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世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

大都市とは思えないシックな町並みと文化遺産のあふれているトゥールーズです(フランス)

2013-02-24 08:00:00 | 世界の町並み
 北京と杭州とを結ぶ長大な京杭大運河によって栄え、街中にも運河が引きこまれ多数の閘門が存在した町が中国の開封でしたが、世界遺産のミディ運河の閘門が駅の目の前にあるのがトゥールーズです。ミディ運河については、世界遺産編で紹介するとして、今回はトゥールーズの町の中を紹介したいと思います。

 トゥールーズは、フランスの南西部のスペイン国境にも近い都市です。フランスで6番目の町ですが、大きな都市の中ではパリから最も遠い都市のひとつで、飛行機でも1時間半、TGVでは5時間もかかります。エアバス社の工場があり、かつてはコンコルドを、現在では世界最大の巨人機であるA380を組み立てている都市として有名です。工業都市としての顔を持つ反面、多くの大学がある学園都市として、またミディ運河やサンティアゴ・コンポステイラ参詣路という世界遺産も擁しています。ローマ時代にさかのぼる古い歴史を持っており、町そのものが文化遺産に登録されても不思議ではないような町です。

 
 教会や美術館などが立ち並ぶ町並みは、トゥールーズ駅の南西の2km四方ほどに広がっています。駅を出てミディ運河を横切り、
駅に直角の通りを1kmほど西南西に行くと、

 
博物館のような外観の図書館があり、そこからレンガ色の町並みを行くと、

 
サンセルナン・バシリカ聖堂の透かし彫りの鐘楼が目に飛び込んできます。レンガによるロマネスクの聖堂で、サンティアゴ・コンポステイラ参詣路の一部として世界遺産に登録されています。

 
南西方向に曲がって少し行くと市庁舎で、外観も美しいのですが、内部に描かれた壁画も、これが市庁舎かとびっくりします。つくずく、やたらとコンクリートの箱を新設したがる日本の役所の味気なさにがっかりします。

 
 その先には、ジャコバン修道院のレンガ色の建物が見えてきます。こちらは、サンセルナンより少し新しいゴシック建築ですが、内部の支柱の上部に多数のはりが広がり、あたかもやしの木のように見えることで有名です。内部にある回廊の連続アーチや、中庭の先にそびえる多角形の鐘楼もみごとです。









 
これらの他に、ステンドグラスの美しいサン・テティエンヌ聖堂、ガロンヌ川に面したオテル・デュー病院、

 
豪商の館を使ったバンベルク財団美術館、修道院の建物を使ったオーギュスタン博物館など、これでもか・・と言うくらい街中にレンガ色の建物があふれています。

 
おまけに、ガイドブックには載っていないような、普通の建物にも外壁に綺麗な彫刻があったりして、時間がいくらあっても足りません。こんな町に、航空機の工場もあって、50万近い人が住んでいるとは驚きです。

 エアバスで思い出すのは、名古屋で起きた中華航空機の墜落事故です。A300の自動操縦プログラムと、パイロットの手動操作とが競合して失速墜落、パイロットを含む264名が犠牲になった、わが国で2番目に犠牲者数の多い事故でした。エアバスは、コンピュータ制御を大々的に取り入れた最初の旅客機でしたが、パイロットがその動作を認識できていなかったための悲劇です。システムにはフェールセーフ、つまり、おかしなことが起こったら安全側にシステムを誘導する、という考えで設計が行われます。しかし、あらゆる場面を想定したフェールセーフのシステム設計は、システムが巨大化していく中で困難を極めるのでしょう。

お茶の水には美味しい水に引き寄せられたのか大学や宗教施設がたくさん

2013-02-17 08:00:00 | 日本の町並み
 京都府の南端にある環濠集落の近くにお茶問屋が数多く集まっているのは上狛でした。お茶は、茶葉も重要ですが、お茶を入れる水がもっと大切です。江戸時代に将軍の飲むお茶を沸かすための水を取った場所が御茶ノ水です。今回は、JRの御茶ノ水駅周辺を紹介します。

 お茶の水駅は、東京に詳しくない方に説明をすると中央快速で東京駅から2駅、東に向かう総武緩行線との分岐駅です。秋葉原から西へ1駅、皇居の北方向1kmといった位置にあります。皇居はかつての江戸城ですから、将軍のお茶の水を献上するのに、さほど遠くはなかったのでしょう。かつてのお茶の水は、現在の神田川の北岸、順天堂大学辺りにあった高林寺境内の湧水といわれていますが、記念碑は、川の南側のJR御茶ノ水駅の近くに目立たない感じで建ってます。


 
 
 御茶ノ水記念碑は目立ちませんが、駅の西北西400mほどにある東京都水道歴史館は、入場無料の博物館にしては見所いっぱいです。もとは、新宿西口にあった水道記念館を閉館して、現代のお茶を沸かす水を供給する本郷浄水場に隣接して1995年に開館したものです。東京の上水道、特に神田上水に関する歴史資料が充実しています。木製の導水路や馬の水のみ場のレプリカなどの陳列もあります。レプリカの実物は新宿東口駅前広場にあるのですが、歴史館を訪れるまでは、新宿にある本物にも認識がありませんでした。本郷浄水場の上部は人工地盤になっていて都立の公苑になっていて、初夏に訪れたときは満開のバラがいっぱいでした。公苑の中には、復元された神田上水の石樋も通っています。

 御茶ノ水駅周辺は、水関連施設だけではなく大学や宗教施設などの密度が高いところです。JRの駅から聖橋を渡ったところにあるのが湯島聖堂、逆に南に下るとニコライ堂があります。聖橋の名前は、この2つの聖堂をつなぐ橋ということで命名されたのだとか。

 
 
 湯島聖堂は、江戸初期に建てられた孔子廟で、回廊に囲まれた境内はお寺とは違った中国的な雰囲気です。妙な感じを受けるのは、回廊に囲まれた内部空間が、ひし形の石で敷き詰められていることや、建物が全体的に黒く彩色されているためのようです。屋根の上にも、奇妙な像が乗っていて、お寺などでは見かけないものです。トラのような格好は鬼頭、しゃちほこに似ていますが頭から潮を吹いているのが鬼頭といって、どちらも想像上の珍獣だそうです。ちなみに、ここの孔子像は、世界一の高さなのだそうです。

 
 ニコライ堂は、1891年に竣工し、関東大震災で鐘楼が倒れドームも崩れてしまいましたが、1929年に修復され、国の重要文化財に指定されています。日本に10箇所ある正教会の聖堂の一つで、ニコライ堂以外では函館ハリイストス正教会が有名です。緑青のドームの聖堂は、日本で最初で最大のビザンチン様式の教会です。ドーム屋根が目立ちますが、アーチ状の窓が連続する白壁も、ちょっとよそゆきにおめかしをしたような感じで、ななかなか綺麗です。

 
 いっぽう、湯島聖堂の北側には神田明神があります。ご存知、神田祭の祭司となる神社です。神田という地名は、神の田んぼから来ていて、伊勢神宮の御田があった所なのだそうです。1,300年の歴史がある神社のせいなのか、お寺の山門のような巨大な随神門もやけに目立ちます。通常、神田と聞くと古書店街のあるJR神田駅の北西一帯を思い浮かべますが、神田明神は、ずっと北に位置していて、こんな所に神田?と思ってしまいます。江戸城の拡張に伴って、二度も移転をしたからなのでしょうか。

 孔子の教えは世界4大宗教の一つの儒教です。儒教では、秩序を重んじ役割分担をはっきりさせ、組織全体を縦の秩序で統率する考えが支配的です。かつての、日本の大規模な研究開発では、この縦の秩序が重んぜられたようで、組織全体としての出力を最大とするようなところがあったように思います。新人の教育も、ピラミッド組織の縦の構造で長い時間をかけて行われたようです。最近は、欧米流の考え方か、教育にかかるコストを避けて即戦力の人材を登用する企業も多いとか。儒教型の組織にも抵抗を感じますが、即戦力形の人材はいったい誰がどこで教育するのでしょうか。IT分野で日本は韓国に負けが込んできたのは日常生活にも儒教の影響が強い事が影響しているのでしょうか。

明石大橋と同じ高さの石の塊、ポン・デュ・ガールはさすがの存在感です(フランス)

2013-02-10 08:00:00 | 世界遺産
 アメリカ西海岸の国立公園の代表格として、グランドキャニオンと人気を二分するのがヨセミテ国立公園でしたが、このヨセミテの豊富な水は200km以上も離れた西海岸の大都市の上水道としても利用されています。上水道を延々と引くのは、かつて古代ローマの得意技だったようで、ヨーロッパだけでなく北アフリカまでも遺跡が残っています。今回はそれらの中から、南仏に残された水道橋のポン・デュ・ガールを紹介します。

 
 
 ポン・デュ・ガールは、フランスのプロバンス地方の中心都市であるアヴィニョンの西20kmほどにあり、紀元前19年頃に古代ローマによって作られました。ポン・デュ・ガールのさらに西20kmほどにあるニームに水道を引くに当たり、途中のカルドン川を越えるために架けられた高さ50mほどの石造りの三層アーチ橋です。50mといえば、明石架橋の本州側取り付け部の海面からの高さより少し高いぐらいでしょうか。アーチは上層部ほど小さくなる代わりに数が増えます。端の幅も6m、4m、3mと狭くなり、2段目は1段目に対して変心して乗っかっています。おそらく1段目は道路橋としても使われ、通行部分を確保するためだったからでしょう。水が通った3段目はかなりの高さですが、高所恐怖症でも上ってみたいと思っていましたが、現在は個人客は立ち入り禁止、観光客が上っている写真を見たことがあるんですが、団体では可能との情報もありです。

 
 このポン・デュ・ガールを公共輸送機関で見に行くのは、アヴィニョンかニームからバスが出ている模様ですが、本数が少なくダイヤも諸説あって不便そうです。筆者はリスク回避のため、現地催行のツアーでワゴンを使ってプロバンス一帯を一日かけて回ってくれるものに参加してしまいました。ただ、これらのツアーは英語によるものと日本語では1.5倍ほどの価格差があり、よくは聞き取れなくても安いほうを選びました。車で東や西へと走り回り、一番最後にポン・デュ・ガールで締めくくるというスケジュールは動線を考慮してというだけではなく、ポン・デュ・ガールが一番の目玉!といった演出ではなかったかと思います。

 
 ローマの水道橋は、古代ローマの版図が広かった分あちこちに残されていて、イタリア、フランス以外にもスペインやチュニジアなど7カ国に広がっています。各地で水道橋も含んだ古代ローマ遺跡として世界遺産に登録されていますが、水道橋単体で登録されているのはポ・デュ・ガールのみです。おそらく、現存の水道橋で最大の高さを誇るものとの理由でしょうが、近くに水道橋以外の遺跡が無かったから、というのが本当の理由かもしれません。

 ポン・デュ・ガールが構成要素となるニームへの道水路は総延長が50kmで、平均斜度は1km当たりたったの25cmなのだそうです。東京と大阪間で引いても標高差が100mちょっとという傾斜です。2000年前にはレーザによる測量なんて絶対に無かったわけで、古代ローマの建築技法というのは信じられないほど高度だったのです。現代はIT分野をはじめ、技術革新のスピードは目を見張るものがありますが、論理上の技術も多くて、これって本物の技術?と思ったりします。仮想的なものばかりでは人間生きてはいけませんから。

環濠の遺構の町並みの先にはお茶問屋が並ぶ上狛です

2013-02-03 08:00:00 | 日本の町並み
 京阪間にある浄土真宗のお寺を核として発展した寺内町を2箇所紹介しましたが、寺内町では外的の侵入に備えて町の周辺に土塁や堀を廻らせている町が多いものです。寺内町に限らず、各地にその遺構があり、今回はそれらの中から京都府の上狛周辺を紹介します。

 
 
 上狛は、京都府の南端、木津川市の一部で、JRで2駅南に乗れば奈良駅で、奈良市の経済圏のような町です。環濠集落としての歴史は、渡来した狛氏の居住地で15世紀には集落を核に狛城を築城した跡と言われています。現在も、濠の南側と西側が残されていてかつての様子を伝えていますが、環濠の遺構と聞かないと、単なるどぶ川か排水溝といった感じもします。

 環濠の歴史は古く中国の長江中流域にルーツがあるようです。おそらく起伏の無い野っぱらの集落は外敵に対して無防備なことから、集落の周りに堀を掘って防衛線を作ったのでしょう。わが国でも、縄文時代から会ったようで、遺跡の発掘によって環濠の存在が確認されています。現在も環濠が残っている集落は、戦国時代以降の寺内町が多いのですが、上狛は山之辺の道にある竹之内環濠集落など同様に核となる寺が存在しない例の一つです。

 
 
 集落の中には、白漆喰や黒漆喰の土蔵造りに虫籠窓のついた家、白漆喰の下部を板張りとした家などが、ぽつりポツリと残っています。細い路地の両側に板壁のある風景は、愛知県の足助の町並みにも似ているような感じもします。

 
 寺内町ではないので、大きなお寺はありませんが、不動明王をお祭りする善正寺や道端の小さな石仏など、あまり自己主張をしないような仏様がひっそりとあります。

 ほとんど奈良のような上狛ですが、京都を主張しているのが、数多くのお茶の問屋さんです。環濠集落の南のほうに30ものお茶屋さんがあるようです。宇治周辺の茶園で採れた葉を製茶して、販売しているもので、上狛周辺では茶畑は見かけないようです。お茶屋さんの中には、テレビのCMで3人の大物スターを起用している福寿園の本社も上狛のようです。

 環濠集落は、小規模なお城といえるかもしれません。お城と違う所は、権力者の利益を守るお城に対して、自分自身を守るところがちょっと違うかもしれません。人間というものは、他の人間を侵略したくなる性があるのでしょうか、自己防衛は過去から、おそらく未来にも必要なのかもしれません。インターネットの世界でも、侵略者はネットの中にあふれているようで、環濠に似たツールがファイアウォールといえるかもしれません。ただ、いくら外部からの侵略者を防いでも、かなりのネット犯罪の犯人は、内部に居ることが多いようです。トロイの木馬に乗った、敵の兵士のようなものでしょうか。トロイの木馬形という悪さをする厄介なコンピュータ・ウィルス群もあって、世の中の悪意のある人間の多いことにがっかりです。