世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

姫路からさほど遠くない曽根には細い路地に土塀や格子、土蔵の家並みが続きます

2013-06-30 08:00:00 | 日本の町並み
 関東の私鉄で踏み切りの多い西武新宿線の新宿から程近い駅の周辺にお寺や神社などが集中しているのが沼袋駅から野方駅にかけてでした。一方、関西の私鉄で踏み切りの多い路線は山陽電鉄ではないかと思います。今回は、その山陽電鉄沿線の中から、一ツ物神事が行われる曽根天満宮周辺を紹介します。

 山陽電鉄も神戸市の中心部では地下化、明石駅や姫路駅は高架化がなされていますが残りの区間では地上を走っています。曽根天満宮の最寄り駅である山陽曽根駅も地上駅で駅のそばには踏切があります。現在、山陽電鉄は、神戸市の中心部で神戸高速鉄道によって阪急、阪神と結ばれていますが、1968年までは兵庫駅が終点でした。西代駅と兵庫駅の間は併用区間で路面電車のように道路の中央を郊外電車が走っていました。長田神社の南では、東西に走る山陽と南北に走る神戸市電とが平面交差をしていました。交差部分の架線には電気が来ていませんから、交差点内は惰性で走っていたのですが、何らかの理由で止まると、パンタグラフが一つの市電は立ち往生です。他の市電と連結棒でつないで、交差点から脱出するまで大変だったようです。関西では、阪急でも西宮北口で2つの路線が平面交差をしていました。神戸線と今津線とでしたが、駅の改良事業で、今津線が南北に分断されて、この平面交差はなくなってしまいました。

 
 さて、山陽電車の話が長くなりましたが、曽根の話に戻しましょう。曽根は兵庫県の南部、姫路の東の「高砂や~」の高砂神社がある高砂市の一部で、JR山陽線にも曽根駅があります。JR曽根駅と山陽曽根とは2kmほど離れていて、曽根八幡や古い町並みが残る山陽側になります。曽根神社で行われる一ツ物神事は、秋の例祭で催されるもので、神が具現化(一ツ物)した子供の口を借りて、その意思を伝えるというものです。偶然にも、祭礼の当日の昼頃に神社に参拝をしましたが、夕方の祭礼までは待てませんでした。

 
 曽根八幡は山陽の駅の北200mほどにありますが、古い町並みは、そこからさらに北に500m位の範囲に広がっています。曽根八幡の門前町としてだけでなく、製塩業で栄えた商家の家が残されているようです。民家の中に、お寺も多く、裕福な商人を檀家として寺町を形成したのでしょうか。

 
 
 
 古い家並みには、格子の連なる家、土蔵造りの家など、妻入りと平入りとが混在しているようです。これらの町並みをつなぐ路地には、崩れかけた土塀や、板張りの壁が続き、塀の上から金木犀の花がのぞいている家もあります。車にとっては困るでしょうが、細い路地が多く、先が見渡せないので、その先にどんな景色が広がっているのだろうと期待感を持たせます。姫路からさほど遠くない場所に、開発を免れた家並みや路地が残っているのは、ちょっと驚きです。

 一ツ物神事は曽根八幡だけではなく、春日若宮神社など関西を中心に多くの神社で執り行われるようです。神の意思を伝えるのは神官の仕事のように思えますが、この神事は邪心のない子供ゆえ神の声を正しく伝えることができるということなのでしょうか。権力者が、子供の口を借り、神の声と称して人々を支配するのは困りものですが、一ツ物神事での神の声は平和的なものでしょう。かつての映画で、核爆弾を搭載したミサイルを制御するコンピュータが、自我を持ち、人類を支配する、というストーリーがありました。主人公のコンピュータが、「人類も、やがてこの支配に慣れる日が来るだろう」と言って終わりになったようでしたが、独裁者が権力を持つよりはいいかもしれません。

富士山の文化世界遺産への登録おめでとうございます(日本)

2013-06-23 08:00:00 | 世界遺産
 カンボジアのプノンペンで6月22日に開催された世界遺産委員会で富士山が世界遺産に登録されました。今回は、この登録を記念して富士山をテーマに取り上げます。

 
 富士山は、当初は自然遺産としての登録を目指しましたが、自然と言うには自然破壊が進んでいて、少々無理ということで、文化遺産に宗旨替えをして登録申請を行い、このほど認められました。富士山の自然破壊は、たしかに進んでいて、憂うべきことであることには変わりありませんが、日本人の心の故郷として崇高な姿は変わってほしくありません。世界遺産の登録によって破壊からの保護が推進されるのか、登録によって観光客や開発が進んで破壊が加速されるか、今後の状況を注視したいところです。



 
 「富士には月見草が良く似合ふ」と書き残したのは太宰治ですが、月見草だけではなく、富士山をバックにすると、いろんな花々が美しく見えるように思います。太宰は可憐で弱弱しい感じの月見草が、富士山と対峙している姿に好感を持ったようですが、そこまで肩肘張らなくとも、どの花でも綺麗に見せるように思います。







  
 山に花と言う取り合わせは、なかなか絵になるのですが、水墨画の世界で「山水」と言われるように、山には水が組み合わされて、絵になるようです。富士山の周りの湖水と言うと富士五湖を思い浮かべ、お札にも本栖湖が描かれていますが、こじんまりとした忍野八海も捨てがたい魅力があります。忍野の水は湧水のために池の底まで見える澄み切った水で名水百選にも選ばれています。

 
 忍野が富士山の東側に位置する湧水とすれば、西に位置するのが白糸の滝です。この水源も忍野と同様に湧水で、名水として知られる柿田川など富士山周辺は湧水だらけです。富士山が高いだけに降った雨の伏流水も多量なのかもしれません。引用の白黒写真は、45年ほども前に撮影し、当時のユースホステルのガイドブックに採用されたものです。それから30年近くたって白糸の滝を再訪しましたが、どう探しても滝の後方に富士山がそびえる風景を見つけ出すことができませんでした。変わったといえば、富士山の西側の公共輸送機関も、学生の頃と比べて格段と悪くなりました。大部分の人が、自家用車か観光バスで出かけるようになったのか、一日に4本程度のバスでは途中下車もままなりません。



 かつては江戸市中からもよく見えた富士山で、富士見坂などの地名に残されています。しかし、現在でも、空気の澄んだ冬場には、我が家のベランダからもかなりの確立で富士山が見られます。特に富士山をバックにした夕焼けは時々刻々変化する空の色を見ていて飽きません。富士山の頂上に沈む夕日を採ろうと朝鮮をしたのですが、引用の写真が限度でした。ちょうど位置が良い日に晴れて見通しが良いと言う保証が無いのです。

 沈む夕日が富士山の頂上に重なる日を推定するのは、地図と理科年表を使いましたが、この理科年表にはなかなか面白いデータたくさん載っています。日の出や日の入りの時刻、太陽の位置をはじめ、これから先の日食や月食の日程や見られる地域が細かく記載されています。過去の天体観測から得られたデータを元にコンピュータで演算すれば、簡単に結果が得られるようです。動きを予測しにくい空気を相手にするためスパコンを使う必要のある天気予報より、計算も簡単で結果も精度の高いものが得られるのでしょう。遠くの天体より、近くの空気の動きのほうが予測し辛いというのも面白い構図です。

街中で日本人はあまり見かけませんがシナイヤはすばらしい高原のリゾートです(ルーマニア)

2013-06-16 08:00:00 | 世界の町並み
 指揮者コンクールで日本人が優勝を勝ち取ることが多いのがブザンソンのコンクールでした。クラシックの国際コンクールは、指揮者だけではなくピアノやヴァイオリンなどの楽器の演奏のコンクールが各地で行われています。著名な作曲家が生まれた土地などが多いのですが、意外な場所で開かれていることもあります。それらのうちの一つが、ルーマニアのブカレストで開催される「ジュネス・ミュジカル・ロマニア主催ブカレスト国際音楽コンクール」です。毎回、日本人の審査員も選ばれ、優勝者も出しているようですが、日本ではあまりなじみが無いようです。日本人にとって、クラッシックというと、ドイツやフランスを思い浮かべますが、ルーマニア生まれの作曲家、指揮者、ピアニシトそれにヴァイオリニストとマルチな才能を発揮したエネクスも、日本ではあまり知られていないようです。今回は音楽コンクールが開かれるブカレストから北に100kmほど、エネスクの別荘もあったシナイヤを紹介します。

 シナイヤは、ブカレストから世界遺産の町のシギショアラに向かう列車を2時間ほどで途中下車した、標高が800mほどの高原リゾートです。夏はハイキング、冬はスキーのダウンヒルで有名だそうです。世界遺産には登録されていないためか、日本人の姿は見かけませんが、緑の中に宮殿や修道院が見え隠れするハイキングコースは、わざわざ途中下車をする価値が十分です。列車を途中下車をして、シナイヤの駅を外に出て振り返った駅舎の姿もルーマニアで最も美しい駅舎の一つのようです。

 
 鉄道は山が両側から迫っている川沿いを走っていて、谷底のような駅からシナイヤの町に出るには坂を上っていかなければなりません。坂道を右や左に1kmほど上がっていくとシナイヤ修道院の塀が見えてきます。塀の中はかなり広く、17世紀に建てられた旧教会と、19世紀に建てられ3つの塔を持つ新教会がぽつんと建っています。外観も端正な感じがしますが、内部のフレスコ画も見ごたえのある聖堂です。

 
 
 シナイヤ修道院から、森の中のハイキングコースを1kmほど上っていくと2つの宮殿が見えてきます。手前の宮殿がペレシュ城、奥にあるのがペリショル城です。共にルーマニア王室の離宮として19~20世紀にかけて作られたものですが、緑の中の宮殿は街中のものとは一味違った絵柄です。ペレシュ城は、ドイツルネッサンス様式で建てられ、ルーマニアでもっとも壮麗な城だそうです。周りの木立を越えてそびえる2つの尖塔も目立ちますが、外壁に描かれたフレスコ画もなかなかです。

 
 一方の、ペリショル城は、中世ドイツの木組みの意匠で作られ、外壁のハーフティンバーの斜め線が特徴的です。内部は、時代を反映してでしょうかアールヌーボーによる装飾が施されています。



 
 冬はスキー場になるらしい裏山にロープウェイがあり、簡単に登ることができます。眼下にシナイヤの町が見渡せ、ペレシュ城もペリショル城も、その様子を鳥瞰図風に眺めることができます。

 ルーマニアを訪問したのは10年前でしたが、列車で移動する時の乗車券の手配に手間がかかりました。予約システムが電算化をされる直前だったようで、乗車駅の市内にある販売所(駅とは離れている)でしか購入できませんでした。帰りの座席は、行ってみないと空席があるかどうかは判らないといった状況で、乗車券はもちろん手書です。当日の乗車券も、駅の窓口は発車の1時間前にならないと開かなくて、さらに発券ものんびりとやっているので、発車に間に合わない恐れもありました。日本ではどこに居ても指定券が即座に買えるのが当たり前で、西ヨーロッパ諸国では国外からでもカード決済で購入できてしまいます。コンピュータとネットワークの技術の発展によるものですが、日本でも50年ちょっと昔には、駅の窓口に行くと、手書きの指定券が渡され、乗車駅とは違う窓口に行くと、発駅に電話で問い合わせをしていました。

風情のあるお寺や道端の石仏などで散歩が楽しい野方から沼袋です

2013-06-09 08:00:00 | 日本の町並み
 大阪の中心街から30分ほどの距離のベッドタウンに多くの酒蔵の並ぶ町が河内長野でしたが、モザイク画のお味噌屋の看板を、東京23区の中野の北で見かけます。神州一味噌のブランドの宮坂醸造の本社の塀に描かれたものですが、もちろん中野は本社機構のみで、味噌作りは諏訪の周辺の工場で行われているようです。今回は、「み子ちゃん」のかわいい姿が見られる西武新宿線の野方駅から沼袋駅あたりを紹介します。

 西武新宿線は、新宿から川越までを住宅街の中を縫うように走っている鉄道です。沼袋駅は新宿から5番目、野方駅は6番目の駅になりますが、このあたりも含めて地表を走る部分が多く、開かずの踏切が、顰蹙をかっています。宮坂醸造は、野方駅の南東方向で、中野行きのバスが門の前に停車し、バス停の名前も宮坂醸造前になっています。野方にしても沼袋にしても、中央線や西武線の駅周辺も道は随分と狭いのですが、この狭い道に路線バスが走っています。運転手さんも大変だと思いますが、かつて電柱が車が擦るためにえぐられてしまった写真が雑誌に載っていたこともありました。

 

 
 宮坂醸造の周辺は低層の住宅街の中に、にょきにょきとマンションが建つ町並みが続いていますが、小さなチャペルがあったり、道端の庚申塔や石仏に会ったりします。がんかけ地蔵は、庚申塔と二十三夜の碑を従えて、小ぶりの祠に収まっていますが、地域の人々が大切に守ってきた雰囲気が伝わってきます。また、このあたりには東京では少なくなった銭湯の唐破風の入り口や煙突も残っています。

 
 一方、沼袋駅の北側には住宅街に神社やお寺が広い敷地を占有しています。線路沿いに新宿方向に行った所が氷川神社で、14世紀の創建だそうですが、1990年に過激派によって社殿が焼き討ちされたことで有名になりました。駅を北に行って突き当たるのが禅定寺で、やはり14世紀の創建ですが、境内一面に花壇があって、花の寺といった感じです。


 禅定寺の北西隣には明治寺があります。名前の通り明治期に建てられたお寺ですが、境内に百を越える観音像があり、7月には百観音献灯会が開催されるようです。

 
 さらに北に行き江古田の森公園の手前には東福寺があります。こちらは13世紀の創建で、弘法大師の1050年忌に作られた築山の緑が美しいお寺です。

 日本を始め東洋の調味は醗酵調味であり、西洋料理ではスパイス調味が一般的です。醗酵調味の中でも味噌は代表的な調味料の一つで、味噌汁は世界の中で最も具の種類の幅のあるものの一つと言われています。かつて味噌は各家庭で作られていた歴史があり、「手前味噌」の諺も生まれるほど、比較的簡単に作ることができました。ただ、自然醸造では醗酵期間が1~3年もかかってしまいましたが、現在はコンピュータにより温度管理をされた工場生産では最短で20日ほどで出荷されるのだそうです。地価が高い23区で工場を持つのは難しいでしょうが、野方でも同じ品質の味噌が作れるのかもしれません。

世界的なオーケストラを持つバンベルクには川の上に建つような旧市庁舎があります(ドイツ)

2013-06-02 08:00:00 | 世界遺産
 町の中央部にソーヌ川とローヌ川とが流れている都市がフランス中央部のリオンでしたが、二股に分流したレグニッツ川に挟まれた中州のような土地に中世の町並みを残すのがドイツのバンベルクです。ドイツの多くの都市が、第二次大戦で壊滅的な破壊を受けていますが、バンベルクは、被害にあうことが無く旧市街が世界遺産に登録されています。

 バンベルクはドイツの中南部、東西からくびれた部分を結ぶ線のやや東よりに位置しています。ロマンティック街道の北の起点となるヴュルツブルグからローカル列車で東に1時間くらいの距離にあります。旧市街は鉄道駅の南西方向、歩いて15分くらい、マイン・ドナウ運河とレグニッツ川に囲まれた幅600m、長さ3kmほどの細長い島のような場所です。

 
 
    
 島の中央部には朝市の立つマクシミリ広場があり、近くにはロマネスクの聖マルティン教会が建っています。このあたりの町並みは、いかにも世界遺産の旧市街といった雰囲気があり、噴水のそばにはガーベルマンと呼ばれるフォーク状の武器を持つ男性像が立っています。この感じ、どこかで見たような~と思ったら、虫歯のミュータンス菌のアニメに似ているんです。

 
 島の中央部を通り越してレグニッツ川まで来ると、レグニッツ川が、さら二股に分かれていて、突端のようなところの橋の上に、旧市庁舎の建物が建っています。この建物はバンベルクを象徴するような存在になっていて観光ポスターの題材になっているようです。川のほうから眺めると、まるで建物が川に浮かんでいるかのような感じがします。

 
 レグニッツ川を渡って丘を登っていくと、やはりロマネスク様式のバンベルク大聖堂が二本の尖塔を従えて建っています。この大聖堂のバンベルクの騎士像というレリーフが有名です。


 

 教会の向かい側には、新宮殿が巨大な姿で広がっていて、その背後には見事なバラ園があります。このバラ園から見下ろすバンベルクの市街は、赤い屋根の連なりの中に、教会の尖塔が見え隠れをして、チェコのプラハとちょっと似ているな、と感じます。

 バンベルクは人口7万人程度の小ぶりな都市ですが、世界に冠たるバンベルク交響楽団を擁しています。また、17世紀には大学も設置され、大学都市としての顔も持っています。日本で言えば、静岡県の伊東市や東京都の武蔵村山市がオーケストラを持っているようなものです。学生時代に、カイルベルト指揮、バンベルク交響楽団のベートーヴェンの交響曲のLPを買ったことがありますが、雄大でいい演奏だったように思います。音楽の再生がLPからCDに遷移をして久しいものがありますが、現在では音源はネットからメモリカードにという構図になってきました。あるマニアに言わせれば、録音がなされた頃に作られた再生システムで聞くのが最もバランスの良い音がするとのこと。最近は、再生システムでの音の歪みをコンピュータによって補正できるようになっているようですが、なにか人工的で、LP時代の伸びやかさに欠ける感じがします。