世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

戦争で破壊されたアユタヤ遺跡には首のない仏像が並んでいるかと思うと、首だけが木の根に挟まって観光客を集めていました(タイ)

2024-04-28 08:00:00 | 世界遺産
 前回は、フランスで新しく登録されたニームのメゾン・カレを紹介しました。訂正ローマ時代に建てられた宗教施設です。用途はいろいろと変わっていますが、破壊されずに現在まで引き継がれてきています。一方、タイにある6つの世界遺産のうち最初に登録された宗教施設のアユタヤと巣個体は、その後の戦争でかなりが破壊されてしまっています。今回から続く4回はこれら2か所の文化遺産について紹介します、今回は、アユタヤの遺跡のなかで東に位置する2か所の寺院を紹介します。

 
 
 アユタヤはタイ首都のバンコクから列車やバスで1じかんちょっと、列車は旧市街を取り囲む運河の外の駅に到着し、運河を渡る橋までが遠いので、ショートカットできる渡し舟が運行されています。乗船したときは朝早かったので通学と思われる学生が多く乗っていました。チャリ通でも電車通でもない船通なんですね。

 アユタヤの歴史公園は旧市街の西に運河に囲まれた東西に長い長方形の部分に集中しています。今回は、その中から旧市街に近い東の端に南北に並んであるワット・マハタートとワット・ラーチャ・プラナの二つの遺跡を紹介します。

 
 
 
 
 
 南に位置する寺院がワット・マハタートで、観光客も大勢やって来るアユタヤを代表するような遺跡です。13世紀に建てられた寺院ですが、誰だ建てたかは諸説あり謎の多い遺跡の一つです。仏舎利を収めて、かつては黄金に輝いていたと言われていますが、ビルマとの戦争によって徹底的に破壊され廃墟のような状態で、首を切り取られてしまった仏像が並んでいます。そうかと思うと、仏像の頭部だけが木の根に挟まって、撮影ポイントになっているのは皮肉です。おそらく、打ち捨てられていた頭部が木の成長とともに巻き込まれたのと思います。

 
 
 
 
 
 ワット・ラーチャ・プラナはワッタ・マハタートの北に隣接する寺院で、15世紀に王位継承の争いで亡くなった2人の兄を弔うために15世にに建てられました。ビルマとの戦争で被害を受けていますが、近年の発掘調査で塔の地下からは破壊を免れた壁画や仏像など宝飾品が数多く発見され博物館に収容されています。

 
 
 
 どちらの遺跡も、日没後にライトアップされ、昼間の猛暑も多少和らいで、昼間とは違った幻想的な姿が楽しめます。境内は18時には閉門されるようですが、寺院寺を取り囲む兵の向こうに仏塔などが望めます。

 戦争になった時には、敵国で崇拝されている宗教施設を破壊するというのが通リになっているようです。アユタヤの寺院群ががビルマなどによって徹底敵に破壊されたのもその例でしょうあ。破壊することによって、戦争に負けたことを思い知らせる効果があるのかもしれません。我が国の最近のスマホの使い方を見ていると、スマホ依存症の病気を越えて一種の宗教の要にも思えてきます。戦争にでもなったら、真っ先にスマホのシステムの破壊のために攻撃があるかもしれません。他だ。これによって依存症の人は救われて、戦争は起こらなくても、破壊があってもいいかとも思えます。

神楽坂の表通りを歩いていたのでは色町の雰囲気は判りません、右か左の路地に曲がって迷子になると町並みの深さが判るかもしれません

2024-04-21 08:00:00 | 日本の町並み
 伎芸天の秋篠寺、七福神の弁財天と芸事の神様にゆかりのある場所を紹介しましたが、芸事というと色町を思い起こします。色町と言われるところは、日本全国津々浦々にあるようですが、これらの中から東京のほぼ中央にある神楽坂を紹介しましょう。


    
 神楽坂は、飯田橋から地下鉄東西線の神楽坂駅に向かって坂を上り、大久保通との交点の神楽坂上までで、神楽坂駅はこの道路の延長線上ですが、厳密には神楽坂ではないようです。神田川に向かって東になだらかな斜面が続く町は、神楽坂以外にも有名な坂や名もなき坂など数多くの坂があります。朝日坂は江戸時代に朝日天満宮があったため、袖すり坂は短くて狭い坂で、行違う人の袖が擦れ合うような狭さからの命名のようです。また、瓢箪坂は坂の途中がくびれているためで、軽子坂は江戸時代の飯田濠にあった神楽河岸に荷揚げされた荷物を軽籠に入れて江戸市中に運搬する人たちが多く住んでいたことによるようです。


  
 これらの坂の途中には神社仏閣も多く、色町との対比が不思議なような気もします。有名なところでは、飯田橋から少し上った毘沙門天の善福寺、色町にふさわしくしゃみせん寺と呼ばれる大信寺、大奥ゆかりの円福寺、身代わり地蔵の祠のある龍門禅寺などなど。

 
 
 
 
 
 これらのお寺や坂の神楽坂は迷路の町並みで、数多くの横町の奥には、敷居の高そうな料亭や、飲食店が並んでいます。神楽坂の本通りには背の高いビルが立ち並び車が頻繁に通る、どこにでもあるような店舗が並んで、これが有名な神楽坂なのかとがっかりします。この本通りから、右や左にある路地に入っていくと景色は一変します。雑然としていて、迷子になりそうですが、色町というのはこのような雰囲気なんだと感じます。

 都内を自転車で走ると坂が多いのに驚きます。干拓地でまっ平らなオランダではサイクリングが盛んなのだそうですが、わが国で電チャリが増えたのは、都内の坂の多さも理由の一つかもしれません。この電チャリはペダルのテンションを検出するセンサの出力が大きくなると坂だ!ってわけで、モーターの電源が入るようです。身の回りでコンピュータが入ってない装置を探すのが難しくなってきましたが、電チャリも一種の自動制御なんですね。モーターはあくまで補助的なものなので、免許なしで運転できるのですが、紛らわしいのは電動自転車で、こちらは原動機付き自転車として免許が要ります。不心得者になると、この電動自転車を無免許で載って歩道を走る輩がいます。スマホを見ながら歩道を走る自転車と言い、倫理観のない時代になりました。

夕焼けは明日が晴れ、朝焼けは天気が下り坂と言われますが、どちらも自然が作るカラフルなショーです

2024-04-14 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は各地で開かれる青空市を紹介しましたが、今回は各地の青空になる前の朝焼けと、青空の後の夕焼けを紹介しましょう。アジア→ヨーロッパ→アフリカ→オセアニア→アメリカの順です。


  
 中国からは、世界遺産の西湖に沈む夕日れと蘇州の灯りがともりだした夕暮れです。


 
 ベトナムでは、世界遺産のフエと南端のフーコック島の夕日で日中の暑さが和らいだころです。

 

 
 インドネシアからは、世界遺産のボルブドゥールの朝日と夕日を、バリ島では海に沈む夕日です。

 

 マレーシアではボルネオ島のコタキナバルの市場から海に沈む夕日で、こちらも少し暑さが和らいだころです。世界遺産のペナンでは喧騒が始まる前の朝焼けです。


 

 ラオスでは、カンボジア国境に近いシーパンドンでメコン川から昇る朝日と、シーパンドンへの基地となるパークセーの夕日を、世界遺産の街のルアンパバーンではプーシーの丘からの夕日です。


 カンボジアでは、国旗にもなっている世界遺産のあんこーるわっとの日の出です。

 
 北欧のフィンランドの東北部にある数多くの湖に白夜でなかなか沈まない夕日はコリでの風景。

 
 フランス南西部の世界遺産のカルカソンヌではなかなか日が沈まなくて夕焼けを撮るのに苦労しました。


 アフリカの地中海沿岸の国、チュニジアでは砂漠のオアシスのクサールギレンで砂漠に沈む夕日がきれいでした。

 

 オーストラリアでは、世界遺産のグレートバリアリーフの海から昇る朝日と、やはり世界遺産のシドニーのオペラハウスに沈む夕日です。

 
 カナダの世界遺産のバンフで見た夕日は空一面にピンク色の雲が広がっていました。

 
 おまけで、わが国の明石架橋の夕焼けです。

 夕日や朝日は昼間の太陽よりも大きく見えます。また太陽だけでなく月も地平線近くでは大きく見えます。これは錯覚のせいで、実際には大きさは変わりません。ただ、月の場合は地球との距離が変化shじ、時期によって見える大きさが変わりますが、1日の中で大きさが変わるというものではありません。この錯覚を起こす理由は諸説があって定まりませんが。地平線近くには山や町並みなど太陽の大きさと比較できるものがあるために大きく見えるという説や、人間の認識している空というのは、半球ではなく上下に扁平な卵型になっているそうで、太陽までの距離は天頂より地平線にあるときのほうが遠いはずなので、見かけの大きさは小さいはずが同じなので相対的に大きく感じるという説などです。デジカメなどで撮影すると、昼間の太陽や月も夕日などと同じでしょうが、人間の目と頭脳には錯覚があるから面白いのかもしれません。

七福神に誘われて巡った深川ですが、七福神以外にもいろんな発見がありました

2024-04-07 16:18:16 | 日本の町並み
 前回は近鉄の大和西大寺駅と奈良駅との間の北に広がる佐保路、佐紀路を紹介しました。多くの古墳群に加えて、首をかしげてほほ笑む秋篠寺の伎芸天もこのルートの魅力を高めているように思います。伎芸天は名前の通り芸事の仏様と言われ芸能界でもお参りに来る方も多いそうです。芸事の神さまというと、よく知られているのは弁財天のほうで、七福神にも入っています。お正月にはこの七福神を順に巡ることが初詣の一つになっていますが、東京近郊で調べると、ずいぶんと多くの七福神めぐりが存在するようです。今回は江東区にある深川七福神について紹介します。

 
 
 深川七福神は、地下鉄の門前仲町駅から森下駅まで5km程の道のりにある七福神です。どちらの駅をスタートしてもいいのですが、筆者は門前仲町の駅から歩き始めました。駅の近くにあるのは深川不動尊で初詣で長蛇の列でしたが、こちらには七福神はありません。お隣の富岡八幡に移動して本堂の裏手に回ると、小さな社に七福神の中で唯一の日本の神様である恵比寿さんが祭られています。富岡八幡は江戸三大祭の深川八幡祭りで有名ですが、恵比寿さんの社の付近はお正月だけにぎわうのでしょうか。

 
 
 400m程北に行くと冬木弁天堂でその名の通り弁財天が祭られています。弁天様の雰囲気とは違った怖い顔の獅子の像が版をしていました。500m程西に行くと清澄通りに出ますが、次の七福神の手前にえんま堂があって、巨大な閻魔像が参拝者を睨みつけています。

 
 
 えんま堂を通り過ぎると心行寺で境内にある小さな六角の祠に福禄寿が祭られています。福禄寿と寿老人は中国が起源の神様ですが、よく調べてみると同じ神様ではないかともいわれていて、七福神ならぬ六福神なのかもしれません。清澄通りを北に行って東に800m程で次の七福神の大黒天ですが、その手前に曲亭馬琴の生誕の地の記念碑があり、戯作者らしく和綴じ本を積み上げた形をしています。さらに、その先には小さな深川歯神様の像があり、この像の歯の部分をブラシでこすると虫歯にならない、歯医者顔負けの神様があります。

 
 
 大黒天があるのは円珠院で、境内には間宮海峡を発見した間宮林蔵の墓があります。大黒天は、国産の神様、因幡の白兎の大国主の尊と混同されますが、七福神の大黒天はインドの神様です。円珠院の先を北に回り込むと龍光院の毘沙門天です。毘沙門天は北を守護している四天王の一つの多聞天のことで、音訳をしたものが毘沙門天で意訳をしたものが多聞天です。

 
 龍光院を出た後は、次の布袋尊までは1.3kmでひたすら西に歩くのですが、途中に昨年暮れに亡くなった寺尾関の錣山部屋のそばを通ります。外観からはマンションの一角で看板が無ければ、相撲部屋とはわかりません。この辺りは隅田川にも近く、布袋尊の先では隅田川を行きかう松本零士デザインの水上バスが通っていきました。
 
 
 布袋尊のあるのは深川稲荷神社で無住のこじんまりとした神社です。お堂の右側には布袋尊の石像が置かれています。この布袋尊は中国では遠い未来に現れるという弥勒菩薩の生まれ変わりと言われて尊重されていますが、乞食坊主をみて誤解しただけとの説もあります。最後の寿老人の祭られる深川神明宮までは万年橋を北にわたって600mほどで、神明宮は深川で最も古い神社なのだそうです。寿老人は境内の右手の寿老神社にお祭りされています。境内にある手水に浮かべられた花々がきれいでした。

 7という数字が縁起がいいという由来は諸説あって、その中には七福神に由来するとの説もあります。宗教にまつわる説が多いようで、旧約聖書の神が世界を作った時に6日間で作って7日目を安息日としたとの説や、仏教の尊い宝物を七宝として敬うことなどがあります。天文学では太陽を含めて惑星の数が7(おそらく(天王星と海王星は未発見の頃の説)や月の満ち欠けが7日を周期とすることなどです。国が違えば縁起の良い数字も違うようで、韓国では3がよく、中国では8とのことですが、古くは9であったようです。我が国の江戸時代まで使われていた時刻の呼び方は真夜中の0時を九つそして2時を八つ(9の2倍の18の十のけたを省略)と呼んでいたのは中国の影響ともいわれています。宝くじを買うときに縁起の良い数字を選ぶ人もいますが、当たりは一様乱数で選ぶので偏りはないはず、ただコンピュータは内部を2進数で扱うので10進数の7は[111]と3桁のぞろ目、何か関連があるでしょうか。