世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

タイの第二の大都市チェンマイの鉄道駅は人の気配を感じませんが、文化センターで催されるは民族舞踊は華やかです(タイ)

2024-09-01 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は、タイの北部を南北に走るタイ国鉄の北本線の中間駅になるピッサヌロークを紹介しました。この南本線は首都のバンコクから北に750kmほど伸びていて終点はチェンマイになります。特急列車で11~13時間かかりますから表定速度が70km/hくらいということになり単線が多く設備もよくない路線としてはまずまずの速度かもしれません。今回と次回に分けてタイ北部の古都チェンマイを紹介します。

 チェンマイは、13世紀にラーンナータイ王国の首都として建造された古都で、現在は人口27万人のタイ第二の都市です。旧市街は1.5km四方程の城壁に囲まれていて、タイ国鉄の駅は旧市街の門の一つ、東のターペ門から東へ3kmほど、空港は旧市街の南西隅から南西に2km程にあります。城壁の中には多くの寺院があって、これらについては次回に紹介することにして、今回は国鉄駅周辺や旧市街の南にあるオールドチェンマイ文化センタなどを紹介します。

 
 
 
 チェンマイの駅は、タイ国鉄の最北端の駅で、北へ100km程行くとミャンマー都の国境、東北に150kmほど行くとタイ、ミャンマーそしてラオスとの国境が交わるゴールデン・トライアングルと呼ばれる麻薬の産地です。チェンマイ駅には寝台特急が2本、ディーゼル特急が1本、急行が1本、快速が1本それにローカル列車が1本と、発着併せて一日に12本の列車が来るだけで、とんがり屋根の立派な駅の割には閑散としています。観光客は飛行機で、地域の人の移動は長距離バスが担っているのでしょうか。ベトナムのハノイの鉄道駅でも同じような光景でした。駅前の広場には、スイスから移籍して活躍し引退をした蒸気機関車が静態保存されています。

 
 
 
 
 
 
 
 オールドチェンマイ文化センタは、旧市街の南門のチェンマイ門から南西に1.5km、東門のターペ門からでも2.5km程にある北部タイの文化を紹介する観光施設です。この文化センタで夕方18:30からカントークと呼ばれるダイニングテーブル二並べられた食事を食べながら民族ブヨウショーを見られるのがカントークディナーショーです。\2,800/人くらいの料金に食べられないくらい盛りだくさんの食事もついているので、割安感があります。会場は、板張りの講堂のようなところで中央に舞台が作られ、舞台を取り囲むように観客席があります。椅子に座る席と、床にあぐらをかく席とがありましたが、筆者は椅子席を選びました。民族楽器の演奏から始まり、タイ北部の民族舞踊が繰り広げられます。踊りては、観客席の中の通路を通って舞台に上がり、優雅な踊りを見せてくれます。舞踏の間には剣舞もありました。チェンマイに行かれたら、お勧めのプログラムの一つです。

 民族舞踊のショーは、東南アジアのどちらでも開催されているようで、ラオスやインドネシアそしてカンボジアでもお目にかかりました。ただ、その違いが何か?と言われると、もひとつ判然としませんが、共通するのは指先まで表情豊かに七以下を表現しているところのように思います。東洋の踊りは指先、西洋は体全体で表現するともいわれますが、まさしくその通りのようです。同じことを指先と体全体とで表現するときの共通がどのあたりにあるのか興味のあるところですが、コンピュータ二よる相関分析で解析可能でしょうか。筆者の現役頃の分析は文字化された材料の分析だけでしたが、これだけ映像の処理技術が進んだ現在では可能なのかもしれません。

世界遺産のスコタイまでは距離がありアクセスは困難ですが、かつての王宮のあったピッサヌロークはタイ国鉄の駅ができるだけのことはあるようです(タイ)

2024-08-04 08:00:00 | 世界の町並み
 世界各地の夜景を紹介してきましたが、夜行列車の車窓から見る夜景も旅情を掻き立てるものがあります。それが、外国であればなおのことですが、最近に乗ったタイ国鉄の夜行列車の乗車駅であるタイ中部のピッサヌロークを紹介します。この夜行列車は、北部のチェンマイから首都のバンコクまで走るもので、筆者は深夜にピッサヌロークから乗車してバンコクに早朝に着く6時間ほどの旅でしたが、暑い地方の通例で、利きすぎた冷房のために、ほとんど眠られませんでした。0時過ぎの発車のために、市内の昼間の観光が終わった後に時間が余ってしまって、居場所もありません。そこで、駅に近いホテルを予約して半泊まりをしました。かなりの安宿だったようですが、シャワーを浴びて、宵寝ができる充分の使節は備えていました。

 
 
 ピッサヌロークは、タイ国鉄が通っていないタイ中部の世界遺産のスコタイへの列車でアクセスする場合の入口ですが、70km以上も離れていて個人旅行では移動が不便です。このピッサヌロークじたいは世界遺産の街ではありませんが、かつて都のあった大都会です。長距離列車も、ピッサヌロークで機関区が変わるらしくしばらく停車します。

 
 
 
 
 
 かつてのチャン王宮跡は駅から北北西に2km程のナーンン川の右岸にありますが、草むらの中のところどころに基石が残っているくらいです。王宮の歴史を知るには王宮跡に建てられたチャン王宮歴史センタがあり、かつての王宮の姿を見ることができます。歴史センタの奥にはナレスワン大王をお祭りする寺院があって、現役寺院として参詣の人を多く見かけます。この寺院の周りにはおびただしい鶏の像が置かれていておような光景なのですが、そのいわれはわかりませんでした。また、手前にはワット・ウィハーントーンという寺院跡があり、ミニ・スコタイの感じで、大きな仏像も残っています。ナーン川を駅の方向に行くと、国道と交差する手前にはこじんまりとしたラックムアンの社があります。

 
 
 
 国道にかかる橋を左岸に渡ると、ワット・プラシー・ラタナ・マハタートがあります。こちらは観光寺院でもあり現役の信仰寺院でもあるために境内は多くに人出ごった返していて、お祭りの雰囲気さえします。回廊が幾つもあって、多くの仏像がずらりと並んでいますが、本堂にはタイで最も美しいと評判のチナラート仏が鎮座しています。境内には45度以上もあると思われる階段で上る古都ができる部っとなどもあって、ちょっと遊園地気分になれます。

 
 国道を駅の方に向けて横切るとワット・ラチャプー・ラナがあります。大きな仏塔と転法輪の目立つお寺でした。こちらも、何か仏教儀式があったのか、多くの人が境内にあふれていました。

 
 
 ホテルから駅へは夜中の11時過ぎの町並みを歩きましたが、町並みのあちこちがライトアップされ危険は感じませんでした。

 ピッサヌロークは20年以上も前にパッケージツアーで訪れましたが、その時にワット・プラシー・ラタナ・マハタートだったと思うのですが、参詣者が金箔を買って仏像に張り付けているのを見ました。今回も園光景を見られると思いましたが、ピッサヌロークではお目にかかれず、バンコクで同じような参詣方法を目撃しました。タイで見かける仏像は、どれも金ぴかで、金色に輝いている仏さまがありがたい、といった文化のようです。我が国の仏像もかつては金箔で覆われ同じような輝きを持っていたと考えられていますが、重文や国宝に指定されている仏像の大部分は採食や箔押しは剝がれて、構成の補修でも補われておらず、文化の違いを感じます。金は電気伝導率がよくさびないので、電子回路の接点につかわれます。かつて、廃棄された携帯電話が数多く眠る東京は大きな金鉱山と言われたこともありました。仏像に張った金は電気の伝導性が良いので、お願いもよく伝わるのでしょうか。

日本では治安の良さから夜景を見に行くのに危険は感じませんが、国が違えばホテルの窓からしか眺められない都市もあるようです

2024-07-07 08:00:00 | 世界の町並み
 アジアとヨーロッパの夜景に続いて、今回は最終回として北アメリカ、オセアニアそしてアフリカの夜景を紹介します。前回までと同様に、訪問してかつ夜景にお目にかかった都市のみで、けして網羅的なものではありません。

 
 北米からはカナダが3都市とハワイの夜景です。カナダの最初は、東寄りの世界遺産の都市ケベックの夜景です。河岸段丘から臨んだ町並みと、その向こうを流れるセント・ローレンス川そしてケベックのランドマーク的ホテルのシャトー・フロンテナックです。

 
 少し西に行って次はナイアガラ滝の夜景です、幸運にもホテルの窓から眺めることができました。

 
 最後は、世界自然遺産のカナディアンロッキーのバンフの夜景は絵本に出てくるようにかわいらしさがありました。

 
 北米大陸ではありませんが、ハワイの夜景はフラショーです。

 
 オセアニアからはオーストラリアのシドニーです。

 
 アフリカ大陸はチュニジアの4か所で、最初は首都のチュニスですが、ヨーロッパの都市と見まがうきれいさです。

 
 2番目はチュニジア中央の海岸に面したスファックスで、ちょっと南国風になります。


 3番目は、南部のリゾート・アイランドのジェルバ島で、ヨーロッパからの観光客であふれているホテルの夜景です。

 
 最後はスファックスの北に位置する世界遺産の円形闘技場のエルジェムと、ホテルで行われていた結婚披露宴の様子、イスラム世界では、新郎側の出席者は男性ばかり、新婦側のパーティーがあるのかどうかは不明でした。

 スファックを訪問したのは20年ほど前で、インターネットは普及しつつありましたが、スマホはまだ出回っていませんでした。このスファックスで、父の具合が悪いとのFAXを受け取り、あわてて国際電話を掛けた記憶があります。スファックスでファックスとしゃれみたいですが、電話の内容からは大事にはならなりませんでした。スマホの普及で、よほどの辺鄙な山奥にでも行かない限り、連絡がつくようになって安心ですが、現役の人の場合は、海外まで仕事の話が飛んで来て、気が休まらない問題もあるようです。ただ、このような風習は、どうも日本独特のようで、休日でも自宅に仕事の話で連絡が入るのは日本以外では考えにくいのだそうです。

ヨーロッパの夜景は、石づくりの建物が暖かい感じのオレンジ色に浮かぶ景色が多いようですが、北欧の白い雪景色の中にでの暖かい光はさらに格別です

2024-06-09 08:00:00 | 世界の町並み
 夜景の2回目はヨーロッパ編です。アジアと同様に消して網羅的ではなく、筆者が出会った夜景のみで、3大夜景のナポリやモナコは残念ながら含まれていません。ただ、どこの場所も特徴的な風景が楽しめる夜景でした。北ヨーロッパから順に南下して紹介しましょう。

 
 最北の都市はノルウェーのトロムソです。オーロラを見に行ったのですが、3泊しても位置にちょも晴れなくって、オーロラは見損ねました。写真は薄暮の頃の町の様子とホテルの様子ですが、絵本に出てくるようなかわいらしい町並みでした。

 
 北欧からもう一か国、デンマークの首都のコペンハーゲンの市庁舎前広場の夜景です。

 
 海を渡ってドイツを通り越しベルギーの首都ブルッセルの世界遺産に登録されているグランプラスの広場の夜景は豪華でした。カメラのフィルムが残ってないことに気が付いて、慌てて現地調達をして撮影した景色です。有名な小便小僧がグランプラスのすぐそばに板のが意外でした。


  
 旧東欧圏からは3か国、ハンガリーの首都のブダ・ペストの夜景はくさり橋と国会議事堂です。この夜景を見に行った時には、ガイドブックに注意書きがあったのと同じシナリオで窃盗に会いそうになりました。「ポリス!ぽりす!」といって近づきパスポートを見せろと言って金品を盗み取る輩です。

 
 次の国は、かつてのユーゴスラビアを構成していた国の一つのクロアチアの世界遺産の都市であるスプリトです。みなとのそばに城壁が伸びて、現役で使われて明るく輝いていました。

 
 旧東欧圏の最後はルーマニアです。首都のブカレストから列車で北に小高い丘の上にある世界遺産の町のシギショアラです。吸血鬼の伝説もある町ですが、小説のモデルとなった城は別の町にあるブラン城ですが、シギショアラには、ドラキュラのモデルとなったツェペシュの生家が残りドラキュラ料理が名物となっています。

 
 フランスは4か所もあります。パリではオルセ美術館とエッフェル塔です。エッフェル塔の写真は塔が建ってから百年の年で1989年、1889年に開催されたパリ万博で建てられたのがエッフェル塔で、最初は悪評さくさくでしたが百年後の現在ではパリの風景とに欠かせないものになりました。


 パリからTGVで南に、ディジョンの夜景は旧ブルゴーニュ公宮殿の夜景です。


 旧ブルゴーニュ公宮殿と同様に横に広がった建物の夜景が素晴らしいのがボルドーのブルス広場で、ここでは世界一の広さを誇る水鏡が景色をもりあげます。この水鏡は広さは世界一ですが、推進派わずか2cmだそうで、少ない水の量で大きな効果を得ているように思います。


 夜景になるまで待つのが大変だったのがカルカソンヌのお城でした。経度ではロンドンと変わらないほど西で、さらに夏時間ですからなかなか」暗くなりません。たしか、午後10時頃になってやっと薄暗くなって見切り札駅でした。

 
 ヨーロッパの西端のポルトガルの中でさらに西の端で、ユーラシア大陸の西の端というのがうたい文句のロカ岬が大西洋に断崖で落ち込んでいます。このろ過岬への観光拠点の人タウが、岬の南東に位置するカスカイスで、リスボンからジェロニモス修道院などを見た後に肝がん沿いに西に行ったリゾート地です。

 
 最後はイタリアの宗教都市のアッシジです。世界遺産の境界は地震で壊滅的な被害を受けたようですが、訪れた時には修復が終わっていました。

 カルカソンヌの夜景を見るために、あたりが暗くなるのを待つのが大変でしたが、スペインはもっと西にあるにも関わらずフランスと同様にヨーロッパ標準時ですから、夏の日没はもっと遅くなります。ただ、そこはよくしたもので、スペインでもポルトガルでも、食事の時間は日本人の常識から3時間以上も遅くなっています。これで、あくる日の朝から仕事になるのか疑問に思います。標準時を決めているのは、本来は地球の自転周期で、とんでもない時間に太陽が出て来ないようになっていますが、この自転周期というのはかなりふらつくので、現在ではセシュウム発信機を心臓部に持つ原子時計が世界標準時を刻んでいます。自転がふらついて、日の出時刻がおかしくならないように、地球の自転との差をうるう秒の挿入で補正してきましたが、これをやると、色々なIT機器の調整が大変で、今後はうるう秒の挿入は中止するようです。

不要な景色が闇に消えてライトアップされた部分だけが際立つ夜景は、どこの都市でも美しい風景のひとつです

2024-05-12 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は各国の朝焼けと夕焼けとを紹介しました。どちらの風景も空の様子だけでなく周りの景色に縁どられて、その地域でしか見られない朝焼けや夕焼けとなっているようです。夕焼から朝焼けの間には夜景が存在しますが、これは地上の建物などが照明二照らされて、自然が作る美しさとは違った輝きを放ちます。今回はアジアを中心に、次回はヨーロッパそして次々回はそれ以外の地域の夜景を紹介します。

 
 世界三大夜景は香港、函館、ナポリ、そして新世界三大夜景は香港、長崎、モナコとどちらにも入っているのが香港の夜景です。これらの夜景に共通するのは、ヤカノ上から海を入れた夜景が見られる点でしょうか。写真は45年ほど前で中国返還以前のもので、かなり退色して閉まっています。


 
 同じ中国で、海ならぬ川に夜景が映り込んで美しいのが天津です。

 
 中国でも内陸の世界遺産の城郭都市の平遥は、楼閣のライトアップとランタンがきれいです。
 
 同じく世界遺産の西湖は湖水に写る夜景ですが、ちょっと地味ですね。

 
 同じように湖水にライトアップされた建物が写る広州の夜景の方が美しいですね。

 
 かつての都の西安(長安)の夜景は、交差点の中央で輝いている鐘楼と鼓楼です。

 
 お隣韓国の大邱では、お祭りは夜に入って広場での仮面劇がライトに浮かび上がります。


 ベトナムでは、世界遺産のフエの王宮の門がライトアップされます。

 
 首都のハノイではホアンキアム湖に浮かぶ三重の楼閣があるかと思うと百貨店の派手なディスプレイに驚かされます。

 
 クリスマス前夜のホーチミン市では道路いっぱいにイルミネーションが飾られてびっくりしますが、人民医委員会庁舎のライトアップはアジアにいることを忘れます。

 
 メコン川の河口に近いカントーの夜景は、お寺と川に映り込んだイルミネーションです。

 
 ベトナムのお隣のラオスの世界遺産の古都であるルアンパバーンは夜市で有名ですが、夜市に行くついでに見られるのがお寺やコロニアル・ホテルのライトアップです。

 
 シンガポールの夜景は、泊まったホテルのもので、アジアには少ない派手さがあるように思います。

 
 シンガポールのお隣のマレーシアの世界遺産の古都であるマラッカでは、年末であった正でしょうか交差点の上に竜が待っていました。世界遺産の教会はファサードをライトアップされて静まっていました。

 
 首都のクアラルンプールでは、海の産物のエビと陸の産物のドリアンが露店の店先でライトに照らされて自己主張をしていました。

 
 マレーシアのボルネオ島にある世界遺産のムル二あるリゾートホテルの夜景でしめくくりです。

 筆者の故郷の神戸では六甲山から見える夜景を百万ドルの夜景と言いました。NHKがTV放送を始めた1953年に生まれた言葉で、その後は観光地のあちこちで使われるようになりました。六甲山から見える神戸の電灯の1か月の利用料が100万ドル(当時のレートで3.6億円)程度であったという説が有力ですが、その度は電灯の数が増え電気料金も上がったことから一千万ドルの夜景と言い直されています。言葉が生まれたころの電灯は白熱電灯でしたが、やがて蛍光灯を経て現在ではLEDライトに置き換わっています。また、円とドルとのレートも変わっていますから、現在の神戸の夜景は果たして何ドルくらいなのでしょうか。

夕焼けは明日が晴れ、朝焼けは天気が下り坂と言われますが、どちらも自然が作るカラフルなショーです

2024-04-14 08:00:00 | 世界の町並み
 前回は各地で開かれる青空市を紹介しましたが、今回は各地の青空になる前の朝焼けと、青空の後の夕焼けを紹介しましょう。アジア→ヨーロッパ→アフリカ→オセアニア→アメリカの順です。


  
 中国からは、世界遺産の西湖に沈む夕日れと蘇州の灯りがともりだした夕暮れです。


 
 ベトナムでは、世界遺産のフエと南端のフーコック島の夕日で日中の暑さが和らいだころです。

 

 
 インドネシアからは、世界遺産のボルブドゥールの朝日と夕日を、バリ島では海に沈む夕日です。

 

 マレーシアではボルネオ島のコタキナバルの市場から海に沈む夕日で、こちらも少し暑さが和らいだころです。世界遺産のペナンでは喧騒が始まる前の朝焼けです。


 

 ラオスでは、カンボジア国境に近いシーパンドンでメコン川から昇る朝日と、シーパンドンへの基地となるパークセーの夕日を、世界遺産の街のルアンパバーンではプーシーの丘からの夕日です。


 カンボジアでは、国旗にもなっている世界遺産のあんこーるわっとの日の出です。

 
 北欧のフィンランドの東北部にある数多くの湖に白夜でなかなか沈まない夕日はコリでの風景。

 
 フランス南西部の世界遺産のカルカソンヌではなかなか日が沈まなくて夕焼けを撮るのに苦労しました。


 アフリカの地中海沿岸の国、チュニジアでは砂漠のオアシスのクサールギレンで砂漠に沈む夕日がきれいでした。

 

 オーストラリアでは、世界遺産のグレートバリアリーフの海から昇る朝日と、やはり世界遺産のシドニーのオペラハウスに沈む夕日です。

 
 カナダの世界遺産のバンフで見た夕日は空一面にピンク色の雲が広がっていました。

 
 おまけで、わが国の明石架橋の夕焼けです。

 夕日や朝日は昼間の太陽よりも大きく見えます。また太陽だけでなく月も地平線近くでは大きく見えます。これは錯覚のせいで、実際には大きさは変わりません。ただ、月の場合は地球との距離が変化shじ、時期によって見える大きさが変わりますが、1日の中で大きさが変わるというものではありません。この錯覚を起こす理由は諸説があって定まりませんが。地平線近くには山や町並みなど太陽の大きさと比較できるものがあるために大きく見えるという説や、人間の認識している空というのは、半球ではなく上下に扁平な卵型になっているそうで、太陽までの距離は天頂より地平線にあるときのほうが遠いはずなので、見かけの大きさは小さいはずが同じなので相対的に大きく感じるという説などです。デジカメなどで撮影すると、昼間の太陽や月も夕日などと同じでしょうが、人間の目と頭脳には錯覚があるから面白いのかもしれません。

国が違えば青空市に並ぶものも多彩ですが、やはり果物や野菜など生鮮食料品が多いようです

2024-03-17 08:00:00 | 世界の町並み
 いろいろな夜店が集合して、観光客でごった返すのがシンガポールなどの夜市でした。夜市は、台湾の台北や台南、マレーシアのコタキナバル、ベトナムのカントーなどなど、アジア圏に多く見られるように思います。一方、昼間に露店で店が開かれる青空市場は、アジア圏でも気かけますが、欧米に多いように思います。生鮮食料品は、スーパーで買うのではなく青空市場が流通拠点になっているのではないかとも思いますし、物価の高い国であっても我が国と比べて驚くほど安く売られているようです。今回は、写真に残っている青空市を順不同に紹介します。

 まずは、夜市が多いアジア圏です。アジア圏では、野菜や果物だけでなく肉や海産物なども多く売られているようです。

 
 香港では、半ばさばかれた肉が肉がぶら下がっていたり、豚の頭が転がっているのも見ました。店頭でさばいているのはスッポンのようですが、実物をチェックする中国の人の風習でしょうか。

 
 マカオでも、店頭で作ったり切り分けたりしていました、香港に近いので似ています。

 
 ベトナムは、南部に近いカントーでは夜市も盛んなのですが、どちらかというと観光客向けで、市民の台所は朝市で数多くの店とお客でひしめいていました。メコン川で採れた海産物と南国の果物が目立ちます。

 次にアフリカのチュニジアでの風景です。

 
 首都のチュニスでは、青空市場というより通常の市場に近いのですが、体育館のようなところに露店風に雑然と果物屋野菜が並んでいます。色々な豆が麻袋に入れられて並んでいる店もありました。

 
 南部の砂漠地帯のタタウィンでは、半ば観光客用もあるのでしょうか、砂漠のバラと呼ばれる塩の結晶や、遠くから見ると絵の具のパレットかと思うような香辛料らしきものなどがありました。

 美食にのフランスですが、パリの青空市は多彩な商品で有名で、骨董や古書、映画シャレードのシーンに出てくる切手など。
冬のパリでお目にかかったのは青空ならぬ灰色の空の下の花のお店でした。



 
 
 フランスは芸術の国だけでなく農産物の生産量が大きな国の一つです。南部に行くと、青空市場という集合体でなく移動販売で新鮮な果物が安く手に入ります。プロバンスの有名な朝市では、色とりどりの果物や、野菜などの農産物に混じってフランスパンも売られていましたし、古着らしい服もたくさんぶら下がっていました。

 
 ヨーロッパの南部のクロアチアのスプリトでも農産物と服が売られていました。こちらは、世界遺産の城壁に寄りかかるように店屋が並んでいます。

 
 イベリア半島のポルトがの第二の都市のポルトでは、東洋で見かけるようなシーンにびっくりしました。子犬や鳥が売られている様子です。愛玩用だと思いますが、鳥の一部は食用でしょうか。

 
 ドイツには初夏に行きましたが、マインツで売られていたのはアスパラガスで、この時期の美味を代表する食材で、レストランにも季節のメニューとして並びます。

 
 ドイツのお隣のルクセンブルグでは、香辛野菜が多く並べられ、お隣には花もあったようにも思います。細長く茶色の野菜は玉ねぎのようですが、一見すると水仙の球根?水仙だと毒草のはずです。

 
 北欧のフィンランドの西部にある世界遺産の町のラウマでは、訪れたのが初夏だったせいか青空の下に花でいっぱいでした。もちろん野菜などもたくさんあって、天気が良くって気持ちの良い風景でした。

 日本の野菜や果物は石油の塊だって言われることがあります。季節外れのものを高く売るために、ビニールハウスを作り石油などで暖房をして無理やりに寒い時期に暖かい季節のものを出荷しようとしています。ビニールハウスのビニールは当然に石油製品ですから、暖房の石油と合わせて石油の塊を高い金を出して食べさせられているわけです。イチゴなんぞは、本来の初夏の頃にはあまり見かけず、お正月前後にどっと出回ります。資源のない国で、こんな不自然って、おかしいとは思いませんか。フランスでは、あまりビニールハウスを見かけませんでしたし、他の物価の高さとは逆に、野菜や果物は、どこかの国に比べて驚く安さです、自然に逆らわない栽培だからではないでしょうか。

観光資源としては、さほど満足できませんが、シンガポール独特の目新しさを追求した資源があるかもしれません(シンガポール)

2024-02-18 08:00:00 | 世界の町並み
 コタキナバルの海に面したナイトマーケットは、市民の台所としても、観光客の屋街レストランとしても便利な場所で、規模も大きなものでした。ナイトマーケット(夜市)は、台北でもお目にかかり、マレーシアのクア・ラ・ルンプールやベトナムのカントーでもにぎわっていました。東南アジアでは広く普及している夜市ですが、おそらく筆者が初めて夜市を訪れたのはシンガポールだったように思います。今回は、夜市の写真は残っていなかったのですが、何度か訪れたシンガポールのうち、20年ほど前にマレーシアのデサルビーチに行く途中に立ち寄った時の写真をもとに紹介します。

 世界遺産のシンガポール植物園の紹介の時にも書きましたが、シンガポールは観光立国と言っている割に、観光客には不便で、さほどの観光資源も少ないように思います。大きな空港を持つので、他の観光地への中継基地的な存在のように思いますが、とりあえずはガイドブックに載る目新しいものを中心に観光ポイントを取り上げてみます。

 
 
  20年前の当時に2つの目新しいと思われるものがありました。一つはナイトサファリで、もう一つはダックツアーと呼ばれる水陸両用の観光ヴィークルでした。ナイトサファリは、夜間だけ開園をしている、おそらく世界で唯一の動物園でしょう。訪れたのは20年以上も前ですが、調べてみると以外の早くに開園していて1980年で、2022年には来訪者が1億人を越えたのだそうです。夜間の動物園なので、来園者は自由に歩き回れるわけではなく、ゲートを入るとトラムが停車していて、これに乗り込みます。跡はトラムの中から夜の動物の様子を眺めることになりますが、当時のデジカメは感度がさほど高くなく、ブレで何が写っているのはよくわからくなってしまいました。

 
 
 一方の、ダックツアーは、訪問当時は開始早々だったようですが、そもそもは第2次大戦で数多く使われた水陸両用車両をベースとしたもののようで、外観は大型のボートのようですが、船底部分に4つの車輪がついています。船として浮かんでいるときは、大型のモーターボートのように見えますが、陸上に上がってくると異常に車高の高い車で、かなり威圧感があります。陸上の観光と海からの観光とが乗り換えなしで楽しめ、ボートとしては船足も遅く、物珍しさがだけ取柄で、高い乗車料金を取っているようです。日本でも神戸を皮切りに東京湾などで運行しているようですが、さほどの人気はなさそうです。

 
 
 
 
 シンガポールの観光は、買い物を除けば、マーライオンの像がある海岸一帯のようですが、このマーライオン像は、かつて3大がっかりと悪評されましたが、大きくなって海に向かって水を吐くようになって汚名返上したようです。シンガポールと言えば、イギリスから派遣され植民地支配を行ったのがラフルズですが、腕組みをした偉そうな像が立っていて、これも観光ポイントになっているようです。

 
 
 このラッフルズのな目を冠したホテルは長くシンガポールを代表する最高級ホテルで、宿泊するには庶民としては敷居が高いのですが、アフタヌーンティでレストラン利用すれば、ちょっぴり満足感が得られます。

 シンガポールを見ていると、世界に類を見ない実験国家のように思います。極端に進んだ電子化もそうで、紙の入国カードも廃止して、例外を認めない電子申請ですし、乗り物の乗車券もICカードのみのようです。電子化に着いてゆけない老人は切り捨てたのかもしれませんが、平均年齢が若い国だからでしょうか。ただ、高学歴の両親の子供を優遇するなどの政策は賛同できます。どこかの国のように、格差はいけない、など悪平等では、努力したり優秀な人間は報われません。そうすると、極論すれば優秀な人間は、優遇してくれる国を求めて国を捨てて流出し、残るのは努力しない人間ばかり、これでは誰が国を支えていくのでしょうか。シンガポールの状況を見守りたいと思います。

三大モスクも魅力的ですが、コタキナバルには人工物以外にもラムサール条約認定のウェットランドなどの自然もあります(マレーシア)

2024-01-21 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はコタキナバルの三大モスクを紹介しましたが、今回はコタキナバル市内にある博物館などの見どころを紹介します。

 コタキナバルの市街地は、北西の海に面して北東と南西方向に幅4km長さ6km程の斜めの広がりをもっています。南西端にコタキナバル国際空港があり、クア・ラ・ルンプールなどとの国内線だけでなく便数は少ないものの日本との直行便も飛んでいます。マレーシのボルネオ島は、自治権を持っているため、クア・ラ・ルンプールからの便は国内線ですが、到着するとパスポート・コントロールがあります。

 
 
 この空港の近くにあるのが博物館で、とんがり屋根で広い空間を持つ建物が建っています。展示は民族の歴史が中心だったように思いますが、入口から広がるメインホールには恐竜の骨格模型まであります。屋外には、かつて走っていた機関車や客車それに自動車などの乗り物も展示されています。

 
 
 
 町の中央当たりの海沿いにあるのが巨大なマーケットで、地元に暮らす人の台所と観光客の土産やレストラン需要を満たしています。魚、野菜それに果物と市場の中は売っている商品ごとに区画されていて、買うものが決まっていれば、区画を狙い撃ちをして、いくつかの店で商品を比べることができます。海に一番近いところは食堂のエリアで、海鮮料理が手ごろな値段で食べられるので、夕方ともなると、どこからもなく観光客がわいてきて集まってくるようです。宿泊したホテルの近くからも、車の多い道路を渡ることなく横断歩道橋が伸びてアクセスを確保していました。市場は、西向き海に面しているため、天気が良ければ、海に沈む夕日を眺めながら夕食ということもできます。

 
 
 一方、海とは反対側には、シグナルヒルという小高い丘があってコタ・キナバルの中心街の見晴らし台になっています。丘の麓には1905年に建てられた真っ白の姿が美しいアトキンソン時計塔が建っています。若くしてマラリアに倒れた初代の群長を記念して、母君が建てられたそうです。

 
 
 

 
 シグナルヒルの背後には、2017年にラムサール条約に認定されたコタキナバル・ウェットランドがあります。かつてコタ・キナバルの沿岸には広大なマングローブの原生林がありましたが、都市化のために、原罪では、このウェットランドにその面影を残すのみになっています。ウェットランドの広さは24ヘクタールですから新宿御苑の半分くらいの広さのところに、32種類ものマングローブの原生林が広がっています。内部は広大な湿地ですが木道が整備されてて、歩き回るのには困りません。マングローブの木々だけでなく、サギなどの鳥やサルを見かけることもあります。

 マングローブは特定の種類の樹木ではなく、汽水エリアに塩水の環境下で育つ樹木の総省を指すのだそうです。熱帯から亜熱帯に分布して、日本では種子島が最北の生育地で、ここは世界でも北限だそうです。マングローブも、ごt分にもれず伐採が進み、地球温暖化に影響を与えているそうです。地球温暖化を防ぐために、再生可能エネルギーを増やす掛け声が声高ですが、なぜかエネルギーの効率的な使い型にはあまり力が入ってないように思います。これだけAIとやらが発達しているのですから、コンピュータ制御によってエネルギー消費の最適化は難しくなさそうなのですが、このことは政治家にとって金にならないから力が入らないのでしょうか。

コタキナバルにある3つのモスクはバスで回るには難しいですが、外観もみんな違って個性的です(マレーシア)

2023-12-10 08:00:00 | 世界の町並み
 前回はボルネオ島のジャングルの中にあるムルリゾートを紹介しました。周りには空港ぐらいしかないようなジャングルの中に忽然と現れるリゾートは不思議な存在でした。今回と次回は、そのムルリゾートに飛行機が飛んでいるマレーシア第2の都市のコタ・キナバルを紹介します。今回は、コタキナバルにある3代モスクを中心に、次回はその他のコタキナバルを紹介します。

 コタキナバルは、首都のクア・ラ・ルンプールから飛行機で2時間ほど、島の北側がマレーシア領になるボルネオ島の北東、南シナ海に面する都市です。ヴェトナムは、日本との時差が2時間ありますが、首都のクア・ラ・ルンプールがヴェトナムよりも西にあるマレーシアは1時間の時差です。いつも不思議に思ってましたが、ずーっと東のコタキナバルなどがあるために1時間になっているのではないかと思いました。

 首都のクア・ラ・ルンプールは地下鉄などが発達していて、旅行者には便利なのですが、コタキナバルはバスしかなく不便でした。これを救ってくれたのが配車アプリのGRABで、ベトナムに行く時に利用登録しようとして失敗しましたが、今回は完全にGRAB頼りでした。今回紹介の3か所のモスクは、州立モスクが市街の南に、市立モスクが北に、マレーシア大学のモスクはさらに北と分散していて、公共バスでは時間がかかりそうです。

 
 
 
 州立モスクは、博物館の南西にあって、博物館がある丘からドームとミナレットが遠望できます。博物館から直線距離ではさほどではないのですが、マレーシアは車社会なのか、交通システムが歩く人に対して考慮されてなく、目の前の場所にたどり着くのに一苦労します。こちらのモスクは白と金色を基調にしていて、気品を感じますが、巨大なモスクの中は外からうかがうことはできますが、残念ながら信者以外は立ち入ることはできません。

 
 
 
 一方、市立モスクは、入口で信者の着る礼服と帽子を貸し出してくれ、これを着用して入堂できます。こちらのモスクの外観は白、緑などで、周りを囲む池に写る姿もきれいですが、内部はもっときらびやかです。海峡では動物や植物などを模様にできませんから、いわゆる幾何学的なアラベスク模様とアラビア文字で壁が装飾されています。床にはメッカの方角を示しているのでしょうか、八角形の星マークが描かれています。

 
 
 
 三番目の大学モスクは広大なマレーシア大学コタキナバル校の構内に建っているモスクでピンクモスクの別名を持っています。その外観は明り取りの白い窓以外は、全くピンクそのもので緑の木立に映えます。こちらの受付は、どうも学生のようで、服装も露出の多いもの以外は問題なく、女性用のスカーフだけが貸してくれます。市立モスクと同様に、モスクの中は祈りのためrの空間があるだけで、体育館のような雰囲気です。仏像やキリスト像などの偶像類は当然に無く、柱さえありません。
 コタキナバルの市内の移動ではずいぶんとGRABにお世話になりました。スマホのアプリを起動して、どこから、どこまで、のでーたを入れると、近くにいる車を配車してくれます。前もって料金も表示され、支払いもクレジットカードで嘉納ですが、タクシーではないので、該当の車が来ても判別できないので、表示されるナンバープレートの番号が頼りです。車の位置もGPSを使って、どこまで来ているか分かるので、目的の車を見つけるのはさほど難しくありません。ただ、旅先で合った方は、エジプトで配車アプリを使ったけれど、ナンバープレートの文字がアラビア語で読めなくって困ったそうです。配車アプリではドライバと料金交渉は要りませんが、英語が通じないシーンも多く、翻訳アプリも欠かせません。また、シンガポールへの入国は電子申請しかなく、海外旅行ではスマホ必携になってしまったようです。