今年の世界遺産会議で新しく承認された文化遺産の2件目です。北京の中心軸という登録名称ですが、登録の中心となる故宮はすでに登録済みで、世界遺産は毎年1件までといったルールがあるのに、中国は自然遺産と合わせて2件が登録されていて、ずるいような気がします。
北京の中心軸とは、南の永定門から北に伸びて故宮を通り過ぎて鼓楼、鐘楼に至る約8kmの南北の軸線に沿った都市構成で構成されます。わが国の京都、平安京の遺構で考えると、かつての羅生門から御所の朱雀門二至る南北の朱雀大路に相当するものでしょうか。この朱雀大路は現在の千本通りあたりのようですただ、残念なことに京都では都市化や内乱で平安京としての遺構はほとんど残っていないようで、京都の中心軸というのは、文化遺産にはなりそうにありません。さて、北京の中心軸ですが、筆者はこの構成要素のほんの一部しか訪問していないので、ほんのさわり程度しか紹介できません。
中心軸の南端の永定門の北東隣りにあるのが天壇です。天壇は15世紀に行程が天に祈る宗教施設として作られたもので、天壇として独立の世界遺産になっています。1km四方の敷地に祈念殿などが建っていますが、建物群の南にある皇穹宇は円形の壁に囲まれこの壁の近くでささやくと遠くに居る相手にも声が伝わるという回音壁として有名です。また祈念殿は夜間ライトアップされ、闇夜に浮かぶ姿は幻想的です。
天壇からは紫禁城の天安門まで飛んでしまいます。紫禁城は環濠に囲まれた南北1km、東西800m程の宮殿の跡で、天安門は正門の午門より南500m程に位置しますが、正門よりも有名な門になっています。午門から城内に入ると、また門があって、それをくぐるとまた門というように、やたらと門が続くように思えます外敵からの防御のためだったのでしょうか。この紫禁城を斜め上から見られるのが景山公園なのですが、残念ながらこの公園には行き損ねました。
景山公園をさらに北に行くと突き当りに建つのが鼓楼でその工法にあるのが鐘楼で世界遺産はこれが北の端になります。鼓楼は15世紀に建てられ、太鼓を鳴らして時刻を知らせる建物でした。時刻の元となったのは線香でどれほど正確であったかは疑問ですが、人々の生活ものんびりしていたので問題ではなかったのでしょう。18世紀に改修を受けていますが、1/4世紀前に訪れた時にも足場が組まれて工事中でした。高さが47mほどありトンネル状の長い階段を上ると眺めがよく、胡堂に建つ中庭を囲んでロの字に4軒の住居がある四合院の様子がよくわかりましたが、北京五輪の再開発で大部分が取り壊されてしまったのは残念です。
鼓楼の背後にある鐘楼は、15世紀に創建され18世紀に再建された建物で、鼓楼より少し高く48mの高さがあります。石の基壇が低い鼓楼に対して、鐘楼は高い石造りの基壇と建物の上に木造建築がちょこんと乗っています。建物中央当たりに大きなアーチ状の窓があって中には高さが3.5mもある巨大な鐘がつるされています。この鐘は日本の梵鐘にような円筒形ではなく末広がりになっていて、教会のカリヨンにも似ているような気がします。
北京の四合院は、一族が中庭を囲んだ集合住宅に住むという構図はアモイの内陸部にある世界遺産の土楼とも似ている気がします。土楼と違って四合院は外敵から身を守るという性格は少ないのかもしれませんが、一族が身を寄せ合ってクラスというのは伝統なのでしょうか。外壁ではなく高い建物で外敵を防いだ市五郷住宅の、これも世界遺産の開平望楼や城壁に囲まれた都市が多いのは陸続きの外敵から身を守らねばならないのは、中国やヨーロッパの宿命でしょうか。コンピュータのネット世界でも、外部からやってくる外敵を防ぐ役割をするのがファイアウォールですが、ネット世界で外部からやってくるのは火災だけなんですかね。
北京の中心軸とは、南の永定門から北に伸びて故宮を通り過ぎて鼓楼、鐘楼に至る約8kmの南北の軸線に沿った都市構成で構成されます。わが国の京都、平安京の遺構で考えると、かつての羅生門から御所の朱雀門二至る南北の朱雀大路に相当するものでしょうか。この朱雀大路は現在の千本通りあたりのようですただ、残念なことに京都では都市化や内乱で平安京としての遺構はほとんど残っていないようで、京都の中心軸というのは、文化遺産にはなりそうにありません。さて、北京の中心軸ですが、筆者はこの構成要素のほんの一部しか訪問していないので、ほんのさわり程度しか紹介できません。
中心軸の南端の永定門の北東隣りにあるのが天壇です。天壇は15世紀に行程が天に祈る宗教施設として作られたもので、天壇として独立の世界遺産になっています。1km四方の敷地に祈念殿などが建っていますが、建物群の南にある皇穹宇は円形の壁に囲まれこの壁の近くでささやくと遠くに居る相手にも声が伝わるという回音壁として有名です。また祈念殿は夜間ライトアップされ、闇夜に浮かぶ姿は幻想的です。
天壇からは紫禁城の天安門まで飛んでしまいます。紫禁城は環濠に囲まれた南北1km、東西800m程の宮殿の跡で、天安門は正門の午門より南500m程に位置しますが、正門よりも有名な門になっています。午門から城内に入ると、また門があって、それをくぐるとまた門というように、やたらと門が続くように思えます外敵からの防御のためだったのでしょうか。この紫禁城を斜め上から見られるのが景山公園なのですが、残念ながらこの公園には行き損ねました。
景山公園をさらに北に行くと突き当りに建つのが鼓楼でその工法にあるのが鐘楼で世界遺産はこれが北の端になります。鼓楼は15世紀に建てられ、太鼓を鳴らして時刻を知らせる建物でした。時刻の元となったのは線香でどれほど正確であったかは疑問ですが、人々の生活ものんびりしていたので問題ではなかったのでしょう。18世紀に改修を受けていますが、1/4世紀前に訪れた時にも足場が組まれて工事中でした。高さが47mほどありトンネル状の長い階段を上ると眺めがよく、胡堂に建つ中庭を囲んでロの字に4軒の住居がある四合院の様子がよくわかりましたが、北京五輪の再開発で大部分が取り壊されてしまったのは残念です。
鼓楼の背後にある鐘楼は、15世紀に創建され18世紀に再建された建物で、鼓楼より少し高く48mの高さがあります。石の基壇が低い鼓楼に対して、鐘楼は高い石造りの基壇と建物の上に木造建築がちょこんと乗っています。建物中央当たりに大きなアーチ状の窓があって中には高さが3.5mもある巨大な鐘がつるされています。この鐘は日本の梵鐘にような円筒形ではなく末広がりになっていて、教会のカリヨンにも似ているような気がします。
北京の四合院は、一族が中庭を囲んだ集合住宅に住むという構図はアモイの内陸部にある世界遺産の土楼とも似ている気がします。土楼と違って四合院は外敵から身を守るという性格は少ないのかもしれませんが、一族が身を寄せ合ってクラスというのは伝統なのでしょうか。外壁ではなく高い建物で外敵を防いだ市五郷住宅の、これも世界遺産の開平望楼や城壁に囲まれた都市が多いのは陸続きの外敵から身を守らねばならないのは、中国やヨーロッパの宿命でしょうか。コンピュータのネット世界でも、外部からやってくる外敵を防ぐ役割をするのがファイアウォールですが、ネット世界で外部からやってくるのは火災だけなんですかね。