世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

日本人の姿は見かけませんがアングルの故郷のモントーバンも絵になる町並みでした(フランス)

2018-01-28 08:00:00 | 世界の町並み
 ヨーロッパの絵になるような町並みの紹介が続きましたが、今回は絵を描く画家の故郷の一つを紹介します。画家の故郷は、画家が星の数ほど居るので、その故郷も星の数ほどとなりますが、今回はモントーバンを取り上げました。モントーバンは、18世紀から19世紀にかけて活躍しグランド・オダリスクなどを描いたアングルが12歳まで過ごした町です。

 
 モントーバンは、フランスの南西部、トゥールーズから普通列車で40分ほど、ガロンヌ県の県庁資材地ですが人口6万人足らずのこじんまりとした都市です。あまり日本人は見かけないない町ですが、この町にも、絵にしたくなるような風景が点在しています。アングルの他に彫刻家のブールデルの故郷でもあります。アングルはフランス語のつづりでIngresですが、フランス語に疎い筆者はアングル美術館に掲げられた看板を見て認識ができず危うく通り過ぎるところでした。

 
 
 
 アングルの有名な絵は、オダリスクがルーブル、泉がオルセーという風に、ほとんどがこの2つの美術館に展示され、故郷のアングル美術館にはスケッチなどが数点、それにブールデルの彫刻などがありました。また、アングルのアトリエを再現した部屋らしき展示もありました。美術館になっている建物は、司教館を転用したもので、この建物を見るだけでも値打ちがあります。モントーバン駅は、旧市街の西にあり、美術館には駅の北から東に回り込むように流れるタルン川を東に渡った川沿いにあります。この川を渡る橋がPont Vieuxで、石造りの連続アーチ橋ですが、下流の橋から眺めた風景が絵になります。

 
 
 
 
 美術館のあるタルン川の東のエリアには、茶色の町並みが広がり、独特の景観です。この中に、いくつかの教会があり、聖ジャック協会(Eglise Saint-Jacques de Montauban)は、茶色の塔が目立つ、ステンドグラスと祭壇画の美しい教会です。一方、モントーバン大聖堂は、対照的に真っ白の教会で、内部も真っ白でした。天井から下がった真っ赤なテープが印象的でした。

 美術品のレプリカを作る技術には、目を見張るものがあり、原本の保護のため、レプリカが展示されることも珍しくありません。高精細スキャナでオリジナルのデータを取り込んで、場合によってはコンピュータの画像処理で、オリジナルより見栄えがすることもあるようです。ただ、スキャナで取り込んだデータは、見た目の情報で、オリジナルが持つ、膨大な情報の一部でしかありません。陶板美術館では、オリジナルが火災などで失われても、陶板は不滅だと豪語していますが、単に視覚イメージが残されるだけではないでしょうか。ただ、先日に見たTVで、ツタンカーメンの墓所の隣に未発見の部屋があるかもしれないとのこと。壁をスキャンしたデータの解析に基づくもので、視覚イメージにも人間が認識できていない情報が含まれているんですね。

朝ドラで知名度が上がった竹原ですが放送から3年後には静かな町に戻っていました

2018-01-21 08:00:00 | 日本の町並み
 映画のロケやCMのロケで有名になった港町が瀬戸内海の御手洗地区でした。足の便が良くないせいか観光客の弊害はあまり残っていないようでした。この御手洗への足の一つが竹原港からの高速船ですが、今回はこの竹原を中心に紹介します。

 竹原は、広島県の中央で海に面した人口3万人足らず、三原から伸びる呉線で広島方向に40分ほど市です。安芸の小京都の町並みは、竹原駅の北東方向に歩いて15分ほどに広がっています。御手洗がCMロケで全国に知られたように、竹原はNHK朝ドラの「マッサン」のモデルとなった竹鶴酒造があり、放映後は観光客が増えたそうです。1度目の訪問は15年前、2度目は放映から3年後で、落ち着いた街並みを散歩できました。

 
 古い町並みは、南北に流れる本川の左岸と西方寺などがある東側の小高い丘に挟まれた、東西200m、南北500mほどの所で、中心となる本通は石畳が敷かれ無電柱化されています。この町並みの南西の入り口近くの本川沿いに、1990年に建てられた頼山陽の像があります。山陽自身は京都で生まれましたが、父の故郷が竹原ということで縁だそうです。

 
 
 
 
 
 
 本通の格子の並ぶ家並は江戸から明治にかけて建てられた商家で、本通と交差する細井路地にも数多くの古民家が残っています。古い郵便ポストが再現されていたり、用水桶があったりで、町並みの風景を保存しようといった気持ちが出ているように思います。2回目の訪問の日の翌日は、竹の切り株を通りに並べて、ろうそくの明かりをともす憧憬の路というお祭りの日だったようです。旧笠井邸にはその準備のために数多くの竹が準備されていました。また、この旧笠井邸は、本通の南の突き当りに建っているため、玄関を通して見える通りの風景は絵になります。

 
 
 この町並みを俯瞰できるのが、小高い丘を石段で上った先に京都の清水寺を模したという舞台造りの西方寺の普明閣です。ただ、上からの眺めは、手前に瓦屋根の町並みが望めますが、取り立てて風情といったものは、さほど感じられないようです。このほかにもお寺や神社がこの丘を取り囲んでいます。

 竹筒に明かりをともすお祭りを見られなかったのは、計画時のスケジュールミスで残念ですが、明かりと竹と聞くとエジソンを思い出します。エジソンが白熱電球を開発するときに、フィラメントの寿命が短くて困った挙句、使われたのが竹ひごを炭化したもの。この竹には、京都の石清水八幡宮近くの竹が使われ、その場所には記念碑も建っていました。竹の繊維の丈夫さが長寿命を生んだのでしょうが、この丈夫さで困ることもあるようです。最近は竹を使う場面が少なくなり、竹藪が伐採されないで放置され、巨大化した竹は硬くてチェーンソーでも切るのが難しくなるのだそうです。

プラハ城の丘から眺める百塔の町は赤い屋根の連なりも印象的です(チェコ)

2018-01-14 08:00:00 | 世界遺産
 破壊された町並みを、壁の傷まで復元したのがワルシャワ旧市街でした。ワルシャワには、コペルニクス、ショパンそれにキュリー夫人に関連する施設も集中しています。ショパンは、生前にワルシャワに戻ることはありませんでしたが、遺言によって彼の心臓はワルシャワに持ち帰られ聖十字架教会に収められています。音楽家には母国を離れて活躍する人が多く、一時期は亡命する音楽家も数多くいたように思います。母国から離れて活躍した音楽家の中で、ドボルザークは、アメリカの潤沢な資金力で呼び寄せられた音楽家の一人です。ただ、ドボルザークの場合は、アメリカで一生を終えることは無く、晩年に故郷のプラハに戻っています。今回は、そのプラハの歴史地区を紹介します。

 プラハは、チェコ共和国の首都で、チェコの中ではやや北西よりの内陸都市です。ヴルタヴァ(モルダウ)川の両岸の旧市街、新市街が世界遺産に登録されています。ヴルタヴァ川が大きく東にこぶのように突き出て蛇行している南側が旧市街です。プラハ中央駅も旧市街の東端にあり、アールヌーボー風の芸術的な建物です。この中央駅からカレル橋の間に主な観光ポイントが集中しています。

 
 
 
 中央駅の北西500mほどにあるのが火薬塔のある広場で、この火薬塔は15世紀頃に旧市街の城門として建てられたそうです。この塔の隣には市民会館があり、ファサードの装飾が美しいアールヌーボーの建物です。そこから西に500mほど行くと旧市街広場で、中央にヤン・フスの像が立ち、広場を囲んで色んな建物があります。みんなが見上げるのが天文時計で、毎正時には文字盤の上の窓が開いて、奥を人形が行進しますが、さほどのことはありません。

 
 
 さらに西に500mほど行くとヴルタヴァ川に出ます。プラハ到着の夕食をこのヴルタヴァ川河畔で食べましたが、川面を見ていると、どこからかスメタナの「わが祖国」の一節が聞こえてきたように感じました。ヴルタヴァ川に架かるのが、有名なカレル橋で、14世紀に作られた石橋は、できた当時にはプラハの東西を結ぶ唯一の橋だったそうです。

 
 
 
 
 
 橋を渡って丘を上るとプラハ城です。お城の周りには、聖ヴィート大聖堂やイジー聖堂それにロレッタ教会があり内部も見学ができます。この丘や隣のペトシーンの丘からは、ヴォルタヴァ川を中央にプラハの市街が望めます。百塔の町と言われるだけあり、多くの塔が建っていますが、むしろ赤い屋根の連続する町並みの風景の方が印象的です。

 チェコと聞くと、ソ連による支配が続いた東欧圏のイメージから、後進国のようなイメージが強いのですが、戦前から優れた工業国の一つです。1930年代には世界第7位の工業国だったそうで、戦後のビロード革命後は高い経済成長を果たしています。AIの成果の一つがロボットですが、このロボットという言葉も、1920年にチェコの作家が造語したものです。先日、「プラハのモーツアルト」という題名の映画を見ましたが、全編がプラハでのロケだったそうです。150年ほども前のプラハといった画面ですが、現在のプラハの町並みのロケ画面に違和感はありません。再開発と称して、すぐに町並みを壊してしまう国と違って、古いものを大切にする文化のせいでしょうか。

バスも船も不便なダイヤですが、着いた御手洗地区には時間が止まったような街並みがありました

2018-01-07 08:00:00 | 日本の町並み
 国東半島の付け根に城下町の名残や金山で築いた財で建てられた的山荘、それに鏝絵が描かれた民家が散在するのが日出でした。この的山荘は浅見光彦シリーズの「姫島殺人事件」のロケ地になりました。浅見シリーズのロケ地は全国に広がっていますが、その中の「はちまん」のロケ地の一つが御手洗地区です。また、最近ではオランジーナのCMのロケ地としても使われています。今回は、重伝建にも指定されている御手洗地区を紹介します。

 
 御手洗は、広島県呉市豊町御手洗と呉市の一部なのですが、呉からはるか離れた芸予諸島の一つ大崎下島の南東端に位置します。島々をつなぐ橋ができて、広島を起点に呉を経由する路線バスの「とびしまライナー」が走り、呉から約1時間半ですが、午前と午後に各2本とかなり不便です。一方、船の方は呉線の竹原から午前に2便と午後に4便と出ていて、40分で到達しとかなり俊足です。ところが午前便と午後便との間は4時間ほど開いていて、どちらのダイヤも観光客用ではなく生活路線といった感じです。

 古い街並みは、北と東が海に面した東西200m、南北300mほどのこじんまりとした集落で、時間が止まったようにひっそりとたたずんでいます。以前に、同じ瀬戸内海の塩飽本島の笠島地区を紹介しましたが、同じ汐待港のせいか似たような感じがします。

 
 
 
 御手洗港から少し西に行くと海寄りに駐車場があり、その前に観光協会があって散歩のためのマップがもらえます。そこから東南東に路地を入っていくと常盤町とおりで格子や板壁、それに土蔵造の古民家が続きます。通りの途中には、伊能忠敬が測量の途中に宿泊したという家も残っています。民家の壁には竹筒の花入れに花が生けられ俳句が添えられているところもあります。

 

 しばらく行くと右手にオリーブグリーンに塗られた下見板張りの床屋さんが現れます。「どこかで見たような??」風景は、オランジーナのCMのロケ現場です。通りを挟んだ郵便局の前には、真っ赤な丸いポストが良く似合います。右に曲がってすぐに若胡子屋敷跡があります。風待ち港の名残の色街の遺構である茶屋の跡です。折り返して、郵便局を通り過ぎると左手に時計屋さん、こちらもCMでみたような。さらに行くと乙女座跡は、昭和初期の映画館の遺構です。

 
 時計屋の前を南に行くと満舟寺で加藤清正が築いたと言われる石垣があります。さらに南に突き当りを海岸に出ると、住吉神社で、その北側には江戸末期に建てられ台風で倒壊したものを1992年に再建された高灯篭があります。ここから海沿いに岬を回って御手洗港に戻ります。途中には江戸時代の船宿の名残を残す町家があり、この道はオランジーナ先生が自転車で走り抜けた道です。

 御手洗はオランジーナのCMが流れた後に観光客がドッと押し寄せたそうです。筆者の訪問した時は、そのほとぼりも冷めて、通りで人と出会うことはほとんどありませんでした。最近はTVやネットで話題になると、とんでもない場所に観光客が津波のように押し寄せ、その辺をかき回し、去った後は、荒れた街並みという現象をよく見かけます。御手洗は、変なお土産屋などができなかったので良かったかなと思います。どうも、我が国はブームに弱いようで、音声だけで使う場合はガラケーの方が安くて使い勝手が良いのに、スマホを持たされます、それもiの付く機種が多いようです。キャリアが作ったブームにそそのかされて、必要でもないものを高い使用料で持たされているように思ってなりません。