世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

松阪牛を食べに訪れたついでに町並みの散歩も楽しむことができます

2008-12-21 15:45:14 | 日本の町並み
 居留地の古いけれども現役で活躍しているビル群ののある神戸は、神戸牛でも有名ですが、神戸牛と並ぶブランドが松阪牛ではないでしょうか。そういえば、来年2009年は丑年なんですね。どちらのブランド牛が美味しいかは現地調査をしていただくこととして、本居宣長を生んだ松阪は、城下町の面影を残し、格子の連なる家並みのある町は、松阪牛を食べた後に散歩に値する町です。今回は、御城番屋敷などがある松阪城跡周辺の町並みを紹介します。

 松阪市は、三重県の中央部を北東から南西に帯状に広がっています。ご多分にもれず、周辺の地域を合併して市域を広げた結果のようです。いわゆる松阪の旧市街は、東北部の海よりで、松阪牛を食べさせる料理屋や古い家並みの残るところは、JRや近鉄の松阪駅の周辺から松阪城跡にかけてになります。

 松阪牛をすき焼きで食べさせる料理屋は、なぜか店名に「金」と「銀」とが付く2つの店が有名で、味も値段も松阪を代表する高級店のようです。筆者は牛銀のお店に入りましたが、この店がまた、古い町並みに溶け込んだ趣のある日本家屋です。

すき焼きという牛肉の料理方法は、日本人の発明でしょうが、西洋料理には少ない甘辛く調味した霜降り肉の味は日本独自のものなのでしょう。ただ、この味付けも、地域によって差があるようで、関西では肉の上に直接に砂糖と醤油をかけて肉だけを先に焼いて食べるのに対して、関東では砂糖と醤油にみりんや酒を加えて水で薄めた割り下をかけてお肉を焼きます。地域によっては砂糖をほとんど使わないところもあるようです。何人かが集まってすき焼をやる時に、出身地が散らばっていると、味付けでもめる事がありました。

 牛銀のある魚町一帯は、格子のある家やうだつの上がった家並みが続く場所で、かつてはも本居宣長もこのあたりで暮らしていたようですが、旧宅自体は無くなり記念碑が立てられているばかりです。牛銀から南に行ったところにある長谷川邸は木綿問屋だったお家で、格子に屋根にはうだつが上っています。

 一方、坂内川の方から牛銀に行く一つ手前の道を入ったところが松阪商人の館で、こちらも木綿問屋の遺構で、格子に犬矢来のある京町家風のお家です。前を通る道は、かつての参宮街道の一部で三井家発祥の地もこの通りに面しています。

 魚町は城跡の東側になりますが、南側には御城番屋敷の遺構があります。

通りを挟んで両側に長屋の家並みが続いていて、城跡に上って俯瞰するのその様子がよくわかります。

 近世武士の長屋の遺構として唯一のもので、家屋だけでなく、家屋を取り囲む生垣や裏側の畑地なども残されていて、当時の武士の生活の様子を知る貴重な遺産で重文にも指定されています。
 
 すき焼きの味付けが地域によって異なるように、いろいろな文化に地域差があります。最近は、この地域差が徐々に薄れていくようにも思えます。一つにはTVなどのマスメディアやインターネットによる文化の均質化があり、他方には他と異なることを嫌ったり排除したりする日本人のme toイズムがあるのではないでしょうか。意志の伝達手段としての言語は、共通のものも必要でしょうが、これとても地域独特のニュアンスを伝えるためには、共通語では不便なことも多いように思います。みんなが持っているから、みんなが持たせているから携帯電話を持ち、みんなが見ているからある特定のサイトを閲覧する・・・。みんなが持ってるから、私は持たない、違うものをもつというアイデンティティは日本人には生まれないのでしょうか。

要塞化したビエルタンの教会の周りにはのどかな風景が広がっていました(ルーマニア)

2008-12-14 15:47:37 | 世界遺産
 隣国との戦争に勝利したことを聖母マリアに感謝して建てられたのがバターリャの修道院でしたが、教会そのものが外敵から身を守る要塞と化したものがトランシルヴァニア地方の要塞聖堂です。

何重もの防壁を備えた聖堂は、聖堂というより城といった感じを受けます。今回は、これらの要塞聖堂群の中から、最も規模の大きなものの一つであるビエルタンを紹介します。

 ビエルタンは、ルーマニアのほぼ中央部、トランシルバニア地方にあります。近くには、やはり世界遺産に登録されているシギショアラ歴史地区があります。鉄道駅から奥まり、少々足の便が悪いビエルタンですが、シギショアラからタクシーで往復できる程度の距離にあります。ビエルタンのあるトランシルバニア地方は、ザクセン系の入植者を得て繁栄しましたが、繁栄すると周りから攻撃の的にされることが多くなります。オスマン帝国やタタール人の侵攻から身を守るため、町を要塞化していったようですが、規模の小さな町では、町全体を城壁で囲むことはとてもかないません。村の中心となる教会に防塁を築いて要塞化され、いざというときにはたて籠もろうといったものが、現在も残る要塞化聖堂群です。殺戮を嫌い平和を推進するはずの教会が戦闘拠点になるのも皮肉な話ですが、わが国でも戦国時代に僧兵を抱え要塞化された寺院が存在したことを考えれば、似たような状況なのかもしれません。

 教会に着いたのが朝少し早かったせいか、まだ開門されていませんでした。そこで教会の周辺を散歩しましたが、教会だけが目立った存在で、あとはどこにでもあるような農村が広がっています。

 いや、どこにでもではないかもしれません。意外と典型的な田園風景というのは、絵本や頭の中にだけに残っているのかもしれません。

これから農作業に出かけるらしい馬車ともすれ違いましたが、こんな風景って今ではそう簡単には見られないのかもしれません。

 さて、開門の時間になったらしく、他にも居た観光客が門のほうに移動したので後について行きましたが、教会に入るというよりお城に入るって感じです。三重になっている城壁のような防塁の間の迷路のようなところを通り抜けて、屋根付き階段を上って、やっと聖堂のある小高い丘上のところに出られました。要塞を目的にした教会のせいなのか、作られた時代の後期ゴシック様式のせいなのか、装飾の少ないシンプルというか、素っ気ない聖堂です。

 このそっけなさの中にあって、聖具室に入るドア錠はずいぶんと凝ったつくりになっていて、16世紀に作られたとは思われない複雑さで、1900年のパリ万博で賞を獲得したのだそうです。

 ルーマニアには、カソリック教会とならんでルーマニア正教の教会があり、ルーマニア北部にある世界遺産のモルドバの教会群はルーマニア正教の教会です。ルーマニア北部ではルーマニア正教の教会のほうが多かったように思います。今回紹介したビエルタンは、カソリック教会ですが、祭壇に掲げられた多くのイコンを見ていると、ルーマニア正教の影響なのかなとも感じます。ただ、正教の教会には無い椅子が並んでいるところは、よく見慣れたキリスト教会です。椅子といえば、聖歌隊席両端にある背の高い椅子は、美術史家から賞賛されたものなのだそうです。

 錠と鍵とは、盗もうとする人間と、これを守ろうとする人間がいる限り存在し、破られるか破るかの知恵比べの世界です。コンピュータの世界における暗号技術も、これと同じことが言え、同じように公開鍵方式というように鍵という用語が使われます。人間が作る錠は、人間が破ることができないものは存在しないのと同様、コンピュータの暗号も破れないものは存在しません。ただ、現在のコンピュータの能力では、天文学的な長さの時間がかかって、解くことが意味をなさないということです。ただ、筆者が研究所に入った40年ほど前からコンピュータの処理速度は4桁以上速くなっていますから、現在のままの技術の暗号では、やがて暗号の意味を成さなくなることでしょう。ただ、暗号技術のほうも発展するので、いたちごっこは尽きることなく繰り返されることでしょう。

生糸と並んで輸出の花形であった真珠の積出港の神戸港の北側、かつての居留地の面影を残す神戸海岸通

2008-12-07 15:51:36 | 日本の町並み
 明治政府の肝いりで生糸の製糸技術を普及させたのが富岡製糸場でしたが、ダイヤなどを産出しない日本において唯一の輸出宝石として、現在も花形輸出品のちいにあるのが真珠です。その真珠の輸出港は、明治の開港以来、輸出貿易港として栄えた神戸港です。明治時代に居留地であった町と港との間を東西に通る海岸通には、明治から昭和初期に掛けての建物群が残っています。海岸通の東端の北側には真珠の輸出を支えている日本真珠会館の登録文化財の建物もあります。今回は、神戸の元町駅から三宮駅の南側に東西通る海岸通に沿った町並みを紹介します。

 天然の真珠しか存在しなかった時に、その養殖に成功し真珠を日本の輸出の花形に押し上げたのは、他ならぬ御木本幸吉翁です。幸吉翁が養殖に成功したのは明治時代ですが、輸出産業として飛躍するのは真円真珠の養殖法の特許が公開され養殖場が三重だけでなく四国や九州に広がっていった昭和初期頃になります。養殖場に比較的近く、古くからの国際貿易港の神戸港に日本中の真珠が集まるようになり、神戸港は真珠輸出の中心港となったようです。その真珠の加工、輸出を支援するために建てられたのが日本真珠会館で、三ノ宮駅から南に行って、港に沿って東西に走る海岸通に出る手前にあり、パールミュージアムも併設されています。

この真珠会館で真珠でできたシャンデリアというものが陳列されているのを見ました。

写真に撮ると、水晶のように透明な質感に映っていますが、よく見ると光が透過しているのではなく、反射しているのが解ります。

 神戸の海岸通は、三宮駅から南に行って東遊園地を通り過ぎたあたりから、西に神戸駅の南辺りまでの国道2号線を指します。ちなみに東遊園地から海岸通を通り越すと税関に至りますが、この道路が日本一なのです。なにが日本一かというと、国道174号線は最も短い国道で、187mの長さしかありません。

国道終点の位置にある税関は昭和2年の建築で、神戸港のシンボル的な建物です。どこかで見たような建物のように思われるのは無理もなく、桜田門にあった旧警視庁の建物と設計が同じ当時の大蔵省営繕課なのです。

 税関から西に、元町駅の南に掛けて明治後期から昭和初期に掛けて建てられた美しい建物が現役で残され使われています。重要文化財となっている旧米国領事館はカフェレストランで使われ、

旧東京銀行神戸支店ビルは博物館として使われています。

 居留地30番館の旧ナショナルシティバンクのビルはデパートと一部として使われるなど、レストランや服装店、それに会社の名前が変わっても元来の使われ方を継続しているビルも多いようです。

 阪神淡路大震災で、これらの建物の一部にも被害が及びましたが、大部分は復旧したようです。7年程前には、震災からの復興を祝う意味で、毎年群れに開催されて有名になったルミナリエとは別に、夏にクロモリット神戸というイベントが1回限りでしたが開催されました。ルミナリエが、通りにゲートを立ててそれに電飾を付け、色合いも比較的抑え気味なのですが、クロモリットは、建物の壁面を原色に近い色で浮かび上がらせます。

前もって撮影したビルの写真をコンピュータグラフィックスで彩色してスライド化し、撮影地点からビルに投影するという技法だそうです。いつも見慣れていたビル群が、まるで違った表情をし、妖しげな光を放って闇夜に浮かんだ様は、ルミナリエとは違った魅力がありました。何年かに一度やってほしいイベントの一つです。

 古いビルは町の雰囲気を良くする効果があるのですが、時たま問題になるのがOA化対応です。パソコンへの情報系の配線を通すところが無いのは当たり前で、電源の容量すら足らないことがよくあります。かつてはさほどの電気を使わない頃は、電源コンセントは壁についているのみで、床から立ち上がるものも少なかったようです。解決のために二重床工事などをするのですが、これがまた大変で、オフィスの中身を全部出して床を張った後再度戻すという作業です。二重床にすると床加重が規定を超えてしまう、というようなこともあったようです。最近では、パソコンの大部分はノート形になり消費電力が減ると共に、どこでも使えるようにとのことで、オフィス内の情報伝達系を無線化することも増えたようです。古いビルでも負担少なくOA化ができるようになったのかもしれません。