世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ブラガの郊外には世界遺産のボン・ジェスス教会がありますが、祈りの町のブラガの市街地にも数多くの教会など見どころたくさんです(ポルトガル)

2022-10-30 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はイギリスで最も保存性の良い城塞都市のひとつであるチェスターを紹介しました。ヨーロッパ大陸側では陸続きで隣国と接するために、町の周りを城壁で囲むのが通例のようですが、必ずしも現代まで保存されているわけでもなさそうです。今回は、中世時代に造られた城塞が残っていない都市の中に、ポルトガル北部のブラガがあり、その郊外に世界遺産のボン・ジェスス教会がありますが、ボン・ジェススは昨年に世界遺産のカテゴリーで紹介したので、ブラガの町中を中心に紹介します。

 ブラガは、ポルトガルの北西部、ポルトがるの第2の都市であるポルトの北80kmほどの内陸都市です。リスボン都市圏、ポルト都市圏に次ぐ第3の都市圏の中心地です。リスボンは楽しみの町、ポルトは働く町、そしてブラガは祈りの町と言われ、市街地に数多くの教会があります。世界遺産のボン・ジェスス教会は町の中心から東に3kmほどバスで15分くらい、都市圏を取り囲む山の麓からケーブルカーに乗るかつづら折りの階段を上ったところにあります。

 
 ブラガの中心街は、鉄道駅の東にあるレプブリカ広場の周辺です。筆者が訪問したときは鉄道駅が建て直し中で、鉄道ならばポルトからブラガまで1時間ほどで行けたようですが、レプブリカ広場の北にあるバスセンタから2時間ほどかかったように思います。レプブリカ広場と鉄道駅との間には数多くの教会など見どころが集中しています。とてもすべてを訪問できませんでしたので、訪れたところを順に紹介します。

  

 レプブリカ広場に面してはラバ教会とカソリック教会があり、ラバ教会の後方にももう一つのカソリック教会の塔が覗いています。広場の南西にあるのがコインブラス礼拝堂とサンタ・クルス教会です。コンブラス礼拝堂は小ぶりでマヌエル様式で作られ右側に隣接してコンブラス家の邸宅跡があります。サンタクラス教会はコインブラス礼拝堂の筋向いに建ち堂内は白と金色を中心としたきらびやかなものです。

 
 コインブラス礼拝堂を西に行くと旧大司教館があり、現在は図書館などに使われています。前庭には噴水があって中央のポールの先端に建つ女神はブラガを表すのだそうです。内部は見学できませんでしたが、マニュエル様式の窓の飾りや、前庭に面した建物に付いた回廊の列柱がきれいです。

 
 旧大司教館の南にあるのがブラガ大聖堂(カテドラル)で正面から見るとさほど大きく感じないのですが、堂内に入ると大きなパイプオルガンなどブラガを代表する聖堂といった感じがします。ここでも結婚式に遭遇しましたが、花撒きをする子供たちがかわいくって印象的でした。

 
 旧大司教館の西にあるのが18世紀から1世紀をかけて建設されたブラガ市庁舎があります。正面から見ると何の変哲もないような長方形の建物ですが、連続する窓が美しい建物です。また、建物の前提には中世には愛の象徴とされたペリカンをモティーフとした噴水があります。

 
 市庁舎のさらに西にあるのが訪問当時には休館中のビスカイニョス美術館で、17世紀に貴族の館として建てられた建物は、中は見られませんでしたが外観だけでも重文綺麗でした。

 
 大聖堂の西、ビスカイニョス美術館の南にあるのが18世紀に造られたアルコ門で、ブラガ駅からこの門を越えると旧市街になります。おそらく、門が作られた頃には市壁の一部賀残っていて、この城壁に造られた門ではなかったかと想像しますが、調べてみても情報がありませんでした。

 ブラガは祈りの町と言われるそうですが、わが国で祈りの町というと何処でしょうか。町ではありませんが比叡山や高野山が相当するかもしれません。特に、比叡山はその後の日本仏教界に大きな影響を与えた宗派の開祖を生み出しています。比叡山は、京都御所の鬼門封じの役割も持っていたようです。現代では鬼門という言葉自体も死語になりつつあり、スマホの地図情報に鬼門なんて表示されません。しかし、歴史の長い京都では家の鬼門の方角を隅切りした町家を見受けスマホが無くても、町中で方角を知るヒントになるかもしれません。ちなみに、鬼門の方角は十二支でいうと丑寅の方角となり、鬼の角は牛にちなみ、虎の皮のパンツをはいているとの説もあります。

お城も武家屋敷の母屋も無くなってしまった長府の城下町ですが、他の城下町では見られないような美しい土塀が続いています

2022-10-23 08:00:00 | 日本の町並み
 福岡市は城下町だったという認識がなかったのですが、市街地に大きな城跡があってびっくりでした。そして、その城跡の一部には平安時代に建てられた現在でいえば外務省の出先である鴻臚館の遺跡が眠っていました。当時の日本にとって外国は中国や朝鮮でしたから、福岡はその玄関口だったのでしょう。一方、幕末には相手は西欧列強で、平和的なアプローチではありませんでした。沖合を通る外国船に砲撃をくわえたのが下関戦争で、その舞台となったのが毛利氏の城下町の長府でした。今回は、武家屋敷之跡の塀がタイムスリップしたかのような景色を作る長府を紹介します。

 現在の長府は下関市の南東部で昭和初期に編入されています。かつては、下関駅と長府駅との間を路面電車が走っていましたが昭和44年に廃線になっています。城下町としての長府は江戸初期に毛利藩の支藩として櫛崎城が築かれましたが、わずか10年余りで一国一城令で取り壊され、隣接する現在の豊浦高校の場所に住まいを移したそうです。城下町と言えども、城が存在したのはわずか十数年でしたが、他の城下町では見られないような武家屋敷の町並みが残っています。

 
 
 
 長府にはJR山陽線の長府駅がありますが武家屋敷が数多く残るのは、駅から3kmほども南に行ったところ。かつての櫛崎城跡やその後の居所跡の豊浦高校などはさらに南になります。南北に走る国道から西に向かって古江小路などの少し上り坂になっている通りが伸びています。通りの両側はベンガラ色の土塀や石垣の上に造られた土塀、さらの板壁の上部が城漆喰という家並が連なります。長屋門も残っていますが、塀の中の武家屋敷の母屋は一つも残っていないようです。現代の生活様式では不便で建て直してしまったのだそうです。

 
 古江小路は長州毛利邸後のある通りに突き当たりますが、中央よりやや国道寄りに忌宮神社がありますが、訪問した時には3年ぶりの開催という数方庭祭(すほうていさい)の準備の真っ最中でした。30mを越える竹竿之先にのぼりが付いています。重さが80kgもあろうかという竿を持って境内の鬼石と呼ばれる平たい石の周りをまわるそうですが、のぼりではなく提灯が付けば、秋田の竿灯って所でしょうか。

 
 
 
 
 一方、毛利邸跡まで上って左手に行くと功山寺があります。京都の高山寺と同じ発音ですが、こちらは功山寺で、鳥獣戯画が国宝ではなく国宝の唐様の仏殿があるので有名です。唐様の建物というと鎌倉の円覚寺舎利殿が有名ですが、こちらの仏殿はかなり大ぶりです。境内には功山寺挙兵をした高杉晋作之像もあります。この像より、旧下関市立歴史博物館の建物の方に興味が惹かれます。現在は功山寺の門の外にテッキンコンクリートの新しい博物館ができ2016年に移転しています。旧館は石造りで、堂々とした外観はなかなか美しいのですが、どうも廃墟っぽくて使われていないようでした。

 土塀など土で作られた壁は、湿気を吸ったり吐いたりして自然のエアコンと言われています。科学物質は含んでいないので、ホルムアルデヒドによる害もなく、他の部分で発生したガスも吸収してくらます。ただ、施工にはお金と時間がかかり、職人さんも減ってきているように思います。演題の技術は、センサーによって、屋内の状況を感知して、コンピュータを内蔵したエアコンや空気清浄機はたまた換気装置がフル稼働して、力づくで屋内環境を整えようとしています。アメリカ之家庭では、一年中エアコンは入れっぱなしだそうですが、新しい技術が常に優れているのではなく、見直しても良い時代になっているのではないでしょうか。

厳島神社の海に浮かぶ大鳥居を見るためには来年以降の大潮の満潮時刻に訪問の必要があります(日本)

2022-10-16 08:00:00 | 世界遺産
 スペインのセゴビアもスイスのベルンも丘の上に発達した町で、変幻に浮かぶ島のような場所でした。平原に浮かぶ島ではなく、実際の島にある神社が世界遺産に登録されているのが広島県の厳島です。今回はこの厳島神社の周辺を紹介します。

 
 
 厳島神社はご存じのように松島、天橋立と並んで日本三景の一つで、広島市街地の西南西15kmほどの島にあります。広島からJRでは30分ほど、路面電車の部分もある広島電鉄で1時間ほどですが、島に渡るフェリー乗り場には広電の駅の方が国道を渡らなくて済むので楽です。フェリーは2社が運航していて10分ほどですが、若干早いのは松代汽船ですが、JRの方が神社の正面の沖を通るので人気があるようです。しかしながら、厳島のシンボルのような神社の前の海中に建つ大鳥居は現在工事中で足場の囲いの中、今年いっぱいかかるそうです。

 
 
 

 
 
 厳島神社は6世紀末のころに地方豪族の佐伯氏が造営したとされ、その後の12世紀になった平清盛によって現在の規模に増築され、国宝の平家納経などもその時に奉納されたものです。本殿周りの建築物6件はすべて国宝で、周りの建物の大部分、大鳥居や五重塔などは重文です。大鳥居は海中にあって目立つ存在ですが、丘の上に建つ五重塔もどこからも見える存在ですが、神社なのにお寺のシンボルの五重塔???この塔は、9世紀始め開基の大聖院というお寺の子院であった金剛院のものでしたが、明治期の廃仏毀釈で神社の管理下に移されたのだそうです。


 厳島神社の美しさの一つが、社殿の下にまで海水が入ってくることで、海に浮かぶ様が絵になる風景です。ところが、筆者は何度訪問しても官庁の時間で、大鳥居のそばまで歩いて行けるというメリットはありますが、ヒタヒタの社殿は見られません。そこで、満潮時刻を調べ満を持して訪問しました、満潮のピークから2時間立っていた時には時遅しで、社殿の下には砂地が見えていました。フェリーからは30分ほど早い時刻だったので、社殿が海面に映る姿が見えていたようにも思いますが、社殿がたっぷりと海につかるのは大潮の満潮ピークの時なのでしょうか。

 
 
 
 
 
 フェリー乗り場から神社へはいろんなルートがありますが、お勧めは海沿いの道で、社殿がどんどんと近づいて来る様子に機体が膨らみます。戻りのルートですが、母屋毛を買う必要のある方は、表参道商店街ですが、古い町並みが残るのは、商店街の一本裏の道です。格子の連なる町家がズラリと並んでいます。その家並の上には五重塔が望めて、他の町並みにはない景色が楽しめます。この町家通りの突き当りには要害山という丘があり標高は30mに満たない小山で、16世紀に毛利元就が城を立てたという伝説もあります。頂上付近には展望台もあって、宮島の町並みもよく見られます。町家通り側と反対側に降りるとフェリー乗り場はすぐです。

 厳島神社の大鳥居は海中にあるのになぜ腐らないのか疑問に思いましたが、やはりそんなにはもたないそうで、現在のものは明治初期に建てられた8代目だそうです。水に強いクスノキを付けっていますが300年ほどの寿命だそうです。その間に、次の建て替え用のクスノキを育てるのでしょうか。ただ、この300年周期というのは微妙な長さとも思います。伊勢神宮の建て替え周期は20年、一説には20年の周期だと技術者の新旧賀オーバーラップして、技術の継承がうまく行えるとのこと。鳥居は社殿より構造が単純なので、さほどの技術j継承は要らないかもしれませんが、巨大なものを作るノウハウのようなものがありそうです。ノウハウ集を残すには、アナログでも紙などに書いたドキュメントが安心です。デジタルの情報は不変と言われていますが、情報を読む技術は不変ではなく、300年後には読めなくなる恐れがありますから。

福岡城というのはその存在も希薄でしたが、黒田長政が造ったお城跡やその周りには見るべきところがたくさんあります

2022-10-09 08:00:00 | 日本の町並み
 五島列島の福江城や大和郡山之郡山城では城跡に高校が建っていました。明治維新で数多くの城が取り壊されましたが、その広い敷地は公園などが多いのですが、宗教団体に使われているところもありました。福岡城では、城跡の一部には、かつての西鉄球団のホームグラウンドである平和台球場がありました。ところが、この平和台球場の老朽化による改良工事で、破壊されたと思われていた平安時代の鴻臚館の遺跡が明らかになり、球場整備は中止となり発掘作業が継続されました。当時平和台球場を本拠地としていたダイエーホークスは福岡ドームに移転し、球場跡は鴻臚館跡展示館と緑の芝生広場になっています。今回は、大濠公園から福岡城跡の周辺を紹介します。

 
 
 
 福岡城跡は福岡市の中央北辺、もう少しで玄海灘というところ、繁華街の天神の西1km程のところにあり、さらに西隣には大濠公園があります。あ城跡の舞鶴公園と大濠公園とはほぼ同じくらいの面積で大都市の中にこれほど広い池があるのも驚きです。大豪公園の雄大さと対照的なのが、南側に隣接して昭和59年に開園した日本庭園で、築山林泉回遊式庭園として限られた広さに自然の風景を圧縮しています。庭園内には休憩所や茶室もあって、白壁の築地米の中は外部とは違った異次元の世界ですが、時折上空を福岡空港に降りる飛行機が横切って現実世界に引き戻されます。

 
 
 

 大濠公園の東南にある福岡市美術館の横を通り抜けて東に行くと、石垣に囲まれた上り坂が現れ、この坂を上ると福岡城跡に出ます。坂を上っていくときに志垣の上に見えるのが重文の多門櫓で、廃城の後に残った建物は多くはありません。多門櫓のあるところが南丸跡で、残された建物の大部分は、この南丸を囲むように建っています。南丸から北東にさらに上ったところが天守台で、石垣しか残っていませんが、さすがに眺めはよくって、お城のお城の緑の木立の向こうに福岡のビル群が眺められて、近くにある緑の面積が広いためか姫路城などとは印象が違います。天守台の北側は本丸跡で、桜の木が植林され、春には見事な花が見られそうです。

 
 
 本丸跡を北に抜けて、坂を降りると球技場の先に緑の芝生が一面のグラウンドが現れます。平和台球場の跡と言われても、にわかに信じがたい光景です。この広場は鴻臚館広場と呼ばれ、広場の南に隣接して鴻臚館跡展示場が建っています。この場所は、かつて平和台球場のバックスクリーンのあった場所だそうです。鴻臚館は平安時代に外交および海外交易のために作られた施設で、奈良や京都それに大宰府などにも作られましたが、遺構が見つかっているのは福岡の鴻臚館跡が唯一です。鴻臚館跡展示場には早くに調査が行われた南側から出土した遺品の展示や他では埋め戻された遺構の一部が見られ、当時の建物も復元されています。

 遺跡が見つかった時に、その遺跡がいつ頃のものかを推定するのは考古学の宮ような仕事の一つです。一般的には編年、炭素14それに年輪年代という3つの手法が採られるそうです。この中で、炭素14法は、放射性の炭素14の半減j期を利用して試料中の生物が死んだ後の時間を推定するものです。かつては、資料から出る放射線のα線を測定していましたが、現在は加速器を使って炭素14の数そのものを測定する技術が確立し、短時間で少ない量の資料により測定可能となりました。加速器とは日本の名前が付けられた新元素のニホニュウムを作るときも使われた技術で、原子や素粒子を光の速度近くまで加速するものです。

ロンドンから2時間、イングランド北西部のチェスターでは絵本の世界から飛び出したような風景が現実に目の前に広がります(イギリス)

2022-10-02 00:54:44 | 世界の町並み
 ロマンティック街道にある小さくかわいらしい中世の町を紹介しましたが、どちらの町も周りを取り囲む城塞のある町でした。ヨーロッパなど陸続きで隣国などと接する場所では、隣国の侵略から町を守るため町を取り囲む塀は必須だったのでしょう。中国の万里の長城は、最も巨大な例かもしれません。一方、イギリスは日本と同じように島国ですが、市を囲む城壁が残る町があります。思い当たる都市としてヨークとチェスターがありますが、今回はチェスターを紹介します。

 
 

 チェスターは、ロンドンの北西250kmほど、特急列車で2時間ほどのイングランドの北西端、ちょと西に行けばウェールズという場所にあります。人口は8万人と小ぶりな都市で、イギリスの中の城塞都市の中で、最も保存状態がよい都市と言われています。持の規模が大きくないのがよかったのかもしれません。しかし、日本の古い町並みの中にあるような、冷凍保存の漢字はなく、活気のある街という印象です。城壁の門の一つのイーストゲートの時計は、ヴィクトリア女王即位60年を記念して1897年に作られた時計台は100年以上たった今も時を刻み続けています。

 筆者が訪れたのは約25年前で、写真はアナログで撮ったものをスキャナで取り込んでいます。ウェールズにある世界遺産のカナーボンの帰りに寄ったのですが、あまり記憶が残っていなく、カンーボン城などのウェールズの城やチェスターの後に寄ったウェッジウッドのアウトレットの記憶が頭を占領していました。しかしながら、写真を整理してみると、このチェスターって町は、絵本に出てきそうな景色にあふれていてびっくりで、もう一度行ってみたいイギリスの町の一つになりました。

 
 町並みの建物の大部分は木造のハーフティンバーと呼ばれる様式で、白い壁に構造体の木材が描き出す模様が絶妙で、建築は凍れる音楽というたとえが分かるような感じもします。ハーフティンバーの建物群は、フランスのストラスブールでも見ましたが、ストラスブールでは、ハーフティンバーの町並みは運河沿いに集中して多様な記憶がありますが、チェスターは城壁の内部にあふれているように思いました。ちなみにハーフティンバーの語源には諸説あり、外部から見ると壁と木材之面とが半分半分で見えるから、とか、木材の半分が壁の外に露出しているからとか、と言われています。

 ハーフティンバーは、土やレンガといった圧縮に強い材料と、木材という引張強度のある材料とを組み合わせていて地震にも強い建物と言われています。現代の鉄筋コンクリートも圧縮強度はコンクリートが、引張強度は鉄筋を分担するという同じ考え方です。一方、日本の伝統建築でも大壁と真壁という工法があり、壁で柱を隠す大壁に対して、柱の一部が露出する野が真壁です。この真壁は一種のハーフティンバーですが、お寺の建築を除いて、一般の民家では、外部に対して柱が見える建物は少ないように思います。建物を設計するときに引張と圧縮の強度が十分あるかコンピュータを使った強度計算があり、初期の大型コンピュータ共同利用でもこれらの計算に使われることが多かったようです。ただ、この強度計算は、随分と精密な計算をするようですが、不思議にも最後に安全係数として2~3の数値を掛け算するんですね。天然の素材を使う建築分野では、材料のばらつきを補正するためでしょうか。