世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

彦根城の南側には、新旧の和建築や洋風の建築が入り混じって楽しい風景です

2016-03-27 08:00:00 | 日本の町並み
 
 
 五つ目の国宝に指定された天守閣があり、宍道湖の夕日が美しい町が松江でした。5つの国宝天守のうち松本城だけが平城で残りは松江城を含めて平山城です。そして、外観が松江城と似ていると思う(筆者の感覚ですが)天守が彦根城です。おそらく、天守が小ぶりで天守台の周りに平地があるからかもしれません。今回は、彦根城の城下を紹介します。

 
 
 彦根は、琵琶湖の東岸、JRの東海道線と北陸線の分岐駅の米原駅の一つ京都寄りの彦根駅が最寄り駅の人口11万人ほどの都市です。かつては、石田光成の沢山城があり、関が原の合戦以降は彦根城の城下として栄えた町です。沢山城は山城、彦根城は平山城で、現在の東海道線を挟んで東西に対称に位置しています。西にある彦根城の南側に情緒のある古い町並みが残されていて散歩が楽しい町になっています。

 
 
 
 町並みの中の建物の幾つかは、市によって景観重要建造物として指定されていますが、指定されていない建物にも趣のあるものが多く残ります。格子や白壁、それに虫籠窓のある旧広田家などの和建築に混じって、旧彦根信用組合の洋風の建物があるかと思えば、キリスト教の礼拝堂なのに和風建築のスミス記念堂もあります。また、壁面を瓦で覆った家や、壁に植木鉢を配したチュニジアを思わせる白壁にブルーの窓枠の家も素敵でした。

 
 これらの町並みの中央あたりに夢京橋キャッスルロードと名付けられた商店街があります。商店街とは言うものの、どちらの町でも見られるような商店街を想像してはいけません。古い町並みを再現した家々が連なっているのです。時折、古民家風の料理屋が異質な建物が割り込んだような景観を見かけますが、こちらは違和感無しに町並み景観を形作っています。周辺の古い町並みとも、調和が取れているようで、電線も地下化されているようでした。

 彦根というと井伊直弼を思い浮かべます。混乱の幕末を強権政治で押さえた手腕は評価できるのでしょうが、反対勢力を権力で押さえ込んで、命まで奪うやり方には納得できません。新撰組に殺された人物も含めて、これらの人物が殺されていなければ明治維新も随分と形が違っていたのではないかと思います。権力で、反対勢力を封じ込めるのは、政治の世界かと思うと、意外と科学の世界にもあるように思います。実験データが改竄されたり、隠蔽されて、他の説をを攻撃したり、自説を正当化する行為は、つい先日もあったように思います。

多国籍の文化遺産がちりばめられ何日居ても飽きないクアラルンプールです(マレーシア)

2016-03-20 08:00:00 | 世界の町並み
 フランス南部にあって、古代ローマ遺跡が数多く残されている都市がニームでした。そのニームのシンボルは椰子に繋がれたワニで、街中にはワニの噴水もありました。ところで、ワニの肉を食べさせるレストランはオーストラリアに多いそうですが、マレーシアにもワニハンバーガがあるとのうわさがあります。筆者は食べ損ないましたが、3回に分けてマレーシアの首都のクアラルンプールを紹介してゆきます。初回の今回は、鉄道駅の周辺を中心に紹介します。ちなみに、我が国の中国地方で食べられているワニ料理はサメ肉を使った料理のことです。

 
 今回紹介するエリアは、クアラルンプール駅を中心とする半径1km程度の範囲になります。雑然とした町並みがるかと思うと、コロニアル風の洒落たビルが立ち並ぶ、何でもありの幅広い文化が楽しめるエリアです。実は、クアラルンプール駅は、2つあって現在の中心駅はKLセントラル駅で、空港線や長距離列車はすべてこちら。旧クアラルンプール駅はローカル列車しか停車しません。35年近く前に、シンガポールから夜行列車で到着したのは、この旧駅だったのです。しかし、駅の建物は、ムーア様式のアラビアの宮殿風の旧駅の方が格段に見ごたえがあります。

 
 
 
 旧駅の裏にはマレー鉄道のドーム屋根が乗るムーア風建築があり、その裏には国立モスクの近代的な建物も対比を見せています。礼拝室を囲む部分は、おびただしい柱の林立する鋭角的な場所で、よく見るイスラム・モスクとは印象が違います。また、モスクの南隣、KLセントラル駅寄りには国立博物館があり、マレーシアの歴史や文化が展示され、週に一回ですが日本語のガイドもあります。

 
 
 
 一方、旧駅の東側は、独立広場(ムルディカ広場)やチャイナタウン、インド人街などが広がります。独立広場は、英国から独立した時に英国国旗を降ろしてマラヤ連邦国旗を掲揚した場所で、この周辺には、ロイヤル・スランゴール・クラブの建物、旧連邦事務局ビル、国立織物博物館や市内で最古のモスクであるマスジッド・ジャミなどムーア建築が目白押しです。

 
 
 
 
 チャイナタウンは巨大な商店街の様相で、町の所々に道教寺院など中国風の建物が散在しています。チャイナタウンの西側にあるセ・ヤ寺院は道教寺院で町並みに飲み込まれそうなお寺です。一方、南東にある陳氏書院と観音寺は緑に囲まれた静かな環境で、陳氏書院は、マカオにもあったかな、彫刻が見事な霊廟です。さらに、チャイナタウンの北側には、日本でもおなじみの閑帝廟があり、渦巻状の線香が沢山ぶら下がっています。

 
 インド人街は、チャイナタウンに隣接する場所で、こちらも商店街を形成しています。こちらの宗教施設は、ヒンドゥー寺院で、隣のシンガポールにもあるスリ・マハ・マリアマン寺院です。入り口の上に伸び上がる塔に彫刻された神々は、いろんな格好のものがあって、ボルブドゥールやアンコール遺跡には遠く及びませんが、見ていて楽しい彫刻です。

 マレーシアと聞くと、マレーシア航空370便の事故を思い出します。インド洋のフランス領レユニオンで残骸が発見されて、海に墜落したことだけははっきりしたようですが、なぞの多い事故でした。航空機には、飛行に必要な位置情報などを受け取って処理システムだけではなく、外部に航空機の位置情報を知らせるシステムなどが完備されています。今回も、それらのデータが得られていたようですが、データを送るシステムが、故意に切られたと推定されています。コンピュータのシステムがいくら高度化されても、管理権限のある人間はどんなことでもできるので、コンピュータ犯罪を無くするのは難しいでしょうね。

お城は国宝に指定されましたが、他にも夕日を初め見所が沢山の松江です

2016-03-13 08:00:00 | 日本の町並み
 守山宿は京都にちょっと手前の中山道の宿場町の雰囲気を残す町並みが続いていました。続いていると言えば、守山からは対岸の堅田に琵琶湖を横切る琵琶湖大橋が続いています。湖に架かる橋は、新幹線の浜名湖の出口などを思い浮かべますが、夕日の眺めが美しい橋は、宍道湖大橋が一番かもしれません。今回は、宍道湖大橋が架かる松江市の中心部を紹介します。

 松江は、言わずと知れた島根県の県庁所在地ですが、この島根県が、最も知名度の低い県の一つなので、松江がどこに位置するのか知らない人も多いようです。島根県は、山陰地方に2つ並ぶ県の左側で、松江はその中でも右寄り、と書くと、かえって混乱でしょうか。実は、人口20万の、日本海側としては福井市に次いで8番目に大きな都市なんです。ただ、人口が多いのは、周辺の地域を併合したためのようで、どことなくのんびりして、駅周辺を除けば都市と言うより静かで小さな町の雰囲気です。最近、松江城が5番目の国宝城郭に指定されたので、地名の知名度が向上したかもしれません。

 
 
 町は、宍道湖と中海を結ぶ大橋川によって南北に分断されていて、JRの駅があるのは南側、一畑電鉄の駅や松江城があるのは北側になります。この大橋川に架かる何本かの橋のもっとも西側の宍道湖大橋から宍道湖に沈む夕日が絶景なのです。季節によって、太陽の沈む位置がずれるので、できれば湖に沈む春分や秋分前後が美しいのではないかと思います。

  
 
 宍道湖大橋をまっすぐ北に突き当たると松江城の入り口になります。姫路城の大きさには比べようもありませんが、平山城の天使は市街地のどこからも行く見えます。お城の北にある松平不昧ゆかりの茶室のある明々庵からの眺めもなかなかなかです。城内には、ちょっと変わった建物として興雲閣という明治天皇の宿泊所の遺構が残されています。筆者が訪れた時は、改修中で内部は見られませんでしたが、明治後期の擬似洋館の建物は凛として美しいですよ。

 
 明々庵のある辺りは、城の北側の塩見縄手と呼ばれる地域で、このあたりがもっとも古い町並みが残っている場所です。松江城の北側の堀に沿って道路があり、小泉八雲関連の建物、武家屋敷跡それに茶器のコレクションを展示する田部美術館などが連なります。電柱も無いことから、ちょっとタイムスリップをした感じになります。

 
 
 
 小泉八雲旧宅は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、新婚時代の6ヶ月をすごした日本家屋で、極度の近眼であったハーンのために特注されたと思われる上面が極端に高い机が印象的です。八雲記念館は、旧居の隣に新たに建てられた日本家屋で、八雲の遺品や原稿、書籍などが展示されています。武家屋敷は、江戸時代の侍屋敷の遺構を利用した博物館で、武具や生活用具が展示されています。

 
 
 大橋川の南側は、地方都市のビル群が連なりますが、松江大橋の南詰めあたりには、江戸時代に橋の建設で人柱になった源助の石碑や、高灯楼のようなものも建っています。橋からはちょっと歩きますが、出雲風土記にも載る売布神社と鎮守の森の緑が町並みに変化をもたせています。

 ラフカディオ・ハーンが、東大で英語の先生をしていたことや、その後任が夏目漱石で、ハーンに比べて学生に人気が無かった、ということは意外と知られていないかもしれません。日本ほど、様々な英語教育の手法や学校や教材などが溢れて、使われているお金も多額な国も珍しいかもしれません。所詮は、英語はコミュニケーションの道具であって、いくらお金を賭けて得意になっても、通訳や翻訳家になれるくらいです。これとてもコンピュータの発達で、かなりのレベルで自動翻訳が可能で存在を脅かせます。英語が得意だと言うことだけで、国際的な賞を獲得できません。獲得するためのプレゼンで必要かもしれませんけれど。政治権力は、英語教育推進を謳いますが、英語に賭けるエネルギーをもっと違う分野に振り向けるべきではないでしょうか。

エアバス工場のあるトゥールズですがサンディゴ・コンポステイラ参詣道の大聖堂もあります(フランス)

2016-03-06 08:00:00 | 世界遺産
 フランス国内のサンティアゴ・コンポステイラの巡礼路の2つの町、アルルとモアサックを紹介してきました。前回も述べたように巡礼路の町は足の便の悪いところが多く、フランスの特性として路線バスがあまり無いので訪れるには時間とお金がかかります。今回と、次回は幹線の鉄道駅があり比較的訪れやすい巡礼路の町を2つ紹介します。そして今回は、トゥールズの町にある巡礼路として指定の2箇所の施設を紹介します。

 トゥールーズは、フランス南西部にありフランス第5の大都市で、エアバスの工場があることでも有名です。ボルドーとモンペリエを結ぶSNCFの幹線が通っている足の便の良いバリバリの大都市です。2013年に世界の町並みとして紹介済みですので、今回は世界遺産に登録されているサン・セルナン・バシリカ大聖堂とサンジャック施療院を中心に話を進めていきます。


 

サンセルナン・バシリカ大聖堂は、トゥールズ駅に直行する通りをまっすぐ15分くらい歩いた場所にあります。ロマネスク様式の教会堂としては、フランス最大の規模を誇るものです。900年以上も前の建築で、ピンク色の外壁は石造りを思わせますが、近くに良い石がないので煉瓦で造ったそうです。ロマネスクなので、開口部は少ないのですが、内部空間も巨大で圧倒されますが、柱の上や壁に数多くのレリーフがあって、雰囲気を和らげているようです。通常は四角形か丸い鐘楼が、こちらでは多角形で数多くの窓が開いていて、なぜか香炉を思い浮かべます。また、多角形の塔は中国の塔に似ているかもしれませんが、レンガ造りであるにもかかわらず、こちらの方がずっと軽やかです。


 一方の、サン・ジャック施療院(オテル・デュー・サン・ジャック)は、駅から地下鉄でSt. Cypreien Repblic駅まで行って少し戻ったあたり、サンセルナンからは、南に500m程行ってガロンヌ川をポンヌフ橋で越えたところになります。この橋のそばには灯台のような建物があって、看板もありましたが、フランス語でも一つ解りませんでした。サンジャック施療院は、その灯台のような建物と通りを挟んで反対側ですが、とても大きな敷地で付近を圧倒しています。巡礼者の治療を行った療養所という位置づけで遺産登録されており、現在は病院のオフィスの機能と博物館の機能とがあるようです。

 サンティアゴ・コンポステイラへの参詣は、規模こそ違え日本の西国三十三箇所や四国八十八箇所の巡礼と似ているところがあります。どちらも、宗教に根ざしていて、ポイントを順に参拝してゴールを目指します。現在でも歩いて巡礼をする人も多いそうです。日本の場合は、一気に回るのではなく、何回かに分けて歩く人のことも耳にします。昔風の装備で歩く人だけでなく、リュックにトレッキングシューズといでたちも多いそうです。コースには幾つかの難所と呼ばれる所があるようですが、装備の中にはGPS応用のナビゲーションを入れているのでしょうか。そういえば、トゥールーズで作られているエアバスも高性能のナビガ無ければ、飛べない、ただの箱なんでしょうね。