世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

宝物館が完成したために、これまでのように国宝仏が一堂に会する光景が見られなくなった室生寺ですが五重塔の可憐さは変わりません

2023-07-30 08:00:00 | 日本の町並み
 京田辺には廃仏毀釈のあらしで神宮寺にあった十一面観音が近くのお寺に引き取られ重文に指定されているのは不幸中の幸いでした。寿宝自の十一面観音像は重文ですが、国宝指定の十一面観音像は全部で7体しかありません。そのうちの聖林寺の十一面も、廃仏毀釈の時に近くの三輪神社の神宮寺から移されたものです。今回は幸運にも廃物希釈のあらしには合わず、本来のお寺で安置されている国宝の十一面観音像があるお寺の中から女人高野といわれる室生寺を紹介します。

 室生寺は、奈良県の東の端の山奥、近鉄の室生口大野から7km、バスで15分ほどと短時間ですが、このバスが1時間に1本ほどしかありません。筆者が学生の頃は、バスだけでなく室生口大野に停車する電車も1時間に1本ほどでした。これだけ不便な思いをしなくてはなりませんが、その不便さを打ち消してしまう魅力的なお寺の一つです。建物は国宝3棟、重文2棟、仏像は国宝3体、重文6体、そのほかに国宝1、重文4と小規模の博物館並みです。釈迦如来坐像を除いて、2019年の春までは仏像の大部分、十一面観音も金堂の須弥壇の上に横一列に並んでいました。2020年に宝物殿ができて、金堂にあった十一面観音と地蔵菩薩それに十二神将の半分が移されて泣き別れです。もともと金堂には数多くの仏像があったわけではないらしいのですが、圧倒されるようなボリュームはもう見られない(移転後には再訪していません)のは残念です。

 
 
 国宝の建物の中では五重塔が秀逸です。法隆寺の五重塔に次いで二番目に古い8世紀の建立で、屋外に建つ塔としては最小の建物です。ちなみに最小の五重塔は海龍王寺のものですが模型のように屋内に置かれていて、こちらも国宝です。室生寺の五重塔は、屋根が檜皮葺で軒の出が深く、各層の屋根の大きさは下層と最上層とであまり変わりませんが、塔心は上層部に行くにしたがって細くなっています。これらの要素が塔を美しく見せていると思います。ところが、この塔にもご難があって、1998年の台風でそばのスギが倒れて、塔を直撃、西北の側の各層の屋根と軒が折れてしまいました。2年をかけて修理の折、塔に使われている材木の年代測定が行われ、8世紀の建立が鵜あら付けされたのだそうです。

 
 
 
 
 
 室生寺は室生川を朱塗りの橋で渡った後は、背後の山の南面の傾斜地の緑の中にへばりつくように建っています。建物の周りは緑の木立が茂り、階段を上っていくと緑の中に建物が現れ来る期待感があります。五重塔も緑の中に建っているので、美しさが増幅されているかもしれません。ただ、そのために倒木による被害を被ることになったのですが。この緑の中にゴールデンウィークの頃にはシャクナゲのピンク色が彩営を添えます。ご空の党の屋根裏は朱に塗られて緑に映えますが、シャクナゲの花も負けじと景色を盛り立てています。

 仏像などの文化財を安全に保存するために宝物館や収蔵庫が作られ、コンピュータ管理で温度も湿度も収容されている仏像に最適なようにコントロールされています。たしかに、これらの施設は文化財を安全に次の世代に引き継ぐのに必要だとは思いますが、何とはなしに味気ない印象を受けます。博物館や収蔵庫での鑑賞のメリットは、通常は正面からしか拝めない仏像をvひがった角度からも見られる点ですが、信仰の対象なのか美術品なのか、議論の割れるところかもしれません。それに、コンピュータ・コントロールの環境は、ほんとに正解なのかという疑問もあり、自然空調の正倉院は保存性の良さの証明に1300年かかってるんですね。

パッケージツアーでは強制的に連れていかれるお土産屋さんもフーコック島では特産品が多いこともあってこれらを巡るツアーになっています(ベトナム)

2023-07-23 08:00:00 | 世界の町並み
 水上マーケットよりは町を彩る数多くの花々のほうに魅力があるのがベトナム南部、メコンデルタの町のカントーでした。ハノイから徐々に南下して来ましたが、今回と次回に分けてベトナムの最西端の島であるフーコック島を紹介します。フーコック島はベトナム最後の秘境リゾートと言われたこともありますが、さほど秘境といった感じはしませんが、のんびりできる島であることは間違いなさそうです。今回は、島の中に散在する特産品の拠点などを、次回は世界一長いといわれるロープウェイで渡るホントム島を紹介します。

 
 
 
 
 フーコック島は、ベトナムの半島部から西に40km程離れたタイランド湾に浮かぶ島で日本の淡路島ほどの広さを持ちます。島の北側20km足らずのところはカンボジア領でベトナム最果ての島といったところです。ベトナムの観光地の多くは、東シナ海に面していて、海から上がる朝日は見ることができますが、海に沈む夕日を見ることができる数少ない観光地です。夕日が見られるレストランに行きましたが、一番奥の海に面した関は満席でしたが、幸運にも少し後方の席が取れました。また、西に張り出す石山殿と呼ばれるお寺の周辺は、夕暮れともなると数多くに人が集まっていました。日が暮れてしまうと、近くのバクダン通りが夜市でにぎわいます。

 
 
 
 
 さて、島内巡りですが、パッケージツアーでよく見られるお土産屋めぐりだけのようなツアーがあり、これに参加しました。スタートは真珠屋さんで、阿古屋貝の様子や加工の様子が見学できますが、女性客の購入狙いを感じます。っ続いてワイン工房に、フーコックのブドウを使ったもので甕を使って醸造していたようですがよくはわかりませんでした。胡椒の工房には胡椒畑もあって、どのような形に胡椒が生っているか分かります。ツバメの巣の工房は、貴重品とされるしゅばめの巣を養殖」?しているようです。


 
 
 
 
 ここで、工房巡りは一休みで、党内最大の仏教寺院を訪れます。山の麓の傾斜地に巨大な観音像と思しき仏像などが立っています。日本の十六羅漢のような群像もあって、しぐさが滑稽です。そして開発が遅れて人が少ない東海岸のサオビーチで朝食でしたが、たしかに人の数は日本のビーチとは比べようがありませんが、パラセーリングやボート遊びなど道具はそろっているようです。

 
 
 午後は工房巡りはニョクマムの工房です。発酵用の樽が並んでいるのは、日本酒の醸造所の光景と似ています。ただ、胡椒は土産物に持って帰られますが、ニョクマムは液体なので、LCCで機内持ち込みだけの旅行者向きではないかもしれません。そして最後は戦争博物館で、ベトナム各地で見られるベトナム戦争の資料ではなく、インドシナ戦争で宗主国のフランスが作った刑務所跡で、その後のベトナム戦争では、南ベトナム軍のとらえた北の捕虜などを収容する軽ぬしょとして使われた場所です。戦争は人間を悪魔にすることを実感して戦争のむごたらしさをみせつけます。

 ツバメの巣は中華料理では高級食材とされ、高価なものの一つです。アナツバメが唾液だけで作った巣をそのまま食べるもので、主成分の中にシアル酸が含まれ、免疫力を高める効果があって体にいいとのことです。また、細胞表面にあるシアル酸は負に帯電し、これが正に帯電した水分子を引き付け保水効果があり、逆に赤血球の表面のシャル酸は負極同士で反発し、赤血球が凝集するのを防いでいるとのこと。ツバメの巣の健康効果が電気の性質にも関係するとは思いもよりませんが、人間の唾液の中にもシアル酸は含まれているそうです。

奈良と京都を結ぶ近鉄京都線の沿線には途中下車をしても損をしない町並みや自然の風景が広がっています

2023-07-16 08:00:00 | 日本の町並み
 市の名前を市町の辞職までのごたごたを経て篠山市から丹波篠山市に変更したのが、兵庫県の山奥にあり立杭焼と丹波杜氏のふるさとでした。丹波篠山市の場合は、これまで使っていた市の名称を途中で変更した例ですが、町から市になるときに、旧来の町名を市の名称にしたのち、即日に他の名称に変更した市がかなりあるようです。1997年の市制施行日に旧町名の田辺から京田辺となった京田辺市の、今回はその南部、近鉄京都線の近鉄宮津を駅から興戸までの町並や丘陵地帯を紹介します。

 近鉄京都線は京都と奈良を結ぶ路線のためか、国宝の十一面j観音の観音寺や一休禅師ゆかりの酬恩庵などのお寺も多く、また狛田や祝園には古民家が数多く残されています。観光客は奈良から京都に移動する通り道として利用しますが、途中下車をする人は少な伊野が残念で、時間があれば訪れて損のない地域と思います。今回紹介する地域は、やや北よりで、近鉄が木津川を渡るちょっと手前にある京田辺市の南部になります。

 
 
 
 
 スタートの近鉄宮津駅を降りて近鉄線とJR線の効果を西に抜けると、白壁と大きな屋根の民家が多数見えてきます。商家ではなく農家ではないかと思いますが、なかなかの迫力です。

 
 
 通り過ぎて右折市北にっや進むと左手の丘の上に6世紀に創建されたという佐牙神社があります。16世紀に再建された本殿は一間社春日造と呼ばれ2つの社殿を連結したような形をしていて重文指定です。参道には明治の廃仏毀釈で廃寺となった神宮寺の恵日寺跡の石碑が寂しくたっていました。

 
 
 この寺にあった十一面観音が移されたのが、近鉄線の三山木駅を越えて東に行った寿宝寺で、門のそばには古代交通の要であった山本駅跡の石碑も建っています。やはり、この辺りは京都と奈良を結ぶ官道が通る交通の要所であったわけです。

 
 
 
 東に木津川まで続く田園地帯を北東に横切っていくと、丘陵地帯があって、斜面には茶畑が広がっています。宇治にも近いこの辺りはお茶の生産が盛んなようで、直射日光をさえぎる黒い覆いも見かけました。この丘陵には4~6世紀に作られた多くの古墳があり、飯岡古墳群と呼ばれているようです。ゴロゴロ山古墳は継体天皇の王子のもの、薬師山古墳は椀子王の王子の物と言われており、ほかにもいくつかの古墳が残されていますが、立札がなければ単なる丘といった感じです。丘の麓にはかつての井戸の跡もあり、飯岡山の伏流水なのでしょうか。この辺りは、瀬戸内気候の影響で雨量が少ないのでしょうか播州平野でよく見かけるため池も景色に変化を与えています。

 廃仏毀釈は、数多くの貴重な文化財を廃棄してしまったようです。近くの寺に引っ越しをして難を逃れた仏像もいくつかあって、有名なとこrでは聖林寺の国宝十一面観音立像があります。興福寺の五重塔も売りに出されて、あわや焼かれて金具だけになりそうだったそうです。明治という文化の革命期にこれまでの価値観がひっくり返って、新しい価値観に置き換えられた結果ですが、価値観の転換というのは、文化面だけかと思うと、理科系の分野でもありそうで、価値観というより流行りすたりということなのでしょうか。かつて、あれほど流行ったファジーを取り入れた電化製品ですが、今やファジーという言葉すら死語になり、知る人も少なくなっているように思います。AIもいつまでもつでしょうか。

ハノイの新市街にあるカイデン帝の安定宮には華やかさが残りますが郊外のティエウチ帝廟は廃墟のような感じです(ベトナム)

2023-07-09 08:00:00 | 世界遺産
 ベトナムが10世紀に中国から独立しホアルーを首都に構えたのちハノイに首都を移し11世紀から19世紀まで居城としたのがタンロン遺跡でした。一方、19世紀初頭から第二次大戦末期まで存在した王朝が中部のフエを居城とする阮朝(ぐえんちょう)でした。ハノイのタンロン遺跡は大都市のハノイに飲み込まれてしまい、過去の都の遺跡といった感じになりましたが、フエはベトナム戦争で甚大な被害を受けましたがベトナムの京都と屋ばれるように都の面影を残す町並みが残ります。フエは過去に3度ほど紹介しましたが、今回は新たに訪れた3か所の世界遺産の建物群を紹介します。

 今回新たに訪れたのは、市街地にある安定宮と郊外にある皇帝廟のティエウチ帝廟とミンマン帝廟です。この3か所はどうもマイナーらしく、チャーターしたたくしのドライバが、ここでいいのか?っていった感じでした。

 
 
 
 
 
 安定宮は市街地の南東kmほどの川沿いに建っています。20世紀初頭にカイデン帝が皇太子の頃の居所として建てられた宮殿です。西欧好みのカイデン帝が帝位に着いた後に現在のような西欧風に改築されたそうです。さすがに王宮程の広さはありませんが、内部のしつらえや、建物の裏に広がる庭園はベトナムにいることを忘れさせます。日本人の観光客は見当たりませんでしたが、新市街から歩いても近いので、時間があれば訪れて損をしない宮殿です。

 
 
 
 
 
 
 郊外のミンマン帝廟は、市街地の南10km、車で20分ほどの緑の中にあります。世界遺産に登録されている廟の中で市街地から2番目に遠く、日本人の観光客は見当たりません。ミンマン帝はグエン王朝2代目の皇帝で、帝廟は19世紀初頭に造営されました。駐車場からは木立の中を歩いて城壁に囲まれた廟に入場しますが、緑豊かで気持ちの良い散歩道です。カイデン帝廟のような派手さはありませんが、二つの門、碑亭それに礼拝堂にあたる崇恩殿などが立ち並び、緑の中に朱が映えます。崇恩殿の裏に回ると池があってその先にあるのがミンマン帝の墓所になります。

 
 
 
 
 
 ティエウチ帝廟はミンマン帝廟に行く手前、市街地から6km、車で15分ほどの周りを池や田んぼに囲まれたところにあります。こんなところに帝廟が本当にあるのか?道を間違っていないか、と疑いたくなるくらいでした。ティエウチ帝は3代皇帝で、何事にも穏やかで地味な皇帝だったそうで、廟もその性格を表しているようです。帝廟は19世紀半ばに造営されましたが、訪問した時には改修中で、悪く言うと廃墟のような感じでした。sぎたがって、観光客は皆無で、あまり内部は見られませんでした。工事が完了したら、市街地にも近いので、再訪してもいいかもしれません。

 安定宮を見るとパリに建っていてもおかしくないと思いますが、そのように感じるのは、建物の形などを分析しているわけではなく、直感的に思うわけです。これをコンピュータに判断させると、直感なんてないわけですから、AIですぐ分かるなんて言いますが、コンピュータの中では大変な作業をしていると思います。膨大な建築のデータベースを作って、共通項を見出して分類して、問題として与えられた建物の写真がどのカテゴリーに近いかを分析的に判断するのでしょう。利用する側からいえばAほどI便利な道具はありませんが、システムを作る側は大変な思いをしているわけで、極端にいうとコンピュータ奴隷かもしれません。

篠山の町には城の西に武家屋敷と東と北に町人の古民家の家並が残りますが、圧倒的に古民家の町並みの方が見ごたえがあります

2023-07-02 08:00:00 | 日本の町並み
 茨城空港への足になる前に廃線となってしまったのが鹿島鉄道でしたが、足の便が悪くなった副産物で古民家の町並みが冷凍保存されてしまったのが茨城県の小川町でした。鹿島鉄道は、たとえ空港の足で使われても、さほど乗客数の増加は見込めず赤字の解消にはならなかったのでしょう。赤字のために廃線になる鉄道は多いのですが、人口の多いところを避けて線路が引かれたため、不便さが廃線の原因になったのが旧国鉄の篠山線でした。今回は、町はずれを篠山線が走っていた篠山の町を紹介します。

 篠山は丹波篠山市の中心部で、兵庫県の中東部、ちょっと北に行くと京都府という兵庫県の端に位置し、福知山線が複線電化され大阪まで1時間程度で行けるようになり、大阪との結びつきも強くなっています。市の名称は篠山市でしたが、町村合併で隣接地に丹波市が生まれて、市長の辞職まで伴ったごたごた騒ぎが起こります。住民投票の結果は頻差でしたが、丹波篠山市に名称変更した歴史があります。歴史的にみると、丹波というより篠山という名称のほうが重みがあると思うのですが。立杭焼きもいつのま仁か丹波焼という名称になっていて、そんなに丹波って名前にしたいのかって思います。

 ところで、廃線となった篠山線ですが、福知山線の篠山口から分岐して福住までが開通していましたが、山陰線の園部までを結ぶ構想でしたが、戦争で中止となったようです。ところが、線路を引くにあたって蒸気機関車の火の粉が降りかかる都の反対で、市街地からはるかに川を越えた南に引かれたため不便で利用は伸びずに1972年に廃止されました。廃止と聞いて、毎度のことながら地域住民は反対運動したわけですが、引くときに反対して町はずれに追いやり乗りもしない線の廃止に反対とは身勝手なものです。この勝手さが、市の名称変更にもつながっているのかもしれません。

 篠山は篠山城を中心とする松平氏の城下町で、江戸初期に築城され、明治初期に廃城となり取り壊され、2000年には城跡に大書院が復元されています。城の遺構は、城跡を取り囲む石垣と堀や土塁の南馬出がありますが、城の南を除いて取り囲むように、古い町並みが残っています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 城跡の東南東に東に向かって伸びるのが河原町で、旧京街道に沿って妻入りの商家が軒を接して立ち並んでいます。500m程にわたってこれでもかと言わんばかりに古民家が残されています。2021年に無電柱化が完了して、すっきりした街並みになっています。一部の民家は宿泊施設に、また食べ物屋や土産屋になっている家屋もありますが、一部の観光地の土産物屋のように景観を乱す状況ではありません。立杭焼(丹波焼)を中心とした展示を行う丹波古陶館もこの地区に建てられています・観光客がぞろぞろと歩き回りますが、日常生活の時間が流れているように思います。

 
 
 
 
 
 城跡の西のお徒士町は武家屋敷の名残ですが、残っている屋敷は5棟のみで、長屋門がありりっぱな庭も付き敷地は広いのですが、江戸時代に商家より位の高かった武家の屋敷というだけで、河原町に比べると見劣りします。

 
 
 
 
 北側に回ると青山歴史村といういかにも観光客用に用意した感じの施設もありますが、近くの大正ロマン館の方が魅力的です。大正時代に建てられた旧篠山町役場の建物で1992年に役割を終えて観光案内書として再利用されているレトロな洋館です。土蔵造りのどっしりとした日本建築の町並みに、軽やかな洋館は対照的な美しさがあります。さらに北に行くと、バスが通る二階町通りに出て、この道路沿いに土蔵造りの商家がポツポツと残っていますが、こちらは全くの商店街で、歩道のない狭い通りに車が頻繁に通り、気持ちの良い町並みではありません。

 旧篠山線が引かれたときには蒸気機関車の時代なので火の粉が飛ぶので町中に引くのは反対というのは、本音は新しい交通体系に反対ということの表向きの理由だったかもしれません。鉄道が通ることに反対して、町から遠いところに引かれた鉄道のために不便になったり、町が廃れた例は篠山線に限ったことではありません。勇舞なところでは、JRの中央線で、甲州街道沿線の反対運動のため現在のように大きく北に外れて、当時は乗っパラだった場所に一直線の鉄道が惹かれました。反対が無かったら、現在の中野、吉祥寺などの繁栄はなかったかもしれません。このような反対運動というのは、かなり感情的な面が多く先見性があるとは言い難いような感じがします」。チャットGPTは先見性のある答えを出してくれるでしょうかね。