世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

柏原の太平寺地区には生駒山系の扇状地に車がやっと通れる細い路地に沿って白壁の土蔵造りの古民家が軒を連ねています

2023-08-27 08:00:00 | 日本の町並み
 長谷寺は山の南斜面を這い上がっるようにお寺の伽藍が建っていました。長谷寺の前に紹介した室生寺も傾斜はなだらかですが室生川に向けてのなだらかな南斜面に伽藍が立ち並んでいます。一方、住宅地も横浜や神戸などの山の手は傾斜地に住宅街が伸びっています。斜面の場合には南側に家が建っても日陰になりにくいというメリットがあるかもしれませんが、日常生活では坂の上り下りで大変かと思います。坂の町の住宅街は数多くありますが、土蔵造りの古民家が軒を連ねるところはさほど多くはないかと思います。今回は、大阪から室生寺や長谷寺に向かう近鉄大阪線のずっと大阪よりの安堂駅からほど近い柏原(かしわら)市の太平寺地区を紹介します。

 
 
 
 
 太平寺地区は、生駒山系から大和川に向かって伸びた扇状地で、地名の由来は続日本紀に記載のあるお寺の子院の一つである太平寺があったため推定されています。江戸時代には大和川の右岸にあたる柏原や八尾は河内木綿の産地としての豪農や、大和川を使って南河内の農産物を大阪に運んだ豪商などの家が立ち並んだものと言われています。また、明治期以降は、傾斜地を利用したブドウの栽培で潤ったようです。ただ、東高野街道や鉄道は、太平寺地区の西側を南北に貫いており、太平寺地区は近代の交通のルートから外れてしまったため、古い町並みが冷凍保存されて残されたのかもしれません。地区内の道路は軽自動車がやっと通れ、対向車とはすれ違えないほど狭く、この不便さも町並みが残る要因の一つだったかもしれません。

 
 
 
 
 
 冷凍保存といっても、古民家群は真新しく見え、常に手入れが行われていることを感じさせます。また、他ではよく見かける、古民家のそばに景観を損ねる家や商店を見かけないのも太平寺地区の良さかもしれません。とにかく、例外なく土蔵と羽目板張りの民家が続きます。漆喰部分は城が目立ちますが、黒漆喰で塗られた民家もあって、重々しさを感じます。高知県で見かけた水切り瓦と思しきつくりのある民家も見かけました。大阪の市街地の南東10km、近鉄で40分足らずのところに、こんな町並みが残っていたというの奇跡みたいです。

 この地区で育ったブドウを原料に大正時代にワインの醸造が始まり、現存のワイナリーとしては西日本最古だそうです。町内にあるワインの貯蔵庫は登録文化財にも指定されています。ワインというと、熟成が必要なお酒ですが、この熟成によって化学的にどのような変化が起こるのか、これまでいろいろな研究が行われ、諸説があるようです。一説には水の分子構造が変化して、アルコールの刺激がまろやかに鳴門とのことで、通常は熟成をしない日本酒では、熟成しなくても美味しいのは原料の水自体が「美味しい水」だからかもしれません。熟成には温度や湿度など貯蔵環境がい大きく影響し、ワインの愛好家によってはコンピュータ管理をした地下貯蔵庫を持っている方もいらっしゃるようですね。

フーコック島の南端にあるホントム島では世界最長のロープウェイに乗れるだけでなく、一日水辺でのんびりと贅沢な時間を過ごせます(ベトナム)

2023-08-20 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はベトナムの南西部にあるフーコック島の産業ツアー的な部分を紹介しましたが、今回はフーコック島の南端から世界最長のロープウェイと、ロープウェイで渡るホントム島を紹介します。

 
 世界最長というロープウェイは、フーコック島の南端のアントイから海を渡り、いくつかの島に支柱を立ててホントム島までおよそ8kmの海上に引かれたもので、ギネス認定の世界最長のロープウェイです。8kmという距離は、東京駅を起点で考えると新宿を通り過ぎて中野駅近くまでという長大な距離です。これだけ長い距離なので乗っている時間も15分と長く、当然ながら交走式ではなく循環式で乗り場には次々とゴンドラがやってきて、乗り込んで乗り場を出るとかなりの速度で走り出します。距離と時間から計算すると時速は32km/h程度ということになります。

 
 
 
 フーコック島側の乗り場のアントイにはギリシャ神殿風の建物やカラフルな建物が建てられ、海に面して観覧席のあるイベントステージのようなものもあります。巨大なホテルもあって、レジャーランドのようですが、建物の色合いから受けるイメージはぽルドがるの町並みのような印象です。

 

 
 さて、アントイを出発したロープウェイは、どんどん高度を上げて眼下には青い海と数多くのヨットが停泊するヨットハーバーそして、アントイの町並み、これから向かう島々などが見渡せて絶景です。ゴンドラは前面ガラス張りで、どちらを見てもさえぎるものはなく、空いていたせいで30人糊を2人で占領です。ただ、高所恐怖症にとっては、かえってこの状態は少々怖さを助長するものでした。

 
 
 
 
 
 ロープウェイの到着駅のホントム島駅はイコールでウォーターパークの入り口で、ロープウェイの料金にはウォータパークの入場料を含む設定になっています。世界最長ロープウェイということで、ロープェイを乗るためにだけ往復する人もいるそうですが。ウォーターパークは名前の通り水遊びを中心とした公園で、南国らしい花々も魅力です。流れるプールやスライダーなどの遊び道具がそろっていますが、デッキチェアで寝そべってのんびりするのも贅沢な時間かもしれません。

 
 
 島内にはいくつかのレストランがありますが、筆者が入ったのはランチビュッフェを提供するレストランでした。2人で\3,500程度とリーズナブルで、食べ物の内容も豊富で手抜きは見られません、そのためか団体客と思しき集団が数多く入っていました。おまけに、フラダンスのショーまで行われました。我が国のDランドのように、食べ物の持ち込みを禁止して高額な料金を設定し、ハンバーガをかじって飲み物を飲んだだけで同じくらいのコストがかかるのとは大違いです。

 循環式のロープウェイは、ゴンドラを吊り下げるロープと走行させるためのロープがあって、動かすためのロープは常時動いていて、ゴンドラが走行時には、このロープをつかみます。吊り下げるロープではなく、レールが車体を支えるサンフランシスコのケーブルカーと原理は同じです。一方、交走式のロープウェイでは、ゴンドラを動かすケーブルは車体に固定され、2台が行ったり来たりをします。ロープウェイの場合は支えるロープは2台のそれぞれが引かれていますが、ケーブルカーでは中央の行き違い地点を除いて単線です。この行き違い地点で衝突しないか心配ですが、の制御にはコンピュータなんぞは使われていません。通常は車輪の内側にあるフランジに仕組みがあって、レールを挟むようなフランジのある車輪とフランジのない車輪を組み合わせています。一方の車体は右側に両フランジを、もう一方は左にあり、行き違い地点ではフランジに挟まれたレールに引っ張られて、右と左に向かいます、コンピュータのような誤動作はない自然流です。

長谷寺の登廊はおよそ400段もの階段があってきついのですが、登廊を囲む牡丹の花に見とれているといつの間にか本堂にたどりつけます

2023-08-13 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は女人高野の室生寺を紹介しました。室生寺は境内いっぱいに咲くシャクナゲが見事ですが、同じ時期にボタンが咲き乱れるのが長谷寺です。同じ近鉄線の沿線で花の時期が似ているため、2つのお寺を梯子をする観光客も多く、花の時期には二つのお寺を直接結ぶ臨時バスも運行されます。今回はその長谷寺を紹介します。

 
 長谷寺は大阪難波から近鉄戦で1時間ほど、明日香村の北辺をかすめて少し東に走った長谷寺駅が起点になります。近鉄線は吉隠川の南にある山塊の北斜面を横切るように走っていて、長谷寺の本堂は川向こうの初瀬山の中腹まで上ったところにあります。したがって、電車でお参りをすると、往復ともに坂を上らなければならないことになります。バス道から清滝川までありて、また急な坂道を登らなければならない神護寺ほどではありませんが。

 
 
 麓の仁王門から本堂までの上りの登廊はおよそ400段できついのですが、この登廊の周りに植えられているのがボタンで、花の季節には花を愛でながら上っていくのは、上りのきつさを忘れさせます。この登廊は趣があり重文指定ですが火災で焼失後の大正時代に再建されたものです。

 
 登廊を登りきったところにある本堂も奈良時代の創建後に度々火災にあっていますが、現在のものは江戸時代の再建で国宝指定です。清水寺や書写山円教寺と童謡の懸崖造りで、山の中腹のきゃだいな建物は存在感があります。懸崖状態の部分は礼堂で背後に本堂があり10mを越える巨大な十一面観音立像が安置されています。これだけ巨大な観音像なので礼堂唐は腰のあたりから上半身しか拝むことができません。春と秋には特別拝観と言って足元まで入堂でき足に触れることができますが、足元からは引きが足らなくて像の全容がつかめません。ただ、その巨大さだけは実感できる貴重な空間です。

 
 本堂からの戻りは、本堂の裏に出て本長谷寺から五重塔を経由することができます。戦後に建てられた初の五重塔で、檜皮葺の和様建築で、緑の木立の中の朱色の塔はそれなりに美しいのですが軒の出が小さく塔心が太く感じて、室生寺の軽やかな五重塔とは比べるべきもありません。


 長谷寺の十一面観音立像は重文ですが、前回紹介の室生寺の十一面観音は国宝指定で、国宝の十一面観音は室生寺を含めて全国でたったの7体しかありません。観音は種々に姿を変えて人々を救いにやってくると言われ、36通りとも6通りともいわれ。これらを変化観音と呼ばれており、十一面観音もその一つです。これらの十一面観音は、名前の通り頭上に十一面の仏面を載せていますが、それぞれに顔立ちが違っています。これは、人々を救うための役割の違いとされています。これらは役割を特化したマルチプロッセッサーでできたコンピュータみたいなものでしょうか。

マテーラの洞窟住居群は灰褐色の岩肌の色しか見えず、最も景色の地味な世界遺産の一つかもしれません(イタリア)

2023-08-06 08:00:00 | 世界遺産
 フエの建造物群の世界遺産は広域に広がっていて、観光客が通常訪れるのは、新市街から橋を渡ってすぐの王宮跡」ですが、阮朝の行程の廟は新市街の南に広がる田畑や森の中に散在していました。りっぱな廟もありましたが、廃墟のような廟もあって、人影もありません。ところが、イタリアには廃墟が世界遺産に指定され、観光客が数多く集まるようになり、さらには廃墟をお土産屋さんにしている場所もあり、今回はそのような変わった世界遺産のマテーラを紹介します。

 マテーラは、イタリアの南部に位置していて、鉄道で行く場合はイタリア国鉄のバーリ駅から私鉄の乗り換えて1時間半ほどマテーラ中央駅から歩いて1.5km程の場所です。バーリ駅からは世界遺産のアルベロベッロに行く私鉄も出ていて、無理をすれば午前と午後で2か所を訪問できますが、電車の本数が極めて少ないので、事前に綿密な計画をしていないと無理かもしれません。バーリ駅では、国鉄の線路を挟んで奥がアルベロベッロ行き、手前がバマテーラ行きですが、筆者が訪問した時には、列車編成が途中駅で分割され、マテーラに行くのは最後尾の1両だけ、乗客もほとんどいませんでした。状況が変わっていないとすれば、気を付けたほうがいいかもしれませんが、マテーラの中央駅も2019年にリニューアルされているようで、状況は変わっているのかもしてません。

 
 
 マテーラは、先史時代から自然の洞窟に人が住むようになり、人工的に洞窟を掘って住むようになったのは8世紀にギリシャ正教の修道士たちだったといわれています。やわらかい凝灰岩でできた岩山は洞窟を掘るには公的だったようです。やがて修道士の数が減り、あとからやってきたのが農民で、修道士の生活をまねて、洞窟を掘って暮らしました。しかしながら19世紀にもなると豊かな農民たちは不通の住居に移住し、残ったのは貧しい農民ばかりとなり、衛生状態も治安も悪くなり、イタリア政府は残りの農民も強制移住をさせ、マテーラは無人の廃墟になってしまいました。ところが、人々が作り上げた住居遺跡は文化的な価値が高いということで1993年に世界遺産に登録され、お土産屋さんをはじめ観光客目当てと思われる施設が戻ってきて、息を吹き返したという状況です。

 
 
 
 洞窟住居はイタリア語の岩を表すサッシと呼ばれ、洞窟の前に岩を積んでいる住居も見られますが、居住空間は岩壁に掘られた洞窟です。マテーラ中央駅から歩いて来ると、これらの住居がある岸壁の上に出て、グラヴィーナ川によって浸食された深い谷が見渡せます。この岸壁のほとんどすべてに穴があって洞窟住居になっているという感じです。見える範囲はすべて岩なので、住居群というよりは、なんなる岩山に見え、世界遺産の中では最も地味な風景の一つに思います。見学は上から順に降りていくので、深追いをすると帰りがつらくなります。崖の上の町並みは、普通に車が走っていますが、洞窟住居群に降りていくとかなり車が走っています、大量に住居を作るようになって、移動のために幅の広い道路が作られたのでしょうか。


 洞窟といえば、ノーベル賞をもらったニュートリノの検出が行われたのがスーパーカミオカンデという上岡鉱山の廃坑の洞窟でした。スパーカミオカンデは、地下1000mに5万トンの超純水を蓄えて、宇宙から飛来したニュートリノが水分子と衝突してほのかに光ることを検出する装置です。光るといってもきわめて弱いもので、この光の検出に1万3千本もの光電子増倍管が使われています。世の中のIT危機は、ほとんどが半導体になってしまいましたが、光電子増倍管はかつて電子回路の中心的役割をした真空管の一種です。真空管といってもカミオカンデで使われる物は直径が1m近くもある巨大なもので、我が国の浜松ホトニクスでしか作れません。この会社は、世界で初めてテレビ開発をした高柳健次郎の血筋を引くもので、光にまつわる真空管の製造技術では世界的で他の追随を許さない企業です。