報での記録が進んでいます。これらのデータベースの一部はインターネットで見ることも可能になっているようです。家にいて、世界各国の美術品が鑑賞できると楽しいでしょうが彫刻などは3次元処理された画像が必要かもしれません。ネットワークがブロードバンド化され、絵画の部分拡大など詳細な画像もストレスなく鑑賞できる環境は整ってきていますが、コンテンツの準備のほうが大変名のではないでしょうか。

小貝川に沿って走る関東鉄道の沿線には一面のポピーやモダンな美術館があります

2006-06-04 14:31:24 | 日本の町並み
 風に揺れるポピーの花は優雅です。この同じけしの仲間が阿片の原料になるということは信じがたいところもあります。ポピーの花は首都圏でも、多くの場所で群生を見ることができますが、小貝川の河川敷のものは桁違いのボリュームで、他とは群を抜いています。今年のポピーの見ごろもそろそろ終わりですが、今回は関東鉄道の下妻から下館あたりを紹介します。

 関東鉄道は常磐線の取手から水戸線の下館まで、小貝川の並行するようにディーゼルカーがコトコト走っています。車窓からは筑波山も眺められ、関東平野を走っている~って感じのする鉄道のように思います。取手側では最近開通したつくばエクスプレスを交差していて、首都圏のベットタウンの団地も多く、近郊の通勤列車の顔のようですが、水海道から下館寄りは単線で列車本数も減ってローカル列車の雰囲気になります。

 小貝川では藤代、取手、伊奈など上流から下流まで河川敷のあちこちにポピー畑が見られますが、その中でも下妻は500万本という圧倒的なボリュームで、筑波山を背景にして河川敷が一面真っ赤な絨毯になります。

これだけの数で迫られると、ポピーの可憐さはちょっと後退するようにも思えます。

 下妻からさらに鉄道に乗って終点が下館です。かつては下館市でしたが、合併で筑西市になっています。筑波山の西に位置するという意味あいでしょうか。下館には蔵造りの家並みなど古い町並みが残っているのですが、この町並みとは対照的に、モダンなデザインのアルテリオと呼ばれる地域交流センタがあります。特に日没後に明かりが点くとキラキラと輝いて雰囲気がよくなります。

このセンタには美術館やお祭りの山車を展示する郷土展示コーナなどがあって、それらの展示の中にHazanの映画のロケ風景がありました。Hazan?と当初は意味が解りませんでしたが、続いて訪れた板谷波山記念館でHazanは陶芸家の陶芸家の波山を主人公とする映画ということがわかりました。

 ケシから取れる阿片はアルカロイドの一種として、痛みを和らげる効果の優れた生薬のひとつで、もっとも古い歴史を持っているとされています。麻薬の面が強調されていますが、精製薬のモルヒネは痛みを和らげる特効薬として病院で使われています。薬効の優れた薬も、使用法を誤ると麻薬になるということでしょう。携帯電話も持ち歩ける情報機器としてきわめて便利ですが、持ち忘れると過度に不安になる病的な状態などは、一種の麻薬現象でしょうか。