世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

宿場町の遺構の中に神戸市内とは思えない藁葺きの農家もある道場です

2016-08-28 08:00:00 | 日本の町並み
 迎賓館があって華やかなイメージがありますが、一方ではお岩稲荷がひっそりとあるのも四谷でした。この四谷の駅は、いまだに方向感を失う場所の一つです。JRと地下鉄が交差する駅ですが、双方の東京駅方向への電車が、はど反対方向に向かって走って行くからです。この原因は、主にJR側にあって、新宿と東京間で路線が大きなS字を描いていて、東京に向け東に走っていると思っていた線路は、四ツ谷駅では、ほぼ北を向いて走っています。方向感だけでなく、JRの路線には、いろいろとエッと思う所があり、道場駅もその一つかもしれません。この道場駅は、東海道線でも山陽線でもない、福知山線の駅ですが、神戸市内の駅なのです。今回は、この道場駅周辺を紹介します。

 道場は、神戸市北区の一地域で、最近は高速道路の工事で橋桁が落下して下の道路を塞いだことで有名になりました。道場の街並みは、JR福知山線の道場駅付近ではなく、そこから4kmほど離れている、神戸電鉄の道場駅や道場南口駅付近になります。この神戸電鉄は神戸の市街地に通じる私鉄ですが、全国でも指折りの高額運賃ですが、競合路線がありませんでした。ところが、福知山線が複線電化され、道場と隣接の三田から大阪の中心地まで40分ほどで行けるようになり、人の流れが変わってしまったようです。この三田と温泉地の有馬を結び道場を経由する国鉄路線が戦前まであったそうですが、ほとんど知る人は居なくなってしまったようです。

 脱線ついでに、この神戸市道場と三田市に校区域がまたがる八景中学という学校がありました。公立ですが市立ではなく、両市が設立した組合立でした。現在は、神戸市側に新しい中学ができ、八景中は三田市立となっているようです。


 道場の名前は、かつてお寺の道場があり、寺内町を形作っていたことからの命名だそうです。現在の街並みは、交通の要害としての宿場町の名残です。高速道路の工事の事故も、この地が交通の要という歴史的な位置関係からでしょうか。ただ、新しい道路などは、古い町並みから離れた場所を通るため、街並みの雰囲気は壊されずに済んでいます。


 
 
 
 街並みは、土蔵づくりや格子の並ぶ家並ですが、その中に袖看板のあるオフィスがあり、大阪で古民家風のオフィスを使うコニシを思い出しました。
土塀あり蔵があり、村の鎮守のような神社ありで、かつてはどこにでもあった風景ですが、少なくなってしまった風景のような気がします。街並みのはずれには、現在では保守が大変でと、ほとんどがトタン葺きになってしまった、藁葺きの大屋根の農家も残されていました。


 神戸電鉄の料金が大会理由として、山岳鉄道並みの急勾配で電力を消費し、車両も痛むというものでした。最高の勾配は50パーミル(1000mで50m上る勾配)というもので、急勾配として知られていた碓氷峠が67パーミルなので、いかに急坂かがわかると思います。今から60年ほども昔から、当時としては珍しかったと思う発電ブレーキで、終点の湊川に着くと、床下からムーッと熱気が上がっていました。現在では、下りのエネルギを熱に変えるのではなく、変電所に戻す回生ブレーキを使っているはずで、電気の消費が大きいので、料金が高いというシナリオは消えたと思うのですが。

パリに近いプロヴァンは、中世の街並みや花がいっぱいの街並みが綺麗です(フランス)

2016-08-21 08:00:00 | 世界遺産
 ローマ以外で唯一、教皇庁がおかれた町が南仏のアヴィニョンでした。アヴィニョンは、フランスのコートダジュールやプロヴァンスへの入り口として、南仏の観光拠点的な都市の一つにもなっています。プロヴァンスといえば、当然南仏ですが、パリの近くにプロヴァンという、紛らわしい名前の町があります。南仏のプロヴァンス地方は、それ自体では世界遺産には登録されていませんが、プロヴァンは中世市場都市プロヴァンという登録名の世界遺産になっています。今回は、パリから日帰りで行ける中世の趣が残るプロヴァンを紹介します。

 プロヴァンは、パリ市街の南東80km足らずの町で、パリ東駅からローカルのディーゼルカーで1時間半ほどの距離にあります。市街は、プロヴァン駅の西北西に幅1km、長さ1.5km程度の広がりを見せていて、西北の半分ほどは丘陵地帯で、その半分ほどは城壁に囲まれています。丘の上は旧市街、下は新市街ですが、新市街といっても、旧市街より生活の匂いがするだけで、こちらも中世風の趣のある街並みが続いています。この旧市街では、年に一度中世祭りが開かれており、町中が中世に先祖返りしてしまうようです。当日は、町への入場料が必要なのですが、中世の衣装を着ていると割引になるとか、中世の衣装かどうかは、どう判断するのでしょうか。

 
 
 
 
 
 旧市街のシンボルはセザール・タワーで、丘の端、新市街よりに建っているので、タワーに上れば、サン・キリアス教会のドームの向こうに新市街がよく見えます。逆方向は、丘の上の旧市街があって、その向こうには緑の平原が続いています。ハーフティンバーの旧市街の街並みを、北西方向に歩くと、堂々たる城壁に突き当たります。いくつかの城門があり、外に回ると空堀状になっていて、そちら側から見ると城壁はさらに高くそびえて見えます。

 
 
  
 
 一方の、丘の下の新市街ですが、新といっても、石畳の道の両側に建つ家並は、商店が多いものの、どこかの国のように調和を乱すような建物はありません。ハーフティンバーの家もかなりあります。なないより、風景を綺麗にしているのは、町中に花があふれていることで、メインストリートには花壇は当たり前でポールの途中にフラワーバスケットがあります。小さなクリークの橋や、川辺にも沢山のコンテナ植えなどの花がいっぱいです。バラの町として知られ、バラを使ったお菓子も作られているようですが、十字軍遠征の時にもたらされたプロバンのバラは、地味すぎて造園家などでしか見られないそうです。

 プロヴァンは、東京から小田原に行くぐらいの距離なのですが、有名な日本のガイドブックにも詳しくは紹介されていません。危うく、旧市街を見落としてしまうところでした。日本人の姿も見かけないのですが、驚いたのはパッケージツアーの一行がパリからの列車に乗っていたことです。通常、パッケージツアーというと、貸し切りバスで乗り付けて、観光対象をピンポイントで見て、さ~っと引き上げるのが普通です。なにか、特別のテーマ(歩いて回る世界遺産とかなんとか)があって、それが売りのツアーなのでしょうか。

 プロヴァンへのフランス国鉄はTGVの国には珍しく、途中から非電化単線です。フランスでは、かなり田舎っぽいところでも、電車が走っているので、首都近郊にしては、ちょっと意外でした。フランスやイギリスの田舎に行くと、銀座線、丸ノ内線それに御堂筋線などで使われている第三軌条による電車が走っていて驚きます。架線を張るよりもコストがかからないので、ローカル線を電化する上でメリットがあるのでしょう。しかし、人が簡単に立ちることができる、地上部に600Vほどの電気が流れる3本目のレールが敷かれていて、かなり危険です。しかし、この電気に触れて感電死をしたという子供の話は、あまり聞きません。親たちが、子供に危険をちゃんと教える風土があるのでしょうね。どこかの国のように、親の義務を果たさないで、なんでも他人のせいにしてしまう風土とはだいぶ違うようです。

四谷の若葉のたい焼きはおいしいですが、迎賓館に持ち込んで食べることはできません

2016-08-14 08:00:00 | 日本の町並み
 かつては流れの速い水道が、川となり、島の麓とにあったお寺の門前町にあった藤戸饅頭は地域の名物でした。地域の名物といえば、東京の三大たい焼きというのをご存知でしょうか。人形町の柳屋、麻布十番の浪花家総本店そして四谷の若葉です。どちらの店も、行列が絶えないようですが、筆者は、かつて通っていた語学教室の近くの若葉によく行きます。今回は、若葉もある四ツ谷駅の西寄りの町並みを紹介します。

 
 若葉は、四ツ谷駅から新宿通りを新宿方向に5分ほど歩いて、細い道を左に入った住宅街の中にあります。近くの電柱を見ると、住居表示が若葉になっていて、店の名前は地名そのものです。他の2つは商店街の中にありますが、若葉の周りは普通の住宅街で、そこだけに忽然と行列が出現します。英会話の教室に通ってる頃は、土曜日の午後でしたが、多くても10人足らずの行列で、ほとんど無といった日もありましたが、最近は行列が店の正面から横の通りまで折れ曲がっていて驚きます。店の中で、たい焼きを食べることもでき、セルフサービスのお茶もふるまわれています。クラスメートを誘って食べに行き、長居を注意されたものです。(たい焼きの画像は、若葉のHPから拝借しました)



 
 
 
 
 迎賓館の内部は、5つの広間を中心に参観できます。各部屋ではボランティアガイドの方が質問に答えてくれるので、パンフレットに書かれていないことも解ります。ヴェルサイユに倣ったという装飾は、本家に比べるとやや小ぶりですが、なかなか華麗です。迎賓館として使うこともあって、手入れが行き届いていますが、かつてサミットで使われたフランスのお城は、掃除をしているのか疑いたくなるほど、汚れていました。国民性の違いでしょうか、日本では宮殿や寺院など、綺麗に掃除が行き届いていますが、フランスなどでは、埃だらけの所が多かったようです。駅の方から見える建物は、北側が見えているわけで、当然ながら逆光になります。天気の良い日には、噴水のある側から見る建物のほうが、輝いていて、より一層華麗に見えます。

 
 
 四谷といえば、思い出すのは四谷怪談ではないでしょうか。季節は、ちょうどお盆ですから、なおさらかもしれません。四ツ谷駅から西へ、若葉を通り越して500mほど、地下鉄の四谷三丁目の駅とJR信濃町を結ぶ通りの近くに於岩稲荷があります。もともと、お岩さんの実家の田宮家の屋敷社であったところへ、お岩さんを合祀したものだそうです。舞台などで、四谷怪談を上演する前には、お社にお参りをしないと祟りがあるとの話もありますが、モデルはあったようですが、そもそもが鶴弥南北のフィクションのキャラクタです。また、於岩稲荷は新宿区の四谷にありますが、元の話は豊島区雑司ヶ谷の四谷なのだそうです。

 
 
 
 ただ、この於岩稲荷周辺は、住宅街の中に神社やお寺が数多く集まっています。実験動物を供養する蟇塚のある笹寺、荻原宗固の墓がある本性寺、葬頭河(しょうつか)婆の石像がある勝興寺、三十六歌仙の絵がある須賀神社などなど。

 お岩さんは幽霊(人間由来)、塗り壁や一反木綿はお化け(モノや動物由来)、鬼太郎は妖怪(理解しがたい存在)といったところでしょうか。ただ、それぞれが、どう違うのかは、諸説あるようです。コンピュータで、表示される文字が判読できなくなるのもお化け(文字化け)の一種なんでしょうか。幽霊は、死後の世界を、どのように考えるか、霊魂の存在を認めるのか、などなど、宗教も巻き込んでの議論になります。この、霊の存在について、宗教とは切り離して、自然科学の手法で研究する人も多いそうで、電気分野の人が多いと聞いたことがあります。電気は、発見されるまでは、目に見えないため、概念すら存在し無かったわけで、霊という概念と似ているというわけです。将来には、、霊とは違った、全く新しい概念の存在が発見されるかもしれません。

釜山はレジャーも食べ物も海の幸であふれているようです(韓国)

2016-08-07 08:00:00 | 世界の町並み
 ドイツ、台湾と温泉の紹介が続きましたが、お隣の韓国にも温泉文化があります。あかすりや汗蒸幕が有名で、ソウルなどでは、観光客相手の高級な温泉施設もあるようです。天然温泉もソウル近郊や大田近郊それに釜山近郊などにあります。今回は、その中の釜山を紹介しますが、筆者が行ったのは、天然温泉に行く時間がなく、釜山市内のスーパー銭湯風の施設でした。

 釜山は、韓国の南東端韓国第2の都市で人口350万人近くの大都市です。福岡から200kmほど、水中翼船で3時間足らずという距離です。東京から200km圏といえば静岡あたりで、東京から飛行機で飛んでも、福岡とほぼ同じ距離、それほどの近さです。成田や釜山の国際空港へのアクセスを考えると、飛んでる時間より、地上を這ってる時間のほうが長いのではないかと思います。しかし、そこは日本とは違う国で、言葉も文化も違うようです。

 釜山の天然温泉は、釜山の市街地から北に10kmほど、地下鉄に温泉地という最寄り駅まであります。マグネシュウム含有の弱アルカリ泉だそうです。一方、筆者が行ったのは、市街地の中のスーパー銭湯のような施設で、地下深くからくみ上げた海水を加温した温泉です。入っていたのは、アメリカ兵と思しきグループをのぞけば、地元っちばかりだったようで、そのためか日本の銭湯並みの料金だったように思います。本場のあかすりも経験してみましたが、驚いたのは、あかすりをやってくれる人たちも裸(むろん男性)だったことです。

 
 
 
 釜山では、天気があまり良くなかったのですが、海雲台というリゾート地に行って遊覧船に乗り水族館に入りました。遊覧船は1時間くらいの乗船で、五六島という名所までを往復します。この五六島は、「釜山港に帰れ」の歌詞にも登場するところだそうです。雨で、景色はいまいちでしたが、思いのほか乗船者数は多かったようです。水族館は、Sealife釜山アクアリウムという名称で、建物の多くが地下化されているので、あまり目立ちませんが、韓国を代表する本格的な水族館です。代表するだけあって、入場料もやや高めに設定されていますが、多くの親子連れでにぎわっていました。

 
 この海雲台で、昼食を食べたのですが、これが驚き、観光地のちょっと高めの程度のランチの料金でしたが、メインンお料理が出る前に前菜のちじみ、スープそれに動いているタコやホヤなどの刺身などでおなかが一杯になりかけました。そして出てきたメインは、大皿に4種類の刺身がてんこ盛りされ、焼き魚も添えられていました。その後に出る予定のチゲまでは手が出ませんでした。前の海で、あがる豊富な海の幸なんでしょう。

 
 
 海の幸といえば、市街地の南の海に面したところにチャガルチの市場があります。韓国最大級の海鮮市場で、朝鮮戦争の頃に露店で始まったものが、1970年にビルが建てられ、現在のように巨大な市場となったそうです。ビルといっても、吹き抜けのピロティ風のもので、そこの床にずらりと商品が並べられています。な団などは分かりませんでしたが、おそらく沿い分と安いのでしょう、多くのお客が来ていましたから。売られている魚なども、日本ではあまり見かけないようなものもあって、築地の市場めぐりと同じような楽しさがあります

 
 往路に空港から慶州に直行をしたために、釜山市内は最後の訪問になり、東大邱からKTXで釜山に移動しました。釜山の駅は、鉄道駅というより空港ターミナルといった雰囲気でしたが、乗車したKTXはフランスのTGV技術でできた初代の車両でした。新幹線に比べて細身で、山形や秋田新幹線といった狭さで、おまけに座席の向きは固定です。現在は、第2世代の車両が投入されて、少し改善されているとのことです。KTXは国際競争入札制度で建設が決められましたが、当時の日韓関係から日本勢は門前払いだったようです。KTXは動力集中方式を採用していますが、日本勢が勝っていたら分散方式の電車が走っていたかもしれません。ただ、ハードだけでなく、コンピュータ管理などのソフト面を含めた一つのシステムとして作られているので、どこかの国の高速鉄道より安心と思います。あちこちの国のハードを、あれこれとコピーをして、自国の技術だと吹聴し、統一性が無く、ソフト面がおざなりの鉄道は、やはり怖い。