東京で唯一残された路面電車の出発点が早稲田でしたが、日本中で邪魔者扱いをされて消えてしまった路面電車も、四国では2つの県庁所在地で路面電車が健在です。このうち松山市内を走る伊予鉄は、市内中心部を走る路面電車の市内線と郊外に伸び専用軌道を走る郊外線とがあります。郊外線は松山市駅から北、東そして南と3方向に伸びていますが、今回は南に伸びる郡中線の終点駅である郡中港駅の周辺の町並みを紹介します。
郡中は松山の南11km程、1955年に近隣の村と合併して伊予市の一部となっています。伊予鉄の駅などは郡中となっていますが、JRの駅は伊予市駅になっていて、この伊予市駅は、郡中港駅と道路を挟んで並んでいます。古い町並みは、2つの駅を隔てる南北の道路と平行な一つ西の道路沿いに、伊予鉄の郡中駅の西側を通り越して北に延びています。
古い町並みを訪ねたときに、再開発などによって伝統的な家並みがほとんど消えてしまっていることもよくあり、ガッカリすることがあります。ところが、比較的便利な場所にあるにもかかわらず郡中の町並みは、土蔵造りの家、格子の美しい家など、かなりのボリュームで景観保存されています。
郡中港駅から通りを入るといきなり土蔵造りのどっしりとした商家が目に飛び込んできます。そこからは、次々と商家や旅館や民家など古い家並みが続いて見事の一言です。郡中港駅からの道路を右折して少し北に行った栄養寺というお寺は、栄養学の祖と呼ばれる博士が「栄養」という用語を発想するきっかけとなったお寺だそうです。さらに北に行くと、江戸後期の商家の宮内邸があり、新聞やさんまでが真っ白の土蔵造りです。
格子が美しい旅館や板張りと白漆喰のコントラストも鮮やかな造り酒屋、黒漆喰の商家もあります。
老朽化により取り壊された商家の建物跡もありました。商家には珍しい御成門を持ち本陣としても使われた建物だったようですが、平成11年に取り壊され、砥部焼の陶板による記念碑と門瓦が残されていました。焼き物といえば、古い町並みの北の端あたりの太子堂の鐘楼を兼ねた楼門には焼き物の仁王象が並んでいます。江戸時代に活躍した江山という作家が奉納したとのことですが、焼き物による仁王像というのは他ではみたことがありません。
栄養の用語を提唱した佐伯博士は、幼い頃に通学路で見かけた栄養寺の寺号がヒントになったとのことで、それまでは営養の字が当てられていたそうです。新しい概念にどのような文字を当てるかは難しい問題で、外来語の日本語化も同様です。かつての先人達は、カタカナではなく漢字で表す努力をしたようで、倶楽部などは最高傑作ではないでしょうか。乱打雑音なんていう文字は現在では使われなくなりましたが、これはランダム・ノイズのことです。最近では電子計算機ですらあまり使われなくなって、カタカナ表記一辺倒のようです。computerと英語で表記するならともかく、何でもカタカナ表記で逃げてしまうのは芸が無いように思いますが。
郡中は松山の南11km程、1955年に近隣の村と合併して伊予市の一部となっています。伊予鉄の駅などは郡中となっていますが、JRの駅は伊予市駅になっていて、この伊予市駅は、郡中港駅と道路を挟んで並んでいます。古い町並みは、2つの駅を隔てる南北の道路と平行な一つ西の道路沿いに、伊予鉄の郡中駅の西側を通り越して北に延びています。
古い町並みを訪ねたときに、再開発などによって伝統的な家並みがほとんど消えてしまっていることもよくあり、ガッカリすることがあります。ところが、比較的便利な場所にあるにもかかわらず郡中の町並みは、土蔵造りの家、格子の美しい家など、かなりのボリュームで景観保存されています。
郡中港駅から通りを入るといきなり土蔵造りのどっしりとした商家が目に飛び込んできます。そこからは、次々と商家や旅館や民家など古い家並みが続いて見事の一言です。郡中港駅からの道路を右折して少し北に行った栄養寺というお寺は、栄養学の祖と呼ばれる博士が「栄養」という用語を発想するきっかけとなったお寺だそうです。さらに北に行くと、江戸後期の商家の宮内邸があり、新聞やさんまでが真っ白の土蔵造りです。
格子が美しい旅館や板張りと白漆喰のコントラストも鮮やかな造り酒屋、黒漆喰の商家もあります。
老朽化により取り壊された商家の建物跡もありました。商家には珍しい御成門を持ち本陣としても使われた建物だったようですが、平成11年に取り壊され、砥部焼の陶板による記念碑と門瓦が残されていました。焼き物といえば、古い町並みの北の端あたりの太子堂の鐘楼を兼ねた楼門には焼き物の仁王象が並んでいます。江戸時代に活躍した江山という作家が奉納したとのことですが、焼き物による仁王像というのは他ではみたことがありません。
栄養の用語を提唱した佐伯博士は、幼い頃に通学路で見かけた栄養寺の寺号がヒントになったとのことで、それまでは営養の字が当てられていたそうです。新しい概念にどのような文字を当てるかは難しい問題で、外来語の日本語化も同様です。かつての先人達は、カタカナではなく漢字で表す努力をしたようで、倶楽部などは最高傑作ではないでしょうか。乱打雑音なんていう文字は現在では使われなくなりましたが、これはランダム・ノイズのことです。最近では電子計算機ですらあまり使われなくなって、カタカナ表記一辺倒のようです。computerと英語で表記するならともかく、何でもカタカナ表記で逃げてしまうのは芸が無いように思いますが。