東京の繁華街の青山に突如として現れる森が隈研吾設計のサニーヒルズ南青山でした。このサニーヒルズ南青山と同じような木組みの店舗が遠く離れた九州の太宰府天満宮の参道にあります。スターバックスの大宰府店です。太宰府天満宮には、菅原道真を追って京都の旧宅から大宰府前まで空を飛んで来たという「とびうめ」がありますが、スタバの店舗は南青山から大宰府まで空を飛んできたのでしょうか。今回は隈研吾作品が飛んできた大宰府天満宮の界隈を紹介します。
大宰府天満宮は、西鉄の本線を二日市で大宰府線に乗り換えて終点の大宰府で下車し、西鉄線と直行する参道を東に300mほど、鳥居のところを北に曲がって北に900mほど突き当りが本殿になります。ちなみに、菅原道真が左遷されたという大宰府の都府楼跡は、天満宮の西側、天満宮と西鉄本線の都府楼駅殿中間やや都府楼駅寄りにあります。青山から飛んできたかもしれない隈研吾設計のスタバの店舗は参道を2/3くらい進んだ北側にあり、回りの土産物屋と違った独特の雰囲気を漂わせていますが、遠くから見るとガレージの天井に奇妙な木組みがぶら下がっているようにも見えます。。この参道には陶板がはめ込まれた四角で壁面に口の空いた大きな箱状のものがあり、よく見ると横に「これはゴミ箱ではありません」と書かれています、町の案内板なのでしょうか。この参道の雰囲気は、どことなく伊勢内宮のおかげ横丁にも似ているように思いますが、ずっと落ち着いて好ましい感じです。
鳥居を超えて右に曲がると北野天満宮でお馴染みの牛がいて、池には赤い太鼓橋がかかっており、何処の天満宮も同じようですが、こちらは緑が多く境内も広々としています。京都の北野天満宮も広い境内に川もあって、さすがに二大天満宮です。この境内の通り道に風鈴をつるした木組みがあって、はて?どこかで見たような?先ぼ度見たスタバの木組みと質感が似てるように思いました。本殿までの道筋には、色々な碑や像があって、いわれを読んでいくだけで、結構時間がかかります。筆塚、野見宿祢碑、麒麟之像と鷽の像それに徳富蘇峰の詩碑もあります。そして本殿の庭には、樹齢が千年を越えるという飛梅が向かって右側に植えられています。京都から飛んで行ったという伝説ですが、道真に近い人たちが道真の旧宅から株分けしたのではないかと言われています。
境内を東にそれて大宰府遊園地之手前を右手に折れると九州国立博物館に上る虹のトンネルと呼ばれるエスカレータの入り口があります。以前に来た時には、階段を息を切らせて上ったような記憶がありますが、かなりの標高差がある高台へ楽に登られます。この九博の建物は2005年に竣工した博物館としては特異な形で表面は回りの空を映すガラス張り屋根のカーブも独特な形をしています。設計は江戸東京博物館などを設計した菊竹清訓で、江戸博ともども変わった形の建物です。
飛梅之話には後日談があって、飛んで行った道真の旧宅には桜と松があったのですが、道座名が植えんばかりに声をかけるために梅が飛んでいった後に枯れてしまったのだそうです。それを聞いた道真が「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と詠んだそうです。つれないと道真に咎められた松は梅の後を追って大宰府にやってきて、これを追い(老い)松と呼んで今も左手に植えられています。人間を含めてDNA検査は、親子などの血縁関係や、生まれた場所の推定などに使われるようです。膨大なDNAの情報の分類や類似性検索はコンピュータを使って解析するのでしょうが、飛梅や追い松のDNAはルーツが京都にありって、結果を出すでしょうか。
大宰府天満宮は、西鉄の本線を二日市で大宰府線に乗り換えて終点の大宰府で下車し、西鉄線と直行する参道を東に300mほど、鳥居のところを北に曲がって北に900mほど突き当りが本殿になります。ちなみに、菅原道真が左遷されたという大宰府の都府楼跡は、天満宮の西側、天満宮と西鉄本線の都府楼駅殿中間やや都府楼駅寄りにあります。青山から飛んできたかもしれない隈研吾設計のスタバの店舗は参道を2/3くらい進んだ北側にあり、回りの土産物屋と違った独特の雰囲気を漂わせていますが、遠くから見るとガレージの天井に奇妙な木組みがぶら下がっているようにも見えます。。この参道には陶板がはめ込まれた四角で壁面に口の空いた大きな箱状のものがあり、よく見ると横に「これはゴミ箱ではありません」と書かれています、町の案内板なのでしょうか。この参道の雰囲気は、どことなく伊勢内宮のおかげ横丁にも似ているように思いますが、ずっと落ち着いて好ましい感じです。
鳥居を超えて右に曲がると北野天満宮でお馴染みの牛がいて、池には赤い太鼓橋がかかっており、何処の天満宮も同じようですが、こちらは緑が多く境内も広々としています。京都の北野天満宮も広い境内に川もあって、さすがに二大天満宮です。この境内の通り道に風鈴をつるした木組みがあって、はて?どこかで見たような?先ぼ度見たスタバの木組みと質感が似てるように思いました。本殿までの道筋には、色々な碑や像があって、いわれを読んでいくだけで、結構時間がかかります。筆塚、野見宿祢碑、麒麟之像と鷽の像それに徳富蘇峰の詩碑もあります。そして本殿の庭には、樹齢が千年を越えるという飛梅が向かって右側に植えられています。京都から飛んで行ったという伝説ですが、道真に近い人たちが道真の旧宅から株分けしたのではないかと言われています。
境内を東にそれて大宰府遊園地之手前を右手に折れると九州国立博物館に上る虹のトンネルと呼ばれるエスカレータの入り口があります。以前に来た時には、階段を息を切らせて上ったような記憶がありますが、かなりの標高差がある高台へ楽に登られます。この九博の建物は2005年に竣工した博物館としては特異な形で表面は回りの空を映すガラス張り屋根のカーブも独特な形をしています。設計は江戸東京博物館などを設計した菊竹清訓で、江戸博ともども変わった形の建物です。
飛梅之話には後日談があって、飛んで行った道真の旧宅には桜と松があったのですが、道座名が植えんばかりに声をかけるために梅が飛んでいった後に枯れてしまったのだそうです。それを聞いた道真が「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と詠んだそうです。つれないと道真に咎められた松は梅の後を追って大宰府にやってきて、これを追い(老い)松と呼んで今も左手に植えられています。人間を含めてDNA検査は、親子などの血縁関係や、生まれた場所の推定などに使われるようです。膨大なDNAの情報の分類や類似性検索はコンピュータを使って解析するのでしょうが、飛梅や追い松のDNAはルーツが京都にありって、結果を出すでしょうか。