世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

トリコロール・カードで巡る神戸市内の3つの公園は、それぞれ特色があって、何度も訪れたくなります

2018-09-30 08:00:00 | 日本の町並み
 ヴォーリズの建築の中では数少ない個人宅が、市の財政や不動産屋のせいで取り壊されてマンションになってしまったのが旧室谷邸でした。この室谷邸の北側にあるのが、かつての武庫離宮を転用した須磨離宮です。今回は、この須磨離宮を含めて、神戸市内にある3つの公園を紹介します。これらの公園に1年間自由に入園できるトリコロール・カードというパスがあり四季を通じて楽しめるようになっています。

 
 
 
 我が国では、一定規模以上の宮殿を離宮、小規模のものを御用邸と呼んでいて、現用の離宮は桂離宮と修学院離宮だけです。武庫離宮はかつて存在した10の離宮の一つです。この地にあった浄土真宗第22世法主の大谷光瑞の別邸を改修して、大正初期に造営されましたが、戦災で建物は消失し、昭和42年に神戸市に移管されて須磨離宮公園となりました。公園の中心は、噴水公園で南北に長い噴水池の周りは、数多くの品種をそろえたバラ園で囲まれています。北の端は、階段があって、連続カスケードの池があり、その上にはレストランの白い建物が建っています。ここから遠くに眺める瀬戸の海はキラキラ輝いて、なかなか綺麗です。夏の一定期間は、夜間に開演され、噴水がライトアップされるのですが、も一つ地味です。東側には、旧岡崎邸を1973年に神戸市が買い取って、植物園としていて、イングリッシュ・ガーデンや和庭園それに温室などがあります。

 
 
 
 2つ目の公園は、相楽園で、神戸のど真ん中の元町駅の北西500mほどに位置します。こちらも旧御屋敷で、戦後初の民選神戸市長であった小寺謙吉の父親が建てた私邸を1941年に神戸市が譲り受けたものです。池泉式回遊庭園で、戦前には庭園内に数多くの建物がありましたが、重文の厩舎意外は戦災で焼けてしまったようです。代わりに、異人館街から移築した重文のハッサム邸や、姫路畔で使われた御座船の上部だけが垂水の私邸を経て移築復元されています。また、園内の茶室の浣心亭は戦前にあった茶室を復元したものです。さほど広くはありませんが、便利な場所にあるため、五月にはサツキを、秋には菊の花を愛でに多くの人が訪れます。

 
 
 
 3つ目は、御屋敷跡ではなく広大な植物園です。広さは142.6haで、おそらく日本一の面積の植物園の一つではないでしょうか。三宮の北5kmほどで、土日のみ運行されるバスで曲がりくねった山岳道路を40分くらい走って着きます。内部は、神戸市と姉妹都市を結んでいるシアトルや天津などの都市の名前が付いたゾーンを初め10を越えるゾーンに分かれ、さらにはさくら園やつつじしゃくなげ園など特定の花を中心としたエリアもあります。初夏に訪れると、新緑が美しく、シャクナゲの群生やハンカチノキの白い花が見られ、さほど暑くないので、広い園内を歩き回っても楽です。リピータの来園者を飽きさせないように、長谷池のそばで楽器の演奏があったり、園内のポイントに植物にまつわるクイズとヒントが掲示され、全問正解すると、賞品がもらえたりします。

 須磨離宮公園の高台からは、噴水の向こうに瀬戸内海が広がり、時折は神戸空港に発着する飛行機が飛んできます。関空、伊丹と狭いエリアに3つの空港がひしめくため、東京から神戸空港へのアクセスは、他の2つの空港の空域を避けて、明石と姫路の間を遠回りしています。また、なぜか、よほど風が強くない限り、着陸も離陸も西側から/へ向かって飛びます。2つの空港のある、東には寄らないっということでしょうか。ネットで民間航空機の飛行経路が見られるサイトがありますが、これを見ているとその様子がよく解ります。この迂回が無ければ20分ほど早く着くことができるのですが。

チュニスのメディナの迷路に迷い込むと観光客の姿は見かけなくなりますが生活をする人々の匂いがします(チュニジア)

2018-09-23 08:00:00 | 世界遺産
 首都の中央に城壁に囲まれた広大な宮殿が北京の故宮でした。北京に限らず、中国の歴代の都は外敵から町を守るために城壁のある都市が目立ちます。中国以外でも、平原にある都市では、外敵から身を守る城壁を持つ都市は多く、今回は、首都の旧市街が城壁に囲まれている都市の中からチュニジアのチュニス旧市街を紹介します。

 
 
 チュニスは、チュニジアの北部にあって、かつては地中海の入り江であったチュニス湖の西側にあります。チュニスのメインの通りはブルギバ通りで、かわいらしい路面電車のチュニスメトロが横切っています。東の端にはブルギバ初代大統領の記念広場で時計塔と噴水があり、西の端にはフランス門があります。世界遺産の旧市街メディナは、このフランス門から西に東西500m、南北1.5kmほどの地域に広がっています。メディナは南北に長い楕円形をしていて、周りをぐるりと道路が取り囲んでいますが、元あったであろう城壁はほとんど残っていません。新市街は、碁盤の目状の町並みですが、メディナは規則性のない迷路状態です。内部の散歩で迷わないためには、スマホを初めコンパスを持参したほうがよさそうです。ただ、時間に余裕があれば、多少迷った方が、ガイドブックには載っていない発見があるかもしれません。

 

 
 フランス門を超えると、しばらくは雑多な土産物屋風の店屋が並びます。おそらく観光客が目当てで、トルコやエジプトでも見かけるスークです。土産物屋街を抜けるとグランド・モスクです。アーチの連なる回廊も、モザイク模様に飾られたミナレットもなかなか綺麗です。少し先の、シディ・ヨゼフ・モスクのミナレットは八角形で、こちらもなかなかです。

 
 
 モスクから南に曲がると、観光客とほとんど会わない市民が暮らす迷路状態の町並みです。イスラム国でよく見かけるファティマの手がドアノッカーに使われている家もあり、ドアの色はチュニジアンブルーでした。さすがに、観光スポットになっている場所だけを散歩しましたが、おそらくかなり回り道をしていたかもしれません。最初に訪れたのはベイの墓です。ベイという名前の人物の墓かと思ったら、ベイとは王様で、歴代の王、妃、大臣が眠る廟で、どおりで石棺がたくさん並んでいます。小さな空間に石棺が所せましで、頭の位置と思しき部分に墓標と思われる石柱が立っています。石棺にはイスラムとは思えない花などが彫られ、壁という壁にはモザイクで埋め尽くされて、薄暗い不気味な空間なのに、目を凝らすと実に綺麗です。

 
 
 
 ベイの墓からさらにメジナの奥に進み、メジナのほぼ中央あたりにあるのがダル・ベン・アブダラー博物館です。オスマン朝時代の宮殿を転用したもので、規模はさほど大きくはありませんが、当時の生活ぶりがうかがえる博物館です。もと宮殿ということもあって、展示品だけでなく、建物もなかなか見事です。

 メディナと聞くと、サウジアラビアの都市で、イスラム教ではメッカに次ぐ第2の聖地を思い浮かべます。メディナとは、預言者の町という意味で、預言者マホメットがメッカから移住しその墓のあることからヤスリブの名前からメディナに変更されたそうです。ただ、アラビア語のメディナの意味は、「町」とういう普通名詞で、預言者の意味合いは無いそうです。予言と言えば、日常生活で最も身近な予言の一つが天気予報かもしれません。最近はスパコンを導入して、大気を流体として、膨大なヴェクトル演算をして天気の予言をするようになっていますが、当たらない!といった実感があるように思います。予報が詳細すぎるので、外れた!と感じるのだとの話もありますが、人間の活動が大気に影響を与えて、誤差を生んでいるようにも思います。かつて、人間と競争をしたコンピュータが、人間の無意識の動作で負けた、といったドラマを見たように記憶しますが、無意識や気まぐれな人間の活動は、コンピュータにとって最後まで解析できない領域かもしれません。

ヴォーリズの建物は失われたものもありますが、旧居留地38番館などが用途を変えて生き残っています

2018-09-16 08:00:00 | 日本の町並み
 神戸女学院、関学とヴォーリズの設計した大学を紹介してきましたが、ヴォーリズは学校だけでなく、教会など数多くの建物の設計を手掛けています。多くは、拠点となった近江八幡の近辺ですが、神戸にもいくつかの建物が残されいます。ただ、そのうちの一棟は再開発で味気の無いマンションに代わってしまっています。今回は神戸に残るヴォーリズ建築と、おまけとして醒ヶ井の旧郵便局の建物を紹介します。

 
 
 神戸で最初に紹介するのは旧室谷邸です。旧というのは所有者が変わったからではなく、解体されてしまったからです。須磨離宮の南に隣接して1934年に完工したチューダ様式で建てられた私邸で登録文化財にもなりましたが、2007年に売却され取り壊されてしまいました。保存運動がおこりましたが、財政難の神戸市は買取を断り、現在は三井不動産の建てたマンションになってしまっています。そもそも、最初に買い取った不動産屋は、建物を残して一部を美術館にするという契約を結んだようですが、この約束は簡単に破られてしまいました。不動産業のいい加減さを象徴するような事例になっています。邸の北側の自動車道路を須磨離宮に向かって横断する陸橋から眺められた優雅な姿は、味気の無いコンクリとの塊になってしまいました。

 神戸の残り2棟は、当初とは異なる用途で使われている建物です。用途が異なるゆえに生き残ったのかもしれません。一つは、教会として建てられ、現在はパン屋さんの売店とレストランとして使われている旧神戸ユニオン教会、他方は居留地にシティバンクの神戸支店として建てられ、現在はデパ^トの大丸の店舗の一部として使われています。

 
 
 旧ユニオン教会は、三宮駅から新神戸に向かう道路の一本東の通りに面した建物で、現在はフロインドリーブ本店として使われています。1929年にゴシック・スタイルの教会として建てられ、阪神・淡路大震災で被災して現在の状態に改装されました。外装や元の礼拝堂の屋根裏のトラス構造などは元の教会の様子を伝えています。この礼拝堂が、添乗の高いカフェとして使われ、気持ちの良い空間になっています。

 
 一方の居留地38番館と呼ばれる建物は、旧ユニオン教会と同じ1929年にアメリカン・ルネサンス様式で建てられました。このビルのあるあたりから、三宮の南にかけての海岸通りと呼ばれる一帯には、レトロなビルが数多く残っており、重文指定の建物もあります。明治時代に神戸が開港した時に、外国人用に指定されたエリアの居留地の名残です。

 
 最後のおまけは、神戸からポンと跳んで、米原の東の旧醒ヶ井郵便局です。最寄り駅は、JR東海道線で米原駅の一つ東隣りの醒ヶ井駅で、東海道線ではJR東海の最西端の駅になります。駅の南東に古い街並みが、地蔵川に沿って残っています。この地蔵川には梅花藻の花が咲くことで有名で、夏の終わりの頃に訪れると、川面に小さな白い花が見られます。醒井は米原市の一部になって人口も少なそうですが、中山道の宿場町として栄えた古い町で、郵便局があるのもこのような歴史からかもしれません。1915年に木造で建てられた時にヴォーリズが設計にかかわったとされています。その後、外壁などに大規模な変更が加えられ2000年から資料館として使われています。

 ヴォーリズの建築は、作られた当初の目的と異なる用途で使われることで生き残っています。IT分野でも、材料が生まれた頃とは違った用途で主役の躍り出た素子が数多くあります。その一つが、現在のインターネットの軌間を構成する光通信の分野で使われるレーザダイオード(LD/発光ダイオードLEDの一種)と光ファイバーです。今から50年ほど前に研究所で大容量通信の手法として脚光を浴びていたのは導波管という技術で、当時は中心的な通信路であった無線のマイクロ波を、数cm角の管の中に閉じ込めて伝えようというものでした。しかし、この導波管なるものは、価格が高いなど欠点が多く、当時はおもちゃ扱いであった光ファイバに取って代わられました。現在脚光を浴びていない研究でも、やがて主役の座に座る可能性があるので決してあきらめないで!と言われる一方、無駄な投資をどこで切るか悩ましい、といった半面もありなのです。

網羅的でもなく偏りもありますがロンドンのあちこちを紹介してみました(イギリス)

2018-09-09 08:00:00 | 世界の町並み
 オランダの植民地政策で、それまでの田畑が壊されて、強制的にコーヒー、サトウキビそれに紅茶の原料の茶畑に代えられ人口が激減したのがインドネシア、ジャワ島のソロの郊外でした。名前から推測して日本で売られているジャワティーは、このあたりの茶葉が原料になっているのかもしれません。宗主国は、一時期オランダから英国にとって変わられましたが、金になる植物を植えることは同じで、茶畑はイギリスの植民地政策の名残かもしれません。今回は、それらの植民地からの搾取で繁栄をした都市のひとつ、ロンドンを紹介します。

 ロンドンを最初に訪れたのは、およそ30年前の出張でした。イギリスはおろか、初めてのヨーロッパで、当時のヨーロッパ便は、直行は少なくアンカレッジ経由で、15~16時間もかかり、遠いな~という記憶です。ただ、直行便で12時間、狭い飛行機に閉じ込められるより、アンカレッジで息抜きできるのも、急がない旅ではアリかなとも思います。20年ほど前に息子がロンドンに3年ほど暮らしていたので、何度か訪問しましたが、意外にもロンドンの観光地はあまり歩き回らなかったような気がします。博物館や美術館を訪れることが多かったかもしれません。ところが、大英博物館に展示されているものの多くは、植民地時代に、ただ同然で略奪してきた品々なんですね。ジャワ島から持ってきた展示品もあるかもしれません。

 ロンドン市内には3つの世界遺産があります。ロンドン塔、ウエストミンスター宮殿の周辺それにキュー・ガーデンです。ロンドンに限らず、ヨーロッパでは首都圏近郊に複数の世界遺産がある国は多く、パリやベルリンなど、ヨーロッパではありませんが北京もそうです。東京は、やっと1件、それもフランスの力を借りた相乗りです。江戸時代から400年以上も続く都にしては寂しい状況です。ただ、これとても世界遺産の評価基準がヨーロッパの文化に根差していて、非ヨウローッパの文化が不当に虐げられているからかもしれません。

 
 
 さて、ロンドンですが、訪れた場所の羅列になりそうですが、その頃の記憶も薄れ、写真もアナログが中心でディジタルはほとんど撮ってませんでした。かろうじてポジフィルムで撮った写真をディジタル化したものを中心に紹介します。まず、ロンドンの中心はシティでしょうか、そこに建つのがセント・ポール大聖堂で、ご存知のダイアナ妃の結婚式が行われました。初代の大聖堂は13世紀に建てられ、地上高158mと壮大なものだったそうですが、その高さがたたったのか何度も落雷に逢い、17世紀のロンドン大火災で焼失しました。現在のものは18世紀初頭にバロック様式で建てられています。


 英王室の婚礼は、どちらかというとウェストミンスター寺院で行われることが多く、現エリザベス女王の婚礼もそうでした。こちらは11世紀のゴシック建築で、結婚式だけでなく、代々の戴冠式が行われ、王室の墓地としても使われてきました。寺院の前にはウェストミンスター宮殿があり、現在は国会議事堂として使われ、時計塔のビッグベンが有名です。

 
 
 英王室の結婚式場と言えば、最近有名になった場所がウィンザー城で、ダイアナ妃の次男のハリー王子が城内のセント・ジョージ礼拝堂で挙式しました。王子の父であるチャールズ皇太子の2度目の挙式後の礼拝にも使われました。
 王室と言えば、警護の衛兵の詰め所がホース・ガーズで、こちらの衛兵の交代式は1時間ごとに行われ観光客にとって目玉になっています。

 
 ロンドンと言えば、「ロンドン橋落ちた!」の歌が有名で、このロンドン橋が実在するのか興味が湧きます。かなりの人が、タワー・ブリッジをロンドン橋と誤解しているようですが、ロンドン橋は、もう少し上流にある地味な橋で、観光客もあまり寄り付かない橋です。タワー・ブリッジの上流に港があり船が遡上するので、その妨げにならないよう、タワー・ブリッジの中央部は跳ね上げ式になっていて、現在でも稼働しています。日本の勝鬨橋も、跳ね上げの機構部分は残されているので、年に数回ぐらいは動かして欲しいと思いますが、数十億の費用が掛かるとも言われています。

 息子がロンドンに居た頃は、イギリスへの入国に際して、イミュグレーションでその都度visaが発給されていました。入国を拒否するかどうかは、個々の審査官のさじ加減一つなわけで、息子は一時帰国した後の再入国ではvisaに必要な証拠書類を抱えて行っていました。EUのメンバであった頃でもそうですから、離脱した現在はもっと厳しくなっているかもしれません。インターネットには国境が無く、すべての情報はvisaも何にも持たなくって入国してくるんですがね。ただ、あちこちにある独裁者が権力を振るう国々では、インターネットにも国境を作って、情報操作をしているようですが。

阪急今津線には関学を初めヴォーリズやレーモンド設計の校舎がずらり

2018-09-02 08:00:00 | 日本の町並み
 西宮の丘の上に奥様の母校である神戸女学院の学舎を建てたのがウィリアム・メレル・ヴォーリズでした。このヴォーリズは、数多くのミッション系の学校の校舎を残していますが、神戸常学院大の隣にある関西学院大学にも数多くのヴォーリズ建築が残っています。今回は、最近スポーツの面で話題にもなった関西学院大学の学舎を紹介します。

 関西学院大学(関学)は、神戸女学院の最寄り駅の一つ北側の阪急今津線の甲東園駅から、急な坂を上った先にあります。ちなみに、今津線をさらに2駅北に行った小林には東女を設計したレーモンド建築の小林聖心女学院があります。そして関学ですが、女子大ではなく共学の総合大学で、KansaigakuinnではなくKwanseigakuinと発音します。現在は、西宮を中心にキャンパスを置いていますが、神戸女学院と同様に1889年に神戸市で生まれ、学舎は現在の王子動物園近くにありました。かつてのチャペルは、戦争や地震で被害を受けましたが、修復を重ねて健在で、神戸文学館として使われています。そして1929年に、現在本部が置かれている西宮市の上ヶ原に移転、この時に学舎を設計したのがヴォーリズ設計事務所です。

 


 
 
 
 正門を入ると、すぐに右手にチャペルが見え、外観だけでなく内部も素敵のようですが、入堂し損ねました。先に進むと一面の芝生の向こうに当初は図書館として建てられた時計台が見えてきます。この風景は、東京女子大と似ており、神戸女学院大の講堂前の芝生の庭とも似ていますが、関学の庭は数倍の広さがあり、伸びやかな印象です。この芝生庭園を囲んで、神学部、文学部、中央講堂そして経済学部の蜂蜜色の建物が建っています。これらの�建物が、すべて蜂蜜色の暖かな感じのスパニッシュ・ミッション・スタイルと呼ばれるものです。神戸女学院の建物群と似ているのは、ほぼ同じ頃に建てられたからではないでしょうか。ヴォーリズ設計の建てものに交じって、新しい学舎も建てられていますが、ヴォーリズ建築との調和が図られ、日本の都会で見られる無秩序な景色とは違って好ましい印象です。

 
 上ヶ原本部から神戸女学園の方角に行くと関学聖和キャンパスがあります。元は聖和女子大という独立の大学で、共学を経て2009年に官学と合併し教育学部が置かれています。このキャンパスにもヴォーリズ設計の蜂蜜色の学舎が建っています。上ヶ原キャンパスには背の高いヤシの木が多く、宮崎など南国風の華やかな印象ですが、聖和キャンパスはやや地味な感じがします。上ヶ原キャンパスと同様に、新しく増築された建物もヴォーリズとの調和が図られているようです。

 関学いえば、アメフト試合での被害者としてジャーナリズムを騒がせました。動画の映像が決め手になったようですが、最近は防犯カメラと称する町中のカメラが犯罪捜査に利用されことも多いようです。動画による情報は、証拠としてや足取り捜査に使われ、IT技術の発達で、不鮮明な映像もかなり鮮明化できるようです。ただ、これらのカメラは防犯と呼んでいますが、本質は監視カメラで、防犯は副次的利用と思います。膨大な映像データの中から、特定の人物を探し出すことは、顔認証の技術の応用で短時間で処理可能と思われます。そうすると、権力にとって都合の悪い人物の行動を簡単に監視できるわけで、権力にとって便利なそら恐ろしい道具です。