インドを代表する白大理石でできたタージマハルはシャー・ジャハーンが無き妃のムムターズ・マハルのために建てたものですが、黒大理石で建てられるはずであった自身の聖堂は、息子の反乱で果たせませんでした。本来は最も信頼できる血縁者であるはずの息子に捕らえられたわけですが、ジャハーン自身も肉親を殺害して権力の座に座ったので、息子ばかりを責められません。肉親でさえ信頼できないわけですから、ましてや権力者にとって異民族から攻撃される恐れは大きく、このために作られたものの一つが中国の万里の長城ではないでしょうか。このブログで万里の長城をこま切れに紹介してきましたが、今回は長城の最西端の嘉峪関に近い懸壁長城を紹介します。
懸壁長城は、万里の長城の最西端に作られた関所である嘉峪関の北東8kmほど、ウイグルや敦煌に向かう列車の駅のある嘉峪関市街地からは北方になります。東から延びる長城の嘉峪関の手前という位置関係になります。さらに、嘉峪関からは長城の西の端に向かって、砂漠の中に土塀のような城壁の名残が南に続き北大河の絶壁で終わっています。一方の懸壁長城の方は、対照的で、はげ山の稜線を急角度で山頂に向かって伸びています。おそらく長城の上面は45度くらいもあるのではないかと思う急斜面です。玄奘三蔵一行の像がある麓から見える見張り台まで標高差にして200~300mほどもあるでしょうか。上るのはかなりきついですが、頂上からは漠々とした砂漠の中に、嘉峪関市が幻のように浮かぶ景色が楽しめます。玄奘三蔵の一行は、この何もない砂漠をほとんど歩いて横断したのかと思うと、天竺から経典を持ち帰るという執念に恐ろしさも感じます。この懸壁長城は、かなりの部分が1980年代に再建されたものでオリジナルは少しだけなのだそうです。おまけに個人がこの長城を2000年頃にコピーして再建をしたものが近くに存在するそうです
基地となる嘉峪関市へは、かつての長安の西安駅から夜行の特急で18時間ほど、市街地の南西の端の駅に着きます。市街地は、南北が4kmほど、東西に3kmほどのオアシス都市で、きっちっと碁盤の目に区切られた町並みは人工的な感じがします。鉄道駅だけでなく空港もありますが、市街地から10km以上も離れた砂漠の中のようです。小ぶりな市街地でしたが、なかなか賑わいもあって、中国ではよく見かける露天で安くておいしいものがたくさんあって、何を食べようか迷ってしまいます。筆者が泊まったホテルは駅から2kmほどの長城賓館というホテルでしたが、夜行列車で早朝に着いたためもあって、人けが無くて、廃業してしまったのではと思いました。もちろん、通常の時間帯になると、宿泊客を見かけることも増えて、ほどほどのクラスのホテルの賑わいになったようです。
万里の長城は英語ではGreat Wall、大きな壁で今回紹介の懸壁長城は英語の表現そのものです。IT技術者はWallと聞くとFire Wallを思い起こすかもしれません。オフィスや家庭のネットワーク内には他人に見られたり書き換えられては困るデータがたくさんあり、これらを外部からの侵入者に対して城壁のように立ちはだかるのがFire Wallです。Fire Wallの外は敵だらけというのは、万里の長城の外は敵だらけという状況と似ています。ただ、万里の長城が外敵を完全には防ぎきれなかったのと同様に、Fire Wallも完全ではなくいくつものトラブルが報告されています。もともとインターネットは大学や研究機関をつなぐネットとして、性善説を前提に仕組みができているので、これを商用に使うこと自体に無理があると思います。
懸壁長城は、万里の長城の最西端に作られた関所である嘉峪関の北東8kmほど、ウイグルや敦煌に向かう列車の駅のある嘉峪関市街地からは北方になります。東から延びる長城の嘉峪関の手前という位置関係になります。さらに、嘉峪関からは長城の西の端に向かって、砂漠の中に土塀のような城壁の名残が南に続き北大河の絶壁で終わっています。一方の懸壁長城の方は、対照的で、はげ山の稜線を急角度で山頂に向かって伸びています。おそらく長城の上面は45度くらいもあるのではないかと思う急斜面です。玄奘三蔵一行の像がある麓から見える見張り台まで標高差にして200~300mほどもあるでしょうか。上るのはかなりきついですが、頂上からは漠々とした砂漠の中に、嘉峪関市が幻のように浮かぶ景色が楽しめます。玄奘三蔵の一行は、この何もない砂漠をほとんど歩いて横断したのかと思うと、天竺から経典を持ち帰るという執念に恐ろしさも感じます。この懸壁長城は、かなりの部分が1980年代に再建されたものでオリジナルは少しだけなのだそうです。おまけに個人がこの長城を2000年頃にコピーして再建をしたものが近くに存在するそうです
基地となる嘉峪関市へは、かつての長安の西安駅から夜行の特急で18時間ほど、市街地の南西の端の駅に着きます。市街地は、南北が4kmほど、東西に3kmほどのオアシス都市で、きっちっと碁盤の目に区切られた町並みは人工的な感じがします。鉄道駅だけでなく空港もありますが、市街地から10km以上も離れた砂漠の中のようです。小ぶりな市街地でしたが、なかなか賑わいもあって、中国ではよく見かける露天で安くておいしいものがたくさんあって、何を食べようか迷ってしまいます。筆者が泊まったホテルは駅から2kmほどの長城賓館というホテルでしたが、夜行列車で早朝に着いたためもあって、人けが無くて、廃業してしまったのではと思いました。もちろん、通常の時間帯になると、宿泊客を見かけることも増えて、ほどほどのクラスのホテルの賑わいになったようです。
万里の長城は英語ではGreat Wall、大きな壁で今回紹介の懸壁長城は英語の表現そのものです。IT技術者はWallと聞くとFire Wallを思い起こすかもしれません。オフィスや家庭のネットワーク内には他人に見られたり書き換えられては困るデータがたくさんあり、これらを外部からの侵入者に対して城壁のように立ちはだかるのがFire Wallです。Fire Wallの外は敵だらけというのは、万里の長城の外は敵だらけという状況と似ています。ただ、万里の長城が外敵を完全には防ぎきれなかったのと同様に、Fire Wallも完全ではなくいくつものトラブルが報告されています。もともとインターネットは大学や研究機関をつなぐネットとして、性善説を前提に仕組みができているので、これを商用に使うこと自体に無理があると思います。