五つ目の国宝に指定された天守閣があり、宍道湖の夕日が美しい町が松江でした。5つの国宝天守のうち松本城だけが平城で残りは松江城を含めて平山城です。そして、外観が松江城と似ていると思う(筆者の感覚ですが)天守が彦根城です。おそらく、天守が小ぶりで天守台の周りに平地があるからかもしれません。今回は、彦根城の城下を紹介します。
彦根は、琵琶湖の東岸、JRの東海道線と北陸線の分岐駅の米原駅の一つ京都寄りの彦根駅が最寄り駅の人口11万人ほどの都市です。かつては、石田光成の沢山城があり、関が原の合戦以降は彦根城の城下として栄えた町です。沢山城は山城、彦根城は平山城で、現在の東海道線を挟んで東西に対称に位置しています。西にある彦根城の南側に情緒のある古い町並みが残されていて散歩が楽しい町になっています。
町並みの中の建物の幾つかは、市によって景観重要建造物として指定されていますが、指定されていない建物にも趣のあるものが多く残ります。格子や白壁、それに虫籠窓のある旧広田家などの和建築に混じって、旧彦根信用組合の洋風の建物があるかと思えば、キリスト教の礼拝堂なのに和風建築のスミス記念堂もあります。また、壁面を瓦で覆った家や、壁に植木鉢を配したチュニジアを思わせる白壁にブルーの窓枠の家も素敵でした。
これらの町並みの中央あたりに夢京橋キャッスルロードと名付けられた商店街があります。商店街とは言うものの、どちらの町でも見られるような商店街を想像してはいけません。古い町並みを再現した家々が連なっているのです。時折、古民家風の料理屋が異質な建物が割り込んだような景観を見かけますが、こちらは違和感無しに町並み景観を形作っています。周辺の古い町並みとも、調和が取れているようで、電線も地下化されているようでした。
彦根というと井伊直弼を思い浮かべます。混乱の幕末を強権政治で押さえた手腕は評価できるのでしょうが、反対勢力を権力で押さえ込んで、命まで奪うやり方には納得できません。新撰組に殺された人物も含めて、これらの人物が殺されていなければ明治維新も随分と形が違っていたのではないかと思います。権力で、反対勢力を封じ込めるのは、政治の世界かと思うと、意外と科学の世界にもあるように思います。実験データが改竄されたり、隠蔽されて、他の説をを攻撃したり、自説を正当化する行為は、つい先日もあったように思います。