世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

白石の地名の由来となった神石白石はなんの何の変哲もない石でしたが、近くの武家屋敷の界隈は風情がありました

2020-09-27 08:00:00 | 日本の町並み
 町の中心に冬の降雪時に人々の通路になる「こみせ」と呼ばれる庇が連なり、レトロな消防署が残っているのが弘前の近くの黒石でした。地名の由来ははっきりしませんが、蝦夷の住む土地を国栖(クニス)と呼ばれていたものが転化してクロイシとなったのではないかとも言われています。一方、同じ東北地方の宮城県には白石市があり、こちらは市内にある神石白石が地名の由来だそうです。今回は、白石のある白石市内を紹介します。

 
 白石は宮城県の南端近く、白石城の城下町として、また奥州街道の宿場町として栄えた町です。最寄りの駅は在来線の白石で、仙台からJRの普通列車で50分ほど、一方の新幹線の白石蔵王は旧市街の東に外れた場所にあります。地名となった白石は、駅の西1kmたらず、白石城址の北東200mほどの市街地の道路のそばにポツンとあります。江戸時代には神の石として、周りを朱塗りの玉垣が取り囲んでいたそうですが、現在は三方を低い板塀にかこわれているだけです。神石白石と呼ばれる石は直径が1mほどの凝灰岩ですが、根っこは遠く仙台の根白石まで伸びていると言い伝えられています。

 
 
 
 
 武家屋敷が残るのは、神石白石の西、城跡の北側の外堀になる沢端川が流れているあたりで、奥方用人であった旧古関家です。30年ほど前に古関家から家屋などが白石市に寄贈され、整備された後に公開されています。ただ、武家屋敷が残っているのはこの一軒で、古民家の連なるような町並みは、あまり残されておらず、武家屋敷のさらに北側を東西に通る「みちのくおとぎ街道」沿いに水車のあるラーメン屋やレトロな理髪店などが遭ったりします。また、土蔵もあちこちで見かけたようです。この街道の南側では、お伽話に出てきそうな真っ白の眼科医の建物も見かけました。

 
 
 
 商家で保存性が良いのは、屋号を寿丸と呼ばれた商家で、明治から大正期に建てられた豪商渡辺家の屋敷です。渡辺家が白石市に寄贈し、2003年からは白石まちづくり株式会社が管理運営を行っています。展覧会や貸会場として使われているようです。筆者が訪問した時には和紙の展覧会が開かれていたように思います。白石駅からまっすぐ西に延びる広い通りを200mほど行った南西角に広い庭や土蔵の目立つ建物です。玄関を入ると通りの側に店として使われたり、座敷として来客対応の空間が横に広がり、プライベートな空間はその裏側になります。展示会の会場は、玄関を入って、左手の座敷を通り抜け、一番西の奥の、母屋とは別棟の土蔵の中でした。

 神石白石は地下で仙台までつながっていると言われ、二月堂の若狭の井は、地下で小浜まで伸びているといわれています。19世紀に書かれたジューヌヴェルヌの空想科学小説は、鋭い科学的な先見性に驚きます。月旅行も海底探検も現在では実現されていますが、唯一実現されていないのが地底旅行です。アイスランドの火山から地下に入り込んだ主人公達は、地下には大洞窟があって海まで存在することを発見、最後は噴火のマグマと共にイタリアの火山島から帰還するというものです。常識的に考えるとヴェルヌの描くような世界が地底あるとは考え難いのですが、月旅行や海底旅行はヴェルヌの生きた時代には荒唐無稽だったように思います。専門家的な発想をするSF小説家は常識的過ぎて面白くないような気もします。IT分野の技術開発は、常識の積み上げによって発展してきたことも事実でしょうが、エポックメイキング的な大発明や大発見は、意外と奇想天外な発想から生まれていることが多いようにも思います。

リスボンから日帰りも可能なシントラにはペーナ宮殿、シントラ宮殿と好対照な宮殿が緑豊かな山腹に建っています(ポルトガル)

2020-09-20 08:00:00 | 世界遺産
 中国の南東部にある土楼や開平の奇妙な建物を紹介しましたが、ポルトガルにもちょっと奇妙な宮殿が建っています。フェルディナンド2世によって建てられたパーナ宮殿で、シントラ宮殿やムーア人の廃城などと共にシントラの文化的景観として世界文化遺産に登録されています。今回はぺーナ宮殿とシントラ宮殿とを紹介します。

 シントラは、ポルトガルの中西部、ユーラシア大陸の最西端にあるtロカ岬から内陸に寄ったところ、首都のリスボンの西北西30kmほどに位置します。ロカ岬の東にある山塊の東斜面の麓にシントラ宮殿、斜面の上にぺーな宮殿という配置です。リスボンからは郊外電車の終点のシントラ駅でバスに乗り次いで通しで1時間ほどでしょうか。シントラ宮殿は、駅からは近いのですが、山の中腹に建っているので、バスに乗った方が無難です。一方の、ペーナ宮殿は、さらに高い528mの山の頂上にあって、バスを降りた入場ゲートからさらに上りになるので、別料金の城内バスが走っています。

 

 
 さてペーナ宮殿ですが、1836年に修道院の廃墟の跡に建てられた夏の宮殿です。マヌエル様式をはじめ、いろいろな様式をごちゃ混ぜににして建てられています。マヌエル様式の特徴の一つで窓や出入り口の周りには窓の下には、過剰なまでの装飾があって、トリトンの門の上には半魚人が張り付いていて、下を通る人をにらみつけています。形だけでなく、塔や城壁に塗られた色には原色が多くて、けばけばしいのですが、意外と空の青さや、シントラの森の木々の緑とあっているようにも思います。突飛な感じを受けるのは、節操のなさによるものですが、テーマパークのような雰囲気があって、これもありかなと思ってしまいます。ペーナ宮殿を建てたフェルディナンド2世は日本人の好きなノイシュバンシュタイン城を建てたルードヴィッヒ2世と従弟という説があります。ノイシュバンシュタイン城はペ-ナ宮殿の30年後に建てられ、その突飛な形態はペーナ宮殿から影響を受けているのではないかと思ってしまいます。

 
 
 
 
 一方のシントラ宮殿は、15世紀から建築が始まり16世紀にかけて完成をした王宮です。シントラには、現在の宮殿が作られる前に2つの城が存在しましたが、どちらも現存せず、その一つはシントラ宮殿の向かいの山の頂上にムーア人の城という名前の廃墟となっています。こちらの宮殿もマヌエル様式をはじめ色々な建築様式が折衷して使われていますが、白を基調とした建物の外観は、ごくごく常識的でペーナ宮殿とは好対照です。少々突飛なのは、宮殿の屋根に突き出たサイロのような形の煙突で、台所の排気を逃がすために造られたそうですが、さぞや沢山の料理を作ったんでしょう。外観の平凡さに比べて内部は見事でいくら時間があっても足りない感じです。最も有名な部屋は白鳥の間で、宮殿最大の広間です。現在も、外国の要人を歓迎するパーティ会場として使われているそうです。アズレージョがふんだんに使われているのはポルトガルだからでしょう。ペーナ宮殿が緑に囲まれて庭らしい庭はありませんが、シントラ宮殿にはバックヤードがあって、小ぶりですが、きれいに刈り込まれた庭園があります。

 マヌエル様式は15~16世紀にポルトガルではやった建築様式で、建物全体の形ではなく、過剰とも思える装飾に特徴のある様式です。マヌエルとはエマニュエル夫人とは関係が無く当時のポルトガル王の名前です。人の名前の付いた名称は意外と多く、電気通信で使う単位の大部分は、その単位にまつわる科学者の名前に由来しています。最も基本的な電圧を表すボルトはイタリア人のヴォルタから、電流のアンペアはフランスのアンペールの名前を採ったものです。元素の名前も、人の名前や地名が多く登場しますが、欧米に由来しない名前として2016年になって初めてニホニュウムが113番目の元素の名前として採用されました。人工的に作られた元素で、その寿命は千分の2秒というはかなさです。世界に名前を残すということは、大変なことですが、悪名の方は簡単に残せるのかもしれません。

大河ドラマのロケ地になった黒石のこみせ通りは古風な商店街だけでなく古風な消防署も見られます

2020-09-13 08:00:00 | 日本の町並み
 阪神モダニズムの建物ががたくさん残る住吉の山の手の旧乾邸は危うく取り壊しに遭うところでしたが、現在はどうにか神戸市の試算に落ち着いたようです。保存の資金の確保のために、いろいろな用途に活用されドラマなのどロケにも盛んに使われ太平洋戦争を挟んだ時代背景の「虹を架ける王妃」でも朝鮮王朝の東京邸として撮影されました。ロケ地は日本の各地にあって、一躍観光地化することも多いのですが、そっとしておいてほしい静かな街もあります。その中の一つが、青森県の黒石でNHKの大河ドラマ「いのち」で使われましたが、34年前の放送ゆえか、町は静かなたたずまいを残しているようです。

 
 黒石は青森県の中央やや西、弘前の東北東10km、弘南鉄道で40分たらず、人口3万人ほどで駅周辺以外は田んぼの広がる町です。この田んぼの中には田んぼアートが描かれる場所もあって、弘南鉄道にも田んぼアート駅までありますが、筆者が訪問したのは田植えすらまだの桜の季節でした。大河ドラマのロケに使われたという場所は、黒石駅の東を南北に貫く「こみせ通り」にある造り酒屋の中村亀吉酒造です。店の前には大きな杉玉がぶら下がり、店の前にはロケに使われた旨の看板が掲げられています。

 
 
 
 
 この「こみせ」は漢字で書くと小見世となるのだそうですが、道路と建物間に設けられた雪除けの庇のことで、新潟県などでは雁木と呼ばれるものです。こみせ通りには、この「こみせ」がかなりの長さで残されていて、中村亀吉酒造の前はもちろん重文指定の高橋家の前にもしっかりと残っています。かつては5kmもの長さがあったそうですが、火災や車の発達で道路拡幅で取り壊されて、現在は商店の多い中町に多く残っています。積雪時には、こみせの下を歩くことになりますが、この場所は商店の一部で私有財産、私道ということになるようです。

 
 
 
 こみせ通り付近には、古風な消防屯所があって第一屯所も第三屯所も木造二階建ての上に望楼が乗っかっています。この望楼は第三屯所の方がやや高いのですが、それとてさほどの高さではなく、建てられた大正時代には高い建物が無くって十分に用をなしたんでしょう。ただ消防自動車は近代的なものが車庫に収まっていて、より高いホースを干すためと思われる櫓がそばに立ち火の見櫓として使われたのかもしれません。中町付近には消防屯所だけでなく、レトロな洋館ものこり、新旧が混在する町並みが楽しめます。

 
 
 こみせ通りを南に行くと浅瀬石川が流れていて、川沿いに東に行くと東公園さくら山があり、公園から河川敷にかけて桜の名所になっています。このさくら山公園の北側には、りんご研究所があります。昭和6年にイギリスにある農業研修所の建物を参考にしたというかわいらしい建物は、現在りんご資料館として使われて見学ができます。

 日本酒の味は、原料になる米や水に左右されますが、さらに重要な原料は酵母と言われています。中村亀吉酒造は大正年間に創業して火事などの災害に遭ってないので、いわゆる家付き酵母が育ち、これが味を決めているかもしれません。阪神大震災で多くの灘の酒蔵が被害を受け、家付き酵母も絶え、酒の味が変わったとも言われています。ただ、1970年代以降は、日本醸造協会によって作られ頒布される協会系酵母が使われるようになり、家付き酵母による影響は小さくなってきているそうです。優秀な酵母を作るために様々な手法が使われているようですが、中には大型の加速器から取り出したイオンビームを照射して遺伝子を操作する手法まであるそうです。半導体には有害で誤動作の元になる放射線も使い方しだいですが、人間の遺伝子操作はあってはならない怪談です。

首都のヴィリニュスから1時間足らずで行けるトラカイは湖水や緑がたくさんある羨ましい場所です(リトアニア)

2020-09-06 08:00:00 | 世界の町並み
 かつての都であった西安(長安)から日帰り圏の近くにあって、青銅器博物館やアショカ王が贈った舎利を祀る塔がある法門寺など個性的な見どころのあるのが宝鶏でした。海外旅行で訪れるのは時間の制約などで、どうしても大都市中心になりますが、その周辺にも見どころがあることが多いものです。このような場所は五万とあるでしょうが、今回はそれらの中から、リトアニアの首都のヴィリニュスの西にあるトラカイを紹介します。

 
 トラカイはヴィリニュスの西30km,、バスで40分、人口5,000人ほどの小さな町です。近郊には200もの湖水があって、国立公園に指定されています。30kmというと東京駅と横浜駅との距離程度ですが、トラカイは首都の近郊とは思えない緑豊かな田舎です。湖のそばで見る景色は、北海道の大沼やイギリスの湖水地方と似たような感じがします。

 
 
 
 
 
 前出の2か所とは違って、湖水の景色に加えて、ガルヴェ湖の島にあるお城があり景色に変化を当てえています。14世紀に造られたトラカイ島城です。トラカイはリトアニア公国にとって戦略上重要拠点であり、現在ののびやかな景色からは想像もできませんが、過去には何度も激戦を経験したお城だったようです。離宮や牢獄として使われたこともありましたが、17世紀にモスクワ大公国との戦いで破壊されてしまいました。その後は廃墟となりましたが、現在ある城は20世紀に15世紀の様式で再建されたものです。湖岸から飛び石のような小さな島を経由し二つの橋を渡ってお城の中に入れ、内部は武具や美術品が飾られた博物館になっています。外部から見ると、湖に浮いているおとぎ話のお城のように見えるのですが、内部は少し物々しさもあって、実際に戦争で使われた要塞だったと感じます。北ドイツのシュヴェリーンに、やはり湖に浮いているようなお城がありますが、シュヴェリーン城は白が基調で空を突くような塔がたくさんあって、豪華な感じがしますが、トラカイ島城はオレンジ色が基調で、こちらの塔はムーミンに出てきそうで、かわいらしさが目立ちます。

 
 トラカイ島城の手前にも要塞跡があって、湖に突き出した半島にその遺跡が残っていたように思いますが、記憶がはっきりしません。壕のような地形や快挙のような建物が残っていたようにも思います。詳細な情報も乏しいようですが、華やかなトラカイ島城と対照的に滅びの美学があったような気がします。トラカイに行ったら皆が買って食べるのがキビナイというミートパイの一種で、外見は揚げ餃子って感じです。筆者は、売店で買ったキビナイを食堂で頼んだボルシチと共に食べましたが、お勧めの味です。

 島に建っているといえば、城ではなくて教会ですがモンサンミシェルが飛びぬけて有名で、日本人も好んで訪れるようです。現在は島へ渡る橋がありますが、かつては干潮時に海を歩いて渡ったそうです。渡っている最中に潮が満ちてきて溺れてなくなった人も多かったとか。渡っている人はスマホを持ってなかったでしょうから、潮汐のデータは把握できていなかったのでしょう。スマホを持っていれば、多くの情報が簡単に手に入り便利ですが、それと引き換えに人間が持っている第六感のようなものが衰えているように思います。災害などで、最後に身を守るのは第六感なのでしょうから。