因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝公演 『どん底-1947・東京-』

2021-04-14 | 日記
*マキシム・ゴーリキー原作 吉永仁郎脚本 丹野郁弓演出
公式サイトは こちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASIMAYA 18日まで
 コロナ禍のために、直前で延期となった劇団創立70周年公演が満を持して開幕した。劇団機関誌「民藝の仲間」掲載の出演者の対談や劇団のyoutubeチャンネルのインタヴューいずれも、稽古の最終日に延期が決まったときの喪失感や、1年を経て新たに得た気づきや温めてきた思い、1年間「役を寝かせる」ことで、演じる人物の感情が自身の中に入ってきた実感などが縷々語られている。演劇創作の現場の状況、関係者の心象は察するに余りあるが、「お待たせしました」「やっとご覧いただけます」という熱意を確と受けとめたく、足を運んだ。

 ゴーリキーの『どん底』の初演は1902年、モスクワ芸術座である。帝政ロシア末期の木賃宿に暮らす人々を描いた物語だ。日本では1910年、小山内薫と市川左団次による自由劇場の上演を皮切りに、つまり100年以上にわたって多くの劇団が上演している演目である。劇団東演、俳優座、文学座そして民藝も創立10周年、40周年の節目に上演してきた。自分は85年、無名塾公演のゲネプロを観劇する機会があり、その印象は今でも強く残っている。「どん底」とは、いちばんしたの底、ものごとの最低、最悪の状態という意味といい、「どん底」という語感といい、まさに「どん底」としか言いようがない。何と身も蓋もない言葉であろうかと思う。しかしそんな名前を持つ物語が、なぜ上演され続けているのか。

 民藝3度めの『どん底』は、サブタイトルにある通り、敗戦から2年後の1947年の東京・新橋の焼け残りのビルの半地下が舞台である。いわゆる「翻案」であるが、1929年生まれで敗戦時17歳だった作家の吉永仁郎が「あの敗戦の混乱の時代に見聞きし体験した小さなエピソードが無数にあります」(公演パンフレット寄稿より)と語るように、原作の構造を借りて敗戦国の様相を容赦なく描いた創作劇だ。

 ベテランから中堅、これが初舞台の新人まで総勢16名の群像劇だ。これまでいろいろな舞台を観ているなかで、覚えておきたい人物(演じ手)について記してみると…。

 半地下の木賃宿にふらりとやってきて、事件のどさくさに紛れていなくなってしまう「爺さん」の杉本孝次が味わいのある造形だ。病んだり荒んだり自棄になったり塞ぎこんだりしている人のそばにいつの間にか居て、話を聞いてやっている。彼には相手の心を素直にさせるものがあるのだろう。どういう相手にも絶妙な返しで応じるのだが、杉本の口調や表情には説教がましいところがなく、嫌味にならないのが魅力である。

 かつては多くの贔屓客がいた靴屋(本廣真吾)は病む妻(野田香保里)を抱え、いつも不機嫌な顔で黙々と靴の修理をしている。妻が死んで茫然自失となるが、そこから思いがけず一歩を踏み出そうとする表情に惹きつけられた。妻の死は、彼に一種の解放感をもたらしたのではないか。妻が生きているときにあの笑顔を見せられなかった彼の心のうちを思う。公演パンフ記載の出演者座談会によれば、本廣はこの役を演じるために、当時靴職人だった方に話を聞きに行ったそうである。その方は今回の舞台を観劇される由、嬉しいエピソードだ。

 テーラーと呼ばれる仕立て職人(斎藤尊史)は妙に物腰の柔らかい、ちょっと変わった人物である。ミシンがないので腕を振るえず、質の悪い糸に手を焼いているが、傷痍軍人のふりをして金を稼いだりとしたたかな一面があったり、その一方で毎晩ラジオの「尋ね人」を頼りに、空襲で行方不明になった妻子を探し続けている。この人は軽妙な振る舞いのなかに、悲しみや怒りを封じ込めているのではないだろうか。それを知りたいが、そっとしてやりたい気持ちもあり、さまざまな思いを抱かせる人物である。

 金も物も無いが、その言葉で人々の心を和らげていた爺さんは、彼らにとって救世主のような存在だったのかもしれない。その救世主(キリスト)の誕生を祝うクリスマスに爺さんは居ない。べたついた余韻を残さないこともこの人物の好ましいところでもあるが、人々にとって唯一希望の象徴であった特高帰りのシンちゃん(橋本潤)と、大家の女房の妹テル子の恋の顛末が台詞だけで語られることなど、少し物足りないところもある。

 しかし、どの俳優も演じる人物の芯を捉え、作家が台詞に込めたメッセージを自分の肉声とからだで客席に届けられるよう勤めていることが伝わり、凡庸な印象がない。延期が決まり、1年後に稽古が再開するまでに俳優方それぞれに変化があり、作品に対する理解や心の高まり、手応えがあったことが、劇場で観客を前に演じる喜びと相まって、やりきれない結末でありながら、カーテンコールは非常に温かく、幸せなものとなった。1年を経てもコロナ禍は収まる気配はなく、先の見えない状況が続く。それでも「爺さん」の「より良きものを探す」「明日が少しでも良くなるように」(記憶によるもの。正確ではない)という言葉は心に響く。賑やかに酒を酌み交わしている最中に役者の自死を知らされる終幕は苦く重い。現実の厳しさを突きつける解釈、見せ方もむろんアリだ。しかし『どん底-1947・東京-』の人々は「爺さん」が来る前と今とでは違う生き方をするのではないか、いやしてほしい、そうでなくては…とこちらを必死な気持ちにさせるのである。
 かつての戦争、貧困、そして今の世界的な病理蔓延。100年の年月を超えて上演され続けているのは、この世の変容に関わりなく、本作が人を慰め、励ますためであろう。疲れ切って諦めていてもなお信じたい、そうであってほしいと願う心を呼び起こす力が、『どん底-1947・東京-』にはある。
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