世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

姫路市の北のはずれの安志は、古い町並みの中に個性的なお酒の造り酒屋などがあり姫路市内とは思えないのびやかさです

2020-04-26 08:00:00 | 日本の町並み
 日本のワインを黎明期から支えてきたワイナリーの一つが牛久シャトーでした。お酒は醸造酒と蒸留酒に分類されますが、ワインは醸造酒を代表し歴史も古いお酒の一つですが、わが国の日本酒も神話と結びつく歴史を持つ由緒ある醸造酒です。全国的に有名な日本酒の蔵元と言えば灘五郷で、お酒の原料となる米、水それに酒造りの技術者である丹波杜氏とがそろって成り立っているといわれてきました。同じ兵庫県の姫路にも、多くの嘉浦本があり、個性豊かな日本酒を作り出していますが、灘とも地理的に近いこともあり酒造りに必要な条件がそろっているのかもしれません。今回は、いくつかの蔵元の中kら奥播磨のブランドの持つ下村酒造のある安富町の安志を紹介します。

 
 
 
 安志は姫路市といっても姫路城のある市街地から北に20kmほどで中国道がそばに通っています。姫路から路線バスで50分ほど、バス停でバスを降りると、周りは畑や丘が連なり緑一面で、民家はまばらです。中国道のもととなった東西の街道と姫路から路線バスに乗ってきた南北の道との交点に位置することから、江戸時代には交通の要所として陣屋も置かれたそうです。ただ、これらの遺構は、中国道や市街化の波に飲み込まれて、農家などが点在するのんびりとした町並みに変わっています。

 
 
 このようなのんびりとした中に明治初期に酒造りを始めたのが下村酒造です。安志は日本酒の原料米として有名な山田錦の産地の中にあって、良質の水も得られる場所で、手作りにこだわった酒造りをしているそうです。蔵元の店舗は、地酒の蔵元でよくみられるように虫籠窓のついた土蔵造りに出格子がの横の出入り口には酒林が下がっています。こちらでは、樽酒が三段積みになっていましたが、面白いのは、威勢のいい鉢巻き姿の人形が入口のそばで出迎えている姿です。

 
 
 
 
 このように、あまり人が多くなさそうな土地ですが、大きな本堂のお寺や、重文の不動明王を持つお寺などがあります。教蓮寺と園徳寺は中国道の近くにあって、立派な山門や本堂が並んでいます。訪問したのが秋だったので、お寺をバックにヒガンバナやカキの実が印象的でした。そばには、上賀茂神社の分霊を祀ったという加茂神社安志稲荷神社もありました。さらに近くには、平成22年に本堂が焼失し収蔵庫がぽつんと建っている光久寺は無住で、住民が重文の無動明王を守っているのだそうです。、

 光久寺の不動明王は拝観できませんでしたが、琵琶湖の東には、数多くの観音像が伝えられていることで有名です。しかし、かなりの数のお寺は無住で、地元の方々によってで守られている仏像も、お願いをすると、当番のおうちの方が鍵をもって駆けつけてくださいます。そこで心配になるのが盗難で、おそらく監視カメラやセンサーが付けられているのでしょうが、盗難そのものをブロックする機能はないわけです。IT機能で監視の精度は上がっても、ITを使って撃退することは無理でしょうね。、

パリ市内の美術館だけを回っても、1週間、いやいや1か月でも足りないかもしれません。(フランス)

2020-04-19 08:00:00 | 世界の町並み
 政権が変わったりコロナ騒ぎで、遠い存在になってしまったソウルですが、なかなか見どころいっぱいで面白い町の一つでした。このソウルは、数多くの都市と姉妹都市となっていて、その多くが首都で東京もその一つです。意外とヨーロッパが少ないようにも思いますが、今回はその中からフランスの首都のパリを紹介します。パリのセーヌ河畔の名称で世界遺産に登録されている施設も多く、本ブログの世界遺産編ですでに紹介済みですので、なるべく重複しない場所を重点的に紹介します。

 
 
 
 名所の多いパリで、筆者の訪問したところは美術館が多く、偏りがあるので、とても網羅的なものではありませんし、かなり昔の情報が含まれていることをお許しください。


 パリを象徴する建物と言えば色々あるとは思いますが、エッフェル塔は外せないと思います。今から130年以上も前に、パリ万博の目玉として建てられましたが、当初の予定では20年後に解体されるはずでした。エッフェル塔に設置された、軍需用の受信アンテナが功を奏して、現在まで生き延びています。筆者が初めてパリを訪れたのは1998年でエッフェル塔が建てられて100年の節目で、島には100ansの文字が浮かんでいました。建てられた当時は奇抜な姿ゆえ酷評されたようですが、その後に建てられた塔の多くがエッフェル塔をまねているように思います。特に、東京タワーは、エッフェル塔より使用する鉄材が少なくって済んだ、と威張ってますが、100年間の構造計算の進歩のおかげにほかありません。デザイン的には、エッフェル塔が4本の脚の間に何も跨がなくてすっきりしているのに、東京タワーではビルを跨いでいる分ごちゃごちゃしてます。びっくりしたのは、上部の展望台の上層階にガラスが無いことでした。悪意で物を投げられ、地上にいる人に当たるとケガで済まないと思うのですが。

 
 さてパリ市内の美術館ですが、数えたらきりがないほどにあり、東京との違いは、特定の作家のための美術館がかなりの数あることでしょうか。画家や彫刻家たちがパリに集まり、その作家にゆかりのある場所などが美術館になったようです。それらの中で、筆者がお気に入りの美術館はギュスタフ・モロー美術館とマルモッタン美術館です。
 モロー美術館は、モローの晩年の邸宅を利用したもので、住宅街にひっそりと建っていたように思います。螺旋階段(この階段もなかなか美しい)で上層階に上っていく狭い空間に、モローの絵が所狭しと並べられ、展示できないものはストッカーに収納され引き出して見られるようになっていました。そこにあること自体が見落とされそうな美術館で日本人には会いませんでしたが、モローのファンにほ絶対にお勧めです。
 マルモッタン美術館は、モネの絵だけではありませんが、印象派の名前が付く元となった「印象 日の出」の作品が展示されてる美術館です。パリの中心街から西に外れたブローニュの森の端に位置していて、ちょっと足の便が良くないせいか、こちらでも日本人の来館者の顔は見ませんでした。ちなみに、水連の絵で一番見事な展示はオランジュリ美術館でした。

 
 モネと言えば、水連などの連作のほかに、サン・ラザール駅の連作も有名です。パリには廃止されたものも含めると22の鉄道駅があり、サン・ラザール駅は最も中心部に近く、主にノルマンディー方面への列車が発着しています。鉄道駅舎の建物は重厚で美しいものが多く、リヨン駅など内部にル・トラン・ブルーという有名なレストランがある駅もあります。古くて由緒のある駅舎を簡単に壊してしまうどこかの国とは文化が違うようです。


 
 ルーブルやオルセーは紹介するまでもありませんが、ルーブルではモナリザとミロのヴィーナスそれにニケの展示場所がわざわざ日本語の矢印があり驚きましたが、今は中文やハングル表記も加わっているのでしょうか。個別の作者だけを展示する美術館ではない美術館の中でお勧めは、国立中世美術館です。クリニュー修道会の修道院長の別邸を利用したもので、中世の教会を中心とした絵画、彫刻、宝飾品などが展示されています。ルーブルやオルセーの美術館もそうですが、美術館の建物自体も見る価値があります。こちらの美術館の目玉の一つの「貴婦人と一角獣」のタピストリーは7年前に日本で展示され記憶されている方も多いかもしれません。

 
 
 
 パリ市内の教会というと、これまた星の数ほどもあるかもしれません。日本人にとって最も有名なものの一つが、シテ島に建つノートルダムであり、さらにはモンマルトルの丘近くのサクレクールかもしれません。初めてパリを訪問したころは、ノートルダムにはすぐに入道できたものですが、8年前ですら前庭に長蛇の列ができていて驚いたものです。ただ、ノートルダムも火災にあってしまったので、シテ島に行かれたら、ノートルダムのすぐそばにあるサント・シャペルをぜひとも訪問されることを勧めます。個々のステンドグラスを見てしまうと、他のステンドグラスが輝きを失ってしまいます。

 日本の鳴門には、世界的に名だたる絵画などを陶板に焼きこんで展示する大塚国際美術館があります。オリジナルの絵画無くなったとしても、ここの絵画は残ると豪語しています。そのような意味で、法隆寺金堂の壁画は象徴的です。保存のための模写の最中に画家の寒さ防止に使われた電気座布団から出火したとされています。オリジナルの壁画は、黒焦げの痛々しい姿で収蔵庫に保管され、金堂には模写された絵がパネルに入れられて下がっています。法隆寺では人間の手による模写ですが、東博の茶室の応挙館には、ディジタルスキャナと高精細プリンタにより複製された応挙の襖絵がはめ込まれています。人間の手による模写より、ディジタルスキャナによる複製の方が精度は格段に高いと思いますが、一方向からの光で見た画像にすぎません。絵は光の当たり具合で、見え方がさまざまに変化し、2次元の絵画といっても、表面はまっ平ではありません。陶板の名画も所詮は、名画集の書籍と同じ価値しかないのではないでしょうか。

しゃれた建物は重文にも指定されている牛久シャトー、閉店したレストランなどの再開が待たれます

2020-04-12 08:00:00 | 日本の町並み
 名古屋駅から歩いても20分足らずの都市の中心部にある産業遺産がノリタケの森でした。工場は移転してしまっていますが、工場であったことを表す遺跡や、赤レンガの建物を利用したレストランなどが立ち並んでいます。このような施設は、都道府県のアンテナショップと似たように、企業イメージを上げる効果も狙っているように思います。ノリタケの森に類するような施設の中から、今回はオエノン・ホールディングスが所有する牛久シャトーを紹介します。

 
 
 牛久シャトーは明治36年に、牛久駅から10分ほどの場所に神谷伝兵衛によって開設された日本初の本格的なワイン醸造所です。神谷と言えば、浅草に電気ブランで有名な神谷バーを思い浮かべられる方いらっしゃるでしょう、その神谷氏が作ったワインの醸造所なのです。しゃれた建物の事務室は、醗酵室、貯蔵庫とともに2008年に重文に指定されています。

 
 
 
 
 
 事務室は本館として、醗酵室は神谷伝兵衛記念館として、貯蔵庫はレストランとして利用されています。このうち記念館は内部が公開され、2階は資料展示室になっていて、牛久シャトーの歴史や、ワインを絞る道具など、ワインにまつわる道具類が並べられています。また、地下にはワインの樽が並べられ、ボトルに詰めらたワインセラーもあり、当時の様子をうかがうことができます。ワインのボトリング工場も上から眺められるようになっていて、1階には世界各地のワインの即売場もあります。

 
 
 貯蔵庫を利用したレストランのキャノンは、前回に紹介したノリタケのKilnと同様に手ごろな料金のフレンチレストランでした。ただ、Kilnでは食器類がノリタケでしたが、キャノンはどうであったか記憶にありません。過去形で表現したのは、筆者が訪問の1年半前にはおいしいフレンチが食べられたのですが、残念ながら2018年末を限りで閉店されてしまったようです。内部のドアの上部には葡萄などのステンドグラスやレリーフがあしらわれていて貯蔵庫であったことをしのぶ天井の無い内部空間は素敵だったのですが残念です。ただ、牛久市が再開に向けて動き出し、早ければこの春には再開にこぎつけられるかもしれないそうです。

 
 建物の裏庭には葡萄畑が広がっていて、鳥や人の侵入を防ぐために青色のネットがかぶっていたのは、ちょっと無粋な感じでした。不思議だったのは、畑の入り口に対の唐獅子が居て、台座には四方、?守と書かれていることでした。資料を調べてみたのですが、それに触れているものは無く不明でした。門のところで葡萄畑に入ってくる外敵ににらみを利かせているのでしょうか。

 ワインは樽から瓶詰めされた後も熟成が進む唯一のお酒の一つと言われています。熟成はワインの成分の一部が化学変化することによる味の変化ですが、化学式ですべてが表せるほど単純ではないのだそうです。主たる反応は酸化で、ワインの中のタンニンが酸化して、味に深みが出るのだそうです。酸化と言えば、アルコールが参加すると酢酸になるわけで、こうなってしまうと酸っぱいワインになり、やがてワインビネガーにはなってしまいます。聴覚や視覚それに触覚のセンサー技術は進んでいて、センサーから得られる情報によってコンピュータによる自動制御などが進みました。これらに比べて、嗅覚や味覚のセンサーは、まだまだ不完全なものばかりです。ワインの味は、当分は職人の感覚で決められるのでしょう。

周りを取り囲むカナディアン・ロッキーの自然は雄大ですがバンフの町は小じんまりしてチャーミングです(カナダ)

2020-04-05 08:00:00 | 世界遺産
 前回は数少ない自然遺産の中から広大な海の遺産の一つであるグレートバリアリーフを紹介しました。自然遺産が多いのは中国や北米など自然が残る地域に偏っています。世界遺産の条約をスタートする時には人間の営みとしての遺産である文化遺産のみを対象とする動きをアメリカなどの横やりで、自然にも拡大したのだと言われています。歴史が浅くって文化の無いアメリカでは文化遺産がほとんどないからでしょう。今回は、そのアメリカではなくお隣のカナダの自然遺産であるカナディアン・ロッキーを紹介します。

 ロッキー山脈は北米大陸の太平洋寄りに北西から南東に伸び、北はカナダのブリティッシュ・コrンビア州から南はアメリカのニューメキシコ州まで4,800kmを超える山脈です。そのうちカナダのアルバータ州とブリティッシュ・コロンビア州にまたがる部分がカナディアン・ロッキーとして自然遺産に登録されています。

 
 バンフなど4つの国立公園と3つの州立公園が中心となっていて、ここではバンフ国立公園を中心に紹介します。観光の拠点となるバンフは、空港のあるカルガリーの西200kmほど、空港リムジンバスで2時間半ほどで着きます。標高1,400mほどの高原に人口は8千人にも満たないかわいらしい町ですが、意外にも日本人の定住者割合が高く6%ほどなのは温泉があるからでもないでしょうが。鉄道の駅はありますが、定期列車は無く夏の間のみバンクーバーから観光列車やってきます。

 


 
 バンフの町のどこからでも見える象徴的な山がカスケード山で標高は2,998mと意外な高さで、本格的な登山になるそうです。昼間だけでなく、街の明かりが点き始め残照が残る空にそびえる姿もなかなかきれいです。そこまで高くなくても標高2,300mほどのサルファー山ならばロープウェーで上ることができます。麓から15分くらいで一気に山上駅へ、展望台まではそこから15分ほどですが、10月中旬でもかなり寒く足元は凍っていましたが、さすがに眺めは素晴らしく、足元にはバンフの町並みが、その向こうにはカスケード山がそびえています。

 
 
 
 自分の足で回るのが不便なレイクルイーズなどには、Discover Banff Toursという半日の観光バスが運行していました。「帰らざる川」のロケ地になったボウ川のボウ滝、そのそばに建つカナダ太平洋鉄道が建てたバンフスプリングス・ホテルを眺めます。続いて、ケイブ・ベイズンという温泉史跡を訪問します。現在は史跡として保存されているだけですが、バンフで最初に発見された温泉施設として温水プールもある保養施設だったそうです。ノーケイ山の中腹まで上ってバンフの町並みを俯瞰することもでき、このあたりには野生の鹿も居ました。



 
 
 そして最後にレイク・ルイーズに連れて行ってくれます。湖の向こうに氷河が見える景色は、絵葉書によくある景色です。湖畔には真っ白のシャトー・レイク・ルイーズが建ち、バンフ・スプリングスとは違った趣です。ただ、この観光バスは午後からの運航でレイク・ルイーズに到着するのは夕方近くになり、湖畔から湖は西側になるため、全くの逆光で写真を撮ろうとすると、まともに太陽が画面に入ってしまいます。ツアーの催行を午前にしてくれないかと思いますが、その景色を見たければシャトー・レイク・ルイーズに泊まれってことでしょうか。

 夏の間はバンフ近くのコロンビア大氷原を雪上車めぐるツアーがあります。氷河の厚さは300mもあるそうで、この氷河を筒状に取り出すと、何年も昔の地球の大気の様子などが分かるそうです。一方、地層に閉じ込められた情報で、地磁気の逆転がわかりチバニアンという時代区分名が国際的に認められました。これらの情報は、アナログ情報ですが、デジタルで記録された現代の様々な情報は、「ディジタル情報はアナログ情報より保存性がいい」という定説が当てはまるとは思えません。短期的には、前期の定説が当てはまるでしょうが、符号化されてしまった情報は、時代が変われば元には戻せなくなります。デジタル化は、しょせんは刹那的な技術に思えます。