世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

日本人の姿はほとんど見かけませんが順天は見どころいっぱいです(韓国)

2017-04-30 08:00:00 | 世界の町並み
 カナダのカルガリー動物園には、緑一杯の自然の中に、自然ではない恐竜(の模型)がにゅーっと顔を出してビックリします。一方、韓国南端の順天湾は葦が茂る湿原が広がる自然そのもので、人工物は木道ぐらいしか見当たりません。今回は、この順天湾を含む順天市の近郊を紹介します。

 順天市は、韓国南部の中央当たり、ソウルから南に300kmほどの27万人都市です。現在はソウルからKTXが乗り入れていて3時間足らず、筆者が訪れた頃は、在来線特急のセマウルで4時間ほどでした。10年ほど前に訪れた時には、シティーツアーと称して、順天近郊をバスで回ってくれるツアーが駅前から出ていて、ちょっと前までは無料で、参加した時は\300くらいでした。安いからといって、土産物屋に寄ったりして、ろくに観光地に寄らない代物ではありません。ほぼ一日かけて、4か所ほどを、ゆったりした時間配分で案内してくれました。現在も、曜日によってコースが少し変わるり、値上がりをしたようですが続けられているようです。欠点は、韓国人対応のツアーなので、ガイドの内容は、事前や事後にネットやガイドブックで調べて、ようやく分かった、というところです。では、そのガイドツアーで訪れた順に紹介しましょう。

 
 
 最初は、順天ドラマ撮影場です、京都の映画村ってところでしょうか。2006年に作られて、数多くの韓国ドラマが撮影されたようですが、日本人には、ちょっとなじみがありません。1950年代から80年代にかけてのソウルや順天の町並みがオープンセットで付か作られ、看板の字などはハングルですが、日本の昭和期の町並みを見るようです。

 
 
 続いては、松広寺で韓国の仏教最大勢力の宗派の発祥の地だそうです。仏教は、中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わったのですが、中国にも韓国にも、我が国に残るような古い仏教施設は少ないようで、松広寺の建物も1980年代の再建です。ただ、境内の雰囲気は、掘割やせせらぎがあって、古刹の雰囲気を醸し出していて悪くありません。

 
 
 
 次は、楽安邑城民俗村です。邑城とは、集落を土塁などで囲った出城のようなもので、楽安邑城は城壁内に数多くの伝統的家屋が残り、現在も現役の住居として使われています。この伝統的な風景から、日本でも放映されたチャングムの誓いでロケに使われたそうです。世界遺産にもなっている河回マウルとも似ていますが、河回マウルでは両班の家屋が幅を利かせていた感じですが、こちらは庶民の藁ぶきの家並です。訪問した時には、伝統衣装に身を包んだ一行の行列に会いましたが、後日行われるお祭りのリハーサルのようでした。

 
 最後に訪れたのが順天湾でしたが、芦原に木道が伸びているだけです。ツアーのメンバの中に、日本語が堪能な韓国の人が居て、この観光地は何を見るのか尋ねたところ、この自然を見るらしい、との答えでした。後で分かったのですが、この順天湾は世界5大沿岸湿地の一つで、ナベヅルの飛来地でもあり、ラムサール条約の保護地だそうでしたが、鶴の姿は無くどこまでも続く芦原でした。

 順天ドラマ撮影場はレトロな雰囲気ですが、そこで撮影される映画の大部分は、フィルムを使わないディジタル撮影と思います。TV放送を前提とするチャングムなどは当然でしょうし、劇場で映写される映画も、撮影技術が4K、8Kと高精細化されてフィルムと同等か、それ以上になってきています。ディタルで記録された映画は、テレビと同様にコンピュータによる加工が簡単なのもメリットです。ただ、上映館によっては、アナログの映写機を使うところも残るため、最終段階でフィルムにコピーするのだそうです。

朱色の祐徳稲荷の最寄り駅のそばには茶色の肥前浜宿の町並みが続いています

2017-04-23 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は東京国立博物館の表慶館を設計した片山東熊の設計した仁風閣のある鳥取を紹介しました。鳥取は三大砂丘で有名ですが、今回は三大稲荷です。これも諸説あって、伏見稲荷は外せないものの、それぞれの稲荷神社が、ご自分を入れた三大を主張されています。これらの中で、伏見稲荷から最も遠い稲荷神社と思われるのが佐賀県の祐徳稲荷です。今回は、この祐徳稲荷と、その最寄り駅に近い肥前浜宿も町並みとを合わせて紹介します。

 
 
 祐徳稲荷は、佐賀県の西よりの鹿島市にあり、JR長崎本線の肥前浜駅から南に2kmほどの所にあります。伏見稲荷は千本鳥居が壮観ですが、祐徳稲荷は、山の斜面に清水の舞台に似た懸崖作りが見事です。清水の舞台が、木肌の茶色の世界ですが、こちらは鮮やかな朱塗りの社殿が緑に映えます。当然社殿を支える柱も朱で塗られていて、これが壮観です。社殿の右側には、社殿まで登るのが辛い人のため、以前に訪問の時には無かった有料のエレベータがあります。以前に訪問の時と違った現象は、中国人の多さでした。案内所の方によると8割ほどが中国からで、その理由は佐賀空港に上海からのLCCが到着するからのようです。

 
 この祐徳稲荷の最寄り駅になる肥前浜駅の南側には、長崎街道の脇街道の宿場町の遺構である浜宿があります。宿場町としてだけでなく、佐賀平野の米と良質の水を原料とした酒造りの町として、街並みの中には造り酒屋が数多く残っています。こちらの町並みには、さすがの中国人も出没はせず、祐徳稲荷の朱色の世界ではなく、茶色の世界です。
 
 
 
 
 旧長崎街道沿いの古い町並みは、長崎本線の南西200mほど、ほぼ線路と平行に通っています。白壁の土蔵造りが連なる景色は壮観にも見えます。これらの町並みの中心は、造り酒屋の酒蔵と商店、それにオーナーの自宅です。その中の一軒では、酒蔵の見学もできます。宿場としての遺構は少なく、よく見かける本陣跡などはありません。継場という人馬の継立業務を行っていた建物ぐらいでしょうか。

 
 
 庇の上に鬼瓦がずらりと並んでいる工務店や、格子の前の水路など、酒蔵以外のも点景も数多くです。そして、モノクロームと茶色の世界の中に、下見板張りのオリーブグリーンのパステルカラーの建物が1件あり、新鮮な印象です。林業再生事業の看板が掲げられていましたが、もとは郵便局の建物だそうです。

  
 これらの町並みから離れて、駅のすぐそばに建つのが漬蔵で、百年以上の歴史のある漬物屋さんだそうです。こちらは土蔵造りではなく、板壁の古風な建物です。

 お酒づくりの世界では、急速にIT技術の導入が進んでいるそうです。発酵過程で、味を左右する環境は、すべて数値化され、この値になるように、コンピュータによって発酵タンクの自動制御を行うそうです。また、味を左右する酵母も、純粋培養が進み、酵母の製品名で購入して、再現性の高い酒を作られるようです。万が一、天災や火事などで酒蔵が失われても、元の酒の味を簡単に再現可能だとか。もはや、酒は農産物ではなく、工業製品の様相です。ただ、すべてのファクタが数値化できるとは思えないし、酵母も純粋といっても、微量な不純物が紛れて、味を左右するのではないかとも思ってしまいます。ただ、この微妙な差を、飲む人間が判別できるかは疑問ですが。

アルビのサント・セシル大聖堂よりサン・サルヴィ聖堂の回廊や町並みの方に親しみを感じます(フランス)

2017-04-16 08:00:00 | 世界遺産
 仏教とヒンドゥー教の遺跡のアンコール遺跡、そしてルーマニア正教の修道院群があるスチャヴァと続きました。今回は、フランスの中でローマカソリックが権勢をふるう都市がアルビです。世界遺産は、サント・セシル大聖堂などの大規模な建築だけではなく、歴史的な街並みも対象になっています。

 このアルビは13世紀ころには、カソリック聖職者の堕落に反対するカタリ派の一部のアルビ派の信仰の拠点でした。その後、宗教と国王とが連携した戦争で制圧され、北フランスとローマ・カソリックの権力と文化に汚染されてしまったそうです。そういえば、その後の14世紀には南フランスのアヴィニョンにローマ教皇庁が移転していますから、南仏までローマ教皇の権力に侵されていたわけです。

 
 
 
 アルビは、フランス南部のトゥールーズの北東50kmほど、列車で1時間足らずですが、筆者が訪れた時には線路の補修とかで代行バスでは2時間近く。市街地の北側をタルン川が蛇行して流れ、南に突き出した川沿いにベルビ宮殿があります。ベルビ宮殿はロートレックの美術館としても使われていますが、川沿いに作られた庭園やタルン川の眺めが綺麗です。

 
 この、宮殿まで駅から歩いても15分ほど、途中の町並みも、なかなか趣があります。

 
 
 
 サント・セシル大聖堂はベルビ宮殿の手前で、13世紀から16世紀にかけて作られたゴシック建築です。レンガで作られた聖堂としては世界一の規模で、114m(奥行き)×35m(幅)で高さも40mあるそうです。身廊のそばにそびえる鐘楼は高さが78mあって、かなり威圧感があります。内部には、膨大なイタリア絵画で飾られていて、天井には最後の審判が描かれています。

 
 さらに、駅寄りにはサン・サルヴィ聖堂が町並みに飲み込まれるように建っています。入り口は、ビルのアーチの階段を上ったところだったような気がします。回廊が美しく、ロマネスクとゴシックが入り混じった構成なのだそうです。ただ、なんとはなく廃墟的で、中庭は学生のたまり場の雰囲気です。

 アルビ派は、聖職者の堕落を糾弾しているにもかかわらず、十字軍から攻められています。いつの時代にも、聖職者と称する人間どもの権力は、暴走して困りものです。そもそも、宗教というもの、立ち上がりの頃は、信者の心を掴むために、宗教らしく振舞うのですが、信者が増えると、権力欲にとらわれるように思います。当初から、権力目的の新興宗教もあるようにも感じます。どうも、人間という弱い存在を利用して、権力を手中に収めるようです。弱い人間は、何かに頼り、やがては、その存在無くしては生活できなくなる習性の悪用です。最近の、スマホ依存症を見ていると、この弱さとしての同じような現象を感じます。

弟子の設計した鳥取の仁風閣は、師匠が設計した旧岩崎邸と似ていました

2017-04-09 08:00:00 | 日本の町並み
 東京国立博物館の紹介が続きましたが、今回は博物館の表慶館を設計した、片山東熊の作品のある鳥取を紹介したいと思います。東熊は、ジョサイア・コンドルの初代の4人の教え子の一人ですが、東京駅などの設計をした辰野金吾に比べて知名度が低いようです。赤坂の迎賓館はあまりにも有名ですが、その迎賓館の設計者で、他にも宮殿風の建物を数多く手がけています。博物館関連では、京都と奈良の旧本館、そして伊勢にある徴古館など、そして鳥取城跡に建つのが今回紹介する仁風閣です。


 仁風閣は、後の大正天皇が皇太子の頃に山陰を巡行の折に宿泊所とした建物です。旧鳥取藩主が、鳥取状跡に別邸として、フレンチ・ルネサンス様式で建てられたものです。ふれんち・ルネサンスは、ロアールの古城群で見られる様式のようで、片山東熊の作品では京都の博物館の旧館がそのようです。前回紹介した、東京の表慶館はネオ・バロック用紙ですが、片山東熊はフランスのデザインが好きだったのでしょうか。




 池泉式回遊庭園の宝隆院庭園に面した側は、2階にサンルーム、1階はテラスになっています。転記が良かったので、このサンルームからの眺めは気持ちが良かったです。このデザインはどこかで見たことがあると思ったら、東京の湯島にある旧岩崎邸でした。旧岩崎邸は、ジョサイア・コンドルの設計ですから、弟子の東熊の設計も似てくるのでしょうか。内部は、旧鳥取藩と藩主の資料が陳列されて公開されています。建物の後方の小高い丘の上には、その旧鳥取城が石垣だけを残し、一帯は山の名前を取って久松公園となっています。

 鳥取というと三大砂丘の一つの鳥取砂丘を外せません。仁風閣も砂丘へのバス路線の途中にあります。さて三大砂丘と言われますが、残りの2つは諸説あり、どうも鳥取は別格のようです。学生の頃に鳥取を訪れると、鳥取の三大日本というのを聞きました。日の丸自動車、日本交通そして日本一の砂丘だそうです。日本人って三大が好きなんですね。



 さてその鳥取砂丘のそばに、砂の美術館なるものがあります。砂で作った巨大な彫刻の美術館ですが、素材が砂なので、恒久的な作品保存は無理で、毎年テーマを決めて作品群が展示されます。メインの展示は体育館のような建物で、中国の兵馬俑遺跡のような感じがします。その中に巨大な建物や人物の群像などが作られています。屋根で覆われているので、雨で砂が崩れないようになっていますが、乾燥してもダメなので、適度に水を撒いているようです。筆者が訪れたときは、「砂で世界旅行・東南アジア編」でしたが、砂で作られたアンコール遺跡の巨大な塔が、しっかりと建っていました。屋内以外にも小ぶりの作品が並んでいて、こちらもなかなかユニークなものがありました。

 砂の彫刻は氷の彫刻ほどではありませんが、保存性は無くって、刹那的な芸術の一種かもしれません。空間芸術の分野である彫刻が、時間芸術的な面を持つのかもしれません。逆に、本来は時間芸術であった音楽も、録音と再生の技術が進んで、時間に縛られなくなってきています。もちろん、いくら録音技術が進んでも、鑑賞するためには時間の束縛からは逃げられまえんが。録音された音楽は、好きな時に効くことができて、名だたる演奏家の演奏が最良の状態で聴けるというメリットがあります。コンピュータで制御された録音技術は、SPで録音された名盤から雑音を取り除いてリメイクできます。有名な指揮者は、録音の1音だけを差し替えることをしたそうですが、音楽の流れを妨げるやり方は納得できません。

カルガリーでは恐竜も動物園のメンバの一員です(カナダ)

2017-04-02 08:00:00 | 世界の町並み
 町中のお寺に大きな布袋像があったのが台湾の台中でした。カナダには、動物園の一画に巨大な恐竜がにゅう~っと顔を出す所があります。それは、カルガリー動物園で、今回はその動物園を中心に紹介をします。

 カルガリーは、カナダの南部、やや西寄りの都市で、西海岸のヴァンクーヴァから飛行機で1.5時間ほどの100万都市です。カナディアンロッキーの玄関口としてにぎわい、1988年には冬季五輪も開催されました。ただ、それだけ大きな都市の割には、どことなく落ち着いた感じで、動物園は市の中心部から東へほんの2kmほどですが、周辺は草原と針葉樹林帯です。市街地の中をボウ川が流れ、動物園もボウ川の北岸に面しています。このボウ川は、カナディアンロッキーのボウ氷河に源があり、バンフ国立公園の中を流れ下ってカルガリーに達しています。バンフでは、マリリン・モンローが主演をした「帰らざる河」のロケ地にもなりました。源流が氷河のためでもないのでしょうが、市内を流れるボウ川の風景はちょっと寒々しい感じがしました、訪れたのが晩秋だったからかもしれませんが。

  さて、カルガリー動物園です、市の中心部からはC-Trainというトラムで20分ほどで動物園駅に着きます。このC-Trainは市街地では路面の併用軌道を走り、郊外に出ると専用軌道を走ります。広島電鉄の宮島線のような感じです。動物園ンお広さは、およそ50万㎡で、上野動物園の3.5倍ほどもあり、園内を歩き回ると、けっこうくたびれます。訪れたのが晩秋だったせいか、売店やキャフェテリアもほとんど閉まっていて、暖かいものを飲んで一休み!というわけにはいきませんでした。


 内部は6つのゾーンに分かれていて、北米、南米などそれぞれのエリアに生息する動物が居ます。その中に、恐竜ゾーンというエリアがあるのです。周りの雰囲気も、恐竜が生息していたと思われる太古の感じに作られています。恐竜は、もちろん生きている実物ではなく、原寸大の作りものですが、木々の間から現れる姿は、けっこう迫力があります。この動物園に恐竜がいる理由は、カルガリーの南にバッドランドという恐竜の化石が数多く見つかり世界遺産に登録されている場所があるからです。



 一方、本物の動物は北米ゾーンを中心に見て回りましたが、あまり数多くは見られませんでした。やはり、冬ごもりの前で、動物たちもバックワードに引っ込んでいたのかもしれません。北アメリカというと、ビーバーを見たかったのですが見られず、代わりにバイソンが、のんびりと寝そべっていました。

 外国に行くと、数多くの車両を連結した路面電車を見かけます。C-Trainも4連で走っています。我が国では、無賃乗車を防ぐためでしょうか、通常は単機で走っています。地下鉄の代わりに路面電車が便利で建設コストもかからない思うのですが、単機の電車では輸送能力に限界があり、効率もよくありません。外国では、車掌が居なくとも、ちゃんと乗車券を買って、乗車時に刻印機に通している様子を見ます。また、時折は検札があって、無賃乗車の場合は、容赦なく数倍の料金が徴収されます。日本では、これだけITや、乗車券のIC化が進んでいて、犯罪の少ない国ですから、なんとかクリアする解は無いのでしょうか。