世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ヨーロッパで最も高い鉄道駅のあるユングフラウ(スイス)

2007-11-25 10:17:30 | 世界遺産
 シントラはヨーロッパの最も西の駅の近くにありましたが、ヨーロッパで最も高い駅があるのがユングフラウです。日本では、登山列車といえば箱根登山鉄道しかありませんが、スイスではケーブルカーより、登山鉄道のほうが普及しています。自然に恵まれたスイスですが6つある世界遺産のうち自然遺産は、ユングフラウとサン・ジョルジア山の2箇所なのはちょっと意外です。それに、5番目の遺産としてユングフラウが初めて自然遺産とし手登録されています。

 ユングフラウに上る登山電車の基地は、インターラーケンですが、英語で表現するとinter lakeつまり2つの湖に挟まれた町です。

 ユングフラウに上る登山電車の基地は、インターラーケンですが、英語で表現するとinter lakeつまり2つの湖に挟まれた町です。ヨーロッパで一番高い駅のユングフラウ・ヨッホは標高3454m、もう少しで富士山の標高と同じになります。実は、この駅に行くには3つの鉄道会社を乗り継ぐことになります。当然ながら2回の乗換えが必要です。おまけに、麓からの鉄道は途中で分岐して、ちょうどシャンペングラスの断面のような路線になっています。2番目の鉄道は、麓からの2つの駅を円弧で結ぶおわんを伏せたような形で、その頂点のところから3番目の鉄道が延びています。そして、麓からの電車は、2編成が途中で分割されますが、2手に分かれるどちらのルートを通っても、3番目の電車への乗換駅にはほぼ同じ時刻に着きます。往路と復路でルートを変えて乗れば、車窓から違った景色が楽しめるわけです。

 クライネ・シャイデック駅から乗る最高地点まで行く電車はメーターゲージの小ぶりな電車で、ほとんどの区間をラックレールで登ってゆきます。日本では大井川鉄道にしかなく、ものめずらしがられるラックレールで、最初は「ラックレールだ!」と感激していましたが、毎日のようにラックレールにお目にかかると感動も薄くなります。

クライネ・シャイデックから少し登るとトンネルに入ってしまって、景色を楽しむという点では難がありますが、これはアイガーとメンヒの中にうがったトンネル内を登っていくのでしょうがありません。

 登りの電車では、途中2箇所で観光停車をしてくれます。アイガー北壁に開けた窓から外が見れるのですが、そのうちの一箇所は霧で窓の外は真っ白でした。終点ももちろんトンネルの中で、氷の宮殿を通って、エレベータに乗り、スフィンクス展望台に出られます。登山の装備をした人は4158mのユングフラウまで登れますが、観光客はこの展望台まで。当初はユングフラウの頂上までケーブルや登山電車を延長する計画もあったようですが、高山病のリスクなどの理由で断念されたそうです。モンブランにしてもそうでしたが、富士山と同じくらいの高さのところにまで、歩かなくって到達してしまえるのには驚きです。

 携帯電話の電波は、隣同士の基地局からの電波が干渉しないように、少し下向きに送信されることが多いようです。このため、都会の高層ビルでは受かりにくいなど高いところは苦手のようです。ただ富士山などでは、周辺の基地局との干渉が少ないためか、基地局から頂上方向に電波を吹いているので、頂上付近でも携帯電話が使えるそうです。富士山以外にも使える山は増えているのかもしれませんが、ユングフラウなどスイスの山々ではどうなのでしょうか。低高度の衛星で電波を中継するイリジューム携帯電話では、地球上のありとあらゆるところで携帯電話が使えるというのが売りですから、ユングフラウの頂上でも使えることでしょう。緊急時の通信ができる利点はあるでしょうが、山に登ってまで着メロを聞かされたり、電話をしながらうろうろされたくないと思うのは筆者だけでしょうか。

最上川の河口に回船問屋の栄光の遺構を残す酒田

2007-11-18 10:19:33 | 日本の町並み
 これまで二回にわたり三角形にゆかりの場所を紹介しましたが、3にこだわって3回目の三角形です。今回は三角形の屋根の連なりが面白い山居倉庫のある酒田市を紹介します。

 酒田市は山形県の北の端の日本海に面した最上川の河口に港町として発展した町です。さきの山居倉庫も、明治期に米の流通に伴い保管のために造られたものです。

山居倉庫の近くには、江戸時代に年貢米の運搬を一手に引き受けた回船問屋、旧鐙屋の屋敷の一部が残され公開されており、往時の繁栄振りを垣間見れます。かなりの広さがありますが、現役の頃は現在の数倍の広さの敷地があったそうです。その繁栄振りは井原西鶴の「日本永代蔵」にも描かれているようです。

 繁栄といえば、かつての豪商・本間家の邸宅と別荘も残されていて、別荘については、酒田の迎賓館として利用された後に、現在は美術館として公開されています。

回遊式の庭園と京風の和風建築はそれ自体が美術品としての価値があるように思います。本間家の繁栄振りは、「本間様にはおよびもせぬが、せめてなりたや殿様に」と言われ、殿様より羽振りがよかったということのようです。

 豪商の勢いを象徴する事件が、明治初期に起こった相馬屋事件で、料亭に集まった酒田の政財界トップクラスが宮中御宴と称する新年会を行って不敬罪に問われたものです。不敬罪に問われた理由は、集まったメンバが天皇、皇后、大臣に仮装し、菊の紋章を染め抜いた幕を張って宮中を模したということです。いったんは、酒田を代表する有力者のほとんどが投獄されましたが、証拠不十分ということで放免されたとのことです。事件の舞台になった相馬屋は、再建されて真っ赤な塀が華やかな相馬楼というお茶屋さんになっていて、舞娘の踊りを鑑賞しながらお茶が飲める場所になっています。

 山居倉庫は12棟もの倉庫が連なっていて壮観ですが、情報伝達に手間のかかった当時の流通の仕組みでは、無駄な貯蔵も多かったのではないでしょうか。米のように、生産時期が集中する場合には、消費との時間差を吸収するために、どこかで貯蔵する必要があるのはやむを得ないと思います。しかし、生産量をコントロールできる製品では、POSのように消費量をリアルタイムで把握するシステムを利用して、倉庫のスペースを極力少なくして、コスト削減が行なえるようです。

おとぎ話のような派手な宮殿のあるシントラ(ポルトガル)

2007-11-11 10:20:56 | 世界遺産
 北京の天壇にある祈念殿はコバルトブルーのなかなか派手な建物でしたが、さらに派手で、まるでおとぎ話に出てきそうな建物があるのがポルトガルのペーナ宮です。今回は、ペーナ宮やシントラ宮殿のあるシントラの文化的景観を紹介します。

 シントラの2つの宮殿は、ポルトガルの首都のリスボンから電車で1時間足らず乗車して、終点からバスで山を登ったところにあります。ど派手なペーナ宮はバスで登りきったところにあって、入場券を買って門を入っとところは木立の茂る庭で宮殿は見えません。宮殿はさらに上のほうです。小型のバスがさらに上のほうへ連れて行ってくれますが、しっかりと別料金を請求されます。ペーナ宮は19世紀の建築で、バイエルン地方の有名なノイシュバンシュタイン城に先立つこと30年前に完成しています。遊園地風の宮殿が同じ頃に作られたことになりますが、作らせた二人の主人公はいとこ同士なので、なるほどとも思います。

 ノイシュバンシュタインが白を基調にして、色合いを抑えたデザインになっているのに対して、ペーナ宮は、色といいデザインといい、種々の様式をごった煮にした感じです。小型のバスから降りて建物の姿が目に飛び込んできた時には、バスを乗り間違って遊園地にでも迷い込んだかと思いました。

けっして、いい趣味とは思えませんが、ここまで遊園地風に徹しきると、けっこう楽しい気分にもなれます。建物は人工美?の極地ですが、周りは緑豊な自然が大西洋まで続いていて、対照的です。テラスで昼食をしましたが、なかなか気持ちが良かったです。

 一方、シントラ宮は山の中腹辺りに位置していて、14世紀に建てられた夏の離宮の名残です。こちらは白を基調とした、比較的地味な外観をしていますが、王宮だけに内部はなかなか美しかったようです。ポルトガルの建築で内部を美しく飾るのに用いられるアズレージョも見事だったように思います。この宮殿で目立つのは、台所からそびえている2本の煙突で、天から白いサツマイモが降ってきて突き刺さったようなずんぐりとした形は、細身の煙突を見慣れた目には奇妙な形に見えます。

ただ、この煙突が、宮殿のデザインの上でアクセントになっていて、存在感を持っているようにも思います。

 シントラの緑は大西洋まで続いていますが、その先にはロカ岬があり灯台がぽつんと建っています。灯台の先は大西洋に落ち込む断崖ですが、さほど特徴的な岬でもないのですが、ここがユーラシア大陸の最西端なのです。

バス停のそばにある土産物屋では、最西端に来たという証明書も売っています。日付変更線を超えた証明や、赤道を越えたという証明が、飛行機の中で配られたこともありましたが、似たような証明書ってところで、性懲りも無く買ってしまいました。

 ロカ岬から見た大西洋は真っ青な海原が水平線の向こうまで延びていました。かつてコロンブスなどが、この海原に船出をしていったときにもこのような青さであったでしょうが、高精度で自分の位置を知るGPSなどの進路や位置を認識する支援システムの無い航海は、大変な冒険だったのでしょう。支援システムはおろか、アメリカ大陸の存在を認識していなかった彼らには、地図(海図)も無かったわけでしょうから。ただ、ヨーロッパ人が発見したというアメリカ大陸には、彼らのやってくるずっと前からネイティブ・アメリカンが住んでいたわけで、発見っていうことはどういう意味があるのでしょうか。

世界遺産の白川郷の合掌造りは合理的な建築に思えます

2007-11-04 10:24:04 | 日本の町並み
 阿武川の三角州に発展した町が萩でしたが、傾斜のきつい大きな三角形の屋根を持つ家が合掌造りです。豪雪地帯ゆえ雪を降ろしやすく、屋根裏を養蚕スペースとして確保するために考えられた合理的な建築物のように思います。合掌造りの村は2地区が世界遺産にも登録されていますが、その中から白川郷を紹介します。

 白川郷は、岐阜県の西北端、富山県と接するところにあります。現在は北側の富山県や石川県からも高速道路やスーパー林道が通じていますが、かつては南側からしかアクセスできませんでした。富山県の合掌つくりの村の五箇山と同様に庄川の流域の狭い平地にできた村落で、共に平家の落ち武者伝説があるくらいの土地ですから、便利な土地であったはずはありません。

 合掌造の家は大小取り混ぜて100軒ほどが残されていて、五箇山と比べると数は多いようです。そのうちのかなりの数が民宿になっていて、囲炉裏のある部屋での食事などをうたい文句に観光客を集めています。筆者が宿泊した民宿は、天井が張られていて、屋根裏の様子はうかがえませんでしたが、オーナの暖かいもてなしが記憶に残っています。

 大家族の住居ゆえ屋根裏にも居住スペースがあるように考えられますが、通常は養蚕のための場所で、公開されている保存住居の2階に上がると、蚕棚の跡がうかがえます。太い柱は囲炉裏の煙で黒光りをしていましたが、茅葺の屋根を害虫から守るために、囲炉裏の煙は有用だったのだそうです。それでも30年程度しかもたないそうで、定期的に吹き替えが必要になります。大きな屋根を葺き替えるのは大変な仕事のようで、村中で共同作業によって1~2日で完了させてしまうそうです。この共同体のことを「結(ゆい)」と呼び、農作業での共同作業が必要な場合にも機能しているそうです。かつて見た映画のシーンに、アーミッシュの村で共同作業による家作りを見て感動しましたが、同じような光景が見れるのではないでしょうか。

 建築の分野では、構造的に丈夫なものとしてピラミッドや鉄橋のトラスなどで使われる三角形ですが、電気分野ではなじみが薄いように思います。三相交流関連の図面や、回路図に出てくるオペアンプぐらいを思い出します。初めて三相交流を学んだ時には位相の概念がなかなか理解できなかったように思いますが、モータの駆動にも便利な3本の電線で運ばれる三相交流も、なかなか合理的な方式のように思います。