世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

明・清王朝の墳墓群の明孝陵にある動物の石象は子供の格好の遊び場でした(中国)

2012-03-25 08:00:00 | 世界遺産
 奇麗な町並みの先に、3つのアーチを持つ小さな門が一つだけ残されて世界遺産に登録されているのがロルシュ修道院跡でした。同じ3つのアーチの門でも、巨大で来るものを威圧するような構えを見せているのが中国にある明王朝の墳墓です。世界遺産には、明、後金、清、14世紀から20世紀にかけての代々の皇帝の墳墓群が明・清王朝の墳墓群として登録され中国の東部の9箇所に分布しています。今回紹介するのは、明王朝の初代皇帝の明孝陵と3代皇帝の長陵です。

 初代皇帝の明孝陵は、南京市の東部にあって、市内バスで簡単に訪問できる場所にあります。陵は紫金山という山の南面にあって、近くには中山陵や霊谷寺などもあり大きな森林公園のようになっています。市内バスの終点から、陵の入り口までは観光トラムが走っていて、歩くと20~30分ほどの時間を短縮をしてくれます。入場ゲートから右手に行くと、長い石畳の先に朱色の門があって、これを越えると、その先に石垣の上に同じ色の楼閣がそびえていて、かなり威圧感があります。石垣の中央から入って、楼閣の上に登ることができ、木立の向こうに南京の町並みが見えます。皇帝の墳墓は、この楼閣の後方にありますが、さらに上りなので、足に自身の方は上ってみることもできます。








 石畳の道を戻って、左手に行くと石像のある参道に出ます。陵に近いほうには人物像が、その先には動物の像が参道を挟んでペアで置かれています。かなりの数の像が並んでいますが、像と像はかなりの感覚が空いているので、複数の像を同じ画面に入れて写すには、かなりの望遠レンズが要りそうです。





 動物の石像のほうは、よじ登れる程度のものも多くて、子供の遊び道具になっていました。









 3代皇帝の長陵は、北京郊外に分布する明の十三陵のうちの一つで、その中でもっとも規模が大きなものです。北京の中心部の西北方向に50kmほど離れていて、路線バスでも行けるようですが、乗換えなどあり、ちょっと面倒のようです。筆者は、長城とセットになった英語による一日観光バスに乗車して訪問しました。こちらも、入り口の門は朱塗りで3つのアーチ状の開口部があります。長陵の見所は、故宮の太和殿にそっくりの稜恩殿です。ずいぶんと巨大な建物で、内部の柱も太くて数が多く圧倒されます。

 中国の陵墓に限らず、ピラミッドや仁徳天皇陵など巨大な墳墓は、権力者が死んだ後にも自己の権力を誇示したい欲望の現れのようです。あるいは、自分の命の永遠性を望み、地下宮で生前と同じ生活ができるものと考えたのかもしれません。IT分野では、あらゆる情報がデジタル化され、永遠に劣化しないで、未来永劫まで、保存したときと同じ品質を保持できる、と称されてきました。確かに、0や1として記録された情報は、保存されるでしょうが、それを人間が認識できるアナログ情報に戻す仕組みがめまぐるしく変化するので、決して不滅とは言いがたいのです。例えば、デジタル情報の再生ではありませんが、ベータ方式のビデオテープは再生装置は作られていませんし、8mmビデオもしかりです。人間の寿命は、宇宙の寿命と比べるまでもなく、地球の寿命と比べても一瞬ですが、デジタル記録された情報の寿命は、0.1瞬なのではないでしょうか。

宇治の平等院の参道には老舗のお茶屋さんに混じってレトロな洋館の薬屋さんも並んでいます

2012-03-18 08:00:00 | 日本の町並み
 蔵王の登山口の遠刈田は、湯治場の雰囲気を残すこけしの故郷でしたが、手作り豆腐が名産になっていました。お酒の醸造には、良い水が必須ですが、豆腐造りにも、蔵王からの良い水が影響しているのでしょう。美味しい水と言えば、抹茶を点てる時にも必須のものです。抹茶のブランドと言えば、宇治茶ですが、今回はその宇治の周辺を紹介します。

 
 宇治市は京都府の南部にあって、JRの宇治駅は京都と奈良を結ぶ奈良線の京都から1/3程度のところにあります。京都から大阪、奈良にかけて広がる平野の東の端で、琵琶湖から流れ出て山並みの間を蛇行をして流れ下る宇治川が平野に出るところが宇治です。お茶のブランドとしての宇治ですが、生産高については日本一の愛知県の西尾に遠く及ばず、栽培面積も市街地化により減少の一途です。宇治は京都周辺で生産される高級茶流通の拠点といった感じで、宇治駅から平等院に向かう道筋には老舗の茶店が軒を並べています。

 
 お茶屋が並ぶ通りは、観光客が列を成して通る道筋ですが、古い家並みの続く通りです。日本家屋の中に、レトロな洋館が混じっているのも面白い景色です。しかし、大多数の人々は町並みには興味が無いらしく平等院に向けて足早に通り抜けて行くようです。

 
 その平等院の鳳凰堂は、現在の日本の硬貨で唯一の建物のデザインに採用され、世界遺産に登録されている建物です。筆者が学生の頃には、現在の鳳翔館はおろか宝物館も無く、現在は鳳翔館に並んでいる雲中供養菩薩像なども鳳凰堂の阿弥陀仏の周りの壁に張り付いていたように思います。鳳翔館の存在は雲中供養菩薩像などを間近で見ることができ、細かな表情まで見て取れるようになりましたが、博物館くさくなったことは否めません。現在では、鳳凰堂の内部の拝観は、通常のコースではなく、別料金で時間予約をして15分ほどしか入堂できません。なんか、ちょっと変?という感じがします。ただ、入堂しなくても、阿弥陀様のお顔を堂外からでも拝観することはできます。鳳凰堂の前面の池の対岸から、仏像の顔の部分が見られるように丸い窓が開けられています。

 池を挟んでの対岸の後方には宇治川が流れていますが、現在は護岸が進んで川は堤防の向こう側で見えません。しかし、鳳凰堂ができた頃には宇治川の川原まで小石が敷き詰められつながっていたらしいのです。現在よりもずっとのびやかな風景が広がっていたのでしょう。

 
 
 宇治川に架かる宇治橋を渡ると京阪の宇治駅があり、上流には世界遺産の宇治上神社や興聖寺などが紅葉の名所が並んでいます。さらに、京阪で1駅乗れば、アジサイのお寺の三室戸寺、2駅乗れば黄檗宗の万福寺があり、平等院だけが宇治ではありません。

 お茶に含まれているカテキンの高濃度のものを飲用すると、体脂肪の燃焼を助けてダイエットに硬貨があると言われています。ただ、一方ではカテキンの採りすぎは肝臓障害の原因となり、重症の場合は肝臓移植が必要なこともあるとの報告もあります。むしろ、体脂肪の燃焼には、携帯電話のGPS機能を使った宝探しで、歩き回ったほうが副作用無く、健康的にスリムになれるのでは。ただ、運動のあとに、美味しく食べられて逆効果!ってこともありでしょうか。

ユーラシア大陸の西の端のロカ岬は大西洋に面した140mの断崖が続きます(ポルトガル)

2012-03-11 08:00:00 | 世界の町並み
 ユーラシア大陸の南の端の近くで、のんびりした時間が流れる隠れ家的なリゾートがマレーシアのデサルビーチでしたが、ユーラシア大陸の西の端は断崖の連なる岬になっています。今回は、大西洋に突き出し荒涼とした風景のロカ岬を紹介します。

 ロカ岬は、ポルトガルの首都のリスボンから、カスカイスまで郊外電車に乗り、バスに乗り継いで1時間半ほどの場所にあります。カスカイスまでの電車は頻繁に走っていますが、ロカ岬に行くバスは、岬を回って世界遺産のあるシントラまで行きますが90分に1本しかありません。つまるところ、ロカ岬で途中下車をすると、90分間は荒涼とした岬の辺りで過ごさねばならないということになります。

 
 
 岬は西経9度30分で、西側はアメリカ大陸まで続く大西洋に落ち込んでいます。人工のものと言えば灯台とその付属設備、最西端の記念碑それに小さなお土産屋さんだけです。このお土産屋さんでは最西端に来たことの証明書を売っています。40年ほど前には、日本からアメリカに行くJALに乗ると、日付変更線通過証明書なるものをくれましたが、それと同じようなものです。
 7月にしては肌寒い日だったこともあって、このお土産屋でガラオンというポルトガル版のカフェオレを飲んで90分後のバスを待ちました。このガラオンは、神戸で言う「ミーコー」に似て、タンブラー・グラスにミルクたっぷりのコーヒーが注がれて出てきます。

大西洋に落ち込んでいる断崖ですが140mほどの高さがあるそうです。日本と違って、自己責任での行動を前提とする西欧社会ゆえ絶壁の上には柵などはありません。高所恐怖症の人間にはつらいのですが、この絶壁に細い道が付いていて、波打ち際まで降りていけるようで、釣竿を持った人が見えます。竿を持って降りるのはバランスが悪そうで、足を滑らせるとひとたまりもなさそうですが、軽々と降りていくようです。

  
 何も無い荒涼とした景色のように見えましたが、足元の緑を良く見てみると、色々な花が咲いています。これだけ風の強いところでよく咲いているな、と感心します。周りの緑を良く見てみると多肉系の植物のようにも見えます。乾燥した気候で、水分を体の中に閉じ込めておく必要があるからでしょうか。

 15世紀に大西洋を西向かって船出をしたコロンブスもロカ岬の近くを通っていったのでしょうか。GPSやINSのような航法支援システムの無い船旅は冒険以外のなにものでもなかったでしょうが、アメリカ大陸発見という表現には異論があります。アメリカ大陸が無人島ならいざ知らず、ネイティブ・アメリカンからみれば、コロンブス達が勝手にやって来て発見と言うのは、けしからん話です。このことは、世界の全てのことが自分達を中心に回っているという価値観に根ざしているのではないでしょうか。

蔵王のふもとの遠刈田系こけしの故郷には懐かしい雰囲気の豆腐屋もありました

2012-03-04 08:00:00 | 日本の町並み
 松丸駅と上諏訪駅の駅構内にある足湯の話題が続きましたが、今回も足湯のある温泉場の遠刈田を紹介します。現在は鉄道駅とは無縁の遠刈田ですが、今から75年前まで、東北本線の大河原との間に軽便鉄道が走っていました。もちろん、当時の鉄道駅には足湯なんぞは無かったと思いますが。

 遠刈田は宮城県の南端、蔵王連峰の東の麓にあります。白石駅や白石蔵王駅から1時間に1本ほどのバスで1時間足らずの場所にあり、蔵王の刈田岳に向かうバスも通ります。夏場は蔵王への観光客が車で通り抜けたり温泉に立ち寄っったりという感じですが、こんなところに鉄道があったと想像するのも難しい感じです。車が発達する前の大正期に、湯治客の足として開通したのが仙南温泉軌道という軽便鉄道です。この鉄道は、上り坂がきつく、当時の気動車の性能では速度が出ず、あとから走り出したバスとの競争に敗れて、わずか20年ほどで廃線になったそうです。上り勾配のきつい遠刈田寄りの8kmを2時間もかかったのでは、歩くのと変わりませんからね。

 遠刈田と聞くと「こけし」を思い浮かべる方も多いと思いますが、伝統こけしの故郷は決まって温泉場です。これは、江戸末期の東北の湯治場でお土産用に作られ始めた歴史によるものです。伝統こけしは、産地によって形式に特徴があり、10種類に分類されているようです。遠刈田系は、なで肩で額から頬にかけて赤い飾りがあり、胴には菊や梅の花が重ねて描かれています。温泉内にある橋の両端には、この特徴を持つ巨大なこけしがペアで並んでいます。この橋の上流には「みやぎ蔵王こけし館」があり、遠刈田系以外のこけしの展示も見ることができます。

 
 さて足湯ですが、温泉街にある2箇所ある公衆浴場のうちの「神の湯」の前にあって、湯口の近くは熱く、下流では少しぬるく感じます。「神の湯」の裏手に刈田嶺神社があり、参拝は山道を登ることになります。足湯は山道でくたびれた足を休めるのにちょうどいい場所にあるといえるかもしれません。

 
 その刈田嶺神社は、遠刈田温泉にあるものは里宮、刈田岳の山頂にあるものを奥宮と呼び、神様は夏は奥宮、冬は里宮にと季節によって移動されるのだそうです。遠刈田を訪問したのは6月でしたので、お参りした里宮に神様は不在だったことになります。神様不在の神社でしたが、拝殿の上部に彫られた獅子の姿はなかなかユーモラスでしたし、「湯神」という石碑もあって、入浴前後の散歩にはちょうど良い距離かもしれません。





 
 遠刈田では温泉街といった雰囲気は薄いように思います。これは、東北の湯治場にある程度共通しているのかもしれませんが、歓楽街的なにおいが少ないようです。むしろ、古い町並みが一部残されていて、日本の原風景の様相がありました。どっしりとした日本家屋は、東北大震災の影響だったのでしょうか、瓦が落ち、屋根も波打って廃屋のような姿でしたが、滅びの美学と言うと怒られるでしょうか。宮城産の大豆と蔵王の水を利用した豆腐も名物のようで、この豆腐屋さんも風情のある建物でした。

 こけしは、木工ろくろで木を円筒形に削りだして作られますが、別々に作られた頭と胴とがぴったりと合うのは職人さんの感と経験なのですね。作る課程で、特に寸法を測る様子も無いのですが。ITの分野でも、精密加工は全てコンピュータ制御のロボットマシンで作られると思いがちですが、最先端の物造りでは人間の感が大きく寄与している場面も多いそうです。町工場の片隅で、世界に冠たる部品が作られていたりするのですが、かつて中小企業を悪として潰そうとした大臣が居たのは悲しいことです。