世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

菅原道真の後を追って飛んで行った梅の着地点の太宰府天満宮は緑豊かな広々とした境内も駅からの参道も気持ちの良い空間です

2023-03-26 08:00:00 | 日本の町並み
 東京の繁華街の青山に突如として現れる森が隈研吾設計のサニーヒルズ南青山でした。このサニーヒルズ南青山と同じような木組みの店舗が遠く離れた九州の太宰府天満宮の参道にあります。スターバックスの大宰府店です。太宰府天満宮には、菅原道真を追って京都の旧宅から大宰府前まで空を飛んで来たという「とびうめ」がありますが、スタバの店舗は南青山から大宰府まで空を飛んできたのでしょうか。今回は隈研吾作品が飛んできた大宰府天満宮の界隈を紹介します。

 
 
 
 
 大宰府天満宮は、西鉄の本線を二日市で大宰府線に乗り換えて終点の大宰府で下車し、西鉄線と直行する参道を東に300mほど、鳥居のところを北に曲がって北に900mほど突き当りが本殿になります。ちなみに、菅原道真が左遷されたという大宰府の都府楼跡は、天満宮の西側、天満宮と西鉄本線の都府楼駅殿中間やや都府楼駅寄りにあります。青山から飛んできたかもしれない隈研吾設計のスタバの店舗は参道を2/3くらい進んだ北側にあり、回りの土産物屋と違った独特の雰囲気を漂わせていますが、遠くから見るとガレージの天井に奇妙な木組みがぶら下がっているようにも見えます。。この参道には陶板がはめ込まれた四角で壁面に口の空いた大きな箱状のものがあり、よく見ると横に「これはゴミ箱ではありません」と書かれています、町の案内板なのでしょうか。この参道の雰囲気は、どことなく伊勢内宮のおかげ横丁にも似ているように思いますが、ずっと落ち着いて好ましい感じです。

 
 
 
 
 
 
 
 鳥居を超えて右に曲がると北野天満宮でお馴染みの牛がいて、池には赤い太鼓橋がかかっており、何処の天満宮も同じようですが、こちらは緑が多く境内も広々としています。京都の北野天満宮も広い境内に川もあって、さすがに二大天満宮です。この境内の通り道に風鈴をつるした木組みがあって、はて?どこかで見たような?先ぼ度見たスタバの木組みと質感が似てるように思いました。本殿までの道筋には、色々な碑や像があって、いわれを読んでいくだけで、結構時間がかかります。筆塚、野見宿祢碑、麒麟之像と鷽の像それに徳富蘇峰の詩碑もあります。そして本殿の庭には、樹齢が千年を越えるという飛梅が向かって右側に植えられています。京都から飛んで行ったという伝説ですが、道真に近い人たちが道真の旧宅から株分けしたのではないかと言われています。

 
 境内を東にそれて大宰府遊園地之手前を右手に折れると九州国立博物館に上る虹のトンネルと呼ばれるエスカレータの入り口があります。以前に来た時には、階段を息を切らせて上ったような記憶がありますが、かなりの標高差がある高台へ楽に登られます。この九博の建物は2005年に竣工した博物館としては特異な形で表面は回りの空を映すガラス張り屋根のカーブも独特な形をしています。設計は江戸東京博物館などを設計した菊竹清訓で、江戸博ともども変わった形の建物です。

 飛梅之話には後日談があって、飛んで行った道真の旧宅には桜と松があったのですが、道座名が植えんばかりに声をかけるために梅が飛んでいった後に枯れてしまったのだそうです。それを聞いた道真が「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と詠んだそうです。つれないと道真に咎められた松は梅の後を追って大宰府にやってきて、これを追い(老い)松と呼んで今も左手に植えられています。人間を含めてDNA検査は、親子などの血縁関係や、生まれた場所の推定などに使われるようです。膨大なDNAの情報の分類や類似性検索はコンピュータを使って解析するのでしょうが、飛梅や追い松のDNAはルーツが京都にありって、結果を出すでしょうか。

巨大な空間のパラダイス・ケーブに比べて空間は狭いものの水の存在が変化を持たせるフォンニャ・ケーブも見逃せません(ベトナム)

2023-03-19 08:00:00 | 世界遺産
 ベトナムの中北部の内陸に、ちょっと足の便は悪くても一軒の価値のある巨大な鍾乳洞があるのがフォンニャ・ケバン国立公園でした。前回はいくつかの洞窟の中からパラダイス・ケーブを紹介しましたが、今回はフォンニャ・ケーブを紹介します。

 パラダイス・ケーブは、山の中腹に開いた入口から入り、内部は巨大な空間でしたが、内部に川や池などはありませんでした。一方、今回紹介するフォンニャ・ケーブは、内部空間はパラダイス・ケーブほど広くはありませんが、内部に川が流れ、観光客が入洞できる洞窟のなかでは、長さが最大の洞窟です。観光には、フォンニャ村の中心地近くの乗船場から10人程度が乗れる船に乗ってソン川を30分ほどさかのぼったところにある入口から船のまま入洞します。ソン川の支流がフォンニャ洞窟から流れ出ているからです。

 
 
 ソン川を遡上するときには船外エンジンで騒音を立てて進みますが、洞窟の入り口まで来ると、船頭さんがオールで船を進めますから、洞窟の中でやかましくて仕方がないということにはなりません。ただ、10人ほどを乗せた船を進める女性の船頭さんが重労働だなっという感じがしました。川をさかのぼる途中には宿泊した民宿の川からの眺めが見られたり、川沿いに掲げられたフォンニャの宣伝看板などが眺められます。

 
 
 
 
 
 フォンニャ洞窟の入り口は、切り立った山が川に落ち込む断崖の麓に小さな口を開けています。パラダイス・ケーブに比べて内部空間の広がりは小さいものの、下部の水面が鏡の役割をするので、狭さはあまり感じません。何より楽なのは、船に座っていて景色が楽しめ、戻ってくる時間を気にしなくていいからです。

 
 
 
 ただ、最後に戻る途中の入口の手前で、いったん船から降りて少し洞窟の中を歩きますが、さほどの距離ではないので時間を気にする必要はありませんでした。

 鍾乳洞は、炭酸カルシュウムの石灰岩が雨によって溶け出して穴が開いたものです。石灰岩といえば、鉄筋コンクリートの主原料のセメントは石灰岩を焼いて作るわけで、雨水に浸食される恐れがあることになります。さすがに建物の場合は、鍾乳洞のように穴があくまでには至らなくても、アルカリ性のコンクリートが中性化して中の鉄筋がさびてしまい、建物強度が損なわれます。検査にはX線で画像診断をするのではないかと思います。一方、人間では鉄筋に相当するところがカルシュウムでできた骨ですが、年とともに骨粗しょう症でもろくなることがあります。診断には弱いX線を当てて画像診断をするようですが、鉄筋も骨も診断にはコンピュータのAIが使われているのではないでしょうか。

青山通りをはさんだ青山界隈には個性的な建築が数多くあって、ちょっとした建物博物館です

2023-03-12 08:00:00 | 日本の町並み
 世界遺産の宗像大社の近くにあって街道筋の宿場町の面影を濃く残す町が旧赤間宿でした。赤間宿が生んだ出光佐三が創建した企業が出光興産ですが、出光のアポロマークは、どこかで見たようなと思ったら岡本太郎が作った大阪万博の太陽の塔にある顔の横顔の部分に似ているようにも思えます。今回は、その岡本太郎記念館もあり、個性的な建物が多い赤間の赤から青の青山界隈を紹介します。

 
 
 
 岡本太郎記念館があるのは、地下鉄銀座線が通る青山通りから南東に500mほど、南青山と呼ばれる一帯です。岡本太郎が84歳で亡くなるまで40年以上住み続けたアトリエ兼住宅の跡で、戦前に両親と暮らした邸宅があった土地です。旧宅は繊細で消失しましたが、その跡地にル・コルビュジェの弟子であった板倉純増設計によるユニークな建物が建てられています。天井の高いアトリエ跡にも庭にも太郎の作品が所狭しと並べられています。

 
 ク・ド・ムーロン設計のプラダブティック青山店のビルは異彩を放っています。ひし形の骨組みにガラスをはめ込んだトラス構造で、無機質な感じがします。トラス構造は、鉄橋などによく使われる技法ですが、建物に使うと形が歪みにくいために、かえって地震に弱いとされています。このために、プラダ・ビルでは、ビル全体を免振装置で支えているそうです。

 
 
 同じひし形構造でも木組みでできたビルがサニーヒルズ南青山です。プラダビルから左に曲がって北東方向に300mほど行ったところにある隈研吾設計の3階建ての建物です。都会に森を作るというコンセプトで作られたビルは、全体を組木格子で作られ、周辺の街並みとは異質な感じがします。内部では台湾のパイナップルケーキを試食して購入でき、お値段は少々高めですが、待ち行列ができる繁盛ぶりです。お値段のうちには、このビルの拝観料が含まれているのかもしれません。

 表参道界隈には、同じ隈研吾設計のドーリック南青山や同潤会アパートの跡地に建った表参道ヒルズをはじめ、丹下健三設計の国連大学ビル、中央を絞ったようなAOビルなど建物好きの人は一日いても飽きない場所かもしれません。

 青山や銀座には外国のブランド店が軒を連ね、目抜き通りを乗っ取られたような感じで、ここは日本なのか疑いたくなります。、ブランド品で問題となるのが偽物で、最近は商品にICタグがつけられるようになったようです。このICタグは書き換えられない固定のIDを記録できる安価な使い捨てICで、製品の追跡などに使えます。このICを本物の製品に埋め込み偽物と区別しようというんのです。ただ、このICは消費者が購入後も追跡可能なのでプライバシーに問題がある恐れがあり、諸刃の太刀のようです。

フォンニャ洞窟への観光の入り口に位置するドンホイは、ビーチリゾートで、冬に行くと人の気配が無く、次は夏に行きたいところです(ベトナム)

2023-03-05 08:00:00 | 世界の町並み
 ベトナムの山の中の小さな村が、村はずれに巨大な鍾乳洞が発見されて世界遺産に登録され、その名前が世界に知られるようになった村がフォンニャでした。しかしフォンニャ洞窟は有名になりましたが、フォンニャ村はまだまだ静かな山奥の村に過ぎないようです。フォンニャの洞窟群をじっくり見学する人や、田園ののんびりした時間を過ごしたい人以外は滞在する観光客はあまりいなく、日本人は皆無に近いようです。代表的なフォンニャの洞窟の見学者は、空港のある海岸近くのドンホイからツアーで往復するようです。今回は、フォンニャ洞窟の実質的な観光基地のドンホイを紹介します。

 

 ドンホイは、ベトナムの首都のハノイの南00kmほど、飛行機で1時間ほどの海に面した人口15万人ほどの地方都市です。人口15万人というと武蔵野市くらいの都市なのですが、周辺に空港がないためか空港があって、到着出発併せて1日に14便も飛んでいて、将来は国際空港化する予定ですから、日本の地方空港顔負けですが、世界遺産のおかげでしょうか。ただ、このドンホイでも日本人観光客の顔はほとんど見かけず、ハノイからの飛行機で日本語のできる現地の人から、珍しがられました。日本人がフォンニャ洞窟に行く日本語ツアーは日本人にお馴染みのフエを起点とするもので、バスの移動だけで往復6~8時間もかかり、1か所の洞窟だけ見てでさっさと見て引き上げるようです。

 
 
 後で調べてみたら、ドンホイはビーチリゾートの観光地のようでした。筆者が訪問しのは真冬で、かつ異常気象だったのか日本と同じくらいの寒さでした。泊まったホテルも冷房はあっても、暖房が無かったのでは思われる寒さでした。曇天の浜辺は人の気配がなく、沖の方で白波が砕けていました。ビーチのそばには、多くのホテルが立ち並びますが、コロナのあおりを受けたのでしょうか、工事の途中で放棄されたと思われる建物もありました。寒空の中を散歩したところをいくつか紹介しましょう。

 
 
 
 
 地図でドンホイを見ると町の中心に函館の五稜郭のような要塞があります。こちらは変形四角形というか八角形とも取れ、なかなか個性的な水路を備えたシタデルです。ただし、五稜郭のような展望台は無いので、地上からでは仁徳陵墓のように折れ曲がった掘割が続くのが見えるだけです。参考に、Googleから衛星写真をお借りして載せました。要塞の内部は公的な建物ばかりのようで、市庁舎や裁判所などの役所や、博物館、ホーチミン記念公園には群像とその後方には記念寺院もあります。要塞としての遺構は、水路沿いに作られたレンガ米の一部や水路の石橋の先に城門があるくらいです。

 
 
 
 博物館は残された城門を入ってすぐのところで、入場無料でしたが、ベトナムの生活の歴史や、ベトナム戦争関連の展示が盛りだくさんです。建物も立派だし、入ってすぐのホールの中央には巨大なレリーフが飾られています。オフシーズンだったせいなのでしょうか、入場者にあまり会わなかったのは寶の持ち腐れのように思いました。


 
 
 
 この博物館と対向する西側に広い場所を取っているのがホーチミン公園で、突き当りにはホーチミンを中心にした巨大な群像と両脇にはレリーフ状の群像で、こちらは裏側にも群像が彫られています。裏側にあるお寺は、中国風で、孔子廟を思わせますが、大きな梵鐘で日本を感じる面もありました。

 
 
 
 シタデルから北へ海岸沿いに散歩をすると、ニヤットレ川の河口付近には漁港が広がり、四つ手網のようなものもあります。海岸のそばではなく、少し奥まった丘の上に灯台があったりします。さらにベトナム戦争で破壊された教会の残骸もあり、ベルリンの同じような残骸を思い出します。下降の先まで行くと、やはりベトナム戦関連の記念碑が建っています。資料が無くてあまりはっきりは分からないのですが、ドンホイ出身のベトナム戦で戦死したチュオン・パッフをたたえるもののようです。この記念碑の向こうを米軍の爆撃機ではなく、ドンホイ空港に向かうエアバスの旅客機が横切っていきました。

 五稜郭やドンホイのシタデルは星形要塞と呼ばれ、火砲に対する防御力を高めるため15世紀にイタリアで作られるようになった要塞の形式だそうです。鋭角的に突き出た部分が死角を無くするという発想でしたが、新選組の一部が立てこもって明治政府軍と戦った函館戦争では落城してしまいました。落城にはいろんな理由があったのでしょうが、完全な防衛というの難しいということでしょうか。コンピュータシステムも種々の街亭にさらされ、防衛のためにファイアウォールやウィルスチェッカーなどありますが、最新の防衛システムが装備されていると思われる公的な機関のサーバーが乗っ取られて話題になります。完ぺきというのは難しいし、最後はシステムを扱う人間之問題かもしれません。