*ユニットの公式サイトはこちら (1,2,3)13日まで 中目黒キンケロシアター
文学座の大滝寛の演出で、久保田万太郎の短編戯曲「一周忌」「補助椅子」「好睛 」を久保田組、万太郎組の2バージョン交互上演する。久保田組を観劇した。
文学座の大滝寛の演出で、久保田万太郎の短編戯曲「一周忌」「補助椅子」「好睛 」を久保田組、万太郎組の2バージョン交互上演する。久保田組を観劇した。
今回の公演には人物の配役に加えて「案内役」が登場する。来場の挨拶に始まり、久保田万太郎という劇作家、作品の特質などを柔らかな口調で完結に解説ののち!最初の演目「一周忌」のト書きを朗読して観客を舞台に導く。万太郎作品のト書きは、作品の情報として非常に重要な内容であることが少なくない。本作では時や場所の説明に始まり、おきくが暮らす部屋の様子を「一ト目みて、かの女の、つゝましく、心弱く、日々をおくつてゐるさまの感じられるなかで、ならんだ諸道具の、以前の栄耀を心なく語りがほなのがさびしい」のように、まことに美しく情趣に富んだ描写がなされている。これが観客に知らされないのは何と残念なことか。さらに、作り手はどうすればこの趣を舞台で表現できるのか、受け手は感じ取ることができるのか等々、悩ましくもあるが、それだけに演劇の楽しみが増すところなのである。リーディング公演でなければ観客はト書きを知ることはないという思い込みを、今回の趣向はひらりと躱し、自然で気持ちの良い導入となった。
★「一周忌」…昭和3年発表。これまで数回観劇したことがある演目だ(1,2,3,4)。若く美しいおきくの亡夫の一周忌の日。おきくは保険勧誘員の川本という男と向き合い、彼の話を一方的に聞かされている。相手が自分の話に興味を持っているのかなどお構いなしの饒舌で、聞かされるうちに、何と無神経で無頓着な人物だとだんだん不快になってくるのである。膨大な台詞をあるときは立て板に水、またあるときはしんみりと語るのであるから、演じる俳優は高い技術を必要とされる。が、そうして見事に語れば語るほど、観客から疎まれるのだから、熱演が報われない気の毒な役柄…というのがこれまでの「川本観」であった。
今回川本を演じたのは岩間太郎である。茶色がかった銀髪にベージュ色の夏物のスーツをすっきりと着こなした男前。外見だけでなく、万太郎作品の台詞の特徴として、「……ちッとも存じませんでした。……とんだこッて、しかし……」といった目で読むと語順に違和感のあるところがあるのだが、このあたりも呼吸のように自然に発し、扇子の使い方、あいだで水を飲む所作等々も堂に入っている。川本はおきくの姉のおゑんから追い出されるように退出し、そのあともさんざん悪く噂されるのだが、岩間太郎の川本には、これまでのこの役のような嫌な印象はほとんど感じられなかった。川本の目的はおきくへの保険勧誘である。商売の話をし、おきくに下心もあるのだろうが、それが下品な表現にならないのは、演じる俳優の恵まれた資質と演技への努力であり、俳優の資質と役柄を考え併せて配役した演出家の手腕、作品に対する視点であると思う。
とすると、これまでの川本は何だったのか。そもそも万太郎はこの人物をどんな意図を以て登場させたのか。この役は本来どう演じるのが適切なのか…と考えはじめるとだんだんわからなくなってきた。ひとりの人物の性質が変容したのである。これが今回の「一周忌」観劇の最大の収穫であり、今後の課題となった。
★「補助椅子」…昭和8年発表。上演中の大劇場のロビーで繰り広げられる男女4人の人間模様。劇場のドアや照明を効果的に使い、痴情のもつれが錯綜する様相を鮮やかに見せた。「案内役」はここではまさに劇場の案内嬢となる。
★「好睛」…昭和9年発表。どこかの家のお手伝いさん風に装った「案内役」が、庭を掃除する手を休めて万太郎の「猫の目」を朗読する。元花柳界にいた3人の女性は、いずれも夫を失った。彼女たちの過去はすべて台詞で語られるため、非常に情報量の多い作品で、少々骨が折れる。しかしそれらが「説明」ではなく、一人ひとりが抱えた物語だと次第に感じられるようになり、締めくくりにふさわしく、味わい深い舞台となった。
客席は一つひとつ透明シートと透明板で仕切られた上に、あいだをひとつずつ開けて着席するという徹底ぶり。透明な函に入って舞台を観るようで、はじめのうちは少々居心地が悪かったが、感染予防への徹底した取り組みの姿勢に頭が下がる思い。すべての公演の稽古が順調に進み、無事に開幕して無事に終わりますように。公演に関わる方々の努力が報われますように。
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