北米で4番目の大都市に路面電車が走っていたり建設当時には世界一のテレビ塔であったCNタワーがそびえるなど多様な顔を見せるカナダの都市がトロントでした。現在の世界一のテレビ塔はわが国のスカイツリーですが、そのスカイツリーに世界一を奪われたのが中国の広州テレビ塔です。今回は、広州塔が立つおひざもとの広州市周辺を紹介します。
広州市は、中国南部の広東省の省都で、香港からも鉄道で短時間でいけ、マカオの近くまで鉄道が延びています。マカオまでの鉄道は、中国側の珠海までですが、マカオのゲートまでの工事が遅れているようです。広州市は中国第3の大都市で、上海と並んで南部の商業の中心的な位置を占めています。大都市の割には、公園などの緑も多く、寺院や博物館、かつてイギリスとフランスの居留地であった沙面地区など見所がたくさんあります。市内の移動は、空港にも乗り入れている地下鉄網が完備していて、旅行者にも分りやすい町の一つといえます。
中心となる鉄道駅は広州駅なのですが、その鉄道駅の近くにも1km四方近くの公園が2つもあります。池を中心とした流花公園と博物館などの施設が多い越秀公園です。流花公園の中にはレストランなどがあって、夕暮れと共にライトアップされた建物が池の面に写って綺麗です。
一方の越秀公園にも小ぶりな池はありますが、かなり起伏があって、高台には鎮海楼と呼ばれる博物館や5匹の羊を刻んだ五羊石像が建っています。鎮海楼は台北の園山大飯店を小ぶりにしたようなイメージで、最上階からは高台に建っていることもあって広州市の絶景が楽しめます。五羊石像は、かつて神様が5匹の羊に5種類の穀類の種をくわえさせて遣わせ、広州が五穀豊穣の地になった故事によるものです。一方の池の周りは、市民の憩いの場のようになっていて、胡弓などの演奏や歌を披露している集団を見かけます。
越秀公園の西側には西漢南越王墓博物館があって、あまり有名でないようなのですが、南越の第2代王の墳墓の上に建てられたもので、墳墓からの出土品の展示と、玄室などが見られます。中でも数多く出土したものとして、まるでCDのような石の装飾品で、アクセサリーなのか魔よけなのか、よくは分りませんでした。
宗教施設では、仏教寺院のほかに清真寺(中国のモスク)やキリスト教会もあります。回教寺院の清真寺のほうは、建物の外観は、仏教寺院で、どう見てもモスクには見えません。西安にもモスクがあり、やはり中国寺院のような建築物群でミナレットの役割の楼閣も寺院のそれでした。広州のモスクにはミナレットも無くって、メッカの方角の壁に作られたミフラーブの窪みでモスクと分るくらいです。
さらに、中国の道教寺院のように見える建物なのですが私塾なのが陳氏書院です。19世紀に広州一円の陳姓の方々が作った一種の寺子屋ですが、とても私塾とは思えない広さと建物の豪華さに驚かされます。
一方、キリスト教会はいくつかあるのですが、最大のものは石室聖心大聖堂です。19世紀に建てられた花崗岩のゴシック建築で、すべてが石で作られたゴシックの聖堂はパリのノートルダムを含めて世界で4棟しか無いのだそうです。堂内に入るとステンドグラスの輝きやこうもり天井など、ここが中国だということを忘れてしまいそうです。
教会堂内だけではなく、ここが中国か?と思う地区が沙面地区です。運河の先の人工島に、緑の木立に囲まれたヨーロッパの町並みが広がっています。パステル調色に塗られたレトロな建物はかつてのイギリスやフランスの公館や商館の名残です。上海の外灘を小規模にしたような所がありますが、こちらの方が緑が多くて建物も小ぶりで景色が凝縮しています。中国や韓国、さらに最近ではわが国でも、結婚式の前に2人で写真を撮ってもらう光景を見かけますが、沙面地区でも数多くのカップルを見かけました。これも、上海の外灘と同じ光景ですが、新婦がサンダルやスニーカ履きというのも共通でした。さらに、この町並みを利用して映画などのロケが多いようで、目の前で撮影が始まりました。
西漢南越王墓博物館に飾られている石の円盤からは音楽は出てこないでしょうが、たたけばそれなりの音楽は奏でられるかもしれません。音楽の再生がレコードからCDに移り、さらにはネットからダウンロードされたメモリに変わってきました。しかし、この変化は音楽を簡単に聞くことができるという効果を生みはしましたが、音楽の持つ豊かな情報量を省略してゆく歴史でもありました。CDなどのディジタル音楽場仮を聞いていると精神的に良くないという説もあるようです。レコードを聴くという作業は、少々儀式めいてきましたが、儀式を通じてさらに精神的に落ち着くかもしれません。
広州市は、中国南部の広東省の省都で、香港からも鉄道で短時間でいけ、マカオの近くまで鉄道が延びています。マカオまでの鉄道は、中国側の珠海までですが、マカオのゲートまでの工事が遅れているようです。広州市は中国第3の大都市で、上海と並んで南部の商業の中心的な位置を占めています。大都市の割には、公園などの緑も多く、寺院や博物館、かつてイギリスとフランスの居留地であった沙面地区など見所がたくさんあります。市内の移動は、空港にも乗り入れている地下鉄網が完備していて、旅行者にも分りやすい町の一つといえます。
中心となる鉄道駅は広州駅なのですが、その鉄道駅の近くにも1km四方近くの公園が2つもあります。池を中心とした流花公園と博物館などの施設が多い越秀公園です。流花公園の中にはレストランなどがあって、夕暮れと共にライトアップされた建物が池の面に写って綺麗です。
一方の越秀公園にも小ぶりな池はありますが、かなり起伏があって、高台には鎮海楼と呼ばれる博物館や5匹の羊を刻んだ五羊石像が建っています。鎮海楼は台北の園山大飯店を小ぶりにしたようなイメージで、最上階からは高台に建っていることもあって広州市の絶景が楽しめます。五羊石像は、かつて神様が5匹の羊に5種類の穀類の種をくわえさせて遣わせ、広州が五穀豊穣の地になった故事によるものです。一方の池の周りは、市民の憩いの場のようになっていて、胡弓などの演奏や歌を披露している集団を見かけます。
越秀公園の西側には西漢南越王墓博物館があって、あまり有名でないようなのですが、南越の第2代王の墳墓の上に建てられたもので、墳墓からの出土品の展示と、玄室などが見られます。中でも数多く出土したものとして、まるでCDのような石の装飾品で、アクセサリーなのか魔よけなのか、よくは分りませんでした。
宗教施設では、仏教寺院のほかに清真寺(中国のモスク)やキリスト教会もあります。回教寺院の清真寺のほうは、建物の外観は、仏教寺院で、どう見てもモスクには見えません。西安にもモスクがあり、やはり中国寺院のような建築物群でミナレットの役割の楼閣も寺院のそれでした。広州のモスクにはミナレットも無くって、メッカの方角の壁に作られたミフラーブの窪みでモスクと分るくらいです。
さらに、中国の道教寺院のように見える建物なのですが私塾なのが陳氏書院です。19世紀に広州一円の陳姓の方々が作った一種の寺子屋ですが、とても私塾とは思えない広さと建物の豪華さに驚かされます。
一方、キリスト教会はいくつかあるのですが、最大のものは石室聖心大聖堂です。19世紀に建てられた花崗岩のゴシック建築で、すべてが石で作られたゴシックの聖堂はパリのノートルダムを含めて世界で4棟しか無いのだそうです。堂内に入るとステンドグラスの輝きやこうもり天井など、ここが中国だということを忘れてしまいそうです。
教会堂内だけではなく、ここが中国か?と思う地区が沙面地区です。運河の先の人工島に、緑の木立に囲まれたヨーロッパの町並みが広がっています。パステル調色に塗られたレトロな建物はかつてのイギリスやフランスの公館や商館の名残です。上海の外灘を小規模にしたような所がありますが、こちらの方が緑が多くて建物も小ぶりで景色が凝縮しています。中国や韓国、さらに最近ではわが国でも、結婚式の前に2人で写真を撮ってもらう光景を見かけますが、沙面地区でも数多くのカップルを見かけました。これも、上海の外灘と同じ光景ですが、新婦がサンダルやスニーカ履きというのも共通でした。さらに、この町並みを利用して映画などのロケが多いようで、目の前で撮影が始まりました。
西漢南越王墓博物館に飾られている石の円盤からは音楽は出てこないでしょうが、たたけばそれなりの音楽は奏でられるかもしれません。音楽の再生がレコードからCDに移り、さらにはネットからダウンロードされたメモリに変わってきました。しかし、この変化は音楽を簡単に聞くことができるという効果を生みはしましたが、音楽の持つ豊かな情報量を省略してゆく歴史でもありました。CDなどのディジタル音楽場仮を聞いていると精神的に良くないという説もあるようです。レコードを聴くという作業は、少々儀式めいてきましたが、儀式を通じてさらに精神的に落ち着くかもしれません。