迎賓館があって華やかなイメージがありますが、一方ではお岩稲荷がひっそりとあるのも四谷でした。この四谷の駅は、いまだに方向感を失う場所の一つです。JRと地下鉄が交差する駅ですが、双方の東京駅方向への電車が、はど反対方向に向かって走って行くからです。この原因は、主にJR側にあって、新宿と東京間で路線が大きなS字を描いていて、東京に向け東に走っていると思っていた線路は、四ツ谷駅では、ほぼ北を向いて走っています。方向感だけでなく、JRの路線には、いろいろとエッと思う所があり、道場駅もその一つかもしれません。この道場駅は、東海道線でも山陽線でもない、福知山線の駅ですが、神戸市内の駅なのです。今回は、この道場駅周辺を紹介します。
道場は、神戸市北区の一地域で、最近は高速道路の工事で橋桁が落下して下の道路を塞いだことで有名になりました。道場の街並みは、JR福知山線の道場駅付近ではなく、そこから4kmほど離れている、神戸電鉄の道場駅や道場南口駅付近になります。この神戸電鉄は神戸の市街地に通じる私鉄ですが、全国でも指折りの高額運賃ですが、競合路線がありませんでした。ところが、福知山線が複線電化され、道場と隣接の三田から大阪の中心地まで40分ほどで行けるようになり、人の流れが変わってしまったようです。この三田と温泉地の有馬を結び道場を経由する国鉄路線が戦前まであったそうですが、ほとんど知る人は居なくなってしまったようです。
脱線ついでに、この神戸市道場と三田市に校区域がまたがる八景中学という学校がありました。公立ですが市立ではなく、両市が設立した組合立でした。現在は、神戸市側に新しい中学ができ、八景中は三田市立となっているようです。
道場の名前は、かつてお寺の道場があり、寺内町を形作っていたことからの命名だそうです。現在の街並みは、交通の要害としての宿場町の名残です。高速道路の工事の事故も、この地が交通の要という歴史的な位置関係からでしょうか。ただ、新しい道路などは、古い町並みから離れた場所を通るため、街並みの雰囲気は壊されずに済んでいます。
街並みは、土蔵づくりや格子の並ぶ家並ですが、その中に袖看板のあるオフィスがあり、大阪で古民家風のオフィスを使うコニシを思い出しました。
土塀あり蔵があり、村の鎮守のような神社ありで、かつてはどこにでもあった風景ですが、少なくなってしまった風景のような気がします。街並みのはずれには、現在では保守が大変でと、ほとんどがトタン葺きになってしまった、藁葺きの大屋根の農家も残されていました。
神戸電鉄の料金が大会理由として、山岳鉄道並みの急勾配で電力を消費し、車両も痛むというものでした。最高の勾配は50パーミル(1000mで50m上る勾配)というもので、急勾配として知られていた碓氷峠が67パーミルなので、いかに急坂かがわかると思います。今から60年ほども昔から、当時としては珍しかったと思う発電ブレーキで、終点の湊川に着くと、床下からムーッと熱気が上がっていました。現在では、下りのエネルギを熱に変えるのではなく、変電所に戻す回生ブレーキを使っているはずで、電気の消費が大きいので、料金が高いというシナリオは消えたと思うのですが。
道場は、神戸市北区の一地域で、最近は高速道路の工事で橋桁が落下して下の道路を塞いだことで有名になりました。道場の街並みは、JR福知山線の道場駅付近ではなく、そこから4kmほど離れている、神戸電鉄の道場駅や道場南口駅付近になります。この神戸電鉄は神戸の市街地に通じる私鉄ですが、全国でも指折りの高額運賃ですが、競合路線がありませんでした。ところが、福知山線が複線電化され、道場と隣接の三田から大阪の中心地まで40分ほどで行けるようになり、人の流れが変わってしまったようです。この三田と温泉地の有馬を結び道場を経由する国鉄路線が戦前まであったそうですが、ほとんど知る人は居なくなってしまったようです。
脱線ついでに、この神戸市道場と三田市に校区域がまたがる八景中学という学校がありました。公立ですが市立ではなく、両市が設立した組合立でした。現在は、神戸市側に新しい中学ができ、八景中は三田市立となっているようです。
道場の名前は、かつてお寺の道場があり、寺内町を形作っていたことからの命名だそうです。現在の街並みは、交通の要害としての宿場町の名残です。高速道路の工事の事故も、この地が交通の要という歴史的な位置関係からでしょうか。ただ、新しい道路などは、古い町並みから離れた場所を通るため、街並みの雰囲気は壊されずに済んでいます。
街並みは、土蔵づくりや格子の並ぶ家並ですが、その中に袖看板のあるオフィスがあり、大阪で古民家風のオフィスを使うコニシを思い出しました。
土塀あり蔵があり、村の鎮守のような神社ありで、かつてはどこにでもあった風景ですが、少なくなってしまった風景のような気がします。街並みのはずれには、現在では保守が大変でと、ほとんどがトタン葺きになってしまった、藁葺きの大屋根の農家も残されていました。
神戸電鉄の料金が大会理由として、山岳鉄道並みの急勾配で電力を消費し、車両も痛むというものでした。最高の勾配は50パーミル(1000mで50m上る勾配)というもので、急勾配として知られていた碓氷峠が67パーミルなので、いかに急坂かがわかると思います。今から60年ほども昔から、当時としては珍しかったと思う発電ブレーキで、終点の湊川に着くと、床下からムーッと熱気が上がっていました。現在では、下りのエネルギを熱に変えるのではなく、変電所に戻す回生ブレーキを使っているはずで、電気の消費が大きいので、料金が高いというシナリオは消えたと思うのですが。