世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ロルシュ修道院跡には小さな楼門がぽつんと残るだけですが、町並みもなかなか奇麗(ドイツ)

2012-02-26 08:00:00 | 世界遺産
 まるで火事にでも遭ったようなすすけた色のポルタ・ニグラが建っているのがトリアーでしたが、ポルタ・ニグラとは対照的な奇麗な門だけがぽつんと残っている世界遺産がロルシュ修道院です。今回は、修道院の遺構となる門とその周辺を紹介します。

 ロルシュはフランクフルトの南50kmほど、フランクフルトとマインツを結ぶ幹線からローカル線に乗換えて5kmほど西に行ったのんびりとした町です。3階建ての駅舎の1階部分はカフェがあって、町の人のたまり場を兼ねているようです。大きな荷物を預かってもらったら、修道院までの地図も渡されました。駅から修道院跡までは500mほどですが、住宅もまばらで緑の中に家々が建っています。その町並みも1km四方程度で、その先は緑の農地が続いています。

 
 さて、ぽつんと建っている門は9世紀にカロリング朝様式で建てられた楼門で「王の門」と呼ばれています。3つのアーチの通路を持って、両側に丸いふくらみがある形は特に変わった感じは受けません。しかし、壁面をレンガ色の亀甲模様で埋めた姿は、小ぶりな姿とあいまって、ずいぶんと軽やかな美しさです。これだけで世界遺産?といった感じもしますが、少なくとも沖縄の守礼の門とは比較にならないほど見ごたえがあります。



 ロルシュ修道院そのものは17世紀後半にルイ14世が起こした戦争によって、町並みもろとも焼かれてしまい、廃墟と王の門だけが残ったそうです。門の奥にはハーブ園や復元工事中の修道院の建物がありましたが、その先にはかつて修道院の建物群があったらしい場所に緑の草原が広がっていました。

 ロルシュ修道院跡の草原から、道を挟んだ向かい側に教会の尖塔のようなものが見えたので、いったん王の門まで戻って、門の前を東に伸びる道をたどってみました。ガイドブックや地図にも載っていない教会でしたが、おそらく町の人が集まる現役の教会だったのでしょう。聖堂の上に丸い塔を乗せた小さな建物がかわいらしくもありました。



 
 
 世界遺産は門だけのロルシュですが、美しい町並みも見ごたえがあって、訪れて決して損はしない町の一つです。市庁舎は、中央に時計塔があって、さらに上部には鐘楼が付いています。市庁舎前の広場は、花で埋め尽くされ、周りの家々はハーフティンバーのファサードが奇麗で、ロマンティック街道の町並みも顔負けかもしれません。

 ドイツと聞くと工業国で、次々と新しい技術を開発して、古いものを淘汰していくように思われます。ところが、いたるところに古い町並みが残り、ちょっと大きな都市には路面電車も現役で健在です。ドイツの工業製品は長持ちがして、古いものでも互換性が保たれていて、部品を継ぎ足すと、最新の製品に近いものに生まれ変わるものも多いようです。日本のように、古いものにこだわらずに最新の技術で物造りをするのが良いのか、ドイツ流が良いのか悩ましいところです。コスト面だけを捉えれば、日本流が優れているのかもしれませんが、資源の枯渇などを考慮すればドイツ流を見直す必要があるかもしれません。

諏訪湖と中央線に挟まれた細長い場所に美術館や温泉がかたまる上諏訪です

2012-02-19 08:00:00 | 日本の町並み
 2~3時間に1本しかディーゼルカーの来ないローカル線の駅ながらホームの2階には足湯があったのが愛媛県の松丸駅でしたが、ホームに温泉を引いたのは上諏訪駅が元祖ではないでしょうか。ただ、ホームの露天風呂は2002年に足湯になってしまいましたが、今回は上諏訪駅周辺を紹介します。

 上諏訪駅は長野県のほぼ中央の諏訪市にあるJR中央線の特急停車駅です。ただ、諏訪大社などは一つ松本寄りの下諏訪駅が最寄り駅となり、こちらの方が観光客で賑わっているようにも思います。この下諏訪駅は、行政も地域も別で、上諏訪駅の属する諏訪市ではなく諏訪郡下諏訪町に属しています。上諏訪駅で下車をする観光客の多くは、バスで白樺湖や霧が峰などに向かい、上諏訪が目的地のお客は少ないようです。

 中央線の駅にもある足湯ですが、間欠泉のそばと、市立美術館のそばにもあります。町並みを散歩していて、足が疲れてくると足湯はありがたいもので、各地の温泉でも見かけるようになりました。台湾の新北投温泉で浸かった足湯は泉源から流れ出す川が自然の足湯になっていましたが、人気があって超満員でした。空いている場所あったので足を浸けてみると、これがかなり熱い!この川は途中から冷たい水が流入していて、下流では程よい温度なのですが、泉源近くの上流は熱いので空いていたわけです。日本の足湯は、足湯として管理されているところが多く、やや熱めでも浸かれないほどのところは少なそうです。

 足湯のある間欠泉センターですが、1983年に温泉の掘削中に噴出したもので、当時は50mの高さに自噴し世界2位の高さを誇っていました。しかし現在は自噴は止まってしまい、圧縮空気で噴出させていて高さも5mほどなのだそうです。写真は20年以上も昔のもので、当時は勢いよく自噴をしていました。

 
 その間欠泉センターの北隣にあるのが北沢美術館です。間欠泉の噴出とほぼ同時期に開館した美術館ですが、エミール・ガレを中心とするアールヌーボーのガラス工芸品のコレクションは日本一ではないでしょうか。最近ではガレやドームのガラス工芸の作品は、あちこちでみかけるようになり、類似の意匠を取り入れた工芸品も増えてきたようにも思います。しかし、ガレなどの名前が、あまり知られていなかった20年前の訪問では、「ガラスにはこんな世界もあるものだ!」と驚いた記憶があります。

 
 もう一つの足湯のある諏訪市美術館も諏訪湖と中央線に挟まれた、やや駅に近いところにあります。建物は片倉製糸の懐古館を流用したもので、洋風の建物に和風のファサードと車寄せを持つ、大倉集古館の外観にも似た印象です。この片倉製糸の遺構が美術館の隣にもあり、千人風呂として有名な片倉館です。製糸工場の保養施設として建てられた温泉施設で、建設当時の建物が現役の温泉として使われています。建物の内装には彫刻やステンドグラスが組み込まれて、入浴だけでなく、これらを干渉するだけでも値打ちがあります。

 日本はいたるところで温泉が湧いているように思いますが、新たに温泉を掘るとなると出なかったときのリスクが心配です。1000mも掘れば何処でも出るものだ、とも言われ、大都市の近郊では1500mもの地下から汲み上げた温泉施設が多くあるようです。温泉の探査には、色々な手法が使われているようで、放射能探査、電気探査、弾性波探査、重力探査などなどあるそうです。泉源は断層破砕のある場所にあることが多く、その断層破砕を地上から発見するのが探査の手法のようです。偵察衛星によれば、地表の物を30cmほどの分解能で識別できるようになりましたが、IT技術を駆使しても、地下深くの状況を把握するのは、まだまだ難しいのですね。

ユーラシア大陸の南端にゆったりと時間の流れるデサルビーチがあります(マレーシア)

2012-02-12 08:00:00 | 世界の町並み
 青い海があるだけで、のんびりとしたある種の贅沢な時間が流れるリゾートが、北アフリカチュニジアのジェルバ島でしたが、喧騒の塊のようなシンガポールからマレー半島にちょっと足を伸ばすと、青い海とジャングルがあるだけのリゾートがあります。今回は、シンガポールでの買い物に疲れたら、1~2日のんびりするのに最適なビーチリゾートのデサルビーチを紹介します。

 
デサルビーチは、マレー半島の南東端にあって、シンガポールのチャンギ空港の北側の船着場からフェリーで30分、上陸後にホテルの迎えの車で30分くらいの場所にある浜辺です。周りはジャングルが浜辺近くまで迫っていて、ホテルが数軒あるだけでなにもありません。近くの村まではホテルの車で20分ほどかかったように思います。南東端にあるので、海からの日の出が美しいのですが、滞在の日には雄大な積乱雲のてっぺんからの朝日が面白い構図でした。マレー半島の突端と言えば、ユーラシア大陸の最南端ということになるのですが、取り立ててその事実を宣伝に使っている様子もありません。後方のジャングルと青い海という自然だけで十分なのでしょう。



 マレー半島の東にあるティオマン島も、青い海と緑のジャングルの自然が魅力のリゾートで、ホテルでは舟をチャーターしての釣りやシュノーケリングに加えてテニス、ゴルフ、乗馬などのプログラムを用意していました。しかしながら、デサルビーチのホテルのプログラムでは果樹園に行ったり、ホタルを見に行くくらいで、基本的には海岸かプールで遊んだり、のんびりしたりするリゾートです。ジェルバ島と同様に、ある種の贅沢な、日本人は少し苦手な時間のすごし方ができます。ホテルの方も、のんびりしたもので1泊2日の滞在でしたが、11時頃にチェックインをし、チェックアウトは翌日の夕刻の5時半です。30時間以上もの滞在で付加料金は無しでした。訪問した9月は、デサルビーチとしてはオフシーズンだったのか、宿泊客もまばらで、プールも貸し切り状態に近く、夕食後の散歩でもロビーの明かりだけが輝いていて人の姿を見かけません。ところが、のんびりとした雰囲気が変わってしまうのが10~12月なのだそうです。日本からの修学旅行の団体がわんさと押しかけて、ホテルが学生達で占拠されてしまうとのことです。


 ホテルの果樹園ツアーに参加してみました。車で20分ほど走って果樹園に到着し、色々な果樹とその果実についての説明があって、最後はそこで取れた果樹を食べさせてくれます。ジャックフルーツ、スターフルーツ、グアバ、それに果物の女王と言われるマンゴスチンなどを食べました。もぎたての果物はどれも美味しかったのですが、さすがに女王のマンゴスチンが最も美味しかったです。果物の王様と言われるドリアンを食べてみたかったのですが、季節によって、食べられる果物が変わり、ドリアンには少し遅かったようです。


 ホテルが近隣の村まで車で送ってくれるサービスをしていたので、乗って行って見ました。村と言ってもあまり家屋は無く、車を折りた近くに小さなよろずや兼食堂があるくらいです。ところが、こんなに人が少ない村にもモスクがありました、それもなかなかみごとな建物で、どこか天文台のようにも見えます。さすがにマレーシアは回教国です。現役のモスクですが、異教徒の我々にも内部に入ることを許してくれました。

 リゾートでは腕時計を外してのんびりするのがマナーのようですが、最近は都会に居ても腕時計をしない人が増えたようです。携帯電話の時刻表示で事足りてしまうからです。スマートフォンも加わって、携帯電話を一台持てば、Webへのアクセスによる情報収集に加え、時計はおろか位置情報の取得や乗車券、テレビ、メモ帳や住所録など、なんでもありです。携帯会社は、これ1台で他のものは何も持たなくて全てのことができます!と宣伝をしますが、端末が壊れたときのダメージも大きく、携帯依存症候群を助長するだけのような気もします。

松丸では街道沿いの町並みから30分も走ると星の奇麗な空も広がっていました

2012-02-05 08:00:00 | 日本の町並み
 日本で月間降雨量の最多記録を持つ都市が尾鷲でしたが、尾鷲周辺は山が生みに迫っていて紀伊半島を一周する紀勢線が最後までつらがらなかったところです。2011年の台風でも、大きな被害を受けて再び寸断してしまいました。一方、四国を一周するときに、高知から愛媛まではつながっていますが、徳島から室戸を経由して高知までの鉄道はつながっていません。高知と愛媛を結ぶのは高知の若井駅と愛媛の北宇和島間の宇土線ですが、筆者が学生の頃は高知県側が切れていて、1974年になってやっと全通しました。今回は、その予土線の真ん中あたりにある松丸を紹介します。

 この予土線は、愛媛と高知を結ぶ動脈なのですが、その前身は762mmの軽便鉄道であったため、カーブの多い路線です。非電化単線で優等列車どころか、各駅停車のディーゼルカーですら2~3時間に1本しかやって来ません。こんな不便な線にある松丸駅ですから、プラットホームがぽつんとある駅を想像しますが、2階建ての立派な駅舎です。さすがにホームは1面1線ですが、ホーム側から上る2階部分には足湯まであります。この駅舎、実は「森の国ぽっぽ温泉」と施設を共用していて、ホームと反対側には温泉の入り口もあります。

 
 
 
  松丸は愛媛県南端の松野町の西半分を占め、少し南に行くと高知県です。江戸時代から宇和島と土佐を結ぶ街道沿いに発展した町で、現在の松丸駅周辺の町並みはその名残です。駅の近くには、お店の看板に「松丸街道」の文字を入れたものが立っていました。その街道は、他の街道でも同じようですが微妙に曲がっていて、わざと通りにくくされているようです。土壁に格子のある家や土蔵造りの家などが、妻入り、平入りで並んでいます。通りから分岐する細道の脇には水路があったり、外壁に薪が積まれてあったりで、かつては何処にでも見られたけれど、このところ見かけなくなった風景が広がります。日本家屋に混じって、レトロな洋館も建っていましたが、この洋館が景色に変化を与えて新鮮でした。

 駅の周辺は古い町並みの続く松丸ですが、この松丸駅は、秘境のにおいが濃い滑床渓谷の入り口でもあります。滑床の入り口の森の国ホテルまでホテルの車で30分ほどですが、途中からはガードレールも無い川沿いの行き違いが無理なような細道を走ります。付近には民家はまったく無く、ホテルだけが唯一の建物のようで、周りに光の無い夜空は、星が奇麗でした。滑床渓谷はホテルから遊歩道に沿って流れを遡上しますが、十和田の奥入瀬渓谷より規模の大きな流れや滝が次々と現れます。訪問したのが日暮れの早い2月だったので、残念ながら、あまり奥までは行けませんでした。遊歩道には、当然ながら街灯などは無く、足場も悪いので、暗くなってくると遭難しかねません。

 松丸は鰻料理が名物のようで駅の近くには鰻の鎮魂費も建っています。鰻は日本では蒲焼などで好んで食べられますが、その生態はほとんど分かっていないようです。養殖は盛んですが、卵からではなく稚魚を採ってきて大きくしているに過ぎず、近年に完全養殖に成功しましたが、コストがかさんで商業化はまだまだだそうです。完全養殖が難しい理由の一つは、淡水にすむ成魚が産みに行った後の振る舞いが解明されていないためです。たまたま採取された受精卵や仔魚から産卵場所などを推定しているに過ぎません。鰻の大きさでは、追跡のための発信機は大きすぎ、水深200mを越える深海という産卵場所説では信号を受信するのが難しいのかもしれません。宇宙空間をも席巻するIT技術も、身近な所で難問が多いのかもしれません。