世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

くさり橋だけがブダペストの名物ではありません(ハンガリー)

2005-11-30 15:16:49 | 世界遺産
 ハンガリーの首都のブダペストは国際河川のドナウ川をはさんで、王宮などのあるブダ地区と議事堂などのあるペスト地区が合わさってできた町で、両地区をつなぐ有名な「くさり橋」を渡ると町の顔がずいぶんと変わるように思います。

 ブダ地区は緑が豊かな丘陵地帯で、運転士以外はすべて子供で運用している鉄道も走っています。発車の時に駅務員の敬礼がなんともかわいらしかったのが印象的でした。

 ペスト地区は延々と建物が続く平地で行政や商業の中心のようです。市街地には路面電車に加えてトロリーバスも走っていて、旅行者にも路線がつかみやすく、便利な移動の手段として利用できます。その路面電車ですが、ブダペストのものはパンタグラフが異様に大きく感じました。交通の妨げにならないよう架線の位置が高いせいでしょうか。日本では路面電車は交通渋滞の元凶としてほとんどの路線が廃止されてしまいましたが、地球温暖化に対しても効果のある路面電車はもっと見直されてもいいのではないでしょうか。
 電車といえば、世界で最初の地下鉄はロンドンに建設されましたが、電車による地下鉄は、ブダペストのものが世界初だそうです。黄色の小さな車体でトンネルの天井が道路面というような浅い場所を軽快な音をたてて走っています。
 音といえば、音楽の世界ではハンガリーは著名な指揮者を数多く輩出しています。フェレンツ・フリッチャイ、ギョルグ・ショルティ、アンタル・ドラティ、フリッツ・ライナ、ユージン・オーマンディ、ジョージ・セル、イシュトバン・ケルテスなど、世界の有名オーケストラの主席指揮者、特にアメリカの名だたるオーケストラは、一時期ハンガリーの指揮者に独占されていたように思います。
 特定のオーケストラと指揮者が長い期間コンビを組むことで、オーケストラが指揮者の個性を反映して独自の色彩を持つことも多かったようです。ライナ=シカゴ、オーマンディ=フィラデルフィア、セル=クリーブランドの組み合わせがその代表でしょうか。
 また、ハンガリーはブラームスのハンガリー舞曲やリストのハンガリー狂詩曲にも登場します。ブラームスはハンガリーの出身ではありませんが、ハンガリーのバイオリニストのレメーニイと知り合い、ハンガリーのジプシー音楽を題材に作曲したものです。ともに原曲はピアノ曲ですが、オーケストラに編曲されたものがよく聞かれるようです。
 ブダペスト滞在中に少々観光化されたオーケストラ演奏を聞きに行きましたが、現地で聞いたハンガリー舞曲は、響きが違っていた?ような感じにも思えます。ただ、なぜかアンコールで演奏されたラストの曲は、お隣りの国オーストリア出身のシュトラウスが作曲したラデッキー行進曲でした。現在は、オーストリアとハンガリーは、異なる国ですがいまから140年ほど前には、ハプスブルグ家の皇帝を共通の君主とするオーストリア・ハンガリー二重帝国として50年間の間存続したので、ラデッキー行進曲を作曲したヨハンシュトラウス一世の子、美しき青きドナウで有名な二世の頃は同じ国だったことになり、ゆかりの曲といえなくもないでしょうか。本当の理由は、ラデッキー行進曲は、観客の手拍子も交えて演奏されることが多く、フィナレーを飾るのに演出効果の高い曲、とのことでしょうが。
 ソビエト連邦健在のころは東欧諸国として遠い存在の国の一つであったハンガリーですが、現在ではチェコ、ポーランド、オーストリアなどとともに中欧諸国と呼ばれています。地図を見てみると、なるほどヨーロッパの中央に位置しているようです。自由化後は短期滞在の場合はビザ無しで入国でき、町の雰囲気も他の西欧諸国と変わらないように思えます。
 ただ、ハンガリー人は他のヨーロッパ民族と違いアジア系の騎馬民族の流れを汲むようで、同じアヒアの日本人とも似たところがあるように思います。日本と似たところの一つに、温泉があります。ブダペスト市内にもいくつかの温泉があり、温泉プール状の大浴場に水着を着て入浴します。さらにブダペストの南方には世界一巨大な露天風呂もあるようです。自然の湖のバラトン湖の底から温泉が湧き、湖全体が湯壷になっているわけで、広さは600平方キロとか。
 コンピュータ携わる人にとって、ノイマン博士の名前は忘れることができないでしょうが、そのノイマン博士の生まれたのもハンガリーです。現在のコンピュータの大部分はノイマン型と呼ばれ、メモリに記憶された命令を順に読んできてその命令を実行し結果を他のメモリなどに格納する処理を直列的に行っています。メインフレームと呼ばれるコンピュータもパソコンも原理は同じでノイマンが1945年に書いた「EDVAC報告書の第一次稿」がベースになっています。ニューロコンピュータなど一部で非ノイマン型のコンピュータも出現していますがまだまだ主流にはなっていないようです。ノイマンがいなければコンピュータに支えられている現在の生活様式は、もっと違ったものになっていたかもしれません。

電球の点った登米の小学校の旧校舎は暖かい気分にさせてくれました

2005-11-27 15:18:11 | 日本の町並み
 小浜(こはま)は時間から取り残されたかのような町でしたが、北上川の水運を利用した流通拠点として栄え、やはり時間が止まったような町の一つが宮城県の登米(とよま)です。
 登米は江戸時代には城下町として、明治以降は水運による流通拠点として栄えましたが、交通手段の変化によって古い町並みの残る静かな町となったようです。東北本線の瀬峰という駅から2時間に1本程度のバスで約1時間と、現在の足の便はけしてよくありませんが、それまでしても訪れたくなる町の一つのように思います。かつては、バスの走っている路線を私鉄が走っており、登米のバスターミナルはかつての駅舎を転用したもののようで、前の道は駅前通りという名称となっています。
 さほど広くない町のなかには、古い建物を転用したいくつかの博物館があり、それぞれに趣があります。これらの建物が散在する町全体がかもし出す雰囲気も、昔見た懐かしい風景を思い出させます。
 博物館の中で、教育資料館は、明治時代に建てられた小学校の建物を利用したもので、重要文化財にも指定されています。JR東日本のディスカバージャパンのポスターにも使われた木造2階建ての校舎は、中央に玄関を置き、教室の前には開放廊下のあるなかなかしゃれた建物です。昭和52年まで現役の校舎として使われていたそうで、資料館前のお土産屋さんは、この校舎で勉強されたとのことです。
 登米を訪ねる前に見たガイドブックには、この資料館の夜景の写真が載っていて、その明かりの感じが素敵で、ライトアップはいつあるのか、土地の人に尋ねてみました。その答えは、年1回のお祭りの日とのことで、半ばあきらめていたのですが、バスを待つ間に入ったお土産屋さんから、外を振り返ると、そこには写真でみた光景がありました。教室や廊下にある電球に灯が点っていたのです。時期を教えてもらったライトアップというのは、建物全体に照明を当てるものではなかったのかと思います。
 電球の明かりというのは、蛍光灯に比べてエネルギー効率はよくありませんが、暖かくってホッとする気分にさせられます。電球色の蛍光灯が出現したのも、このあたりの効果を意識したものと思います。かつての携帯電話は、何処に居ても情報を伝えることができるという実用面が重視され普及してきました。メールやテレビ電話の普及は、この実用面に加えて、遊びの要素や、音声だけでは伝えるのが難しいホッとする気分のようなものを伝えことができるのではないかと思います。

世界一小さな独立国の、偉大な遺産、バチカン

2005-11-23 15:52:54 | 世界遺産
 今年の4月2日に26年間在位したローマ法王のヨハネ・パオロ2世が亡くなられたのは記憶に新しいところです(写真はそのヨハネ・パオロ2世)。そのローマ法王を国家元首とする世界一面積の小さな国がバチカン市国です。その面積は0.44平方キロで新宿御苑よりも狭い独立国です。
 国の収入は観光と信者からの寄付とのことですが、放送局、新聞社、郵便局それに銀行もあり独自の紙幣の発行も行っています。ただ、イタリアの紙幣も使用でき、観光客はイタリア紙幣を使って美しい切手をお土産に買っているようです。
 一方、大出力を誇る放送局の方は、短波を使って世界の数多くの言語によりカソリック布教の番組放送を行っています。昨年の3月までは日本語のプログラムもありましたが、経費の削減のために他のいくつかの言語プログラムとともに廃止されてしまいました。いまからウン十年前に、一般のラジオで聞こうとしましたが、ヨーロッパのかなたから届く電波なので、なかなか受信できなくてベリカード(その放送局を受信したことを証明するカード)はもらい損ねました。
 世界遺産のサン・ピエトロ大寺院は帝政ローマ時代に殉教した聖ペテロ(ピエトロ)の墓の上に建てられたとされており、現在の建物はルネッサンス華やかりし頃の16世紀に建築が開始され100年以上もかけて完成されたものです。建物の中心に位置するサン・ピエトロ広場に立つと、広場を囲むような両翼の回廊の大きさに圧倒されます。回廊を支える真っ白な列柱は3本一組が一点を中心にして放射状に並んでいます。広場のこの中心位置に立ってみると、柱が完全に重なって、柱の数が本来の本数の1/3に減って見えてしまいます。
 付属のバチカン美術館は世界3大美術館の一つで、バロック芸術の宝庫です。1日かけても見切れないほどボリュームのある美術館ですが、筆者は閉門時間にせきたてられ駆け足で回らなければならなかったのが残念です。中でも圧巻はシスティナ礼拝堂の壁画で、ミケランジェロの「最後の審判」と「天地創造」が描かれています。「天地創造」の「アダムの創造」の絵ではアダムと神とが指を差し出しあっていて、ETの有名なシーンはこの絵をヒントにしたのではないかとも思います。これらの壁画は礼拝堂の上のほうに描かれているので、立って見ていると首が疲れます。「床に座らないように!」との注意書きがあったように思いますが、いっそ床に寝転がって見たくなります。
 バチカンの放送を始め、かつては各国が短波放送で数多くの言語による放送を行っていましたが、最近は減ってきたように思います。広報、宣伝の媒体がWebに移ってきたからでしょうか。

宝塚の近くの宿場町の小浜(こはま)には首だけのお地蔵様が

2005-11-20 15:54:31 | 日本の町並み
 福井県の小浜(おばま)は海の京都として有名ですが、大阪に近い宝塚市にも小浜という地名があります。こちらの読みはオバマではなくコハマと読みますが、毫摂寺(ごうしょうじ)というお寺を中心に15世紀ころから発展した寺内町です。江戸時代には有馬街道の交通の要所に位置することから宿場町として栄えたようで、現在でも阪急宝塚線、JR福知山線それに中国道が付近を通っています。さらに空を見上げると伊丹空港を離陸したジャンボ機が轟音と共に上昇してゆくのが見えます。
 ただ、現在の交通機関は町の中を貫いているわけではなく少し離れた場所にあり、有名な観光施設も少ないせいか、時間から取り残されたような、ゆったりとした時が過ぎてゆく町並みになっています。昔の風情を残した町並みの大部分は阪神淡路大震災の被害にあって新しい町並みに変わってしまい、現在の町並みは、ちょっとそっけないところがあります。それでも、町のそこここにかつての宿場町を思わせる空気を残しているように思います。古い道しるべがあったり、道端にかわいらしいお地蔵さんが奉られていたり、散髪屋さんのねじりん棒の看板に山車(だし)風の囲いが付いていたりします。
 変わったところでは首地蔵という首だけの地蔵菩薩が露座で奉られていて、1mを超える大ぶりな新旧の2体が並んでいる姿にはギョッとさせられます。首から上の病にご利益があり、最近は頭がよくなるとのことで受験生にも人気があるとのことです。首だけの仏像といえば、興福寺国宝館の旧山田寺の仏頭や修復前の臼杵(うすき)石仏を思い出しますが、これらは元々はあった胴体から頭部が脱落したものです。通常大きな仏像の頭部は高いところに位置する関係から遠くから眺めることになります。ところが、首だけの仏像では間近で、お顔の細部まで拝観できるという利点があります。
 細部といえば、最近の携帯電話のカメラの画素数も100万画素を超え、被写体の細かな状況も写し撮れるようになりました。電話機のディスプレイでは細かな部分までは表示しきれませんが、パソコンなどで見ると普及版のデジカメと比べ遜色の無い画像を見ることができるようです。常に持ち歩く携帯電話で高品質の写真を撮れるということは町並み散歩を更に楽しくさせるものではないでしょうか。

リガの旧市街には世界最大級のパイプオルガンのある聖堂も(ラトビア)

2005-11-16 15:55:50 | 世界遺産
 フランスやドイツなどに有名なパイプオルガンが多いのですが旧ソ連邦のラトビアの首都リガの大聖堂にも世界最大級のパイプオルガンがあります。ラトビアはバルト三国の真中に位置し1990年に独立を果たし、国土の40%が森林という緑豊かな国です。リガの大聖堂は世界遺産に登録されているリガ旧市街のほぼ中央に位置しています。
 通常パイプオルガンは1000本を越える(多いものでは6000本を超えリガのものは6768本もの)パイプで構成され、このパイプに圧縮空気を送って音を出します。パイプの長さは音の波長の1/2なので低い音を受け持つパイプは長さも太さも相当大きなものになり、そのパイプが並んだ形が一種の造形美となっています。3段から5段の鍵盤に対応して、ストップと呼ばれるノブがあり、このストップを操作して、音色を変化させます。パイプから出る音は一定の音量なので、音量がエクスポーネンシャルに減衰するピアノやギターのような音は真似できませんし、エレクトーンやシンセサイザのように他の楽器を擬似した音は出せませんが、建物と同化した深い音色は人工音では味わえない感動があります。
世界遺産に登録されている旧市街は、ゴシックなどの古めかしい建築が町の雰囲気を作り上げていますが、同じリガの新市街にはアールヌーボの様式をもつ建築が集中している場所があります。訪れる観光客も旧市街に比べて少なく、ちょっと治安もよくなさそうな臭いがする地域ですが、旧市街で直線的で冷たい感じの教会建築ばかり眺めてきた目には新鮮な印象を与えます。
 アールヌーボはフランス語による表現で、発祥の地のイギリスではモダンスタイル、オーストリアではセセッション、ラトビアではドイツ語表現のユーゲントシュテイルとよばれているようですが、言葉は違っても世紀末を飾った共通的な様式です。
 言葉の違いといえば、コンピュータによる翻訳もWebページを即座に翻訳してくれるようになり、かなり便利にはなりました。しかしながら、まだまだ不自然な訳が多くってそのままでは意味を成さないことも多いようです。名通訳といわれる方は、言葉の裏にある、文化や生活習慣さらには話して手に絡む事柄までを加味して言葉を補うそうです。コンピュータにそこまでの情報を教え込むのは大変でしょうし、そこまで知られるのは不気味な気もします。

京都への海からの入り口だった小浜には京都らしいものがずいぶんと残っています

2005-11-13 15:56:44 | 日本の町並み
 かつて内陸の京都に日本海の産物を運んだ道がいくつかあります。今回は、その街道一つ「さば街道」の起点にあたる福井県の小浜(おばま)をとりあげます。
 鉄道などの無い時代は京都からさば街道などを通って山越えで歩いて小浜に抜けたのでしょうが、現在はJRの湖西線で今津まで行きJRバスで「さば街道」の一部をたどる方法と、最近に電化されたJR小浜線を経由する方法があります。ただ京都から小浜線にたどり着くまでは、湖西線・北陸線で敦賀まで行き東の端から入るか、山陰線を綾部まで、そこから舞鶴線で東舞鶴を経由して西からアクセスするか、どちらを辿っても真北の小浜に行くのに「くの字」型に遠回りをさせられます。
 小浜は京都への物の入り口となったためか、海の小京都と呼ばれ京文化の通り道として数多くの文化財が残っています。不便な場所にあるためか、京都の観光寺院のような雑踏にさらされることも無く、ゆっくりとお寺めぐりができます。なかでも明通寺(みょうつうじ)は鎌倉時代に建造された本堂と三重塔が国宝指定され、本堂内にも重要文化財の仏像を安置する1200年の歴史あるお寺です。多くの三重塔が軒の浅いずんどうなスタイルをしていますが、明通寺のものは桧皮葺(ひわだぶき)で軒が深く、山口の瑠璃光寺の五重塔と同じように軽やかな感じがします。
 明通寺の他にも仏像や建物、それに庭園など京都に負けないようなお寺が散在しています。面白いのは、神宮寺にある水送りの儀で、奈良の二月堂のお水取りの前に、水を送る儀式が行われます。地下の深いところで二月堂の若狭の井と神宮寺近くの川の鵜の瀬とはつながっているようです。これらの寺々をダイヤ密度の少ない路線バスで回るには無理があるため、4年前までは午前/午後と半日ずつのJRバスのツアーがあり8ヶ寺を巡拝できました。その後は他の事業体によって廻る寺数を縮小して運行されているたようですがどうなったでしょうか。
 小浜の魅力はお寺だけではなく、「めのう」や若狭塗のお土産や、若狭湾に面した漁港からあがる新鮮な海の味覚が楽しめます。また、若狭湾の外には奇岩の続く蘇洞門(そとも)があり観光船も出ています。30数年前に訪れた時には、蘇洞門の中心の大門のところで「大魔神」の映画のロケをやっていました。大魔神というと現在では佐々木選手のニックネームで有名ですが、そのルーツは岩山に彫られた巨大な神像で、世の中に不正が起こると、岩肌から抜け出して悪者を懲らしめる、というストーリーの映画の主人公でした。
 不正といえば、ネットワークを経由して情報をやり取りする時には色々な不正が起こる心配があります。暗号による通信は、内容を盗まれないための防止策であり、認証技術は接続されているサーバやクライアントが本物であるかどうかを識別しています。セキュリティの技術はいたちごっこの感がありますが、大魔神の出番を不要にするような技術が出現してほしいものです。

壁の傷まで再現したワルシャワ旧市街(ポーランド)

2005-11-09 15:58:07 | 世界遺産
 ポーランドを地図で見ると分かるように、山がほとんど無い平原の国で、国名もポーランド語の平原を意味するポーレからきています。日本より狭い国土ですが、山が多い日本より有効に使える国土はずっと広いようです。平原が多いということは、反面として外敵から攻め入られやすい欠点を持っていて、絶えず周辺諸国からの侵略の憂き目を受けてきました。日本からはずいぶんと遠い国のように思いますが、ポーランド人に言わせると「日本は隣国だ、間に1国しかないから」ということになるそうです。
 現在の首都のワルシャワがはーランドの中心より東に位置していますが、これはソ連の支配の頃に、国土の東側が削られ、逆に西側が膨らんで、あたかも国が西のほうへ移動し、旧来は国の中心であったワルシャワが東寄りになってしまったとか。
 このワルシャワの旧市街が世界遺産に登録され、多くの観光客が旧王宮やバルバカンなどを見て回っています。旧市街の中には、おとぎ列車のようなトレーラが走っていて、座ったままで旧市街の主だったところや周辺の観光スポットを見て回ることができます。まずは、これに乗って町の全体像を把握しておいて、後で気に入ったポイントを歩いて回るのが効率的のようです。
 世界遺産と聞くと、旧市街の建物群はさぞや古いものであろう、と思われるのですが、実は第二次大戦でことごとく破壊された後に、図面や記憶を頼りに、建物のひびまでも忠実に再現して再構築された町なのだそうです。戦後の日本が、焼け野が原にまったく新しい町を作ったのと対照的です。石造りで壊れても廃墟として残るものがあるヨーロッパの建築と、木と紙で作られて燃えてしまえば何も残らない日本の建築の文化の差にも影響を受けるものなのでしょうか。
 新しい規格を作る時に、旧来のシステムとの互換性を持たせるのか、互換性にとらわれないでまったく新しいものとするのかは、ITの分野ででもよく問題となるようです。どちらも利点と欠点を持ちますが、標準化で複数の規格が並存するのは、消費者の立場からは避けてほしいものです。

生活の場になっているから面白い京都の町家

2005-11-06 15:59:03 | 日本の町並み
 柳井の名物は「みかど餅」でしたが、現在の天皇(みかど)の祖先は神武天皇とされています。その神武天皇が日向(ひゅうが)から東征を行った時に、天皇の弓にとまったのが金色のとび(金鵄)でその光で敵の目をくらましたいわれています。この金鵄(きんし)を銘柄とするお酒が京都にあります。現在は伏見に移転しましたが、かつては二条にあって、その遺構が堀野記念館として保存されています。昔の酒蔵の一部や酒作りに使った桃の井、それに典型的な町家(まちや)の建物が公開されています。
 京都の町家は現役で人が住んでいたり、お店として使われているものが多く、建物の外からや、お客として店先から眺めることになります。外からでも、ベンガラ格子やバッタリ床机(しょうぎ)などが残っていてどこかで見た懐かしい風景を味わえますが、間口の大きさで税金がかけられたために、うなぎの寝床状の奥行きの長い土地に、明り取りの坪庭を配した建物は中に入れないと感じがつかめません。
 これらの町家に住んでおられる知人がいらっしゃる方を除いて、内部を見学するためには一般公開されている町家が対象ということになります。堀野記念館の他に、西陣や二条から四条にかけていくつかの町家の内部が見学できます。京都のしきたりを学ぶプログラムのある富田屋、機織(はたおり)の見学もできる織成館(おりなすかん)、長襦袢(ながじゅばん)の美術館を兼ねている紫織庵(しおりあん)、田中さんのノーベル賞受賞で来訪者が増えた島津製作所の創業記念館などです。ただ、島津創業記念館は、内部が過去の製品などの展示室となっていて町家の屋内の様子はうかがえないようです。
 小京都ブームで京都に雰囲気の似た町並みに人気が高まっています。小京都の人気の秘密の一つには、ベンガラ格子などの続く町並みの風情でしょうが、小京都の人気に本物の京都が再認識され町家めぐりなどに人気がでるのは当然なのかもしれません。小京都の中には京都の文化を意識的にコピーをして京都たらんとした町や、地形などが似ていて自然と京都と似た町並みとなった町などいくつかのパターンがあるように思います。かつて、京都の文化としてコピーしたお祭りが、オリジナルの京都では絶えてしまい、小京都で生きつづけているものがあるのも面白い現象です。
 これらの町家を見て歩く時の街中の移動には地下鉄とバスということになります。地下鉄は決まった時刻にやってくるので、どれくらい待てばよいかが解りますが、バスはいつ来るか解らなくてイライラすることもあります。この解消に、京都市交通局ではバスの位置を検出して携帯電話でも見れるポケロケというサービスを提供していて、次のバスがどのあたりに来ているか解るようになっています。ただ、町家めぐりは、時間を気にしないで、ゆったりした気持で、のんびりと周るべきかもしれませんが。