長崎市街地と外海のキリスト教関連の場所を紹介してきました。長崎県には世界遺産にも登録されているキリスト教の殉教の場所が数多くありますが、外海の信者の一部は、遠藤周作記念館の前に広がる角力灘を渡って五島列島に逃れたといわれています。五島列島には世界遺産に登録された集落や教会がありますが、五島列島には登録はされていませんが数多くの教会が建てられています。今回は、五島列島の中心の福江島にある教会を紹介します。
福江島は、五島列島の西南端にある最大の島で、長崎の市街地の西100kmほどの離島です。飛行機では、長崎空港からプロペラ機で30分ほどの福江空港に着きます。一方船は、長崎港からのフェリーは3~4時間、長崎からは直行ですが帰りは奈留島などに寄るので多少時間がかかります。筆者は屋久島を訪問した時と同様に、飛行機で行って船で帰りましたが、視点の違う景色が楽しめました。空路で長崎入りmp場合や、長崎市にヨロ道する場合は2種類の足の動線をうまく使いこなすと便利です。
福江教会は福江市内のほぼ中央当たりにあってr、明治期に久賀島から福江に移り住んだ信徒が病院を改築した教会でした。その後、昭和36年に現在の教会が着工され翌年に献堂されました。ところが完成から5か月語に福江市内の大部分が焼失する退化が起こりましたが、教会堂は奇跡的に難を逃れ、焼け跡建つ真っ白な教会は復興のシンボルだったそうです。福江教会の関連施設として、近くには慈恵院が発展した聖マリア病院が建っています。遠くからでも病院の屋上のドームの前に立つマリア像を見ることができ、キリスト教系の病院だとわかります。
明治期に来日して福江教会を建てたペリュー神父は1895年に井持浦に教会を建てその5年後に敷地内に日本で初めてのルルドの泉を創建しています。井持浦教会は福江島の南西端で、ちいさな半島の反対側の南には大瀬崎灯台があり、海の眺めの良い場所です。
ペリュー神父が井持浦教会の後に建てたのが堂埼天主堂で、現在はキリシタン資料館として解放されています。井持浦教会とは、島の反対側の北東端に近い入り江の奥に建てられています。緑の中の赤レンガ造りの聖堂は、なかなか美しい姿を見せています。その建築には数々の教会建築を手がけた大工棟梁の鉄川与助もかかわっていたそうですが、端正なレンガ造りの教会は与助の関与を思い浮かべます。
この鉄川与助が改築に携わった教会が、堂崎天主堂の西に建つ水ノ浦教会で、1880年に建てられたものが、老朽化のため1938年に改築されたものです。こちらは真っ白な木造建築で、丘の上に建つ姿が青空をバックに目立ちます。与助晩年の作で、リブ・ボールド天井を持つ最後の建築作品と言われています。
十字架はキリスト教のシンボルとして、遠くからでも教会の存在を示したり、信者の証明になっています。しかしよくよく考えてみると、十字架ってキリストの貼り付け台がシンボル化したものなんですね。どこか残忍さと、復習の怨念が垣間見えるような気がします。本来は平和で人を救うのが宗教と思いますが、原始仏教を除いて殺戮に結びつくように思います。力づくで教義を押し付けた結果、意に反する科学者を弾圧しました。未だにダーウィンの進化論を否定する人々も多いそうですが、現在のIT文明とどのように整合をとっていくのでしょうか。
福江島は、五島列島の西南端にある最大の島で、長崎の市街地の西100kmほどの離島です。飛行機では、長崎空港からプロペラ機で30分ほどの福江空港に着きます。一方船は、長崎港からのフェリーは3~4時間、長崎からは直行ですが帰りは奈留島などに寄るので多少時間がかかります。筆者は屋久島を訪問した時と同様に、飛行機で行って船で帰りましたが、視点の違う景色が楽しめました。空路で長崎入りmp場合や、長崎市にヨロ道する場合は2種類の足の動線をうまく使いこなすと便利です。
福江教会は福江市内のほぼ中央当たりにあってr、明治期に久賀島から福江に移り住んだ信徒が病院を改築した教会でした。その後、昭和36年に現在の教会が着工され翌年に献堂されました。ところが完成から5か月語に福江市内の大部分が焼失する退化が起こりましたが、教会堂は奇跡的に難を逃れ、焼け跡建つ真っ白な教会は復興のシンボルだったそうです。福江教会の関連施設として、近くには慈恵院が発展した聖マリア病院が建っています。遠くからでも病院の屋上のドームの前に立つマリア像を見ることができ、キリスト教系の病院だとわかります。
明治期に来日して福江教会を建てたペリュー神父は1895年に井持浦に教会を建てその5年後に敷地内に日本で初めてのルルドの泉を創建しています。井持浦教会は福江島の南西端で、ちいさな半島の反対側の南には大瀬崎灯台があり、海の眺めの良い場所です。
ペリュー神父が井持浦教会の後に建てたのが堂埼天主堂で、現在はキリシタン資料館として解放されています。井持浦教会とは、島の反対側の北東端に近い入り江の奥に建てられています。緑の中の赤レンガ造りの聖堂は、なかなか美しい姿を見せています。その建築には数々の教会建築を手がけた大工棟梁の鉄川与助もかかわっていたそうですが、端正なレンガ造りの教会は与助の関与を思い浮かべます。
この鉄川与助が改築に携わった教会が、堂崎天主堂の西に建つ水ノ浦教会で、1880年に建てられたものが、老朽化のため1938年に改築されたものです。こちらは真っ白な木造建築で、丘の上に建つ姿が青空をバックに目立ちます。与助晩年の作で、リブ・ボールド天井を持つ最後の建築作品と言われています。
十字架はキリスト教のシンボルとして、遠くからでも教会の存在を示したり、信者の証明になっています。しかしよくよく考えてみると、十字架ってキリストの貼り付け台がシンボル化したものなんですね。どこか残忍さと、復習の怨念が垣間見えるような気がします。本来は平和で人を救うのが宗教と思いますが、原始仏教を除いて殺戮に結びつくように思います。力づくで教義を押し付けた結果、意に反する科学者を弾圧しました。未だにダーウィンの進化論を否定する人々も多いそうですが、現在のIT文明とどのように整合をとっていくのでしょうか。