世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

事件の記念碑はビール工場と国道に挟まれてひっそりと建っていました、生麦

2006-12-24 13:42:45 | 日本の町並み
 矢掛には、立派な本陣と脇本陣が残っていますが、本陣を使う参勤交代の行列を馬で横切ったために起こった事件が生麦事件です。生麦事件の起こった生麦は横浜市の川崎よりにあって、現場近くの石碑が事件のあったことを物語っています。

 生麦事件は、幕末に薩摩藩の大名行列の前をイギリス人が馬に乗って横切ろうとしたのを、無礼討ちにしたことに発端するものです。賠償をめぐって薩英戦争に発展し、最終的に幕府と薩摩藩は賠償金を払って1件落着だったようですが、外国人といえども当該国の法令を守るのが現在の国際ルールです。当時の力関係からして賠償はやむをえなかったのでしょうが、日本人としては無念な気もします。

 事件当時の生麦は小さな寒村だったそうですが、現在は第一京浜が通り、工場や民家の密集する町並みが続いています。事件の記念碑は事件の起こった場所と少し離れたところにあって、麒麟麦酒横浜工場のすぐ近く、車がひっきりなしに通る第一京浜に面してひっそりと建っています。

記念碑とJR鶴見線の国道駅を結ぶ町並みには魚屋さんが多く、安くて新鮮な食材が手に入るようです。すし屋さんなどプロのかたも多くいらっしゃるそうですが、筆者が訪れたときには、後片付けの時間帯になっていました。魚と生麦事件はなんともそぐわないような感じもしますが、事件の現場もこの町並みの中にあり、おのおの生臭さが共通項なのでしょうか。

 JRの鶴見線は起点が鶴見駅で横浜と川崎の海岸付近を複雑に枝分かれをして伸びています。この鶴見線のもっとも海よりの終着駅が海芝浦で鉄道お宅には有名な駅です。

ホームが海の上に張り出したような駅なのですが、変わっているのは、一般の人は駅から一歩も出れない点です。駅の改札イコール東芝の工場の入り口となっていて、社員や工場に用のある人以外は入れません。一般の人は、乗ってきた電車に乗って鶴見方向へ戻るしかありません。ただ、ホームからは海の向こうに横浜ベイブリッジなども眺められて、天気がよければ海風が気持ち良く、往復の運賃(150円×2)を払って行ってみる価値はあるかもしれません。

 生麦事件はおよそ140年前に起こったものです。ずいぶんと昔の話のようにも思えますが、日本史のものさしで見ればさほどの昔でもないようにも思います。ペリーが浦賀に現れ、幕府に電信機などを贈呈したのは事件の8年前ですから、今から150年ほど前になります。ほんの150年の間に電気通信の発展は、トンツーの符号しか送れなかったものから、携帯でテレビ電話ができるまでになりました。これからの150年ではどのように発展してゆくのでしょうか。

天井からぶら下がる鮭の多さにびっくりする村上

2006-12-17 13:44:29 | 日本の町並み
 落ち葉が降り積もる季節です。掃いても掃いても降り積もる落ち葉で掃除をする人は大変でしょうが、落ち葉を踏みしるカサカサという音も季節を感じる音の一つではないでしょうか。この落ち葉の香りの付いた水を嗅ぎ分けて自分の生まれ育った川を遡上するのが鮭です。鮭は鋭い嗅覚で、数ある川の中から故郷の川を峻別するのですが、川の水の香りには流域の樹木の落ち葉が大きな影響を与えているといわれています。今月は、おびただしい数の鮭が通り土間にぶら下がる喜っ川(正式には七の字を3つ重ねる喜の略字を使われています)のある村上を紹介します。

 落ち葉は、ダンゴムシやミミズなどによって食べられたり、バクテリアによって分解されて、腐葉土になり樹木の養分になるというサイクルを取ります。園芸店で市販されている腐葉土は、ナラやクヌギなどの落ち葉が原料に使われることが多いようですが、同じ広葉樹でもイチョウの葉は腐りにくいので腐葉土の材料としては不向きなのだそうです。

初冬の風情を醸し出す落ち葉ですが、列車にとっては厄介もののようで、初冬の頃にはレールに積もった落ち葉で、スリップをして立ち往生をする事故がけっこうあるんですね。

 村上は新潟県の北部、もう少しで山形県という位置にあります。市街地は羽越本線の村上駅の東側にこじんまりと広がっています。鮭がぶら下がる喜っ川は、市役所の裏あたり、南北に通る商店街に、格子のある古めかしいお店を構えています。

 鮭と大書された暖簾をくぐって中に入って、

売り場を通り抜け、通り土間に踏み込むと、異様な景色にびっくりします。見渡す限りの頭の上に、天井から紐に結わえられた鮭がぶら下がっているのです。

酒浸しや焼漬などの原料となる鮭を熟成しているのだそうです。村上と鮭の結びつきは古く平安朝時代からで、三面川を遡上する鮭を献上品としていたようです。

 この村上では、商店街を中心に春の人形さま巡り展と秋の屏風まつりが開催されます。ともに、町家の中に雛人形や屏風が飾られて、訪問者は各々のお店に入ったり上がり込んだりして拝見します。筆者は屏風まつりのときに訪問しましたが、そのお店の方々から、屏風の歴史やいわれをお聞するだけでなく、伝統的な造りの町家の内部が拝見できたりで、なかなか楽しい思いをしました。

前述の喜っ川では屏風など伝統の品々を後世に伝えてゆく大変さをお聞きしたような気がします。

 都会では街路樹があっても、周りは舗装されているので、落ち葉はゴミとしてしか扱われなくなってきています。自然のサイクルが切れてしまい、落ち葉の養分が植物の栄養として利用されなくなっています。このサイクルを切れなくするのは、おそらく大変なコストがかかり、化成肥料などを木の周りに施すほうが安く済むのでしょうね。一方、携帯電話やコンピュータの世代交代は、めまぐるしい速度ですすみ、旧製品のおびただしい廃棄物を生んでいます。これらをリサイクルして再利用するのは、新しい材料よりコストがかかるのでしょうが、このコストは資源を次の世代まで伝えてゆくためには必要な社会投資ではないでしょうか。

復活した鉄道の沿線に本陣、脇本陣の立派な建物が残る矢掛

2006-12-10 13:46:49 | 日本の町並み
 列車が通らないまま放棄されてしまったのは五新線でしたが、いったん廃止になった鉄道に沿うように新しい鉄道が開通したところがあります。広島県・福塩線の神辺(かんなべ)と岡山県・伯備線の清音(きよね)とを東西に結ぶ井原鉄道ですが、その沿線に本陣跡が残る矢掛(やかげ)があります。廃止された井笠鉄道は山陽線の笠岡と神辺、矢掛を横バーの長いT字型に結んだもので、井原鉄道の路線のかなりの部分が廃止路線に沿って作られています。

 矢掛町は岡山県の南西端に近い所にあり、かつての山陽道の宿場町で本陣だけでなく脇本陣跡も残っています。本陣や脇本陣は、言うまでもなく江戸時代の参勤交代の時に大名一行が宿泊した施設です。加賀百万石の前田家の場合は最大で4,000人もの人間が移動したとのことですから、大きな学校の修学旅行生が10校ほどかち合った人数です。山陽路にはさほどの規模の大名はありませんでしたし、本陣には大名など一部の人間しか宿泊しませんでしたが、現役の頃の本陣はもっと大きなものではなかったでしょうか。

 本陣と脇本陣とを結ぶ通りにかつての山陽道の雰囲気を残こす町並みが連なっています。

近くにある郷土美術館に江戸時代の水楼を模した望楼が作られていて、登って町並みを上から眺めることもでき、違った視点で町並みの様子が分かります。

山陽本線が海沿いの笠岡あたりを通過するため、矢掛は時代から取り残されたような静かさにつつまれる町になっています。

 鉄道黎明期の頃には、城下町や宿場町で、鉄道が通ることを拒んだ町がけっこう多かったようです。当時は蒸気機関車でしたから、茅葺の屋根が火の粉によって火事になるというのが反対の理由の一つだったとか。矢掛がその例にあたるのかは調べていませんが、鉄道の駅がないという不便さと引き換えに、町の個性が保たれたのではないでしょうか。

 参勤交代は、無駄のかたまりのように酷評されることが多いものですが、一方では日本全体の文化程度を均一化したり、治安を保つことに貢献したといわれています。電気通信の無い江戸時代には、情報の運び手はもっぱら人手ででしたから、参勤交代で運ばれる情報流通の意義は大きかったものと思います。現場の映像を含めて瞬時に情報が手に入るようになった現代は、情報の入手にエネルギーがかからなくなった反面、情報を有効利用する知恵がおろそかになっているのではないでしょうか。

久留米市内とは思えないのどかな風景の中にハゼの並木が連なっています

2006-12-03 13:48:25 | 日本の町並み
 カエデの紅葉もなかなか美しいですがウルシやハゼの紅葉は朱色が派手なように思えます。どちらもウルシ科の植物で、ウルシはその樹液を漆芸の原料とし、ハゼはその実が木蝋の原料となります。

今回は、ハゼの並木が1kmほども残っている福岡県の久留米市郊外を紹介します。
 ウルシ科の植物は、紅葉は美しいのですが触れるとかぶれるという欠点があります。人によっては、漆器になったお椀でかぶれたり、木のそばを通っただけでかぶれたりするそうです。ハゼの実から作られる木蝋は和蝋燭の原料として用いられてきましたが、和蝋燭そのものが作られなくなってきて、原料としてのハゼの必要性も減ったようです。かぶれを恐れて、人里近くでは見られなくなりつつあるようです久留米市郊外の柳坂のハゼ並木も木の数が減ってきているのだそうです。

 久留米市柳坂は市の中心部の東側、バスで30分ほどのところです。最寄の駅はJR久大本線の善導寺で、駅の西南西方向になります。ハゼの並木は南北に走る道路の側溝の土手の上に植えられています。この道路はかなり広いのですが、その拡張の時に移植され、木の勢いが弱くなり、美しく紅葉しなくなったのだそうで残念です。ハゼ並木の近くには、茅葺の農家や土塀などが残っていて、とても久留米市内とは思えないのどかさが残っています。

 このハゼ並木の南の端の山の麓に永勝寺があり、こちらはカエデの紅葉の名所になっています。

道が山に突き当たって少し上ったところに寺へ上る階段があって、九十九折の坂を登ると本堂に出ます。本堂のそばに植えられたイチョウの黄葉と裏手のカエデの紅葉、それに周りの木々の緑が美しいハーモニーを醸し出しています。本堂の裏の高みに登ると、本堂の屋根の黒も加わって四重奏です。

 ところで、漆塗りの塗膜はどんな塗料よりも頑丈なのだそうです。漆芸分野の人間国宝であった松田権六氏が書かれた著作の中に、船の塗料としてペンキと漆塗りとで耐久性を競ったのだそうです。遠洋航海の後に帰港した船のペンキの鮮やかさ見て、松田氏は漆の負け!と思ったのだそうです。しかしながら、ペンキのほうは、寄港地ごとに塗りなおさないともたないほど劣化が激しかったそうです。もちろん漆のほうは一度も手入れはしていなかったそうで、漆塗りの堅牢さが証明されたとか。ディジタル化社会になり、均質で高品質の製品が安く手に入る世の中ですが、最高の品質を得るためにはアナログ的な手仕事の分野が必要なんですね。