歴史の古い町並みにレトロな洋館が似合うのが青森県の弘前でした。この弘前は、ル・コルビジェの弟子であった建築家の前川國男がデザインをした建物が多い町としても知られています。前川作品は、もっとも初期の作品の自邸が小金井の江戸東京建物園に移築をされていますが、上野公園には2つの前川建築があります。今回は、前川作品の東京文化会館と都立美術館のある上野公園一帯を紹介します。
上野駅は、ご存知のように、かつて国鉄時代は北への玄関口でした。広小路口の建物は、ちょっとレトロで、北への玄関口だった歴史を語っているような感じです。今回紹介する上野公園は、広小路口とは反対側の公園口から出た、丘の上一帯になります。この丘の上は、江戸時代には寛永寺の境内であったところですが、戊辰戦争で焼け野が原になり、その跡に博物館など文化施設が建てられた場所です。
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寛永寺の跡地に最初に建てられたのは博物館で、鹿鳴館の設計者のジョサイア・コンドルの設計で1881年に完成しています。レンガ造り2階建ての建物は、その後の関東大震災で大破し現存しません。現在の博物館の本館は、1937年に再建されたものです。博物館の建物の中で、最も古いものは1908年に竣工の表敬館で、本館と共に重文に指定されています。博物館の所蔵品には80点を越える国宝があり、常時20点程度の展示が行われています。Lonely Planetによれば、日本で一つだけ博物館、美術館に行くならこちらだと紹介されているようです。
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この博物館で、「恐竜の展示はどこ?」とか「パンダの骨格標本は?」と聞かれることが多いのですが、隣の科学博物館と間違って入館してくるんです。博物館だから同じだろうと思うようですが、神戸市博物館は実質的には美術館というように名前だけでは初めての人には紛らわしいのかもしれません。黎明期には、場所も名称も転々としていたようですが、1930年に現在の本館の建物が竣工し、1949年に現在の国立科学博物館の呼称となったようです。本館が重文に指定されているだけでなく、天球儀や万年時計などの展示品も重文になっています。
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さて、前川建築ですが、文化会館はJR公園口の目の前で、1961年に竣工し、東京での初の本格的なコンサートホールとして、外来のオーケストラやオペラの公演に使われています。客席は2300人ほどで、空間が広くてゆったりとした感じがします。1980年代以降に、次々とコンサートホールが作られましたが、昨年の改築を経て、当分は音響効果の良い現役のホールとして健在振りを発揮し続けるのではないでしょうか。
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前川作品のもう一つは、博物館の手前の左のやや奥まったところにある東京都美術館です。こちらも、博物館と同様に歴史は古く、日本初の公立美術館として1926年に開館をしています。それから50年ほど経って、建物の老朽化と手狭さから、新たに建物を建てることとなり、現在見られる前川國男設計の新館が1975年に竣工しています。
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前川國男の師匠のル・コルビジェの設計の建物も上野にはあって、世界遺産の候補にもなっているのが、西洋美術館です。1959年にフランスで差し押さえられていた松方コレクションが返還される時に受け皿として建てられました。松方コレクションの常設展示に加えて、特別展も多く、1964年にミロのヴィーナスが展示された時には、入館待ちの行列が西郷像まで伸びたそうです。特別展があると、常設展にしわ寄せが来るのを防ぐため、1979年には、本館の背後に新館が建てられましたが、この新館の設計者も前川國男です。さらに、本館前庭の地下に企画展示室が作られ、最近の特別展はこちらで展示されています。
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これらのコンサートホールや博物館や美術館の次世代を支える人材を育てる一翼を担っているのが博物館の隣の東京芸大かもしれません。東西に走る道路を挟んで、北側が音楽、南側が美術関連のようで、南側には付属の美術館も持っていて、外来者もかなり自由に出入りできるようです。一方の、北側は、レンガ造りの由緒ありそうな建物が塀の外から眺められるのですが、門のところには部外者お断り!とあり門衛が目を光らせています。ただ、博物館の近くにある、奏楽堂は1890年に建てられた日本初のコンサートホールで重文にも指定されていますが、演奏会のあるときには内部にも入ることができます。文化会館に比べれば、随分とこじんまりとして、設備もほとんど無い舞台と観客席だけですが、演奏される音楽もレトロに聞こえるかもしれません。
博物館などのIT化は日進月歩のようで、所蔵作品の情報を図入りで簡単に検索できるのは当たり前で、現場でのガイドも随分と使いやすくなりました。例えば、博物館のトーハクなびでは、事前にスマホにダウンロードしておけば、総合文化展(常設展)のガイドが聞け、さらに持っている人の位置を検出して、自動的にその場所のガイドが恥じます仕組みも持っています。そこまでの機能は無くても、最近のオーディオガイドは、多言語対応で、聞きたい作品の解説が、聞けます。これは、音声のメモリが小型で安くなったため、当たり前のように実現できた機能で、かつてのオーディオガイドは、一斉放送型だったために、ガイドを持った人が同じ作品の所に集中するという現象を引き起こしていました。IT技術は、一つ間違うと人殺しの手伝いをさせられることも多いのですが、文化の薫り高い分野での応用ばかりであってほしいものです。
上野駅は、ご存知のように、かつて国鉄時代は北への玄関口でした。広小路口の建物は、ちょっとレトロで、北への玄関口だった歴史を語っているような感じです。今回紹介する上野公園は、広小路口とは反対側の公園口から出た、丘の上一帯になります。この丘の上は、江戸時代には寛永寺の境内であったところですが、戊辰戦争で焼け野が原になり、その跡に博物館など文化施設が建てられた場所です。
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寛永寺の跡地に最初に建てられたのは博物館で、鹿鳴館の設計者のジョサイア・コンドルの設計で1881年に完成しています。レンガ造り2階建ての建物は、その後の関東大震災で大破し現存しません。現在の博物館の本館は、1937年に再建されたものです。博物館の建物の中で、最も古いものは1908年に竣工の表敬館で、本館と共に重文に指定されています。博物館の所蔵品には80点を越える国宝があり、常時20点程度の展示が行われています。Lonely Planetによれば、日本で一つだけ博物館、美術館に行くならこちらだと紹介されているようです。
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この博物館で、「恐竜の展示はどこ?」とか「パンダの骨格標本は?」と聞かれることが多いのですが、隣の科学博物館と間違って入館してくるんです。博物館だから同じだろうと思うようですが、神戸市博物館は実質的には美術館というように名前だけでは初めての人には紛らわしいのかもしれません。黎明期には、場所も名称も転々としていたようですが、1930年に現在の本館の建物が竣工し、1949年に現在の国立科学博物館の呼称となったようです。本館が重文に指定されているだけでなく、天球儀や万年時計などの展示品も重文になっています。
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さて、前川建築ですが、文化会館はJR公園口の目の前で、1961年に竣工し、東京での初の本格的なコンサートホールとして、外来のオーケストラやオペラの公演に使われています。客席は2300人ほどで、空間が広くてゆったりとした感じがします。1980年代以降に、次々とコンサートホールが作られましたが、昨年の改築を経て、当分は音響効果の良い現役のホールとして健在振りを発揮し続けるのではないでしょうか。
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前川作品のもう一つは、博物館の手前の左のやや奥まったところにある東京都美術館です。こちらも、博物館と同様に歴史は古く、日本初の公立美術館として1926年に開館をしています。それから50年ほど経って、建物の老朽化と手狭さから、新たに建物を建てることとなり、現在見られる前川國男設計の新館が1975年に竣工しています。
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前川國男の師匠のル・コルビジェの設計の建物も上野にはあって、世界遺産の候補にもなっているのが、西洋美術館です。1959年にフランスで差し押さえられていた松方コレクションが返還される時に受け皿として建てられました。松方コレクションの常設展示に加えて、特別展も多く、1964年にミロのヴィーナスが展示された時には、入館待ちの行列が西郷像まで伸びたそうです。特別展があると、常設展にしわ寄せが来るのを防ぐため、1979年には、本館の背後に新館が建てられましたが、この新館の設計者も前川國男です。さらに、本館前庭の地下に企画展示室が作られ、最近の特別展はこちらで展示されています。
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これらのコンサートホールや博物館や美術館の次世代を支える人材を育てる一翼を担っているのが博物館の隣の東京芸大かもしれません。東西に走る道路を挟んで、北側が音楽、南側が美術関連のようで、南側には付属の美術館も持っていて、外来者もかなり自由に出入りできるようです。一方の、北側は、レンガ造りの由緒ありそうな建物が塀の外から眺められるのですが、門のところには部外者お断り!とあり門衛が目を光らせています。ただ、博物館の近くにある、奏楽堂は1890年に建てられた日本初のコンサートホールで重文にも指定されていますが、演奏会のあるときには内部にも入ることができます。文化会館に比べれば、随分とこじんまりとして、設備もほとんど無い舞台と観客席だけですが、演奏される音楽もレトロに聞こえるかもしれません。
博物館などのIT化は日進月歩のようで、所蔵作品の情報を図入りで簡単に検索できるのは当たり前で、現場でのガイドも随分と使いやすくなりました。例えば、博物館のトーハクなびでは、事前にスマホにダウンロードしておけば、総合文化展(常設展)のガイドが聞け、さらに持っている人の位置を検出して、自動的にその場所のガイドが恥じます仕組みも持っています。そこまでの機能は無くても、最近のオーディオガイドは、多言語対応で、聞きたい作品の解説が、聞けます。これは、音声のメモリが小型で安くなったため、当たり前のように実現できた機能で、かつてのオーディオガイドは、一斉放送型だったために、ガイドを持った人が同じ作品の所に集中するという現象を引き起こしていました。IT技術は、一つ間違うと人殺しの手伝いをさせられることも多いのですが、文化の薫り高い分野での応用ばかりであってほしいものです。