因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座プラチナネクスト 第25回公演『どんぶりの底』 

2021-11-20 | 舞台
*戌井昭人作 所奏演出 公式サイトはこちら1,2,3,4,5,6)中目黒キンケロシアター 21日まで 戌井作品のblog記事→(1,2,3,4
 春は渡辺えり、夏には三島由紀夫に挑んだプラチナネクストが、今度は戌井昭人がゴーリキーの『どん底』を翻案した作品を上演した。隕石が落ちてできたどんぶりの底のような場所に建つ貧乏長屋が舞台だ。長い暖簾が掛けられた各部屋の扉が斜めに並び、その前でまさに「どんぶり」を使ってサイコロに興じたり、木彫りの熊を掘ったり、掃除をしたり、壁を支えたりといった人々が登場する。

 『どん底』はこの春の劇団民藝公演が記憶に新しい。民藝も翻案舞台だが、戌井昭人の場合、物語の設定や人物の造形も、比較することがほとんど無意味に思えるほど(よい意味です)伸び伸びと自由自在で、「翻案」の枠を大きく飛び出している。原作に何かしら思い入れがある場合、改変された箇所がほんの一部であっても作り手の自己主張が透けて違和感を覚えることも少なくないが、戌井と所奏のコンビには独特の軽やかさがあり、これまで体験した『どん底』に左右されることなく味わえる舞台となった。

 たとえば木工職人の妻は重い病で、乳母車のような乗り物に入れられ、自分の足で歩くことはおろか、いつも咳き込むために、咳で会話している。原作では無残に亡くなるのだが、今日の彼女は嘘のように回復し、終盤ではジョギングをしているのである。あまりの変貌が心地よい。また「アル中の女」(原作では「役者」)が自死するラストについて、確かに衝撃的であり、最後の最後にこのような悲惨の極みは重すぎる。しかしそれすらさらりと見せて、べたついた情緒がない分、オリジナルの『どん底』とは異なる不気味なイメージの終幕となった。が、木工職人の妻が別人のように元気になったのだから、アル中の女もけろりとして、また酒を飲んでいるのではないかという妄想もわくのである。
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