世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

天誅組ゆかりの地に夢殿のような八角堂が残る五條

2006-11-26 13:50:01 | 日本の町並み
 5月に全山がつつじの花に覆われる冨士山のあるのは大洲でしたが、同じ5月に境内がボタンの花に覆われるお寺が奈良県の五條市にあります。花の寺の別名もある金剛寺という小ぶりのお寺ですが、お庭一面がボタンの花で埋め尽くされるようです。筆者が訪れたときには、3月下旬でボタンの花には早く、他の花々が花壇を覆っていました。そのせいか、訪れる人も少なくて、お寺のお堂の入り口に銅鐸を模した花器に生けられ一枝の花を静かに愛でる余裕も持てたようでした。

 五條市は奈良県の西中央部にあり、高野山と吉野山への入り口のちょうど中央あたりに位置します。JRの王寺と和歌山を結ぶ和歌山線の王寺寄りに五条駅がありますが、駅の方は市の名称の五條ではなく五条になっています。過疎化と車の普及で、ダイヤ密度の低い路線ですが、かつては五条と南紀の新宮を結ぶ五新線の構想もあり、一部区間が着工されて五條市内には鉄道橋の遺構も残っています。この路線が開通していれば、北越急行線や智頭急行線のように南紀への高速バイパス線として機能していたかもしれません。

 五新線の高架橋の遺構が残る街中に新町通りという古い町並みが残っています。古くから和菓子の産地で、町並みの中にはその看板を掲げる由緒ありそうな店が残っています。古い町並みによくある微妙に曲がった通りに、商品のイメージをかたどった木のつり看板がぶら下がった風景は、電柱さえなければ時代劇のロケに使えそうです。

 五條市内には金剛寺の他にもう一つ特徴のあるお寺があります。駅の東にある栄山寺で、法隆寺の夢殿を小型にしたような国宝の八角堂があります。このお寺の起源は8世紀にさかのぼるり藤原氏の菩提寺として栄華を極めたようですが、現在は草むらの中に二三のお堂と梵鐘を残すのみで自然の中に溶け込んでしまったような存在になっています。ぽつんと残った八角堂を守っているかのような狛犬の取り合わせが妙でした。

 現在では足の便もあまりよくなく、時代から取り残されたような五條ですが、かつては大阪と和歌山を結ぶ街道の要所として栄えたようで、由緒ありそうな町並みやお寺の遺構がそのことを物語っています。さらに明治維新前夜には尊皇攘夷のさきがけとなった天誅組が五條新政府を号した土地として歴史の表舞台に躍り出たことがあります。当時の五條は幕府の直轄地であったという土地柄にもよりましたが、1ヶ月ほどで鎮圧されてしまったようです。南朝の吉野にも近い五條が一瞬強烈なスポットライトを受けた時間かもしれません。

 計画段階や工事の途中で中断された鉄道線を未成線と呼ぶようですが、五新線以外にもずいぶんとあちこちに遺構が残っているようです。マニアの間では廃線跡とあわせて未成線を探検するのが盛んなようで、その場所などを紹介したガイドブックも出回っています。場所によっては線路さえ引けばすぐ列車が走れそうな遺構が残るところや、道路や町並みにのみこまれてしまったところなど様々ですが、現場のディタル写真を撮影してきてコンピュータ上で列車が走る風景を合成しても楽しいかもしれません。

農家の庭先の柿の実が日本の原風景を感じさせます、丹波市

2006-11-19 13:51:16 | 日本の町並み
 紅葉に加えて柿の実が成っている風景も秋を象徴するものの一つではないでしょうか。斑鳩の里で塔を背景にした柿の写真は定番のようなところがありますが、ここで取り上げるのは兵庫県の丹波地方です。福知山線の柏原駅の西側に広がる高原、紅葉でも有名な丹波市の青垣、山南、氷上あたりを紹介します。

 柿は中国が原産で西欧ではあまりなじみの無いものですが、南蛮貿易を通じて日本からヨーロッパに伝えられイタリアなどで栽培されているようです。渋柿のイメージから柿を嫌う人が多いようですが、ビタミンも豊富でカロチンやカリウム、それに渋みの原因のタンニンは血圧降下作用もあるそうです。柿の渋ですが、そもそもすべての柿は渋柿で、タンニンが固まって不溶性になったものが甘柿になります。甘柿といえども渋の原因のタンニンを含んでいますが、舌に感じないだけなんですね。かつては柿渋は防水塗料として番傘などに塗られましたが、番傘自体が死語になりつつあるようです。

 瀬戸内海からから日本海にまたがる兵庫県の中央部、京都府と接しているところが丹波市です。いくつかの町が合併して2年ほど前に誕生した市ですが、福知山線の駅周辺を除いて山と田んぼが連なる伸びやかなところです。秋に訪れると、農家の庭先のたわわに実をつけた柿の木が日本の原風景を思わせます。山々が平地からまるで古墳のように立ち上がっているせいか、ハンググライダーに好適な場所としても名が知れているようです。この山の連なりもなかなか伸びやかで気持ちの良い風景を作っているように思います。

 山々が農地に迫る麓には、いくつものお寺があって、足の便が悪いせいか全国レベルでは名を知られていませんが、紅葉の見事なお寺も多いものです。高源寺、圓通寺、石龕寺などが比較的有名で、紅葉の季節にはツアーのバスも運行されてにぎわうようです。しかし、紅葉の季節以外に公共の輸送機関で訪れようとすると、極めて不便で人と会うこともほとんどありません。

 このうち高源寺、圓通寺はともに14世紀の創建で傾斜地に石段で上って本堂にたどり着きます。

高源寺は新緑の頃にも訪れましたが緑のトンネルが素敵でした。

 石龕寺の開基はなんと聖徳太子で6世紀のお寺です。仁王像のある山門からの竹林の中に紅葉が点在するプロムナードが見事でした。

 柿の葉に含まれるビタミンCは飛びぬけて多く、一説では乾燥した柿の葉100gにはビタミンCが1000mgつまり1g含まれているといわれています。なんと重量パーセントで1%にもなる事になります。もっとも柿の葉を丸ごと食べるのは難しく、お茶などで飲用するので、摂取できる量はずいぶんと減るでしょうが。このビタミンCは還元剤として体の酸化を防いでくれるといいます。体が酸化するといろいろな病気もとになると言われます。電子回路も、特に接点まわりが酸化すると接触不良になって動作不良になります。接点を金メッキするなどしてトラブルを防止していますが、ビタミンCで予防できないでしょうかね。

「おはなはん」の舞台になった町には冨士山もありました、大洲

2006-11-12 13:53:33 | 日本の町並み
 源氏物語は、平安朝時代に多数の女性読者を引き付けた、といってもマスメディアの無かった頃ですから、恵まれた階層の女性が対象であったかもしれません。マスメディアの発達した現代では、テレビドラマが多くの女性ファンを引き付けるようです。これらの中でNHKの朝ドラは新しいヒロインを生むことでも有名になりましたが、なかでも1966年放送の「おはなはん」のヒットは顕著でした。この「おはんはん」の舞台になったのが愛媛県の大洲です。

 大洲市は松山と宇和島との間、以前に紹介した内子町の西に位置します。町の中を肱川が流れ、夏には鵜飼いも行われるようです。肱川が大きく蛇行するあたりに明治時代の面影を残す町並みが残り、「おはなはん」のロケも行われたことから、おはなはん通りの名前が付いた通りもあります。

 ブームの頃は多くの観光客が押しかけたようですが、現在では静かな町並みに戻っています。どうも、日本人はブームにすることが好きなようで、朝ドラでモデルとなった時には、わーっと人が押し寄せますが、1年も経たないうちに忘れ去られるようです。ブームが去った後に、元の状態に戻ればいいのですが、景観を害するようなお土産屋の残骸などが残ったりするのが困ります。

 おはなはん通りを突き当たると臥龍山荘が肱川の崖の上に建っています。江戸時代に建てられ、幕末まで藩主の別荘として使われ、明治時代に実業家の手で再構築されたそうです。川の流れや対岸の冨士山(とみすやま)を借景とした緑豊かなお庭を散歩すると気持ちが和みます。

 その冨士山は、日本一の富士山とはウ冠とワ冠という字の差はありますが、こちらもなかなか存在感のある山でした。もちろん標高では1/10以下と比べようもない320mですが、5月に訪れると中腹から上がつつじの花に覆われている景色が楽しめます。麓から見ると、緑の山ではなくって、そこにはピンクの山がありました。

 テレビなどマスメディアに取り上げられるというのはたいへんな数の人々を動かす効果があるようです。ある場所がニュースなどで取り上げられただけで、週末にはどっと人が押しかけるようで、筆者も時としてその一人となることがあります。同じ内容のプログラムが同じ時間に一斉に配信される放送型情報配信が中心のためでしょうか。このところ光ファイバの家庭への普及が加速していますが、映像情報も情報の享受者が選択的に選ぶことができる放送型から通信型へシフトしていくと、人の動きが平滑化されるかもしれません。

世界遺産の白川郷は紅葉も美しいのです

2006-11-05 13:54:33 | 日本の町並み
 紅葉前線は北から南へ、標高の高い山から麓に下りてきます。近年は地球温暖化のためなのか、徐々に紅葉が遅れているようにも感じます。綺麗な紅葉は、その年の日照や気温の変化の度合いに影響されるようですが、見ごろはほんの1週間程度と短いように思います。今回は数ある紅葉の名所の中から、11月上旬にピークを迎える白川郷周辺を紹介します。

 紅葉は秋口の日照によって葉っぱの中に蓄えられたアントシアンが、気温の低下とともに減少するクロロフィルの緑色の退色によって表に現れるものです。このため、日照不足の年の紅葉は、あまり赤くならないで、枯葉色になって散ってしまうようです。日本の紅葉はカエデ、それも葉の細やかなイロハカエデが中心で、場所によってはハゼやウルシの鮮やかな赤が加わるようです。

 白川郷はいわずと知れた日本に13箇所ある世界遺産の一つです。かつては足の便が悪く、秘境の一つとして簡単には訪問できませんでした。この不便さが、平家の落ち武者が生き延びる環境を与えたのでしょう。深い雪と外界から遮断された大家族社会とが独特の合掌造りの家を生み出したのではないでしょうか。現在では、名古屋、岐阜、金沢それに富山県の高岡から路線バスが出ていて、それこそ四方からアクセス可能なまでなっています。ただ、真冬には雪のため金沢ルートは閉ざされるようですが。合掌造りのを移築した野外博物館が合掌造り民家園で、現役の家ではありませんが、現役でないだけに屋根裏の構造なども見学できます。この民家園の雨にぬれた紅葉がなかなか見事でした。

 白川郷全体を見晴らすには荻町城跡の展望台に登るのがよく、長距離バスのターミナルから展望台までマイクロバスが運行されています。

足に自身の向きには麓から歩いても15~20分ほどで登ることもできるでしょう。合掌造りの茅葺は30年に一度程度の割合で吹き替えが必要で、このときは村の結いという組織で共同で作業をするようです。ただ最近は材料の茅の入手が難しく、大屋根を片側ずつ葺き替えるという手順が採られるそうです。また茅葺は当然ながら火災に弱いので、火の気にはずいぶんと神経を使っていらっしゃるようです。万一の火災から守るため、合掌造りの建物のそばには消火栓が準備されていて、春と秋に訓練を兼ねて一斉放水をします。この一斉放水を前述の展望台から眺めるとなかなか見事なようです。ただ、残念ながらこのスケジュールは前もって公開されていないので、その日に当たった人は幸運!といったところでしょうか。

 筆者の場合は宿泊した1週間後が放水の日だったようです。その代わり、宿泊明けの朝に散歩のとき、前日の雨を含んだ合掌造りの大屋根から湯気のようなものが立ち上る風景を眺めることができました。

 インターネットを通じて遠く離れた地点の現在の映像をWebカメラにより見ることができる場所が増えています。白川郷にも展望台にWebカメラが設置されていて、少し画面は小さいのですが村の様子をうかがい知ることができます。真冬に行われる白川郷や、同じ庄川沿いの世界遺産の五箇山のライトアップも寒さ知らずに眺めることもできます。このようなWebカメラは画面が小さかったり、不鮮明であったりしますが、これから出かける旅行先の状況を、雪が降っているか?紅葉しているか?など事前にチェックでき便利なことが多いものです。ただし、町中にカメラを設置して公権力に見張られるのは願い下げですが。