天下を取りに行き上洛を狙った織田信長が本格的なお城を構えた岐阜城の麓に京町家を思わせる町並みが続くのが岐阜の玉井町でした。岐阜といえば海の無い県の一つですが、今回は首都圏で海の無い県の埼玉県の浦和を紹介します。調神社(つきじんじゃ)には来年の干支のうさぎをかたどった「こまうさぎ」もたくさんおりました。
かつての県庁所在地の浦和市は、政令指定都市化のために大宮市などと合併して、さいたま市の一つの区になってしまいました。しかし、県庁の建物を持ち、かつての中山道3番目の宿場町としての面影を残す落ち着いた町並みは、人口の多い大宮とは違った顔を持っています。
一つの区の名前に降格した浦和ですが、JRには浦和の名前が付く駅が7つもあり、埼玉交通線の浦和美園を入れると8駅となり、当然ながら日本一です。またこの8つの中には東西南北すべての方角の文字が揃っていて、これも唯一なのです。ところが、かつての浦和駅は特急の止まらない県庁所在地駅として有名でした、特急どころか中長距離列車すべてが停車せず、京浜東北線の電車が停車するのみでした。当時は浦和駅の土地が狭くて列車線ホームを作れなかったためのようですが、東京から近すぎたのも理由の一つだったかもしれません。
かつて、叔母が浦和に住んでいたことがありますが、彼女の証言によると、毎年の年賀状の中に、何通かは「東京都浦和区」と宛名表示されたものが舞い込んだそうです。それでも配達されたのですから、面白いですね。
さて、こまうさぎの居る調神社ですが、浦和駅の西口を出て旧中山道を南に折れて400mほどのところにあります。神社の建物などは鳥居が無いくらいで特に変わった様子はないのですが、境内のいたるところにウサギの像があります。絵馬にも馬ならぬウサギが描かれています。このこまウサギは、神社の名前が「調(つき)」→月というごろあわせから、月の動物といわれる兎、という連鎖のようです。また、別のごろあわせで、「つき」に恵まれるというご利益があるとか。ちなみに調の本来の意味は太古の税制である租庸調の調であり、関東一円から納められた調を納める蔵が在ったことに由来しているそうです。鳥居が無いのも、調を運び入れるときに邪魔になるため撤去されたためです。
調神社とは逆に旧中山道を北に曲がって少し西に入ると枝垂桜が美しい玉蔵院があります。筆者は偶然にも枝垂桜が満開のときに訪れましたが、京都の円山公園や六義円のものに勝るとも劣らないような華やかな桜でした。この旧中山道沿いには、旧本陣跡などもあり、昔懐かしい昔懐かしい家並みも少しですが残っているようです。
駅からの道をまっすぐ西へ、埼玉県庁を通り過ぎて1kmほど歩くと別所沼公園があります。都会の中に、かつての武蔵野を思わせる異次元空間が広がっています。沼を囲む雑木林の風景は、吉祥寺の井の頭公園とも状況が似ているかもしれませんが、ボートが浮かんでなかったり人が少ない分、伸びやかな感じがします。この沼には大蛇が棲んでいて、この大蛇が怒ると雨を降らせるのだそうです。このため、日照りが続くと、若者たちが沼に入って暴れ大蛇を怒らせる、という儀式が行われてきたそうです。
月にウサギが居るというのは、月の黒い部分の模様が兎がもちを搗いている形に見えたためですが、この形がどのように見えるかということは国によってずいぶんと違うようです。蟹、横向きの女性、ほえるライオン、バケツを運ぶ少女などなどずいぶんと多方面にわたっています。現在のように通信衛星が発達する前には、月に向けて電波を発射して、その反射波を捕らえて遠距離の通信を行おうという実験も行われたようです。この反射波で中継されたテレビ画面には、すべてウサギが映っていたかもしれません。
かつての県庁所在地の浦和市は、政令指定都市化のために大宮市などと合併して、さいたま市の一つの区になってしまいました。しかし、県庁の建物を持ち、かつての中山道3番目の宿場町としての面影を残す落ち着いた町並みは、人口の多い大宮とは違った顔を持っています。
一つの区の名前に降格した浦和ですが、JRには浦和の名前が付く駅が7つもあり、埼玉交通線の浦和美園を入れると8駅となり、当然ながら日本一です。またこの8つの中には東西南北すべての方角の文字が揃っていて、これも唯一なのです。ところが、かつての浦和駅は特急の止まらない県庁所在地駅として有名でした、特急どころか中長距離列車すべてが停車せず、京浜東北線の電車が停車するのみでした。当時は浦和駅の土地が狭くて列車線ホームを作れなかったためのようですが、東京から近すぎたのも理由の一つだったかもしれません。
かつて、叔母が浦和に住んでいたことがありますが、彼女の証言によると、毎年の年賀状の中に、何通かは「東京都浦和区」と宛名表示されたものが舞い込んだそうです。それでも配達されたのですから、面白いですね。
さて、こまうさぎの居る調神社ですが、浦和駅の西口を出て旧中山道を南に折れて400mほどのところにあります。神社の建物などは鳥居が無いくらいで特に変わった様子はないのですが、境内のいたるところにウサギの像があります。絵馬にも馬ならぬウサギが描かれています。このこまウサギは、神社の名前が「調(つき)」→月というごろあわせから、月の動物といわれる兎、という連鎖のようです。また、別のごろあわせで、「つき」に恵まれるというご利益があるとか。ちなみに調の本来の意味は太古の税制である租庸調の調であり、関東一円から納められた調を納める蔵が在ったことに由来しているそうです。鳥居が無いのも、調を運び入れるときに邪魔になるため撤去されたためです。
調神社とは逆に旧中山道を北に曲がって少し西に入ると枝垂桜が美しい玉蔵院があります。筆者は偶然にも枝垂桜が満開のときに訪れましたが、京都の円山公園や六義円のものに勝るとも劣らないような華やかな桜でした。この旧中山道沿いには、旧本陣跡などもあり、昔懐かしい昔懐かしい家並みも少しですが残っているようです。
駅からの道をまっすぐ西へ、埼玉県庁を通り過ぎて1kmほど歩くと別所沼公園があります。都会の中に、かつての武蔵野を思わせる異次元空間が広がっています。沼を囲む雑木林の風景は、吉祥寺の井の頭公園とも状況が似ているかもしれませんが、ボートが浮かんでなかったり人が少ない分、伸びやかな感じがします。この沼には大蛇が棲んでいて、この大蛇が怒ると雨を降らせるのだそうです。このため、日照りが続くと、若者たちが沼に入って暴れ大蛇を怒らせる、という儀式が行われてきたそうです。
月にウサギが居るというのは、月の黒い部分の模様が兎がもちを搗いている形に見えたためですが、この形がどのように見えるかということは国によってずいぶんと違うようです。蟹、横向きの女性、ほえるライオン、バケツを運ぶ少女などなどずいぶんと多方面にわたっています。現在のように通信衛星が発達する前には、月に向けて電波を発射して、その反射波を捕らえて遠距離の通信を行おうという実験も行われたようです。この反射波で中継されたテレビ画面には、すべてウサギが映っていたかもしれません。