シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

秋葉原で64年!

2013-09-25 | 巷のニュース

「秋葉原ラジオストアー」というところが、本年11月末で閉館するという。

昭和25年3月の設立以来、64年の永きに亘り、秋葉原の草分けとしてエレクトロニクス業界の繁栄とともに、電機電子関連部品及び機器等々のテナント販売を行ってまいりましたが、現在も大きな変貌を遂げつつあるこの秋葉原に、今後新たな発展への願いと感謝を込め、ここに一つの時代の役割を終える事に致しました。
Webから抜粋 → http://www.akiba-rs.co.jp/index.html

私よりも年上だし、江戸っ子でもないし、電気っ子でもないので「秋葉原ラジオストアー」というのがイマイチピンとこない。場所を確認すると、「アキハバラデパート」の次の区画だった。

といっても、アキハバラデパート(昭和26年開店)自体、平成18年に閉店している。幾度も行ったことはないが、屋外での実演販売は印象に残っている。ここは今、改築して「アトレ秋葉原1」になっている。まぁ、それはさておき・・・


Webによると、秋葉原ラジオストアーが設立したのは、「露店撤廃令により、仕事の拠点であった須田町界隈の店舗を失った有志が団結、さまざまな交渉の上やっと手に入れた秋葉原高架下の店舗であった。 」という。

露店撤廃令?「秋葉原電気街振興会」のWeb(http://www.akiba.or.jp/history/2.html)によると・・・
神田小川町から神田須田町界隈の露天商だけは、昭和25年頃120軒あった露店のうち約50軒が電器商であったという。まさに「電気街」の様相を呈し始めた。
戦後の混乱が収束していく中で、日本の復興を図るには各種の社会インフラの充実が必要と考えたGHQ(占領軍総司令部)は、主要道路の敷設、拡幅を実現するために昭和24年に露店撤廃令を施行し、露天商の移転を命じた。

東京都は国鉄と協力し、露天商に秋葉原駅のガード下に代替地を提供し、昭和24年に高架線直下にラジオストアーが開店した。翌昭和25年から露天商の移動が始まり、組合単位で、ラジオセンターが開店、通りを隔てた高架線横に東京ラジオデパート、そして翌年には万世橋のたもとにラジオガアデン、センターの隣には2階建ての棟割り長屋式の秋葉原電波会館が建設され、軒をつらねた。
こうして、現在のような、中央通りと、JR秋葉原駅電気街口周辺の電気店から構成される「秋葉原」が出来上がっていった。

つまり現在まで続いていた秋葉原ラジオストアーは、『電気の秋葉原』の生き字引ということだ。そりゃ~ニュースになるわけだな。長い間お疲れさまでした。


ところで、昭和25年(1950年)という年は何があったのだろう?気になったのでカチャッてみると・・・
 ・寿屋が「サントリーウイスキー オールド」を発売
 ・桃屋が「江戸むらさき」を発売
 ・エスビー食品が「エスビーカレー」を発売。
なるほど~少し身近になってきた。

 

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4 コメント

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秋葉原電気街 (kawa)
2013-09-26 08:46:23
懐かしい響き、言葉ですね。昭和も象徴と言っても過言ではないですね。
大学が近かったので、下宿している友達が電気製品を買うときは、必ずここでした。(本編の記事はラジオストアーでしたが)
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Unknown (ディック)
2013-09-27 21:07:14
ははあ、このあたり、四十年とちょっと前、理工学部の友人に連れられてうろうろとしていました。
7号のオープンリールの生テープが、破格の値段で入手できました。
通っては買って、FMのエアチェックをやってました。
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kawaさん こんばんは (KAEDE)
2013-09-29 00:58:05
秋葉原といえば電気街、電気街といえば秋葉原でしたね。
今は、どちらかというと○○○の街でしょうか。
結婚した頃、照明を探しに行きました。
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ディックさん こんばんは (KAEDE)
2013-09-29 01:07:29
オープンリールですか~私にとっては一昔のことで・・・。
大型電気店が方々にできて電気製品に不自由しませんが、
部品となると、まだ秋葉原なのでしょうかね。
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