世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

天気の悪い日に乗ったハノイのシティツアーバスでしたが、天気が良い日にもう一度乗りたいですね(ベトナム)

2023-04-30 08:00:00 | 世界の町並み
 ベトナム首都のハノイ市街の中心街二なるホアンキエム湖と旧市街と紹介しましたが、ハノイにはシティ・ツアー・バスというオープンデッキの2階建てバスが走っています。ホアンキエム湖の北岸を起点に旧市街をかすめて、およそ一時間をかけてハノイの見どころを一周してくれます。乗客はベトナム語だけでなく日本語を含むガイドをレシーバで聞くことができます。初めてハノイに訪れた観光客の場合、とりあえず一周乗った後に、見たいところで途中下車をしても30分ごとバスはやってくるので手際よく観光ができる観光バスです。このバスのコースに含まれているホーチミン廟周辺はこのブログではすでに紹介していますので、別途紹介予定の世界遺産のタンロン遺跡これら以外の場所を紹介します。

 
 
 
 
 
 
 ホアンキエム湖を出たバスは、湖の西側の旧市街をかすめてハノイ大教会の前を西に進みます。やがてレーニン像を通り過ぎフラグタワーの手前から北西に転じホーチミン廟の手間で北に向かいます。ホーチミン廟の前はバスから見ても長い人垣ができています。北にそのまま進み、タイ湖畔のクアンタン寺に停車します。ハノイの街を北側から守る鎮護寺として11世紀に送検されたようで、道路に面したこじんまりした門に比べて境内は意外と広く、中国の道教寺院に来た感じです。堂内は朱色が目立ち、こちらも中国風ですが、扉や欄間の彫刻はきれいです。中央には巨大な玄天上帝の像が祀られ、中国の関帝廟の関羽の像のようです。

 
 
 
 タイ湖の築堤を北に進むと左手の湖に突き出た半島にチャンクオック寺の八角の朱色の塔が見えてきます。2004年に再建された仏舎利塔ですが、創建は6世紀と古く現在地に移転したのが17世紀だそうです。バスはタイ湖の北出ターンして再び築堤を渡って、クアンタン寺のところを左折してしばらく行くと北門教会です。フランス統治時代の20世紀初頭に建てられたカトリック教会で、ハノイの3大教会の一つです。屋根がオレンジで壁が黄色の建物は、ベトナムでは公的機関に多くて、ハノイの博物館も同じような色でした。この色の組み合わせは高貴なものなのでしょうか。鐘楼にある鐘はハノイで一番高いところに置かれた鐘なのだそうです。

 
 北門教会の南側には世界遺産のタンロン遺跡で、この遺跡は別途、遺跡を通り過ぎて西にバスは文廟に寄りますが、ここから少し歩くとハノイ中央駅です。場とナムを代表する鉄道駅で、なかなか立派な建物が立っていますが、発車する列車は10本に満たない寂しさです。

 
 駅の東にあるのがホアローの収容所跡です。フランスの植民地時代に、ベトナム人の反抗勢力の弾圧のためフランスが作ったもので、西欧列強のひどさを実感させる施設です。ギロチンも展示されていました。我が国も一つ間違えば似た環境になっていたかもしれません。ベトナムの人々は、弾圧に屈することなく、フランスから独立し、非人道的なアメリカの攻撃にも打ち勝ち、アメリカに唯一戦勝した粘り強さは驚嘆させられます。

 お寺の塔の起源はインドで釈迦の遺骨を祀ったストゥーパで、土でできた半円のドーム状の物だったようです。仏舎利塔の性格はそのままで中国に伝わった後は、建造物となり、やがて我が国伝わった時には木造の多重塔になりました。名称もストゥーパ→塔婆→塔と省略進んでいったわけです。中国やベトナムなどの塔は軒の出入りがほとんどなく、六角や八角中のような形ですが、軒の出入りの深い我が国の塔はどこから見ても美しいと思います。ただ、このような高層の塔を木造で作るのはノウハウの塊のようで、コンピュータの構造設計の領域を超えているようです。解体数理後の台風で、頂上の九輪が傾いてしまったはその表れでしょうか。

大阪の住吉大社から藤の枝が流れ着いたという魚住の地にある住吉神社は神木の藤に加えて境内を埋めつくす藤棚から下がる藤の香りにみちあふれています

2023-04-23 08:00:00 | 日本の町並み
 都内の梅の名所の一つである亀戸天満宮は、梅の花だけではなく境内に所狭しと植えられた花々が策植物園のような神社でした。これらの花々の中で、梅の次に人気があるのが境内で大きなスペースを持つ藤棚の藤野華ではないでしょうか。道真にとって藤原氏は政敵ですが天神さんの境内に藤の花というのも皮肉でしょうか。藤棚はあちこちで見かけますが、意外と規模の大きなものは少ないようで、筆者の故郷の神戸の近くでは、明石市の住吉神社のものが有名です。今回は、藤の咲く季節には境内で能狂言も演じられる明石市魚住の住吉神社を紹介します。

 
 
 明石市は日本標準時の子午線が通ることで全国的な知名度がありますが、子午線の通るのは明石市の東より、今回紹介する住吉神社は西寄りにあります。神戸と姫路とを結ぶ山陽電車で明石駅から西へ7駅の山陽魚住を降りて海側に200m程いったところにあるのが魚住住吉神社で、境内の南の端は海に面していて、そこに鳥居が立っています。神社の起源は古く、神功皇后の三韓征伐の時に暴風雨に遭い魚住に避難して、住吉大社(大阪)に祈願したところ、嵐が収まったため、凱旋ののち摂津国の魚住にお祀りされたと言われてれています。一方、境内に藤が咲き乱れる理由を物語る説があり、大阪の住吉大社神代記によれば、住吉大神が播磨国に住みたい、藤の枝が流れ着いた所に祀れと託宣し、その流れ着いた魚住の地に雄略天皇が勧進をしたというものです。この伝説を裏付けるように、境内には神木の藤が植えられていますが、空を飛んだ梅と違って藤は海を渡ったんですね。

 
 海に向かって立つ鳥居の後ろに広がる瀬戸内海は、神功皇后の時と違って穏やかでゆったりしています。この海を読んだ万葉集の歌碑が境内に立っていて、聖武天皇行幸の時に笠金村が読んだもので、魚住の海はいつ見ても飽きない、というものです。この歌はさほど有名ではないのですが、この歌を本歌取りして藤原定家が読んだ「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ」の歌は百人一首にもある有名な歌です。

 
 
 
 
 
 海の神社といこともあって、海に向かって鳥居があり、こちらが正面と思われますが、鳥居から楼門、舞楽殿、そして拝殿、本殿が一直線に並んでいます。この本殿を取り囲むように多くの摂社末社が並んでいます。この神社を有名にした藤棚は、社殿の裏側にあって、駅のほうからくると、まずこの藤棚が目に飛び込んできます。藤の花が有名ですが、初夏のアジサイもなかなか見事なのだそうです。筆者が訪れた時に舞楽殿で演じられていたのは狂言で、保存会のメンバと思しき方々(おそらくアマチュアの方々ではないかと思います)が観客も多く、大盛況でした。

 本歌取りというのは、見方によっては盗作でオリジナリティを疑うものですが、和歌の世界では一定のルールによって認められているようです。最近では、朝ドラの中でも話題になったそうですが見ていないので詳細は分かりません。芸術作品や工業ディザインでは盗作の線引きは分野によって異なるのでしょうが、工業でぃざいの分野でオリジナリティを疑いたくなる作品が大衆受けしているような気もします。盗作の判断は権力が介入しそうな気もしますが、判断を人間ではなくコンピュータによるAIに任せるという手もあるかもしてません。(これとて権力が介在するかもしれませんが)。ただ、コンピュータに過去の膨大な作品のデータを記憶させても、盗作の規範そのものが、社会の変化とともに変化しそうです。

チャンアンはベトナム北部のカルスト地形の一つとして古都のホアルーの文化遺産と組み合わされてベトナム唯一の複合遺産となっています(ベトナム)

2023-04-16 08:00:00 | 世界遺産
 ベトナム中部のカルスト地形にぽっかりと開いた巨大な鍾乳洞窟を紹介しましたが、ラオスからベトナムにかけてはカルスト地形が広がっていて、ベトナム北部から中部にかけて3か所もの世界遺産が登録されています。最も有名な世界遺産は、ハノイの東の海に広がるハーロン湾ですが、もう一つハノイの南部のニンビン郊外にあるチャンアンの景観関連遺産があります。文化遺産として登録された10世紀成立のベトナム最初の王朝の都であったホアルーと、カルスト地形のチャンアンそれにタムコックの自然遺産都とを組み合わせたベトナム唯一の複合遺産です。今回は、それらの中のチャンアンの自然遺産を紹介します。

 
 
 
 
 ニンビンはハノイの南方100km足らずのの都市で、車で2時間弱の距離の都市です。チャンアンはニンビンの市街地の西に広がるカルスト地形で、陸のハーロン湾とも呼ばれ、ハーロン湾で見られるような焼き芋が地面に刺さったような形の山が連立しています。チャンアンの観光の中心は、この中を流れる川をボートでめぐるものです。一見独立の湖が散らばっているように見えるのですが、散らばっている湖のようなものは、鍾乳洞でつながっている川の一部なのです。手漕ぎのボートはいくつもの洞窟の中を潜り抜けてつながった川をめぐります。

 
 
 この様子は、近くにあるムア洞窟の上にそびえる山に登るとよくわかります。また、この頂上からは、チャンアンのカルスト地形もよくわかります。

 
 
 
 
 フォンニャ洞窟では、ボートの漕ぎ手は舳先に立って一本のオールで引き寄せるように漕いでいましたが、チャンアンの漕ぎ手は船尾に座って二本のオールで押すように漕いでいます。船の規模はフォンニャの船の1/2くらいですが、場所が違えば流儀も違うようです。川を地底でつないでいる鍾乳洞は、低いところは頭すれすれ、高いところは数mありますが、鍾乳石の見事さではフォンニャ洞窟に及びません。しかし、トンネルのように船で通り抜けこれから現れる景色に期待を持たせたり、洞窟の出口が、見えてくる風景の額縁効果を作り出す様は、フォンニャには無い楽しみです。フォンニャが鍾乳洞の鍾乳石を楽しむ場所とすれば、チャンアンはハーロン湾のようなカルスト地形の山々を楽しむ場所かもしれません。同行の人たちの感想では、ハーロン湾より見事とおっしゃってましたが、ハーロン湾では広い海にまばらに浮かぶ島々のために、間延びした印象ですが、チャンアンでは風景が凝縮しているからかもしれません。

 中国南東部やベトナム北東部はカルスト地形と呼ばれる石灰岩が雨水などに浸食されてできた地形です。石灰岩ということは、かつてはこれらの岩石は海の底にあって、この辺りは海から隆起したということになります。フォンニャ洞窟にしてもチャンアンにしても、長い時間をかけて雨水などによって岩が溶け出して穴ができたわけですが、このような洞窟の存在は地表からどの程度判別できるのか興味のあるところです。電磁波や音波などの反射波を解析するのではと思いますが、過去の測定結果を学習させたAI技術なのでしょうね。現在は多くの人類が石灰岩を原料とするセメントの建物に住んでいますが、これとて管理しないと石灰質が雨水に溶ける恐れがあるわけです。地球の炭酸額濃度が増している現在雨水の酸性度が増して石灰質を溶かす力は大きくなっているのではないでしょうか。

亀戸天満宮の境内には、京都から飛んできたのわけではありませんが梅の花に加えて色々な花々が咲いてまるで植物園のようです

2023-04-09 08:00:00 | 日本の町並み
 菅原道真を追って京都から飛んできた梅ばかりではなく、梅に遅れてやってきた追い松が境内にあるのが太宰府天満宮でした。天満宮は全国に分布していますが、東京都には20近くの天満宮があって、なかでも湯島天満宮と亀戸天満宮それに平川天満宮が江戸三大天神としてお馴染みでですが、今回はその中から亀戸天満宮を紹介します。

 
 亀戸天満宮の最寄り駅は、JR総武線の亀戸駅ですが、駅前には亀にちなんで、なんと羽のある亀のp像があります、梅だけではなくて亀も空を飛ぶのでしょうか。一方、天満宮と言えば牛の像で、御多分に漏れず境内には牛の像があって、みんなが撫でまわるためか、鼻づらが金ぴかになっていました。亀戸駅から天満宮までは北北西に500mほど、意外と錦糸町駅からでも少し遠いくらいですが、錦糸公園を斜めに突っ切るとほとんど同じぐらいかもしれません。

 
 
 境内は南北100m、東西0m程度で太宰府天満宮の1/4くらいでしょうか。ただ、この境内に池あり太鼓橋あり、花々の花壇や藤棚ありでギュ~~っと凝縮した感じがします。また、大宰府で見た鷽之像もあり、全国の天神様で1月7日に行われる鷽かえ神事がこちらでも行われるようです。大宰府の景色にはないスカイツリーが本殿や梅の木の上ににょっきりと顔を出しています。

 
 
 
 
 
 
 筆者が訪問したのは梅と藤の開花時期でしたが、花の開花に合わせて梅まつりや藤祭りが開催されているようです。梅まつりの時には、神楽殿で、ひょっとこと獅子のカズラ舞を見ることができました。この2シーズンだけの訪問でしたが、境内の花は多彩で、梅や藤に加えて、水仙、サザンカ、シャガ、ツツジ、ロウバイなど花だらけです。他の季節に行くともっと違った花を楽しめるのかもしれません。楽しめるといえば、天神の南のバス通りに面して船橋屋という甘味処があり、元祖くずもちは有名で店の前に長い列ができています、花より団子なのでしょうか。

 天神さまというと、受験前のお参りでお馴染みです。菅原道真が藤原氏との権力闘争に負けて大宰府に流された悲劇の主人公で頭脳明晰な秀才であったことから、その道真にあやかりたいとの思いでしょう。梅原猛によれば、権力に抹殺された人物は、後の祟りが恐ろしいとの理由から、権力者によって神格化されることが多いとのことで、菅原道真はその典型でしょうか。ただ、天皇や家康のように権力者が神格化されるのは、権力の押し付けで、抵抗があります。天神様にお願いをして有名大学に入るのは権力を得るための第一ステップなどという図式はごめんこうむりたいです。コンピュータによるAIによって、ペーパーテストに強いだけの人物ではなく、人格までを判断できるようにならないでしょうか。

ホアンキエム湖の回りは散歩をしても気持ちの良い遊歩道がありますが、旧市街は人間の歩くところがないくらい商品があふれています(ベトナム)

2023-04-02 08:00:00 | 世界の町並み
 
 ホアンキエム湖や旧市街はハノイの市街地の中心的な場所で、ベトナムを南北に走る唯一の鉄道のハノイ駅の東2km程の場所です。この鉄道は南北ベトナムが統一した時に統一鉄道と名づけられましたが、軌間は1mでハノイからホーチミンシティまでを2日がかりで走るようです。そして、1等寝台に相当するソフトベッドの料金は、LCCの飛行機よりも高価で、移動や旅情を楽しむ向きの交通手段のようです。

 
 
 
 
 
 
 
 ホアンキエム湖は市街地の北を流れるフォン川の氾濫のよってできた湖で東西が200m、南北が600m程の角の丸まった長方形をしています。湖には2つの島があり、南側の小さな島には四角の亀の塔と呼ばれる祠が建ち、日没とともにライトアップされて幻想的な光景です。一方の北側の大きな島には18世紀に建てられた玉山祠が建っていて、13世紀の元との戦いで活躍した人物などを祭っています。島には赤色の橋が架けられて、多くの人がお参りをしていました。旧市街は湖の北西になりますが、逆側の南東岸には中央郵便局があり、その隣にはリータイトー公園があります。11~13世紀にハノイに存在した李朝之初代の王様であるリータイトーの巨大なブロンズ像が立っています。逆に、旧市街までも北には行かない湖の西岸には、いくつかのお寺や、キリスト教会のハノイ大聖堂など宗教施設が数多くあります。

 
 
 
 さて、旧市街ですが、全体が巨大な市場群で、扱っている商品の種別によってエリアが異なっていて、筆者は東寄りの町を散策しましたが、どのあたりはどうも食材関係や繊維関係の店が多かったようです。焦点がひしめく中にも、いくつかの寺院がありますが、何か肩身の狭いい思いで立ってるような感じがします。繊維関連の商店群の北のはずれに近いところに巨大な焦点の集合場所がドンスアン市場で、2階建ての建物の中に所狭しと焦点が並んでいます。建物は中央部が吹き抜けになっていて、2階から下を眺めると壮観です。この市場を東に行き、市場群の東端と思しきところには東河門があります。市場の門にしては古くて立派な門と思いましたが、それもそのはず世界遺産にもなっているタンロン城にあった16の城門のひとつで、唯一残っているものです。旧市街のエリアは歩道にまで商品を陳列していて、実質的には歩道は無く、車道を歩くしかないうえに、車道も車が頻繁に行きかう混沌ぶりで、あまり気持ちの良い散策ではありません。買い物が好きな方には、安い品物が手に入るのでしょうが、町並み散策派には、車に気を払い身の危険を感じながら歩くのは向いていない所のようです。

 ハノイの街中では信号機があっても、大きな通りは別として、ほとんどの歩行者は信号に関係なく、流れてくる車の間を悠々と渡っていきます。以前に訪問した時には、大きな通りでも信号が無かったので、ゆうゆう横断は当たり前の現象でした。この横断ではけして走ってはいけないらしいのです。ゆっくり歩くと、車は歩行者を器用によけて走っていきますが、走ると予測が付かないので危険なのだそうです。車の自動運転が話題となる今日ですが、この自動運転のプログラムでは、歩行者を検知したら停止とプログラムされていると思います。たしかに安全でしょうが、このようなシステムでは、ハノイは車の大渋滞が起こってしまうのではないでしょうか。多少は危険を伴いますが、ギリギリの運転技術はコンピュータではなく長年の感と経験を積んだ人間にはかなわないのかもしれません。