良い水のふるさとが続きましたが、酒どころの灘を抱える神戸には、また違った顔もあります。南京町は横浜、長崎の中華街と並ぶ3大中華街の一つとして有名になりましたが、筆者の学生の頃は訪れる人も少なく、現在の人ごみが不思議に感じます。町じゅうの何処にでも外国人の多い神戸ですが、明治の初期に外国人が住む場所は、現在でも当時の洋館の一部が残っている海岸通に沿った居留地でした。ところが、当時の清と日本との間には条約が締結されていなかったため、清の人は居留地には住むことができませんでした。そこで、居留地近くの現在の南京町周辺に住むようになったものが南京町の基になったのだそうです。第二次大戦によって南京町も被害を受け一度衰退し、1980年代の後半になって再興のための基礎作りが行われ、現在の賑わいになったようです。
横浜の中華街に比べると200m×100m程度と規模は小さいのですが、その一画だけが日本ではないような独特の表情をした町並みを形作っています。中華料理屋さんや料理の材料を売る店、さらには中国の雑貨を置いた店などが所狭しと並び、特に元町商店街や栄町との間を結ぶ細い路地に入ると、その猥雑さが強調され、香港や台北にいるのではないかと錯覚してしまいます。
この狭い通に春節や中秋祭の時には獅子舞や龍舞が繰り出し、見物人も加わって大混雑になります。お祭りは雑踏がまた楽しいといった面もありますが、あづまやのある広場に作られた臨時の舞台で繰り広げられる中国楽器の演奏などを間近で見ようと思うと、ずいぶんと前から並んで席取りの必要があります。これらの出しの物の中でユニークなものが夜光龍です。
基本的には龍舞なのですが、夜光塗料を使って彩色され、それが舞われる時には紫外線のみを出すブラックライトを点灯させ、闇の中に龍を浮かび上がらせる演出が採られます。もちろん、夜光龍が舞うのは日没後で、広場の明かりも消された状態で始まります。闇夜に青白い光の帯が宙に舞うありさまはなかなか幻想的です。
闇夜に目立つといえば、最近の携帯電話のディスプレーの明るさもずいぶんと明るくなりました。かつては電池寿命の問題から、薄暗いものでしたが、バックライトの効率が良くなりELなども採用され、電池の効率向上もあいまって明るさがましたようです。携帯電話の時計機能は、腕時計を持つ人を減らしたように思いますが、ディスプレーのライトは、とっさのときに懐中電灯の代わりにもなるのかもしれません。
横浜の中華街に比べると200m×100m程度と規模は小さいのですが、その一画だけが日本ではないような独特の表情をした町並みを形作っています。中華料理屋さんや料理の材料を売る店、さらには中国の雑貨を置いた店などが所狭しと並び、特に元町商店街や栄町との間を結ぶ細い路地に入ると、その猥雑さが強調され、香港や台北にいるのではないかと錯覚してしまいます。
この狭い通に春節や中秋祭の時には獅子舞や龍舞が繰り出し、見物人も加わって大混雑になります。お祭りは雑踏がまた楽しいといった面もありますが、あづまやのある広場に作られた臨時の舞台で繰り広げられる中国楽器の演奏などを間近で見ようと思うと、ずいぶんと前から並んで席取りの必要があります。これらの出しの物の中でユニークなものが夜光龍です。
基本的には龍舞なのですが、夜光塗料を使って彩色され、それが舞われる時には紫外線のみを出すブラックライトを点灯させ、闇の中に龍を浮かび上がらせる演出が採られます。もちろん、夜光龍が舞うのは日没後で、広場の明かりも消された状態で始まります。闇夜に青白い光の帯が宙に舞うありさまはなかなか幻想的です。
闇夜に目立つといえば、最近の携帯電話のディスプレーの明るさもずいぶんと明るくなりました。かつては電池寿命の問題から、薄暗いものでしたが、バックライトの効率が良くなりELなども採用され、電池の効率向上もあいまって明るさがましたようです。携帯電話の時計機能は、腕時計を持つ人を減らしたように思いますが、ディスプレーのライトは、とっさのときに懐中電灯の代わりにもなるのかもしれません。