干拓によってできた町に、水路に沿った白壁や格子のある古民家が美しい家並を作っているのが茶屋町でした。茶屋町はかつて海だったのですが、その先の児島は名前が示すように、かつては島で、現在の児島周辺には小さな島が散らばる浅瀬の海でした。この児島の対岸にあったのが、現在天城と呼ばれる地区で、かつて広田島があったそうです。そして、その間の海峡が藤戸の鳴門と呼ばれ、海峡は倉敷川になり、浅瀬は陸続きになって街並みが広がっています。今回は、かつて藤戸の鳴門と呼ばれた地区の町並みについて紹介します。
藤戸は、前回紹介した茶屋町の南南西2kmほど、南南西に延びる県道165号が、倉敷川に突き当たって西に向きを変えるあたりにあります。茶屋町と同様に、現在は倉敷市の一部になっていますが、かつては独立の町でした。かつては広田島と呼ばれていたところは、倉敷川の北側、天城と呼ばれる標高が35mほどの丘で、街並みはこの丘の西から南にかけて広がっています。逆に、川の南側は藤戸寺という8世紀創建という歴史のあるお寺があり、門前町として栄えたようです。
歴史といえば、この藤戸の鳴門は、歴史的な源平合戦の舞台にもなったところで、平氏側は海峡の南側、源氏側は北側に陣取りにらみあったそうです。源氏軍は、この藤戸の鳴門を渡る船を持たなかったのですが、源氏の武将の佐々木盛綱が馬に跨って浅瀬を渡り、平氏打ち破ったのだそうです。倉敷川に架かる盛綱橋には、盛綱の銅像が飾られています。そして、この橋の南側には、藤戸饅頭の看板を掲げる店で、こちらも相当に歴史があって、現在地の店を構えたのは江戸時代末期で、それまでは藤戸寺の茶店だったようです。薄皮の蒸し饅頭でなかなかおいしいのですが、日持ちがしないので、お土産にはあまり出回らず、もっぱら地元消費だそうです。
もう一方の、倉敷川の北岸の町並みですが、白壁になまこ壁、虫籠窓があって格子の連なる、典型的な古民家や武家屋敷の名残の家並が建ち並んでします。かつての陣屋は、広田山の北西部にあり、そこから南に武家屋敷があったそうです。
町屋はそこからさらに南に、広田山の南面あたりに広がっていたようで、現在も天城の西と南とで街並みの表情がちょっと違うようです。この南側には明治の初めころに建てられた天城教会の礼拝堂が建っていて、岡山県では高梁の教会に次ぐ古い建物だそうです。古民家の町並みに疑似洋館の建物は違和感なく溶け込んでいるように感じます。
藤戸饅頭屋の建物は、白壁になまこ壁、一階部分には格子が連なる風情のあるものです。この建物に注目してロケ地として使われた映画がALWAYS三丁目の夕日で、原作は東京の下町なのですが、ロケ地はなぜか西に偏っています。関東は群馬の館林のみで、後は京都府、岡山県そして福岡県だったそうです。東京周辺では、かつての下町風情が残されていないからかもしれません。ちなみに、友舞なカサブランカはすべてスタジオで撮影され、カサブランカにほ一切行っていないそうです。コンピュータによる作画が簡単にできる昨今で、その技法を駆使した作品も多いようですが、テーマにあったロケ地では、演じる役者さんの気分も乗って、それだけいい絵が撮れるのかもしれません。
藤戸は、前回紹介した茶屋町の南南西2kmほど、南南西に延びる県道165号が、倉敷川に突き当たって西に向きを変えるあたりにあります。茶屋町と同様に、現在は倉敷市の一部になっていますが、かつては独立の町でした。かつては広田島と呼ばれていたところは、倉敷川の北側、天城と呼ばれる標高が35mほどの丘で、街並みはこの丘の西から南にかけて広がっています。逆に、川の南側は藤戸寺という8世紀創建という歴史のあるお寺があり、門前町として栄えたようです。
歴史といえば、この藤戸の鳴門は、歴史的な源平合戦の舞台にもなったところで、平氏側は海峡の南側、源氏側は北側に陣取りにらみあったそうです。源氏軍は、この藤戸の鳴門を渡る船を持たなかったのですが、源氏の武将の佐々木盛綱が馬に跨って浅瀬を渡り、平氏打ち破ったのだそうです。倉敷川に架かる盛綱橋には、盛綱の銅像が飾られています。そして、この橋の南側には、藤戸饅頭の看板を掲げる店で、こちらも相当に歴史があって、現在地の店を構えたのは江戸時代末期で、それまでは藤戸寺の茶店だったようです。薄皮の蒸し饅頭でなかなかおいしいのですが、日持ちがしないので、お土産にはあまり出回らず、もっぱら地元消費だそうです。
もう一方の、倉敷川の北岸の町並みですが、白壁になまこ壁、虫籠窓があって格子の連なる、典型的な古民家や武家屋敷の名残の家並が建ち並んでします。かつての陣屋は、広田山の北西部にあり、そこから南に武家屋敷があったそうです。
町屋はそこからさらに南に、広田山の南面あたりに広がっていたようで、現在も天城の西と南とで街並みの表情がちょっと違うようです。この南側には明治の初めころに建てられた天城教会の礼拝堂が建っていて、岡山県では高梁の教会に次ぐ古い建物だそうです。古民家の町並みに疑似洋館の建物は違和感なく溶け込んでいるように感じます。
藤戸饅頭屋の建物は、白壁になまこ壁、一階部分には格子が連なる風情のあるものです。この建物に注目してロケ地として使われた映画がALWAYS三丁目の夕日で、原作は東京の下町なのですが、ロケ地はなぜか西に偏っています。関東は群馬の館林のみで、後は京都府、岡山県そして福岡県だったそうです。東京周辺では、かつての下町風情が残されていないからかもしれません。ちなみに、友舞なカサブランカはすべてスタジオで撮影され、カサブランカにほ一切行っていないそうです。コンピュータによる作画が簡単にできる昨今で、その技法を駆使した作品も多いようですが、テーマにあったロケ地では、演じる役者さんの気分も乗って、それだけいい絵が撮れるのかもしれません。