世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

神戸の東の端に細雪の舞台になった家が残っている住吉

2007-07-29 17:05:36 | 日本の町並み
 遠藤周作の「沈黙」の舞台となったのは外海をでしたが、その沈黙によって1966年に谷崎潤一郎賞を受賞しています。今回は谷崎潤一郎つながりで、谷崎ゆかりの土地の中から、細雪を執筆した倚松庵(いしょうあん)のある神戸の住吉を紹介します。遠藤周作の出身校の灘中があることでもつながりがあるかもしれません。

 住吉の地名は大阪の住吉区が有名で、単に住吉というとデフォルトとして大阪の住吉を指すようです。神戸の住吉は、神戸市の東の端の東灘区の中央あたりに位置します。地名の起源は大阪と同様に住吉神社で、JRの駅のそばに本住吉神社があり、毎年5月の連休の頃には山車を連ねたお祭りでにぎわいます。

 JRの駅から人口島の六甲アイランドに向けて新交通システムが住吉川に沿って南に伸びていますが、その途中に倚松庵(いしょうあん)があります。

 現在の建物は、当時の場所から少し海岸寄り移築されているようですが、細雪の舞台になった頃は住吉川沿いに松並木が続く田舎だったようです。

 神戸の川は、急斜面の六甲山系から急激になだらかな市街地に流れ込み、かつ海までが短いため、かなりの川が天井川、つまり川のほうが周辺の土地よりも高くなって堤防で守られている状態です。住吉川もその一つで、JRは短いトンネルで川の下を通り抜けています。川のほうが上にあるということは、大雨に弱く、何度か水害を経験しており、細雪の中でも昭和13年の阪神大水害の模様が描写されています。

 雨が降ると災害をもたらす恐れのある住吉川ですが、両岸には清流の道と名づけられた遊歩道があります。上流の白鶴美術館の近くから、河口近くまで続いていて、全コースを歩くと2km程度と運動不足の解消には手ごろな道です。しかし、かつてはダンプが走り回る道路だったということは、意外と知られていないかもしれません。宅地造成用に山を削った土砂を、海の埋め立て用に運ぶダンプを通すためです。川は道路や鉄道とは立体交差をしていますから、川原にダンプ専用の道路を作れば、渋滞もなく好都合だったわけです。ただ、その後、再び襲った大雨による土砂災害は、山を削ったことが被害を大きくする要因の一つとなっていたように思います。

 神戸は、東西に細長い町なので、南北に移動するときに、踏み切り待ちなどで意外と時間がかかることがあります。川原のダンプ道は、神戸ゆえの発想なのしょう。昔に比べて、立体交差が進んでかなり楽になりましたが、筆者の学生時代には、踏み切り待ちの長いバス路線では、運転席に週刊誌が置いてあるのを見かけました。運転も大変でしょうが、バス停でいつ来るか分からないバスを待つほうも辛いものでした。渋谷と新橋を結ぶ都営バスで導入されたバスロケーション表示も、現在ではバス停への表示だけでなく、PCやケータイからも情報取得ができて、オフィスで席を立つタイミングも見計らうことができるようになりました。しかし、渋滞が解消してスムーズにバスが走るほうが快適なことはいうまでもありませんが。

世界遺産の登録は見送られましたが、シビウはなかなかいい町です(ルーマニア)

2007-07-22 17:06:47 | 世界遺産
 2007年の世界遺産会議の話題が連続しましたが、今回は登録を見送られた22件の中からルーマニアのシビウを紹介します。シビウはルーマニアのほぼ中央、2007年5月13日号で紹介した世界遺産の町シギショアラの南西に位置します。ルーマニアの首都のブカレストとハンガリーとを結ぶ鉄道幹線上に位置します。シギショアラとシビウを結ぶ鉄道の支線もありますが、谷筋が異なるためか、両者間の移動は不便です。筆者が訪問の時には、なぜかドイツ製のディーゼレカーの臨時の列車が走っていて、効率よく移動できました。

 シビウはトランシルバニア地方の一部で、12世紀からドイツ系の移民が多く移住した町のひとつです。シギショアラも含めて、英語よりドイツ語のほうが通じるとも言われていますが、大学での1.5年のドイツ語では役に立ちそうにもありません。鉄道駅から時計塔ののある広場までは少し坂を上って言ったように思います。

広場に面した屋根を見てびっくりしたのは、屋根に目があってこちらをにらんでいるんです。

1つ目、2つ目だけでなく、3つ目もあります。よく見ると屋根に開けられた明り取りの窓が、ちょうど目のように見えるのですね。

 広場の向こうにドーム型の屋根が見え、イスタンブールのモスクに似た建物の外観に引かれて歩いて行ってみました。似ているはずで、イスタンブールのモスクに似せて作られたルーマニア正教の教会でした。

 入ってみると内部は、なかなか見事で、壁一面の絵やシャンデリアなどは一見の価値があります。ルーマニアの教会は、カソリックの教会もありますが、ルーマニア正教の教会が多いようです。壁一面にイコンが描かれていて、よく見かける教会と趣が違うのですが、一番の違いは椅子が置かれていないのです。神様の前で座っては失礼、との考えからのようです。

ルーマニアの北のはずれに近い、スチャバで思いがけず、土地の人の結婚式を始めから終わりまで見る機会がありました。日本で見る、教会での結婚式とだいぶ手順が違ったようですが、新郎新婦を初め参列者は言うに及ばず、司祭を含めて全員が、式の間中立ったままでした。

 シビウには、教会も多く文化的で19世紀の面影を残すという古い町並みも残っており、2007年欧州文化首都の一つにも指定されているようです。歴史的には商業都市としての性格が強く、14~15世紀頃には商業の中心地だったようです。外敵から町を守った名残なのか、レンガ造りの城壁と見張りの塔が残っています。

 広場から、北のほうへ行くと「うそつき橋」という鉄製の橋が、道路の上にかかっています。嘘つきが通ると、橋が壊れるという言い伝えがあるそうです。

なかなか頑丈そうな橋でそう簡単には壊れそうになさそうです。ローマには、映画の「ローマの休日」で有名になった「真実の口」があって、嘘つきが手を入れると、噛み付かれて抜けなくなるとの言い伝えと似ているかもしれません。嘘発見器は、皮膚の発汗や、脈拍などをセンサーで検出して、嘘をついた時の微妙な体の変化を捉えようといういうものですが、平気で嘘をつく人もいて、発見できないこともあるそうです。「嘘つき橋」や「真実の口」に出張してきてもらったほうが、正確に嘘を見抜けるでしょうか。

「沈黙」の舞台の海は何処までも碧く続いていました、外海

2007-07-15 17:09:34 | 日本の町並み
 津和野の畳敷きの教会は西洋文化と日本文化の融合が形として現れた一例と言えるかもしれませんが、江戸時代のキリスト教弾圧をモティーフとした遠藤周作の「沈黙」の舞台となった場所が長崎県の外海(そとめ)です。外海は西彼杵(そのぎ)半島の中央やや南の角力灘(すもうなだ)に面した小さな集落で、長崎市の一部にもなっています。

 外海は長崎からバスで1時間足らず、乗客が少なく貸切状態に近くなった頃に到着します。集落の手前でバスを降りて、少し歩いた小高い岬の上に遠藤周作文学館があり、生前の書斎が再現され原稿類などが展示されています。沈黙の中に「人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです」という有名な表現がありますが、訪れた日にも、文学館のテラスからは、紺碧の角力灘が広がっていました。

 文学館を下った先の入り江のあたりが隠れキリシタンの集落の一つで、資料館に踏み絵やロザリオなどが残されています。明治期にキリスト教が解禁になり、布教のために訪れたド・ロ神父の遺構も数多く残されていて、神父が網すき工場と保育園として建てた建物が記念館として公開されています。記念館を守っておられるシスターが、当時フランスから取り寄せたというオルガンを引いてくださいましたが、ちょっぴり敬虔な気持ちになりました。田んぼのあぜ道を通って少し上ったところに、神父が設計施行したという出津(しつ)教会があります。切妻屋根に尖塔を組み合わせたシンプルな教会は真っ白に塗られていて、紺碧の空にくっきりと映えていました。外海は碧と白とが似合う世界なのでしょうか。

 再び紺碧の海に目を転じると、沖合いには小さな島が見えます。2001年まで操業を続けていた池島炭鉱です。最盛期の85年には150万トン以上もの石炭を産出していたそうですが、エネルギ需要の変化に坑内火災が追い討ちとなって閉山に追い込まれたようです。悪条件と戦いながら九州で最後まで現役として生き残った炭鉱と、弾圧に耐えて信教を通した隠れキリシタン、どこか通ずるところがあるのかもしれません。

 石炭は石油に押されて過去のエネルギー源になってしまいましたが、製鉄にはまだまだ石炭が必要ですし、化学工業分野でも重要な原料であることは変わりません。アナログ技術も同じような性格を持っているように思います。通信やITの分野ではほとんど全ての情報がディジタル化されて扱われていますが、ディジタル信号を処理する回路はアナログの回路設計技術が必要ですし、対人間とインタフェースを取る部分では必ずアナログである必用があります。過去の遺産のように思われがちのアナログ技術がなければ、ディジタルも生かされないんですね。

三大ガッカリと言われることもあったオペラハウスも遺産登録されました(オーストラリア)

2007-07-08 17:11:01 | 世界遺産
 今年度の世界遺産会議で新規に世界遺産に登録された遺産は、日本の石見銀山の遺構を含めて22件ありましたが、その中にオーストラリア・シドニーのオペラハウスも含まれています。世界の3大ガッカリの一つとも言われたこともありますが、現代を代表する建築遺産として承認されたようです。ちなみに3大ガッカリには諸説ありますが、マーライオン、人魚姫の像、小便小僧の像それにオペラ・ハウスの中から3つが選ばれることが多いようです。

 オペラ・ハウスは1973年に完成した貝殻を重ねたような外観が美しく、特にシドニー港から眺めた姿は見事です。シェルが2つあるのは、港から見て左がオペラ劇場で右側がコンサートホールの2棟のホールが複合しているからです。このオペラ・ハウスがガッカリの候補になっている理由を考えてみると、海から眺めた形は美しいのですが、もっとよく見ようと思って、陸側から近づくと、ごてごてとして、すっきりしません。設計者も海側からある程度の距離を置いて眺めることを念頭に設計したのかもしれません。この建物は1959年に着工しながら、予算オーバー(当初の約14倍)や、設計者が途中で変更されるなどで14年もの歳月をかけてやっと完成したものです。完成後はシドニーを代表する建物になったことは、ハッピーだったかもしれません。

 筆者がシドニーを訪れたのはおよそ20年も前になります。オペラハウスの周辺もこの写真とは変わってしまっているかもしれません。その頃は、モノレールもありませんでしたし、ハーバーブリッジのアーチ部分を登ってゆくハーバークライムなんてのもありませんでした。この、ハーバークライムで登るアーチの頂上部は海面から134mあるそうで、オペラハウスの眺めはもちろん、360度の絶景を楽しめるのだそうです。高所恐怖症で奈良県の谷瀬の吊り橋も渡れなかった筆者にはとても参加できないツアーの一つのようです。

 シドニーを訪れたときに驚いたのが、地下鉄です。郊外電車がそのまま乗り入れていたようですが、なんと2階建て車両なのです。地下鉄では、特に初期のものでは、トンネル断面を小さくするために架線をやめて第三軌条から集電したりします。この常識を覆す光景にびっくりでした。すこしでもたくさんの人に乗って、また座ってもらおうとのサービス精神が優先したのでしょうか。最近、1枚で地域のほとんどの交通機関に乗れるカードの導入が進んでいます。スイカに始まった非接触のICカードを利用して、財布などから出さなくても改札が通れるメリットも強調されているようです。関東ではデビット方式で先払い、関西ではクレジット方式の後払いで、多く乗ると割引もしてくれます。どうもサービス性においては関西のほうに分がありそうです。

鯉のいる掘割のそばには畳敷きの教会がありました、津和野

2007-07-01 17:12:17 | 日本の町並み
 自転車で回るのにちょうど良いのが安曇野でしたが、最近の観光地では貸し自転車屋さんを多く見かけます。車が少なくって起伏の少ない町が自転車には快適です。今回は、これらの町の中で、比較的古くから貸し自転車が多かった津和野を取り上げます。回りを山に囲まれ、その間を南北に鉄道が走り、ユニークな美術館があるところも安曇野との共通項かもしれません。

 津和野町は島根県の西の端、山口県の萩市などと接していて、萩とならぶ中国地方西部を代表する観光地の一つになっています。町の中央を新山口と益田を結ぶJR山口線が走り、C57を使ったSL山口号が観光客を満載して到着します。

 萩と並び称されますが、JRを使ってその間を移動するのはちょっと不便です。益田まで山口線、そして山陰線に乗り継いで直線距離の3倍ほどもの遠回りになります。そんな理由もあってかどうか、町の中に観光バスなどの車が増えて、自転車に対しては環境が悪くなってきているかもしれません。

 かつては、人通りも少なかった通りに何処の観光地にもあるような土産物屋が割り込んできて、観光バスを降りた団体客がゾロゾロ歩くさまはちょっとげんなりするところもありますが、殿町あたりの掘割に泳ぐ鯉と築地塀の組み合わせはさすがに絵になります。

 その掘割のある通りに面したカトリック教会は外観はごく一般的な教会ですが、中に入るとちょっとびっくりします。聖書などを置く机と合体した椅子が何処にもなくって、畳敷きの広間があり、

その奥に祭壇があります。礼拝の時間に遭遇しなかったので、そこでの礼拝がどのような形で行われているのかは確認できませんでした。

 教会といえば、ヨーロッパの田舎で教会の尖塔が見え隠れするような風景を柔らかなタッチで描いている絵本作家の安野光雅画伯の美術館もなかなかユニークです。プラネタリュームを併設する美術館というのは他では見たことがありません。「天動説の絵本」などを描き、科学の基礎となる天文学を知ってほしいという安野さんの意見を取り入れたものだそうです。

 プラネタリュウムは光で投影するわけですから、一般的に目で見える、光る星が対象になります。しかしながら、宇宙には可視光線は出さなくてもX線や電波を出す星も数多くあって、これらの星の観測には電波望遠鏡が活躍します。望遠鏡といっても、大きなパラボラアンテナを持つ受信装置です。はるか彼方からやってくる微弱な電波を捉えるために、雑音の少ない増幅器が必要で、分解能(2つのものを2つと見分けられる限界)がアンテナの直径に反比例するために、多くのアンテナを並べたりと、宇宙のベールを剥がすのは大変な努力が要るようです。