世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

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七福神に誘われて巡った深川ですが、七福神以外にもいろんな発見がありました

2024-04-07 16:18:16 | 日本の町並み
 前回は近鉄の大和西大寺駅と奈良駅との間の北に広がる佐保路、佐紀路を紹介しました。多くの古墳群に加えて、首をかしげてほほ笑む秋篠寺の伎芸天もこのルートの魅力を高めているように思います。伎芸天は名前の通り芸事の仏様と言われ芸能界でもお参りに来る方も多いそうです。芸事の神さまというと、よく知られているのは弁財天のほうで、七福神にも入っています。お正月にはこの七福神を順に巡ることが初詣の一つになっていますが、東京近郊で調べると、ずいぶんと多くの七福神めぐりが存在するようです。今回は江東区にある深川七福神について紹介します。

 
 
 深川七福神は、地下鉄の門前仲町駅から森下駅まで5km程の道のりにある七福神です。どちらの駅をスタートしてもいいのですが、筆者は門前仲町の駅から歩き始めました。駅の近くにあるのは深川不動尊で初詣で長蛇の列でしたが、こちらには七福神はありません。お隣の富岡八幡に移動して本堂の裏手に回ると、小さな社に七福神の中で唯一の日本の神様である恵比寿さんが祭られています。富岡八幡は江戸三大祭の深川八幡祭りで有名ですが、恵比寿さんの社の付近はお正月だけにぎわうのでしょうか。

 
 
 400m程北に行くと冬木弁天堂でその名の通り弁財天が祭られています。弁天様の雰囲気とは違った怖い顔の獅子の像が版をしていました。500m程西に行くと清澄通りに出ますが、次の七福神の手前にえんま堂があって、巨大な閻魔像が参拝者を睨みつけています。

 
 
 えんま堂を通り過ぎると心行寺で境内にある小さな六角の祠に福禄寿が祭られています。福禄寿と寿老人は中国が起源の神様ですが、よく調べてみると同じ神様ではないかともいわれていて、七福神ならぬ六福神なのかもしれません。清澄通りを北に行って東に800m程で次の七福神の大黒天ですが、その手前に曲亭馬琴の生誕の地の記念碑があり、戯作者らしく和綴じ本を積み上げた形をしています。さらに、その先には小さな深川歯神様の像があり、この像の歯の部分をブラシでこすると虫歯にならない、歯医者顔負けの神様があります。

 
 
 大黒天があるのは円珠院で、境内には間宮海峡を発見した間宮林蔵の墓があります。大黒天は、国産の神様、因幡の白兎の大国主の尊と混同されますが、七福神の大黒天はインドの神様です。円珠院の先を北に回り込むと龍光院の毘沙門天です。毘沙門天は北を守護している四天王の一つの多聞天のことで、音訳をしたものが毘沙門天で意訳をしたものが多聞天です。

 
 龍光院を出た後は、次の布袋尊までは1.3kmでひたすら西に歩くのですが、途中に昨年暮れに亡くなった寺尾関の錣山部屋のそばを通ります。外観からはマンションの一角で看板が無ければ、相撲部屋とはわかりません。この辺りは隅田川にも近く、布袋尊の先では隅田川を行きかう松本零士デザインの水上バスが通っていきました。
 
 
 布袋尊のあるのは深川稲荷神社で無住のこじんまりとした神社です。お堂の右側には布袋尊の石像が置かれています。この布袋尊は中国では遠い未来に現れるという弥勒菩薩の生まれ変わりと言われて尊重されていますが、乞食坊主をみて誤解しただけとの説もあります。最後の寿老人の祭られる深川神明宮までは万年橋を北にわたって600mほどで、神明宮は深川で最も古い神社なのだそうです。寿老人は境内の右手の寿老神社にお祭りされています。境内にある手水に浮かべられた花々がきれいでした。

 7という数字が縁起がいいという由来は諸説あって、その中には七福神に由来するとの説もあります。宗教にまつわる説が多いようで、旧約聖書の神が世界を作った時に6日間で作って7日目を安息日としたとの説や、仏教の尊い宝物を七宝として敬うことなどがあります。天文学では太陽を含めて惑星の数が7(おそらく(天王星と海王星は未発見の頃の説)や月の満ち欠けが7日を周期とすることなどです。国が違えば縁起の良い数字も違うようで、韓国では3がよく、中国では8とのことですが、古くは9であったようです。我が国の江戸時代まで使われていた時刻の呼び方は真夜中の0時を九つそして2時を八つ(9の2倍の18の十のけたを省略)と呼んでいたのは中国の影響ともいわれています。宝くじを買うときに縁起の良い数字を選ぶ人もいますが、当たりは一様乱数で選ぶので偏りはないはず、ただコンピュータは内部を2進数で扱うので10進数の7は[111]と3桁のぞろ目、何か関連があるでしょうか。


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