世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

かの聖徳太子も入浴したという道後温泉ですが、入浴だけでなくいろいろな建物も見られます

2018-11-25 08:00:00 | 日本の町並み
 群馬県の山奥にあって、ひなびた温泉の風情を残すのが四万温泉でしたが、その中の積善館は「千と千尋の神隠し」の構想を得たモデルの旅館と言われています。ただ、この千と千尋のモデルと言われる温泉はほかにもあって、その一つが松山の道後温泉です。今回は、道後温泉の一帯を紹介します。

 
 
 道後温泉は、松山市街の東2kmほど、平地が山にぶつかる麓にあります。JR松山駅や伊予鉄松山市駅から伊予鉄の路面電車で20~30分です。終点の道後温泉の駅は下見板張りの洋館で、明治の後期に建てられたものが老朽化し、昭和60年代に、元の姿を残して再建されたものです。駅前広場には、坊ちゃんやマドンナの人形が現れるカラクリ時計も設置されています。そしてこの道後温泉駅と松山市駅との間には、蒸気機関車を模したディーゼル駆動の「坊ちゃん列車」が走っています。漱石の「ぼっちゃん」の中に道後温泉まで走る軽便鉄道が登場しますが、その頃の機関車と客車をを復元したものです。道後温泉駅と松山市駅では、機関車の方向を180度転換の必要がありますが、ターンテーブルなどを設置する場所が取れないため、機関車の下にジャッキがあって、これで車体を持ち上げた後に、人力で180度回転させています。人力というところは、サンフランシスコのケーブルカーと似ています。

 道後の歴史は古く、大化の改新の時に現在の今治あたりに置かれた国府から都へ向かう道の後方という意味で付けられた地名だそうです。また、温泉は今から三千年も前に足に傷のあるシラサギが飛んできて傷を治したという伝説があり、日本三大古湯の一つとされる古さです。6世紀には聖徳太子も入浴に来たとの伝説も残っています。伊佐爾波神社の社伝などによると、聖徳太子だけでなく天智天皇、天部天皇それに神功皇后などそうそうたる皇族が道後を訪れたとの記録があるそうです。そのような歴史のせいでしょうか、温泉本館には皇室専用の浴室が存在します。

 
 
 温泉街の中心には、坊ちゃんにも登場する温泉本館があり、日帰りで少々熱めの温泉に浸かることができ、追加料金を払えば、3階の休憩所も使え、このことは「ぼっちゃん」の中にも登場します。現在の建物は、明治の中期に建てられた木造3階建てで、重要文化財に指定されています。唐破風のある入口は堂々としており、銭湯で唐破風が多いのは、温泉本館の影響なのかもしれません。訪問した日には、日没後に2階3階の窓にカラフルな絵が投影されて、また違った印象でした。日帰りの湯は、温泉本館の他に椿の湯や新しく飛鳥の湯も加わりました。

 
 
 
 
 道後温泉の近くには、商店街だけでなく、古い街並みが残り、高台には伊佐爾波神社、ちょっと歩けば四国五十一番札所の石手寺などもあります。伊佐�爾波神社の社殿や回廊そして楼門などは重要文化財ですが、境内で観光客の姿は見かけないようです。一方の、石手寺は四国巡礼の札所ということもあり、多くの観光客であふれていました。こちらの建物群も、国宝の仁王門を始め、三重塔や鐘楼、護摩堂など重文の建築物がぞろぞろです。また、初詣では愛媛県の中で最も参詣客が多く、こちらも参詣客がぞろぞろ状態のようです。

 聖徳太子には、色々な逸話が残されています。例えば母親が厩の戸にぶつかった際に生まれたとのことで、厩戸王子との名前でも呼ばれます。それらの逸話の中でも有名なものは、同時に10人の言うことを聞き分けられたというものです。脳の中の音声認識機能が多重処理で働いていたということでしょうか。最近の車内広告で、同時には一人の声ですが、74言語に対応する翻訳端末が現れたようです。かつては、音声を認識するだけで、大型のコンピュータを駆使しなければなりませんでしたが、便利になったものです。翻訳エンジンは、ネットを利用するようですが、同時通訳がそばにいるように即応してくれます。ただ、あくまで字面の翻訳で、旅行などには便利でしょうが、国際会議や契約を伴う商談では、言葉の裏まで知って翻訳できる通訳の仕事は無くならないでしょう。

コロッセオほど足の便は良くありませんが、エルジェムの闘技場は、迫力も美しさもあり、地中海を渡ってでも訪問したくなります(チュニジア)

2018-11-11 08:00:00 | 世界遺産
 故宮、チュニス、ドゥブロクニクと城壁に囲まれた街を紹介しましたが、城壁なら観覧席で周りを囲まれたのが円形闘技場です。円形闘技場は4.6万人収容のローマのコロオセオが有名ですが、チュニジアの中部のエルジェムには、コロッセオにも匹敵する3.5万人が収容できる円形闘技場跡が残っています。今回は、この円形闘技場周辺を紹介します。



 

 エルジェムは、チュニジアの首都のチュニスの南150kmほど、列車で3時間程度の、海岸から30kmほど内陸にあり、人口2万人ほどの小さな町です。家が建っているのは直径が3kmほどの中で、その外は延々と続く砂漠、鉄道の線路沿いにオリーブの林があるくらいです。この小さな町の中央当たりに3世紀ころにローマが作った円形競技場が建っています。列車でエルジェム駅に到着の場合は、駅から線路と直行する通りを500mほど行くと闘技場に突き当たります。楕円形の競技場の長径は150m、短径は125mで周囲は400m、内部の楕円形のアリーナは67m×37mほどもあり、観客席の高さは36mで現存の円形闘技場では3番目の規模を誇ります。

 
 
 
 コロッセオに比べて、保存性が良いように思われますが、ほぼ完全な姿であったのは17世紀ころまでで、戦争によって破壊されたり、モスクの建材に転用されて、現在残っているのは2/3程度なのだそうです。ローマのコロッセオが、廃墟のような様相なのに対して、エルジェムのものは、現在でもちょっと手直しをすれば、陸上競技場や野外音楽劇場として使えそうです。石積みによる建築の構造上の制約からでしょうか、開口部や内部廊下の天井を支えるところははアーチ状で、この連続アーチが建物の美しさを際立たせています。夜になるとライトアップされ、真っ暗の夜空や、周辺の景色が闇に沈んでしまって、美しさが倍増するように感じます。

 
 夜と言えば、宿泊した駅前のホテルでは、結婚式の披露宴らしきパーティが行われていました。太鼓とチャルメラに似た笛それに歌が加わって夜半まで大騒ぎです。冷房のないホテルだったので、締め切るわけにもいかず、少々難儀をしましたが、不思議なのは、参加者は全員男性で、新郎は居ても、新婦は見当たりません。夕方に闘技場を見に行きましたが、道路にはみ出したベンチに居るのはすべて男性で、カミサンと一緒に歩くのは、ちょっと不気味でした。イスラムの国に来たんだと思いましたが、首都のチュニスではあまり感じませんでした。エルジェムは首都から離れた地方の町のためだったのかもしれません。

 
 
 時間があれば立ち寄りたいのが博物館で、駅から線路沿いに南西に500mほど、遺跡のそばに建っていて、遺跡から出土したモザイクのコレクションが展示の中心です。モザイク画のコレクションでは、チュニスのバルドー美術館が最大のコレクションを誇っていますが、こちらは多少小ぶりでも、なかなかの見ごたえです。都会の喧噪と砂埃の中に建っているバルドー美術館と比べて、のんびりとした中にあるのも好ましいところかもしれません。

 現在のエルジェムの周りは一面の砂漠ですが、闘技場が作られた頃は、一面のオリーブ畑がある緑豊かな都市であったようです。古代のエルジェムは、オリーブの木から採れるオリーブ油で潤っており、この富が円形闘技場を作らせとも言われています。アフリカ大陸は、かつては緑豊かな大地が広がっていましたが、人間が増えすぎ、生活のため燃料となる木を切りすぎて現在のような砂漠化が拡大しています。大地が支えられないほどの人間が増えると、一種の自然淘汰で、人間が滅びていくのは、人間も、地球に存在する動物の一つということを物語っています。免罪符のように、これらの人々に、単純に施し物をする団体の行動は、長い地球の歴史の中で、自然破壊の一種と思うのですが。

夢のお告げの温泉と言われる四万温泉には特色のある温泉だけでなく自然も見事です

2018-11-11 08:00:00 | 日本の町並み
 海沿いの温泉の紹介が続きましたが、今回は山の温泉です。山の温泉は、沢山ありますが、それらの中から、今回は群馬県の山奥にあって、レトロな温泉の一つである四万(しま)温泉を紹介します。

 四万温泉は、東京の北北西100kmほど、中之条町のはずれにあります。JRの吾妻線中之条駅から路線バスで40分ほど北に向かって分け入ったところです。東京駅からは、直通バスも一日に1往復が運航されているようです。温泉街は南北5kmほどの5か所に分散し、南から温泉口、山口、新湯(あらゆ)、ゆずり葉、日向見(ひなたみ)と四万川に沿って並んでいます。中之条駅や東京駅からのバスは、5つの温泉場の中央の新湯までで、これより北の温泉場では、そこから歩くことになります。

 
 このうち最も北にある日向見地区が四万温泉発祥の地と言われ、10世紀にこの地で夢のお告げで温泉がわいたという逸話があり、夢に現れた薬師如来を祀ったのが重文の薬師堂です。また、四万温泉の名前の由来は四万の病を治す霊泉ということだそうです。

 
 
 
 各地区には、近代的なホテルやレトロな旅館が建ち並び、レトロな温泉街の町並みも、小規模ですが残っています。

 
 
 
 
 旅館の中でも有名なものが積善館です。元禄年間に旅館として開業し、3階建ての本館は木造旅館として日本最古のものです。目玉の元禄の湯がある3階建ての建物も昭和9年に建てられアーチの連続する窓などレトロな雰囲気があり、日帰り入浴も可能です。この積善館は、「千と千尋の神隠し」の構想を得た温泉の一つとされていて、本館から山荘に上るエレベータに通じるロマンのトンネルは、千尋の家族が通った神々の世界に通じるトンネルを思わせるものです。

 
 
 
 温泉はホテルや旅館だけでなく、共同浴場や足湯、それに飲泉場まであります。日向見には御夢想の湯が夢のお告げの場所にあり、そばには足湯もあります。ゆずり葉には飲泉の周りに足湯が組み合わさった施設があります。新湯の四万川の河原には河原の湯が、少し手前には塩之湯飲泉場があります。山口には上之湯があり、香茶房おきなやの店先には足湯があります。温泉口には町営の清流の湯が四万川の対岸の木立の中にあります。

 
 
 四万川を取り巻く自然も雄大で、温泉街を通り抜ける道路から見える滝が2か所、桃太郎の滝と小泉の滝とがあり、中之条駅寄りの河原には甌穴群があります。ただ、甌穴群は四万川の水量が多い時には水没してしまって、どこにあるのかよく見えなくなるようです。

 
 
 自然に変化を加えている四万川ですが、いくつかのダムがあって、自然な流れに人造湖や深い色の淵が加わっています。日向見の上手には四万川ダムがあり、人造湖の奥四万湖を作っています。ダムは重力式で高さが90mあり、奥四万湖はコバルトブルーの湖水が周りの自然の景色に変化を与えています。下流には中之条ダムがあり人造湖の四万湖がありますが、こちらはバスの車窓から見ただけ、代わりに温泉口近くの桃太郎の滝の下流にある四万取水ダムを見学しました。小ぶりなダムですが、堤体に石が張り付けられ、のっぺりとした四万川ダムとは趣が違います。堰止湖というほどの人造湖はありませんが、深くなった四万川はこちらもコバルトブルーでした。

 四万温泉では、日本では数少ない飲泉があります。ヨーロッパなどでは、浸かる温泉と飲む温泉とは同じくらいの数で存在すようです。チェコのカルロビバリで飲んだ飲泉は、随分と苦かった記憶がありますが、四万のものは無味無臭に近いものでした。飲泉の効能は、大体が胃腸病に効くとのことですが、浸かる温泉と違って、飲むとなると、毒性などが気になります。毒物を検出するセンサーはいろいろなものがあって、かなりの毒物の含有量が電子的に測定可能になっているようです。ただ、検出できない毒物や未知の毒物などが気になりますが、飲んでみて経過観察ということだけはゴメンこうむりたいですね。

独裁者が最後に演説をしたブカレストの旧共産党本部のある革命広場には、旧本部とは対照的な色々なビルや教会が取り囲んでいます(ルーマニア)

2018-11-04 08:00:00 | 世界の町並み
 前回の世界の町並みでは、国民の館などがあるDombovita川周辺を中心に紹介しました。今回はブカレストの2回目として、チャウセスクが最後の演説を行った旧共産党本部のある革命広場がある市街地のやや北側を紹介します。

 
 チャウセスクが旧共産党本部のビルのバルコニーで演説をしたのが12月21日で翌日には革命運動が起こり、夫妻は、このビルの屋上からヘリで逃亡しました。翌日に捕らえられ、その翌日に処刑されルーマニア革命はクリスマスの日に集結します。旧共産党ビルは現在は中央官庁のオフィスとして使われていますが、かつての東欧圏で抑見かける威圧的なシカクイビルで、国民の館とも似ています。ビルの前は広場になっていて、この広場を囲むように、色々なビルや教会などが建っています。北隣には大学図書館が、図書館の向かい側にはかつての共和国宮殿/大統領府が美術館として使われています。さらに、広場の南端あたりには茶色の外観が美しいクレッレスク教会が、逆に北側にはアテネ音楽堂の丸屋根が見えます。

 
 
 大学図書館は、19世紀に建てられたバロック建築で、図書館というより宮殿のような建物です。大学自体は、離れた所にあるようで、この図書館は、もとは宮殿か何かの建物で転用されたのかもしれません。
 国立美術館は、チャウセスクの現役時代には大統領府で、その地下には治安部隊の詰め所があって、革命の時には、多くの市民がここから出てきた治安部隊の銃撃で犠牲になったそうです。

 
 
 クレッレスク教会は、16世紀に建てられたブカレストで最も古いルーマニア正教の教会です。国立美術館などの建物群に囲まれて押しつぶされそうですが、2つの塔を持つ教会は、小さくても存在感があります。

 
 
 一方の、アテネ音楽堂は、19世紀の後半の1888年にフランス人の設計で建てられたギリシャ神殿風のコンサートホールです。外観もなかなか優雅ですが、内部は豪華です。ドーム状の屋根から想像できるように、内部は円形で、客席の上部の壁には、ルーマニアの歴史がフレスコ画でぐるりと描かれています。客席以外のエントランスなども、大理石がふんだんに使われていて豪華そのものです。

 
 また、このアテネ音楽堂の周辺には、公証人役場やその対角線向かいにある真っ白で3つの塔がある正教会Biserica Boteanuの建物などガイドブックには載っていない建物も綺麗です。

  
 
 革命広場の西側、クレッレスク教会の裏あたりには東西200m、南北500mほどのチシュミジウ公園があり、池が2つと残りはうっそうとした緑に覆われています。広さや周りが市街地で市民の憩いの場所ということで日比谷公園と似ていますが、こちらの方が自然に近い形をしています。この公園の中で、小指の爪の大きさくらいのカエルを見かけました。写真の左に写っているのは、直径が22mmの1,000レウコインです。公園の南側には市役所・区役所の建物があり、これまた綺麗な建物です。日本の役所というと、さしたる不都合が無くても味もそっけもない長方形のコンクリートの容器を新調に立て直したがるようで腹立たしい限りです。

 アテネ音楽堂の円形ホールは、音響効果が良いホールとして知られているようです。円形劇場の音響特性が良いことは、ギリシャなどの円形劇場が知られ、舞台でささやくような声が客席の最上段でも聞こえると言われています。ただ、これらの円形劇場は、野外で客席は半円形、舞台はその直径部分に張り出しているので、客性が円形で屋内のアテネ音楽堂とは性格は違います。コンサートホールの設計では、事前にホールの模型を作って、実際の音を出して音響効果を確認することが行われてきましたが、現在ではコンピュータによるシミュレーションに代わってきているそうです。また、最終的には、実際の観客を入れて、オーケストラなどの音を出して、特性を測定すそうで、このような機会にめぐり合わせた友人が羨ましいです。ただ、ホールは、使われる用途によって、目的とする音響特性は代わって来るし、聴衆の好みもあるので、正解の無い問題なのかもしれません。あまりに、多目的にすると、個性のない音しか聞けなく、オーケストラを聞くホールではないと言われる公共放送が作ったホールのようになってしまうようです。