世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

名古屋市内に格子の連子窓が残る町並みと絞り染めでも有名な有松

2007-02-25 17:41:43 | 日本の町並み
 JRとして唯一残っている連絡船は宮島航路ですが、かつての東海道五十三次の中で唯一渡し舟(連絡船)となっていた区間が宮(現在の熱田神宮付近)と桑名の間でした。今回は、宮の江戸寄りにある間宿の有松を紹介します。

 有松は、名古屋市の南部にあって、名古屋から名鉄の豊橋方面に乗車して30分程度の距離の町ですが、名古屋市内とは思われない宿場町の雰囲気を残す一郭があります。有松は宿場町としてよりは有松絞りという絞り染めの伝統工芸の町として有名です。有松絞りは東海道を旅する旅人の良いお土産としてもてはやされたそうです。

 旧道沿いに続く古い町並みの中に有松絞りの有松鳴海絞会館があって、絞り染めの工程が絵解きの説明と、実演もしてくださいます。根気の要る作業のようで、複雑な模様の場合は、一反の加工に1年ほどもかかることがあるのだとか。

 絞り染めは、簡単にいってしまうと、布を部分的に糸で縛って染め上げると、縛ったところに染料がつかなくって模様になるという技法です。通常縛った跡は円形になり、その円の大小、配置でデザインが決まります。もちろん円とは異なる技法もいろいろとあるようです。直径が1cmに満たない円をちりばめた絞り染めは繊細な美しさがあります。染めた後に糸は外されますが、縛った跡がしわとして残り独特の柔らかな肌触りとなります。もちろん、仕上がりの面積も小さくなるので、同じ服を作る場合も、必用とされる元の布地の面積は大きくなります。

 愛知県はからくり人形を乗せた山車が練り歩くお祭りが多いのですが、有松にも3台の山車があるそうです。毎年10月の第一日曜日に行われる有松祭りで狭い旧道の町内を練り歩くとのことですが、時間を見つけてぜひ実物を見てみたいと思います。

 からくり人形は、プログラム制御というような技術のない頃に、歯車の組み合わせだけで人形に文字を書くなどの一連の動きをさせるものです。プログラム制御の場合は、人形の各部の動きを時系列に分解して動かす量を規定してゆけば、その通りに人形が動きます。自然な動きにするために試行錯誤が必用かもしれません。しかし、純機械的な仕組みで手順のある動作をさせることはプログラム作成とは比べ物にならない苦労があったのではないかと思います。

夏みかんと金子みすずを生んだ仙崎

2007-02-18 17:43:20 | 日本の町並み
 冬に実が成るのに夏みかんと呼ばれるのが不思議ですが、花や果実の少ない季節に鮮やかな夏みかんの黄色は印象的です。日本の夏みかんの原木は、山口県の仙崎にあるものとされていて、浜辺に漂着した種子から発芽したものだそうです(写真の夏みかんは仙崎のものではなく都内で撮影のものです)。

今回は、夏みかんの原木がある仙崎を紹介します。

 仙崎の夏みかんの原木は18世紀に植えられたもので、天然記念物に指定されています。夏みかんといえば同じ山口県の萩が有名ですが、萩のものもこの原木から接木されたのだそうです。冬に実をつけるものを、夏みかんと呼んだ理由ですが、生で食べることができるのは、木に放置して完熟する初夏の頃なのだからだそうです。ハウス栽培や輸入の柑橘類がなかった頃は、初夏に食べられる貴重な柑橘類として珍重されたことからの命名かもしれません。

 仙崎は山口県の日本海側の中央あたりの長門市の一部です。JR山陰線の長門市から支線が1駅延びていてその終点が仙崎です。夏みかんの原木があるのは、JRの駅から北に向かい海にかかる橋を渡った仙崎大日比にあります。青海島(おおみしま)と呼ばれる島になりますが、この青海島の北西岸は切り立った岸壁や海蝕洞窟などがあって、男性的な景色が続きます。

仙崎から観光船が出ていて、これらの海岸を眺められますが、よく荒れる日本海ゆえ、日によってコースが短縮されます。仙崎は古くからの漁師町で、捕鯨基地としても栄えたところだそうです。その歴史のせいか、観光船は鯨の格好をしていて、観光終了後には潮吹きの演出もあります。

 JR仙崎駅と青海島との間に白壁作りの町並みが続いていますが、この町は童謡詩人の金子みすずを生んだ町でもあるのです。

 この通りの名前も「みすず通り」と名づけられ、近くには童謡に歌われた公園やお寺などが散在しています。通りの中央あたりの生家は記念館になっていて、薄幸の女流詩人の記念品が展示されていますし、北よりの遍照寺には彼女の墓所もあります。

 金子みすずの童謡では、それまで気づかなかった視点の存在にハッとさせられます。「大漁」の童謡では、人間様は大漁で喜んでいるけれど、魚のほうは弔いをするだろうというものです。また。「私と小鳥と鈴と」では、3者のできること、できないことを比較していますが、それぞれが違っていて、みんないい、と結んでいます。インターネットの普及は、情報の伝達速度を飛躍的に速くし、受け手が情報を選択できる幅も広げたように思います。これにより、他人とは違った情報を得て、異なる視点をもつ人が増える基盤が整ったようにも思えますが、現実には他人とは違った考え方や視点、行動を取る者は、変人扱いや、いじめの対象になっているようにも思います。本当の個性の時代までには、まだまだ道のりは遠いのではないでしょうか。

JRの連絡船が唯一残っている世界遺産の宮島

2007-02-11 17:45:13 | 日本の町並み
 関門連絡船は遠い昔に廃止になり、宇高連絡船そして青函連絡船とほとんどの連絡船がなくなってしまった現在でも、唯一の現役のJR連絡船があります。それは山陽本線の宮島口と宮島を結ぶもので、青春18切符の利用者でも乗船できます。

 宮島は世界遺産にも登録され、これまで紹介してきた町並みとは比べようのないほどメジャーな場所ですが、訪れてみると厳島神社だけでなく格子を連ねた町並みや修験道の弥山(みせん)などもあり、気持ちの休まる場所のひとつのように思います。記憶違いかもしれませんが、島内のタクシードライバは女性ばかりではなかったかと思います。深夜勤務が無いことなどで女性にとって働きやすい環境も理由の一つでしょうが、島の好感度向上にも役立っているように感じます。

 観光の目玉の厳島神社は度重なる台風の被害で社殿が倒壊して、意外ともろい建物という印象を受けました。海に面して風を遮るものが少ないためでしょうか、それとも海水の影響で建物を支えている木材の劣化が激しいのでしょうか。

 反面、海に面していることで他には無い景観が作り出されていることも事実のようです。海に浮かんだ鳥居や社殿の影が海に映りこんで2倍楽しめるのですが、筆者の場合には3度も訪問したにもかかわらず、潮が満ちた風景は夜景でしか見ることができませんでした。しかしながら、海に浮かんだ薄明かりの中の社殿や灯明の入った石灯籠の並ぶ景色は幻想的で美しいものでした。

 宮島へは日帰客が多く、宿泊される人はさほど多くないようですが、この景色は宿泊者にのみ提供されるプレゼントです。また、夕方になると、それまで人で溢れていた通りから、それこそ潮が引くように人が居なくなる光景も、ちょっと寂しい感じもしますが面白い体験です。

 ご存知のように潮の干満は月と太陽の引力によって引き起こされます。経度にして90度ごとに満潮部分と干潮部分が交互に現れ、月の見かけ上の移動につれて、満潮などの位置も東から西に移動します。このため干満は、およそ12時間弱の周期になります。到着した夕方が干潮の場合、それから14~15時間後の翌朝も干潮になる可能性が高く、逆に満潮の時に到着すると、翌朝も満潮とのめぐり合わせになるわけです。

 天空にかかる月は、ほんのちっぽけな存在にしか見えませんが、大洋の海水を動かしてしまう力があるんですね。かつて、衛星通信が実現される前に、その月を反射体として利用した大陸間通信の実験が行われたことがあります。雑音だらけで遅延もあって、とても双方向の通信には使えないレベルであったように思います。地球上のどことでもインターネットを経由して瞬時に情報をやり取りできる現在からは想像もつきませんが、いろいろな可能性を試してゆく先人の努力には学ぶべきところも多いのではないでしょうか。

学問の神様菅原道真が愛した梅の花が咲く京都北野天満宮とその東側

2007-02-04 17:46:29 | 日本の町並み
 松竹梅の最後は梅ですが、梅の名所も水戸の偕楽園を始めとして各地に存在します。今回はこれらの名所の中から、受験シーズンであることも考慮して、学問の神様である菅原道真が祭られている京都の北野天満宮とその周辺を紹介したいと思います。

 松竹梅の梅は花を見るという位置づけですが梅には実を食べるという面も存在します。ただ、花を観賞する梅と実を採取する梅とでは品種が異なるようですが。春に咲く花として梅桃桜と並び称されますが、桜は簡単に区別ができますが、梅と桃とはどうもこんがらがることが多いように思います。梅は一節に花芽が一つしか付かないことで区別できるとのことですが、木を前にすると、識別法を忘れてしまいます。花芽が一つということから、梅のほうが地味な感じを受けますが、逆に凛として高貴な印象も与えているのではないでしょうか。

 北野天満宮は失脚した菅原道真の祟りで京都に災いを起こすのを鎮めるため天神(雷神)として祭ったものが始まりです。

境内に植えられた梅は道真がこよなく愛した花だったからで、九州の太宰府天満宮には、大宰府に左遷された道真を追って京都から飛んできたといわれる「とび梅」があるのも有名です。

 北野天満宮は京都の北西に位置しており、近くには嵐電(京福電鉄)の北野白梅町の駅があります。三条や四条などと比べると、人通りも少なくどことなくのんびりした感じを受けます。

 北野天満宮から東に向かうと市内最古の本堂を持つ千本釈迦堂(大報恩寺)があり、さらに東へ千本通りを渡ったところに奇妙なお寺があります。

釘抜き地蔵という寺で、お堂の前には大きな釘抜きが置かれ、所狭しと並んだ絵馬には小さな釘抜きが添えられています。

東京の巣鴨には刺抜き地蔵がありますが、ともに痛さを解消してくれるご利益があるとのことです。

 さらに東へ穂を進めると、西陣織の手織り体験工房の織成館(おりなすかん)があります。西陣の帯製業の店舗と住居が一緒になった建物は京町家の様子も伺えます。内部は織物の展示などのミュージアムに加えて小型つづれ機を用いた機織(はたおり)体験もできるようです。

 おなかが空いてちょうどお昼時ならば、南進して五辻通まで来ると鳥岩楼がお勧めです。14時までならばスープつきの親子丼が800円で食べられます。鶏の水炊きなどのお味は絶品との事ですが、お昼限定で手軽に町家風のお座敷でおいしいものをいただけるのは幸せな気分がします。

 かつての大型コンピュータは神のような存在であったように思います。空調完備の専用の巨大な社(やしろ)にデンと鎮座ましましていました。現在でも銀行の巨大システムなどでは、同じような存在感があるのでしょうが、筆者が学生の頃に利用した大型コンピュータの能力は、現在のパソコンにも及ばず、神の座を明け渡したのかもしれません。梅原猛氏によれば、日本では神として祭られるのは、失脚して抹殺された人物で、その祟りから逃れるためだそうですが、コンピュータの祟り?あるかもしれませんね。