世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

湖水地方という名前ですが綿々と連なる緑の丘もすばらしいですよ(イギリス)

2015-05-31 08:00:00 | 世界の町並み
 ルーマニアのスチャバはヨーロッパの中では比較的田舎っぽさの残るルーマニアの中でものんびりとした田園風景が広がる町でした。一方、イギリスは大都市ばかりのイメージですが、核となる都市を外れると意外と緑の丘が綿々と続くところが多いようです。これは、同じ島国の険しい山の多い日本とは違って、丘陵地帯が多く利用できる国土が広いため、人の少ない田舎っぽさがあちこちに広がっているのかもしれません。田舎っぽさを売りにした所はコッツウォルズなどが有名ですが、今回はもう少し遠くで、英国のナショナル・トラストの一つになっている湖水地方を紹介します。

 湖水地方はイングランドの北西部、ロンドンの北北西300km、海から20kmほど入った高原に多数の湖水のある地域です。列車で行く場合は、ロンドンのユーストンからICでオクセンホルまで行き、そこから支線に乗り換え湖水地方の中心地のウィンダミアまで行けます。4~5時間の行程でしょうか。筆者は、現地催行のパッケージツアーに参加して、ロンドンからバスで行きましたが、同行者はさすがに英国人ばかりでした。このシステムが合理的で、同日に目的地の異なる複数のパッケージが用意されています。ロンドンから乗ったバスは、最終目的地の湖水地方までは行かず、途中のハブとなるバスステーションまでで、このバスには目的地の異なるお客が混乗します。ハブに着くと、そこで、最終目的地に行くバスに乗り換えます、帰路はその逆となります。道路の渋滞が無くて、到着時間に誤差が少なくないと採れない仕組みですが、一つの観光地に対して、多くの出発地が選べる便利なやり方のように思いました。

 
 
 さて、湖水地方ですが、これが16年前で、自由行動日以外は、ウンダミアのホテルをベースにバスであちこち連れてってくれたので、あまり分解能が上がっていません。断片的な記述をお許しください。湖水地方は、名前の通り大小の湖水が散らばっていて、その中の代表格がウンダミア湖です。この湖の西側、ウンダミアの町並みの対岸には、ピーター・ラビットの舞台になったニアソーリーの草原が広がっています。丘の上には作者のビアトリクス・ポターが住んでいたヒルトップの田舎屋が残されています。ニアソーリーにはウインダミア湖をフェリーで渡るか、湖岸の道路を北に行って廻りこむルートがありますが、このフェリーがちっと変わってます。このフェリーは、ケーブルカーと同じ原理で、スクリューではなく、ワイヤーで引かれて行き来をしています。

 
 
 
 
 湖水地方は、ピーターラビットの舞台になっただけでなく、ウンダミアの北のグラスミアは詩人のワーズ・ワースが生まれた土地であり、湖水地歩の南東のハワースは嵐が丘の舞台になったところです。どちらも、バスで連れて行ってもらったようなのですが、あまりよくは覚えていません。他にも、小さな滝や、かわいらしい町並みの中に立つお城などがあったように思います。ただ、バスの窓から見えた綿々たる丘の連なりやその間の湖などのすばらしい景色だけが印象に残っています。

 ピーターラビットは世界的に有名なウサギですが、もう一匹、世界的なウサギが居ます、ご存知イソップの亀と競争をしたウサギです。イソップの話では、過信をしすぎたウサギが、地道な亀に負け、「油断をしてはいけない!」といった寓意を持つものです。この話にはリーマスじいやの話という別の話があるそうで、亀が勝った理由が勤勉さではなくずるがしこさにあった、となっています。亀は外形から個体認識が難しいことを利用して、走路の途中に家族の亀をたくさん配置し、ゴールにも前もって行っていたというのだそうです。イソップにしてもリーマスの話にしても、昼寝を起こす電子アラームや個体認識技術があれば、ウサギは負けることはなかったでしょうに。どうもイソップの話は擬人化された動物のイメージを歪めるようで好きになれません。

中国道と因幡街道の交点の山崎にはかつての城下町に個性的な造り酒屋が残されています

2015-05-24 08:00:00 | 日本の町並み
 姫路市の北にあって、林田藩の城下町には、古い町並みに混じって、世界をも相手にしようという地酒の蔵元がありました。兵庫県は灘を代表格としたお酒の産地ですが、灘以外にも多くの地酒の酒蔵があり、林田のある播州にも個性的なお酒があるようです。今回は、それらの中から250年の歴史がある老松酒造や鉱山貯蔵庫を持つ山陽盃酒造などの造り酒屋のある山崎を紹介します。

 山崎は、姫路の北西20km、バスで1時間ほど、周辺の町との合併で誕生した宍粟市の中心部の町並みです。中国道の山崎インターからも近く、阪神間に高速バスも運行され、乗換えが要らないことから、姫路経由のルートより重宝されているようです。かつては陰陽連絡をする因幡街道と東西の街道が交わる交通の要害は、現在も鉄道駅は無いものの、現在の因幡街道である国道29号と中国道との交点として健在です。

 
 
 この陸路の交通の要害は、江戸時代には揖保川の水運も開かれ、本田家山崎藩の城下町として発展しました。町の南には、林田と同様に陣屋跡が残っています。この陣屋跡は山崎小学校の隣にあり、高麗門と土塁の一部が残されています。本丸とされる場所には、明治期に建てられた法務局の建物が移築され歴史民族資料館となっています。

 
 
 一方、城下町の商家の名残としての造り酒屋ですが、老松酒造は、通りに面した母屋と表蔵が漆喰塗りと格子を連ねた趣のある建物で、景観形成重要建造物に指定されています。昨年の大河ドラマにあやかってか「官兵衛飛躍の地宍粟」という銘柄の日本酒を出しています。他方の、山陽盃酒造も白漆喰に格子を連ねた店の前にはこも樽が積み上げられています。近くにある廃坑となった明延鉱山を利用したお酒の貯蔵熟成が売りのようで、「播州一献」の銘柄で販売されています。

 
 
 これらの造り酒屋や土蔵のある町並みは、町の中心に小高くそびえる最上山の南側に東西に伸びています。

 町には、寺院や神社も多く、多くは先ほどの最上山を取り囲むように建っています。これらの中で有名な神社は大歳(おおとし、ではなく、ださい)神社で、境内には千年藤と呼ばれる天然記念物の藤の木があります。1本の木が300㎡の広さに広がり、開花の時期の5月のはあたりに良い香りが漂うそうです。

 藤の大歳神社のすぐ東にある布川工務店のホームページには、藤の季節になると開花状況が写真入で実況報告されます。まったくのボランティアで、町の観光協会からも独立の立場のようです。花の開花は天候によって左右され、年によって大幅にふらつきます。訪問の日程を決める時に、このような開花状況がネットで公開されているとありがたいものです。最近では、このような開花状況は、各地の観光協会によって立ち上げられているようですが、たまたま隣にあるという会社が、善意で続けているというのは、すばらしいことのように思います。インターネットは、元来は非営利の大学や研究機関をつなぐものでしたが、営利目的になった今も、基本的な原理は同じものを使い続けるために、いろいろ問題が多いように思います。布川工務店のような例を見ると、ほっとします。

160年も鐘を鳴らしてきたウェストミンスターは、これぞロンドンの風景です(イギリス)

2015-05-17 08:00:00 | 世界遺産
 フランスで一番高いゴシックの塔がそびえるのがアミアンの大聖堂でした。ゴシック建築は北フランスで始まっりましたが、後期のゴシックの発展的な流れはイングランドのゴシック建築であったと言われています。この、イングランドのゴシック建築の中で、ロンドンの象徴のような建築の一つが、ウエストミンスター寺院ではないでしょうか。ウエストミンスター寺院は、お隣にありビッグベンで有名なウエストミンスター宮殿と合わせて世界遺産に登録されて、テムズ川のタワーブリッジと共にぞロンドンの絵葉書的存在です。今回は、もう25年以上も前に撮った写真での紹介になるので、状況は変わってしまっているかもしれません。また、ポジフィルムで撮った写真もかなり退色してお尾見苦しいところはお許しください。

 ウエストミンスターは、ロンドンの中央部、バッキンガム宮殿の東1kmほどのテムズ川の左岸に建っています。宮殿の方が川沿いで、寺院は一本通りの西側になります。テムズ川に架かる橋の名前もウエストミンスター橋で、対岸のウォータールー駅は、ユーロスター開業後のしばらくはロンドン側の始発駅として使われていました。現在は新線がセントパンクラス駅に伸びて、そちらが始発駅になっているようです。25年前は、セントパンクラス駅どころかユーロスター自体が走っていませんでしたが。

 ウェストミンスター寺院は、11世紀に建てられ、現在のゴシック様式の建物は14世紀に一応の完成をみています。歴代の国王の戴冠式や結婚式が行われる教会としても有名でキャサリン妃とウィリアム王子との挙式も執り行われました。また、歴代の王や女王それに有名な政治家などが埋葬されていますが、墓地としては新たに埋葬するスペースは無いのだそうです。また、ダイアナ元妃の挙式の時には、18世紀に建てられたセントポール教会で行われました。セントポールは、ウェストミンスターと比べて、バッキンガムからは、遠くなるものの、広くて多くの人が参列できるとの理由だったようです。

       
 一方の、ウェストミンスター宮殿のほうは、国会議事堂として使われ、ウェストミンスター橋寄りには有名なビッグベンがそびえています。寺院では11世紀の建物が健在ですが、19世紀の大火によって旧来の建物の大部分は消失し、およそ25年後に再建されました。現在の建物は、このときのものを、その後の戦争で傷ついた部分を修復したものですが、再建に当たって古典様式を採るかゴシック様式によるかで議論があり、キリスト教に基づくとの理由でゴシックになったそうです。

 ウェストミンスター宮殿の時計塔のビッグベンは、再建時に建てられ、高さがおよそ100mあり、下部がレンガ造り、上部は鋳鉄で作られています。大時計は直径7mほどあり、毎日正午に鳴らされる鐘のメロディーは、日本の学校でおなじみのメロディーで、正式名称はウェストミンスターの鐘という名称だそうです。また、ビッグベンというのは、時計の名前や塔の名前ではなく、時計台の中でもっとも大きな鐘に付けられた愛称だそうです。また、時計塔の名称は旧来はクロックタワーでしたが、2012年にエリザベスⅡ在位60年を記念してエリザベス・タワーに改称されてそうです。

 筆者の学生の頃に学校で聞くチャイムは、ウェストミンスターの鐘で、音源は金属でできたパイプか何かをゴングで叩いていたようです。かつては、電話の着信ベルも金属のベルをゴングで叩いてリ~ンと鳴らしていましたが、現在はすべて電子音になってしまいました。携帯の着信音が、かつてのベル音を模したもので、エッと思うときもありますが、着信を知らせる音は、ソフトな音やメロディになってしまいました。金属のパイプを叩いた音は、数多くの倍音を含み非常に高い音も出ています。しかし、電子音は人間に聞こえる音の真ん中だけを取り出したものです。20kHzを超える音は、耳には聞こえないといわれていますが、これらの音を含まない音ばかりを聞いていると精神衛生上良くないという話もあるようです。倍音がたくさんのアナログのチャイムを聞いて勉強を始めるのは理にかなっていたのかもしれません。

林田藩の藩校の跡や土蔵の町家の間にある地酒屋は子会社に研究所も持っていました

2015-05-10 08:00:00 | 日本の町並み
 松山の市街地と空港を結ぶ道路の途中の南斎院には、たくさんの長屋門が並ぶ田園風景が広がっていました。長屋門は、いくつかの町で見かけますが、姫路市の郊外の林田にも立派な長屋門の残る屋敷や地酒の酒蔵の残る町並みが続いています。今回は、この林田地区を紹介します。

 
 姫路市の林田地区は、姫路の市街地の北西方向15km、路線バスで35分ほどの距離にある町並みです。林田地区は、一万石のの城下町で、陣屋跡の石垣などが小高い聖山と呼ばれる小山の跡に残されています。そばには、藩校であった敬業館の建物の一部が残されています。現在の因幡街道の国道29号線と林田川が並行する西に旧街道があり南北に1kmほどの古い家並みが広がっています。この旧因幡街道沿いの町並みは、陣屋跡の南にある旧三木家住宅から林田小学校の近くまで、土蔵造りの民家や地酒の酒蔵などが続いています。

 
 三木家は、林田藩の大庄屋を務めた地主で、周辺を塀で囲まれた4,000㎡を越える屋敷が残されています。下部を板張り、上部を漆喰の塀の南側の中央に松山の南斎院と同じような長屋門があります。こんな立派な農家の長屋門を見せられると、士農工商じゃなくて農士工商、いやいや農商工士ではないかと思ってしまいます。現実は、どこかのお隣のように、格差のきわみ、ごくごく一部の富裕層に過ぎないのでしょうが。

 
 
 一方、陣屋跡の北側は道路に面して格子や白漆喰で塗られた壁に格子が切られた窓がある町家が並んでいます。この町家の中で長谷川家住宅は、江戸時代末期に建てられたもので、姫路市の都市景観重要建造物に指定されており、宿駅の雰囲気を残しています。

 
 これらの町家の間に地酒のヤエガキ酒蔵があります。江戸時代に起源を持つお酒屋さんで、現在の会社組織になったのは大正年間で、八重垣ブランドの地酒を醸造しています。伝統製法の日本酒に加えて、特別に甘口のものや日本酒をベースとした発泡酒や、焼酎なども作っているようです。醸造醗酵の研究や、海外進出を支援する子会社を持ち、とても地方の地酒屋さんとは思えないアクティブな会社のようです。

 日本酒は、デンプンの糖化とアルコール発酵が同時に進行する複雑な醗酵醸造過程を取って作られます。原料や温度の管理などは杜氏によって微妙なコントロールがなされて、それぞれの蔵元の味が生み出されるようです。温度のコントロールなどは、コンピュータによって制御されるようになってきてるのでしょうが、味の決め手の米や水それに麴や酵母などの原料は天からの恵みで、コントロールするのは難しいように思います。ただ、日本酒の原料の米の山田錦の栽培については、栽培される環境をデータ化して、コンピュータを使って良い米と環境との相関分析進んでいるようです。米作りの過程での施肥や水の管理などで、お酒に適した米に向いた栽培ができ、原料米の品質向上と増産が期待できるのだそうです。

世界遺産の基地としてのスチャヴァですが、他では味わえない温かみが残されています(ルーマニア)

2015-05-03 08:00:00 | 世界の町並み
 町中に数多くの鐘楼が建ち、フクロウが町並みの散歩の案内をしてくるフランスの地方都市がディジョンでした。このディジョンには、いくつかの姉妹都市があり、その一つにルーマニアのクルージュ県があります。クルージュ県はルーマニアの北西部にありますが、その東側には世界遺産のモルダヴィアの壁画教会群を擁するスチャヴァ県があります。ルーマニアはヨーロッパの中では、まだまだ田舎っぽさが残されており、特に首都からも遠い北部では、のんびりとした田園が続き、人々もおおらかな感じがします。今回は、2つの県のうちスチャヴァについて紹介します。

 スチャヴァは、ルーマニアの首都のブカレストの北400km、急行列車で約6時間半ほどの場所にあります。さらに北へ20kmも行けばウクライナで、ルーマニアでも北のはずれです。スチャヴァ郊外の北西には8箇所のモルダヴィアの壁画教会群が直径50kmほどの中に散らばっていますが、こちらについては世界遺産篇で紹介済みです。今回は、スチヴァ市内の町並みを散策した様子についてお話します。

 スチャヴァの鉄道駅は、南駅と北駅とがあり、筆者の列車は北駅停車で町の中心部の北東、川を渡って5kmほどのところにあります。この駅では、ホームの数が少ないせいか、目的の列車に乗るためためには、駅舎と列車の間に停車をしている他の列車のデッキによじ上って、反対側に降り、その先に停車する目的の列車のデッキに上る場合もあります。これが、荷物を持っての移動なので、かなりきつい運動になります、まあ、それくらい田舎の駅なのでしょうか。

 
 
 
 スチャヴァの市内には、10万人の人口にしては、世界遺産の8つの教会の一つのゲオルゲ教会をはじめ、かなりの数の教会が立ち並んでいます。これらの教会は、大きくルーマニア正教の教会と、カトリックの教会とに分かれるようで、ルーマニア正教の方が大勢のようです。聖堂に入った時に、椅子が並んでいるのがカトリック教会、空間が広がっているだけがルーマニア正教教会のようです。

 
 このルーマニア正教教会で1時間ほどの結婚式の一部始終に立ち会う羽目になってしまいました。教会に立ち寄ったら、式の準備中だったようなのですが、見ず知らずの他国からの来客に参加しては?とのお招きを受けてしまったのです。日本の教会での結婚式には何度か参列をしましたが、だいぶ様子が違います。参列者は、椅子が無いので最後まで立ちんぼで、新郎新婦も牧師から祝福を受ける時に跪くだけで、あとは立っています。祝福が終わると、聖杯が置かれたテーブルの周りを、香炉を振りながら先導する牧師についてグルグルと廻ります。最も違うのは、式の進行が歌で行われ、牧師の言葉も歌なのです。歌はコーラス隊ではなく、一人で歌われていました。
 一方、宿泊したホテルでは、カトリックと思われる結婚式の披露パーティが行われていました。こちらは、日本で見られる様子と似ていましたが、違うところは、パーティが徹夜で夜明けまで続いていたところでしょうか。日本でも、かつて自宅でおこなう披露宴はよを徹して行われたようですが。

 
 これらの教会のほか、市街地のはずれにはスチャヴァ城の廃墟が残っています。14世紀にモルドヴァ公国によって作られた要塞が元になったようで15世紀のオスマントルコの侵攻にも陥落しなかったそうです。現在は、堀と石垣とが残り建物は残っていませんが、残された石垣はなかなかりっぱです。

 キリスト教にしても仏教にしても、誕生、結婚それに死亡の3つの事柄は、形式は違っても重要な儀式です。昭和30年代に、ザ・ブラウンズによって歌われた「谷間に3つの鐘が鳴る」という歌が流行りました。この3つの鐘も、この3つの儀式のためのものです。人間は、重要なエポックには人間以外の神格的なものにオーソライズしてもらいたくなるようで、一つ間違うと、神や仏の名前を利用した権力者に利用されます。いっそのこと、コンピュータを教祖様にして、権力に利用されないようにしては、とも思いますが、権力者は自分に都合の良いように、ソフトを改竄するでしょうね。